『before:敢闘』②
◇ 界械暦三〇二五年 十一月三日 ◇
■ 某戦地 ■
三つ目の世界。
彼女はかなりの労力を割き、今回はゼロをかなり追い詰めることに成功した。
だが、間に合わなかった。
彼女が味方を増やそうとすればするほど、ゼロがノイド・ギアを完成するために必要な時間が、容易に与えられることになる。
それが完成しなくとも、武器商人となったゼロの暗躍で、戦争が世界中に広まることになってしまった。
最初の世界の戦争のように、世界中の人々が次々に犠牲となってしまう。
ゼロを追い詰めたものの、その時には既に味方も全員死に絶えていた。
「ハァ……ハァ……」
瓦礫に寄り掛かって座る血塗れのゼロに対して、彼女は小銃を向けていた。
ここでこの男を殺せば、それで目的は果たせる。だが、もう今となっては意味が──
「撃たないのかい?」
「……ッ! 殺す……貴方は……ッ! 殺す……ッ!」
「……フフ。N・Nとの付き合いも長いが、君との付き合いも長い。私は、君の望みも叶えてやりたいと思ったのだ。私を殺すのが目的なのだろう? 良いじゃないか。そのために私は、君らと戦う前に、呼び出していた異世界の存在を、全員元の世界に返したんだ。さあ、殺せばいい。────どうせ、もうこの世界は終わりだ」
「貴様……ッ!」
味方だけではない。敵も死んだ。全ての存在が、死に絶えた。
いや、世界中を探して回れば、まだ生きている者もいるかもしれない。
地上は汚染された空気が蔓延しているが、地下で生きる数名もいるだろう。
だが……そんな皆も、緩やかに滅びゆくだけ。
最初に二人がいた世界と、同じ結果になってしまっていた。
「……前の世界から、一人試しに呼び出してみた。彼女は言っていたよ。あの世界は……滅んだらしい。……私の目論見通りに、ね」
「ッ!? そ、そんな……」
「最初の世界もそうだ。だが良かったじゃないか。ここで私を殺せば、もう解れる世界もない。これが私なりの譲歩案。N・Nのことも、君のことも、望みの一部は汲んでやろう。この世界にはまあ、まだ少し生き残りがいるかもしれないが……仕方ない。お疲れ様。これまでよく頑張った。ユキ……いや、この世界では、『ユイ』と名乗っていたか」
まるで何もかもが他人事。
いや、本人すらもそれが他人事だと、本当の意味で理解できていない。
ここでこの男を殺せば、それで良いのか。
いや、そんなことをしなくとも、この世界はもう滅びゆく運命にある。
呼吸すら苦しい地上で、血反吐が止まらない自分の体調を鑑みればすぐに分かる。
(……今ここでコイツを殺しても、この世界はもう……救えない……。みんなが私の所為で……私の……所為で……。……私の…………せい……)
ユイは、震えながら小銃を下ろした。
「……今ここで貴方を殺すくらいなら、私は前の世界で腕輪を壊して、死んでいた。同じ結果なら……貴方を殺すことに、意味は……無い……」
「? 違うだろう。壊れた世界が一つ増えた。君が前の世界で……生きようとしたために」
ユウキは血涙を流しながらかぶりを振る。視界はぼやけ始め、全身が鈍く軋んでいた。
「違う。違う……違う。違う、違う。違う。違う違う違う……。違う、違う違う違う違う……違う違う違う違う違う違う違う違う違う──」
「違わないだろう」
「違うッ!」
「フフ……アハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
「私はッ! 私は…………死にたく……ない……。死にたくない……ッ! 死にたくなかっただけで……ッ!」
「良いじゃないか素晴らしい! ならば、また生き延びるために次の世界に向かうかい? 私も連れて行ってくれるのかな? なら楽しみだ。さあ……私に、次の世界を解れさせてくれ……!」
「死にたく…………ない…………」
前に紐を引っ張った理由は、そんな生存本能でしかないのかもしれない。
ゼロを止めるためなどという理由は、言い訳でしかないのかもしれない。
だが、前の世界の『ユウキ』は言っていた。『生きたい』と思うだけならば、何もいけなくはないのだと。
気が付けばユイは、目の前のゼロの息の根を止めていた。
無心で彼の義眼を奪おうとするが、彼女はそれに触れることが出来ない。
ならば、壊すしかない。だが──
「何で……何でッ! 壊れないのッ! 壊れてよッ! 壊れろッ! 壊れろッ! 壊れろッ! 壊れろォッ!」
小銃で弾丸をいくら撃っても、義眼は壊れない。
おまけに彼女が触れることも出来ないので、死体を運ばなければ他の手段を試すことも出来ない。
しかし、そんな時間はもう無い。ユイには死期が迫っていた。
今すぐ他の世界に移動しなければ、ワールド・ギアをどうこうすることは出来ない。
「……ロイン……どうすれば……良いの……? 私は……どうすれば…………ゲホッ! ゲホッ!」
宝石のヘアアクセサリーは、まだ彼女の髪に残っている。
原理は分からないが、世界を移動する際に最後に身に着けていた物も、一緒に転移することになるらしい。
