『fate:ゼロ』
「初めまして。ユウキ・ストリンガーさん」
鳥肌が立っていたことを、ユウキは覚えている。
彼のその、空っぽな微笑みを見て、鳥肌が立っていた。
名前を呼ばれただけなのに、全身の血管を内側から細い指で撫でられているかのような、そんな感覚が突如として現れたのだ。
名はハルカ・レイ。
コードネームはゼロ。
政府直属の科学者。
紹介された彼の素性は、たったのそれだけで終わった。
「……ゼロ……? ハルカ……レイ……?」
「ああ。どうぞよろしく」
「……私に、一体何の……」
「少し、彼女と二人きりで話がしたい。良いかな?」
ゼロ……ハルカ・レイは、周囲の政府の役人に向かってそう言った。
そして彼とユウキは、他に誰もいない別室で、二人で話をすることになった。
*
二人は向かい合って着席した。
長い白髪をかき上げると、ゼロの右目部分が露わになる。
そこには、機械仕掛けの義眼が仕込まれていた。
「……その目は……」
「ああ……気にしなくていい。珍しいかな? これは……私が独自に入手した、特別な『ギア』なんだ」
「……? ギア……?」
「……まあそれはいい。私が君と話をしたいと思ったのは、君の能力を買ったことと……もう一つ、私的な理由がある」
「私的な理由……? 私のことを……知っているの?」
「いや、正確には、君のことは能力以外何も知らない。ただ……君が、私の『知人』と仲が良いようだったのでね」
「……知人……?」
思い当たる人物は、彼女にとって一人か存在しない。
頭に浮かぶのは当然、ロインの笑顔。
「…………まさか…………」
「……彼女には、『感動』を与える不思議な力がある。君も……そう思うだろう?」
「……」
「……まあそれはいい。私はね、少し……疲れているんだ。国の研究と、大学生活の両立を続けるのが……」
「え? 貴方も?」
「ああそうなんだ。……そうなのか? いや、そうだった。そうらしい。こう見えて私も学生でね。共通点がある君と、話をしてみたかった」
「? でも、さっきはロインと知り合いだからって……」
「? どういうことだ?」
「?」
どことなく、会話が噛み合ってないような気がした。
しかし、ゼロはそれが自分の所為だと思ったのか、自ら頭を下げる。
「……ああ。分かった。最近疲れが溜まっていて……頭が上手く働かないんだ。ユウキさん、君は平気なのかな? 大変だろう? この仕事は」
「まあ、大変ですけど……。慣れればそこまで……」
「それは凄いな。ところで、『ロイン』というのは彼女のことで良いのかな? 私よりも前髪の長い、ヴィオラの女ノイド……」
「え、あ、ああ、はい。そうだけど……」
(そういえば……サークル内でのあだ名だったんだっけ……)
ユウキは完全に、彼女の本名を知らない事実を忘れていた。
それでも問題無くこれまで一緒にいられたので、特に知りたいと思うこともない。
「…………そうか。フフッ! いや、済まない。一瞬、私が勘違いしているのかと思ってしまって……」
「私の方こそごめんなさい。ロイン……じゃない。えっと……」
「いや、『ロイン』で良いよ。何でもいい。とにかくそうだ。私は……そう。そのロインと知り合いの君と、何でもいいから話をしてみたいと思っただけで……いや、そうなんだ。実は何を話すか何も決めてなくてね。済まない。場当たりで仕事の邪魔をして……」
「いえ。全然。でもそっか。ロインの……まあ、あの子は知り合い多いみたいだし……貴方もそうなんだ……」
「邪魔にはなっていないかい?」
「え? あ、ああ……。別に何も……」
「何も? ……そうか。なら良いが……」
会話が微妙にズレている原因は、もしかしたらお互いの両方にあったのかもしれない。
その可能性に先に気付いたのは、ユウキの方。
「……というか、こんなことを聞くのは失礼かもしれないけど、もしかして……貴方って、あまり他人とは会話しないタイプ……だったり?」
「ん? まあ、研究室に閉じこもっているからね。そういう君は?」
「もちろん。ロイン以外に話し相手はいない。おかげで今も、なんか会話が妙になってる」
