『fate:ハルカ・レイ』
◇ 界機暦三〇三一年 五月十一日 ◇
■ リーベル自治区 ■
昨日一晩を明かす場所を求めたユウキとユーリは、野宿を嫌って近くの町に辿り着いた。
そこへ案内したのはユウキ。彼に言われるままに連れて行かれた宿で、ユーリは眠りに就いたのだ。
そして、今目を覚ます。
「……どこだここ」
起きてそうそう寝ぼけていた彼女は、キャミソールの肩紐がズレていることにも気付いていない。
「起きたかユーリ!」
唐突に、ユウキがドンッと扉を開けて部屋に入って来た。
「あ」
「……出てけ」
「……オッス!」
ユウキを追い出してから、少しだけ顔を赤らめてユーリは肩紐のズレを直した。
それから上着を着て、身だしなみを整えると、彼女は部屋から出た。
「悪い悪い」
「……思い出した。リーベル自治区……ここで一晩明かしたんだった」
別に、下着の状態を見られて気にする女ではない。ユーリは状況をすぐに整理した。
「ああ。そんじゃ帰る前に……また悪ィんだが、ちょっとだけ……立ち寄っても良いか?」
「? どこに?」
「……」
「ユウキ?」
彼の表情は、どこか曇っているようだった。
まるで何かを懐かしんでいるような、そんな気配も窺えるが、その瞳の奥にはもっと黒い『何か』が見えている。
そしてその『何か』は、自身の瞳に宿るものと同様ではないかと、彼女は感じ取った。
*
リーベル自治区は、荒廃していた。
およそまともに機能しているとは思えないインフラ設備。崩壊している建物の数々。
ここが災害か、もしくは戦争被害を受けた地であることは、間違いなかった。
ユーリはずっと、そんな中ですぐに宿を見つけらられたユウキに、違和感を持っていた。
「ユウキ……ユウキかい!?」
崩れた道ではない道を歩をいていると、見知らぬノイドの女にユウキが声を掛けられる。
ユーリは今、丸みのある自分の耳を隠して警戒している。だがしかし、そのノイドは人間の自分を見ても、何の反応も見せない。
「ユーリ。ここは、帝国の領土でありながら、人間とノイドの両方が住む町だった。警戒しなくて良いぜ」
「やっぱりユウキじゃないか……!」
「よォ。久しぶりだな」
声を掛けてきた女ノイドは年配で、どこか疲弊を感じさせる様子だった。
「ああ……無事だったんだねぇ……」
「……俺はな」
「……」
そんな会話から、もうユーリは大体のことを察してしまった。
女性に手を振って再び歩き出すユウキに付いて行き、彼女はどう言葉を交わすか思案する。
「……ここァな、俺の故郷なんだよ」
だが、ユウキはそんなユーリの思考を察したのか自ら話し始める。なので彼女は黙って彼の話を聞くことにした。
「何もねェだろ? 何もねェ。全部ぶっ壊れてる。一年前の……『リーベル進撃』で、こうなったんだ。オールレンジの領土だったワーベルンと、陸続きで隣同士だったから。ワーベルンを拠点に領土を広めるために、連合軍が手始めに攻めてきたんだ。……俺はその時点でここから逃げた。でも、その後帝国軍が連合軍を追い出すために大規模な戦力を投入して……。結果として原型を留めなくなったこの町にゃ……正直帰りたくなかった」
元々ワーベルンは、狭い領土でありながら南インドラ海に面した港湾を占有していたため、帝国にとっても連合にとっても重大な土地だった。
そんな土地の隣にあるこの自治区では、ノイドと人間が共に暮らし、帝国は人間が住んでいる事実からまず認めておらず、いないものとして扱っていた。
加えて、連合軍もまた帝国側の認識を事実として認め、人間がいないものとして扱う。
結果として、連合軍はリーベルを攻撃することに躊躇う余地がなく、帝国もまた帝国の主義から逸脱した自治区での戦闘を許容したのだ。
「勝ったのは帝国さ。おまけにワーベルンも奪われて、連合軍は完全に失敗したんだ。そう……意味なかったんだよ、ここでの戦闘は。アイツが死ぬ必要だって……無かったのに……!」