だが、アクセサリーは何も物を言わない。ロインなどという彼女の最初の友人は、とっくの昔に死んでいる。
ワールド・ギアが魂だけを移動させる効果だからなのか、彼女の見た目は最初の世界で初めてワールド・ギアを使った時と変わらないが、もう体感では何年も生きている。
それでも彼女はまだ、ロインのことを忘れられていない。
いや、彼女だけではない。これまで一緒に過ごした者のことは、誰一人として忘れられていない。
「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……く……ぐぅぅ!」
『生きたい』と思った。だが同時に、『死んでもいい』とも思っていた。
生存本能を押さえつけるだけの理性は、まだ残っている。
紐を引っ張るべきか。それとも諦めて死ぬことを受け入れるか。
……いや、受け入れられるわけがない。
死に対して恐怖を抱いているからだけではない。
生存本能以上に、彼女はまだ『生きたい』と願う理由があった。
そのことを、彼女は思い出した。
──「だって私は…………まだ、何も分かっていないから……ッ!」
瓦礫に塗れた地面に膝をつき、彼女は左手首につけた機械の腕輪に、右手を伸ばす。
「私は……私は、諦めない……! 必ず……必ず貴方を……ッ!」
意味がないと分かっていながら、分かっていないことのために歩みを止められない。
彼女はまだ、知らなかった。
彼女の望むもの。欲するもの。その無限の価値を。
だったら、まだ、まだ────
────貫き通すことを、止められない。
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◇ 界機暦三〇二五年 十二月三十日 ◇
■ 某国 某所 ■
四つ目の世界から先は、もうゼロが手加減をすることがなかった。
彼女がゼロを殺さなかったことで、ゼロは彼女の望みが分からなくなり、それを叶える理由を失ったのだ。
ただ誰よりも長い付き合いがあるというだけで、ゼロはN・Nの望みを優先する。
そして世界を超えるごとに崩壊までのペースが速くなると、他の者の望みなど聞く暇がなくなる。
十を超えた頃から先は、もうその破壊衝動こそがゼロの本質であり、全てに成り代わっていた。
以前までのような隙は無い。機械のように正確に、世界崩壊のための準備を淡々と進めるだけの存在に……変貌してしまったのだ。
そしてついに彼女は、『その世界』に辿り着く。
「ここは……」
どこかは分からないが、もう何度も様々な世界を行き来した彼女は、冷静に自分の行動をすぐに始めようとする。
「……分からないけど、まず大事なのは情報収集。この世界について……調べないと」
そして彼女は少しずつ少しずつ、だがそれでも全速力で、最良の手段を目指して奔走する。
今までに出会った、別の世界の自分の言葉を思い出しながら──
──「諦めちゃ駄目だ。僕も諦めない。だから一緒に戦おう」
──「お前は俺だろ? 信じろよ。絶対に……大丈夫って奴さ」
──「私だって貴方の力になれる! お願い……諦めないで!」
──「生きろよ、もう一人のアタシ。最初に『生きたい』って思ったんなら……ッ!」
「…………そうだ。もう止まらない。止まるわけにはいかない。だって私は、そう選択したんだから。……ゼロ。私は必ず貴方を止める。そして…………私は、その先を望む。望んでしまっている。……望んで良いんだよね? ロイン……」
──「期待して良いの。幸せになって良いの。ううん。ならないといけないんです。ね? ユウちゃん」
幸せの意味を、彼女は求めていた。
全てが滅ぼうとしている世界でゼロを殺して死んでも、その意味は知ることが出来ない。
それを教えてくれるかもしれなかったロインは、先に死んでしまった。
もしかしたらそれは、ロインのことを知れば……ゼロとロインの間に何があったのかを知れば、分かるのかもしれない。
いや、ゼロが虚無に沈み切った時点で、それを知ることはもう無理だろう。
そうなると、どうすれば幸せの意味を知られるか分からない。
だが、ゼロの脅威を退けた後ならば、その方法が手に入るだけの時間が得られるかもしれない。
たくさんの時間を、自由な時間を手に入れるために、彼女は進み続ける。
そして彼女は、次の『ユウキ』と出会うのだった。
*
◇ 界機暦三〇三一年 五月六日 ◇
■ タートス分領 ■
▪ 収容地区 近辺 ▪
「暗闇バシッとすり抜けてッ! 天地を貫く糸一本ッ! 情熱一条、ユウキ・ストリンガーとは俺のことだァ!」
常識外のその存在感と、運命のようなその出会いに対し、彼女は思わず息を飲む。
運の悪いことに、ノイド帝国が人間の居住を基本的に認めない国だと知らないままそこに入ってしまった彼女は、長くそこで拘束される羽目になっていた。
数年かけて何とか逃げ出しても、帝国領土内では人間が普通に暮らすことが出来ない。
だから捕虜のフリをして収容地区に身を隠そうとしたが、バレるのも時間の問題だった。
時間をかなり浪費したことで焦り、絶望しかけていた彼女は、またそこで掴んでみせた。
希望という名の、か細い糸を──