「それは奇遇だ! 私も、多くの人間やノイドと関わってきたが……長く平凡な会話を続けられたのは、彼女だけだ」
「貴方も?」
「そうなのだよ」
単純明快な話だった。二人とも、コミュニケーション能力に欠けが存在していたのだ。
だがその欠けは、相手のコミュニケーション能力がある程度あれば問題無い程度のもの。
上手い具合に、この二人はその欠けを互いが互いに補い合うことが出来ず、会話に妙な噛み合いの悪さが生じていたのだ。
(……この人は……もしかして、私に似ている……? だとしたら……)
少しだけ、安心して笑みがこぼれた。
同じノイドの女子と関係があり、同じように他者と関わることが少ない。
自分が特別な一人ではないという実感が、彼女の孤独感を和らげる。
「…………私は、『感動』するのが苦手なんだ」
「え?」
「……昔からそうなんだ。理解することは出来る。いや……出来ているつもりにはなれる。真似だって出来る。出来ている……つもりだ」
「……共感能力の話……?」
「ああ。ただ、彼女は私に『感動』を与えてくれた。彼女と出会って、私の心は……潤った」
「……はあ……」
「しかし、彼女の特異性はそれだけだった。いくら調べても、それだけだった。私は今の地位に就いて多くのことを学んだが、それでも彼女が特別だという証拠は見つけられなかった。だとしたら……やはり、特別なのは……いや、この世界の『異端』なのは……私の方ではないかと、思い始めた」
「……? 貴方は何の研究を……?」
「もちろん、君と同じさ。これから起こるだろう…………戦争の為の、研究だ」
「それは一体……何?」
聞くべきでないことかと一瞬発言を撤回しようとしたが、それよりも早く、ゼロは答えた。
「存在エネルギーの研究だ」
初めて聞く単語に、ユウキは眉をひそめた。
「『存在エネルギー』……?」
「まあ、簡単に言うと、体の内から溢れ出る、全てのエネルギーのことだ。だがそれは、体外から得たエネルギーを放出することではない。『鉄』は知っているね? それにノイド。分かりやすく、ゼロからエネルギーを生み出す生物だ。だが……彼らだけではない。我々人間も、知らず知らずのうちに、ゼロからエネルギーを生み出し、放出している。私はそれを含めて全てを、『存在エネルギー』と呼んでいる」
「……そんなものが……」
「それをもとにして、ヒノデ連邦は人間が鉄に乗って戦えるということを立証した。鉄から出るエネルギーだけではない。人間の発する存在エネルギーが、鉄のそれを呼び起こすのだ。これを詳しく解明すれば……どのような人間が鉄に乗ることが出来るのか、完全に把握することが可能となる」
「……!? あ、アレは……鉄が起こした奇跡っていう話じゃなかったの……?」
「ノイド王国に悟られないよう、秘匿されていたのさ。そして、今後起こる戦争で、王国は戦慄することだろう。多くの人間が……多くの鉄と共に戦いに出始めるのだから」
「……ッ!」
ユウキが愕然としていると、ゼロは何故か溜息を吐いた。
「…………いや、こんな話をしたかったわけじゃない。私はただ……ただ……」
「……? どうしたの?」
「……いや、何でもない。そうだ。答えを聞いていない。君は……彼女に、『感動』させられたのだろう?」
今のユウキは、誤魔化そうとは思っていない。
ロインと共に過ごした日々の長さが、彼女を変化させていた。
「……うん」
「……ならば、私と同じだ。……いや……どうだろうな」
「どういうこと?」
「……また会えないかな? 出来れば……彼女の話を聞きたい」
やはり、会話が上手く成されていない。
しかし、安堵していたユウキは、その理由を些末なものとして捉えてしまった。
「……本人に聞けばいい。直接会って」
「……その通りだ。なら私は……どうして君に聞こうとしたのだろう……」
彼が本気でそれを疑問に思っていることを理解していれば……という仮定に意味は無い。
全てはユウキと出会う前から決まっていたこと。
既に彼女には、どうすることも出来なかった。