そこで、話ながら歩いていたユウキは立ち止まった。
「……ここだ」
目の前にあるのは、半壊した小さな建物。
何かの店だったような形をしているが、瓦礫だらけで、元の状態は分かりようがない。
「ハルカ・レイ。それが……アイツの名前だ」
*
◇ 界機暦三〇二七年 十一月十一日 ◇
■ リーベル自治区 ■
ユウキ・ストリンガーはこの日、久方ぶりにこの故郷に帰って来た。
いの一番に彼が向かうのは、彼にとって最初に会いたい人物のいる場所。
『GHOST』と記された看板を掲げた小さな店。名前からは分からないが、ここはノイドのギアを製造、販売している店だ。
「……さて…………ん?」
店の前に立つと突然、中から音が聞こえてくる。
そして、扉を開けようとしたその時、先に中から扉が開いた。
「あ……うッ!」
急いでいる様子の男ノイドが、一瞬ユウキの顔を見て怯え、そのまま走り去った。
一瞬だったが、その男の衣服が多少乱れているのをユウキは確認する。
それだけで、ユウキは急にその男ノイドが中から出て来た理由を理解した。
「……はぁ。しょうがねェなァまったく……」
大きく溜息を吐き、ユウキは扉を開けて中に入っていった。
「……おいおい、早いじゃん来んのがさ。えぇ? ユウキ」
勘定台の奥にいるのは、やはり衣服が若干乱れた、一人の女。人間の女だ。
女は左目が髪で隠れていて、キセルを吸っている。細身で陰気で、見た目からして不健康。
だが、瞳は確かに輝きを灯していて、若いが妖艶な面持ちを醸し出している。
「あのなァハルカ。店の中に男連れ込むなっての。俺だから良いけど、他の客が入りづれェだろうがよ」
「お? 嫉妬? 嫉妬かなァ? ユウキ君よォ」
「まあそれはともかく」
「ともかくじゃねェよコラ」
「……用って何だよ。師匠に無理言って休み貰ったんだぜ? こっちは」
「……」
左目が前髪で隠れた人間の女──ハルカ・レイは、酷く残念な顔を見せている。彼女の内心は今、とても複雑な状況だ。
そして、実はそのことをユウキは何となく察している。
「その……何だ……。その……うへへへ」
「何笑ってんだ……?」
「うぐ……」
複雑な感情を、自ら制御することがままならない。
ハルカは一度煙を吸って吐き、落ち着きを取り戻す。
「…………その。ほら。っと…………な? ……えぇいッ! オラッ!」
もう思考を停止し、ハルカは『それ』を机上に出した。
ユウキのハチマキのように白く、手のひらほどの大きさの、フラスコのような形状をした機械だ。
「コイツは……!」
「……『オリジナルギア』……」
「!?」
「名前は……『ストリング・ギア』。アンタの……アンタ専用のギアだよ」
「ば……ま、マジか!? お前が!? お前が造ったのか!? お前が!?」
「他に誰がいんのさ。舐めんなよマジで。アタシだって……やりゃ出来る」
オリジナルギアは、その製造に超高度な技術と多大な資金が必要になる。
町はずれの小さな店の製造技師が造れるほど、簡単な代物ではない。
「いやいや! それはまだしも金が足んねェだろ!? 借金したのか!?」
「あー……それはほら。さっきの奴みたくさ。貢いでもらった。町の男どもに」
「……お前馬鹿だろ……。マジで」
実際彼女自身、他にやり方があったかもしれないと後悔している。
しかし、それでも彼女はこのオリジナルギアを造りたかったのだ。
「…………やるよ」
「あん?」
「だから『やる』っつってんの! 受け取れハチマキ野郎ッ!」
「……!」
オリジナルギアの価値は、ユウキでもよく分かっている。
使用自体はそれ専用のノイドにしか出来ないが、技術の結晶であるこの一品は、多くの他の技師などにモデルとして需要がある。
売れば掛かった費用を遥かに上回る、貴重な物なのだ。
「……マジで貰って良いのか? ハルカ……」
「いいから素直に受け取れや馬鹿」
「でも……」
ハルカはまたキセルを吸い、そして溜息と一緒に煙を吐く。
そして灰皿の上にキセルを置くと、両手は自分の膝の上に置いた。
小さく握ったその手は、少しだが震えている。
「……金は掛かったけど……アタシには造れた。造れたんだ。が、頑張ったんだよこれでも。いっぱい勉強した。大ッ嫌いな勉強だよ? アタシがだよ? 金の集め方は……まあほら、男漁りは元々の趣味だし、得意分野だったから……。……と、とにかく受け取ってよ。そんで認めてよ。アタシだって……アンタの師匠に負けないくらいの、技術者なんだって」
この頃のユウキは、将来的にはギア製造に携わりたいと考えていた。
それで幼馴染のハルカを頼るのではなく、遠くの町のノイドを頼ったのは、彼にも複雑な感情があったからだ。
「……タダでは受け取れねェよ」
それを聞いたハルカの表情は、必死なものに変わっていく、
「お、お願いだって! 受け取って! だって……だってほら! 今日……そう今日! た、誕生日じゃんアンタのさ! …………あ」
「……覚えてたのか」
「……いやその……あ、アタシほら、記憶力良いじゃん?」
「……だから、タダでは受け取れねェって」
もうハルカは涙ぐみ始めていた。
彼女がどれだけの想いを込めてこのギアを造り上げたのかは、最早語る必要すらない。
そして、彼女がどれだけの想いをユウキに向けていたかなども、同様だ。
「お願い……お願いだから……」
「……どうしても受け取って欲しいんだな?」
「何でもするから……受け取ってよ……ユウキ……」
「じゃあ条件がある」
「え」
ユウキは、ドンッと思い切りその手を机の上に置いた。
「俺の女になれ」
ユウキは、強い口調とは裏腹に、優しげな笑みを浮かべていた。
「…………へ?」
キョトンとしたハルカは、髪で隠れていた左目も少しだけ露わになり、両目で自分に迫るユウキを見つめた。
少し遅れて、彼女の顔は真っ赤になっていく。いや……どうやらユウキもだ。
「それが受け取る条件だ。当然だが、男漁りも今後は禁止」
「ま、待って。え……え? ちょ、ちょっと……あ、頭が追い付かない……」
「ハッ! こんなにツイてる話はねェよなァ! オリジナルギアに加えて、お前も手に入るんだ! こんなに最高のバースデーはねェよ! なァオイッ!」
「え……で、でも……でもほら……アンタの師匠は……」
「お前、この町から出られねェだろ? ノイド帝国の領土の中で、人間の住める場所はこの自治区だけだ。……当然ッ! 俺はこれからここに住む! 師匠にゃ悪いが、故郷生活万歳だぜッ!」
「な……何言って……そんなの急に……」
「俺はお前が欲しいんだよ」
「……ッ!」
幼馴染の二人には、種族の壁とはまた別の壁があった。
だがそれは、元々存在しないはずの空想の壁。
乗り越えるまでに時間は掛かったが、初めからこの二人は、二人とも、この時を待ち続けていたのだ。
「……ごめんなハルカ。俺は……ずっとお前が欲しかったんだ。なのにカッコつけて興味ないフリしてきた。馬鹿は俺なんだよ。俺が馬鹿なんだ」
「……ユウキ……。違う……違うよ……。馬鹿はアタシさ。アタシが馬鹿なんだ。男漁りの趣味は、アンタに構ってほしかっただけ……。気を引きたかっただけ……。大馬鹿なんだよアタシは」
「愛してるぜハルカ。今までも、これからも」
「……アタシも……だよ。……ゴールまで随分……遠回りしちゃったね……」
「なァにゴールじゃねェよ。こっからだ。こっからが……スタートだろうがよ」
「……うん」
二人の関係はこれを機に明るい方向に変化し、互いにとって幸福な日々が始まる。
だがそれが続くのは、あまりにも、あまりにも短すぎる間だけだった──




