『fate:ユウキ・ストリンガー』②
◇ 界人暦三〇二三年 四月十一日 ◇
■ ゲヘノン大学 サークル棟 ■
『ENSEMBLE THREAD』の部室は狭いが、それでもサークル棟の中では大部屋に数えられている。
ユウキはロインに誘われるままに、この部室までやって来てしまった。
「さあ! こちらですよユウキさん」
冷ややかな目をしているユウキは、全く乗り気になったわけではない。
(……押しに負けた……)
余り大勢入れないためか、部室に姿が見えるのは、二十人近くいるはずの部員のうち、たったの三名。
その中でも、赤と青の色が混ざった髪の、ノイドの青年が近寄って来る。
「Hi. 新入生……ではないか。というか知ってる。確か噂になっている、『お雇い』の……ユウキ・ストリンガー……だよな? 俺の名はフォンス。ここの代表だ。入会希望か?」
「……いいえ」
「違うんですか!?」
何故か連れて来たロインが驚いている。
「Uh-oh. どうしてロインが驚く? 意味不明だ」
「……根負けしてここまで来ただけ。私は……ここに入る気はない」
「Oops! そりゃ残念だ。ロインが連れて来たもんだから、期待してしまったよ」
「どういうこと?」
「She is gifted. 音楽の才能……とは、言い切れないが」
「? ごめんなさい。言っている意味が……分からない」
「Uh… ううん。済まない。要は、ロインには場の雰囲気を良くするというか、空気を変える……みたいな才能があるって話さ。その彼女が連れて来たんだ。そちらにも何かあるんじゃないかと思うのは、仕方ないだろ?」
「空気を変える才能……?」
不思議に思ったユウキがロインの方を見ると、彼女は照れて頭を掻いている。
「いやぁ……別にそんな……」
「事実だろ?」
「いやぁ……はは……えへへ……」
派手に照れて蕩けている。少なくとも、どこかの誰かさんのような冷たい雰囲気を身に纏ってはいない。
空気を悪くするわけにはいかないので、ユウキはここで回れ右をしよとする。
「ああ! 待って下さいユウキさん! 帰らないでぇー」
「いや、入らないから」
「楽しいですよ! 今のキャンパスライフよりも、二割り増しくらいで!」
「微妙……」
これ以上ロインと会話をしていると、ますます断りづらくなってくるかもしれない。
今すぐこの場を去らなければと考えた、その矢先──
「It's up to you. 止めはしないが…………そちらは、彼女に何かを『感じた』からここまで来たんだろう? 覚えておくといい。それがロインの力だ。そうだろ? ロイン。Maybe you could be match for that person.」
フォンスの言葉を聞いて、ユウキは眉間に皺を寄せながら目を細めた。
隣のロインは、訳が分からないといった様子で首を傾げている。
「…………確かに、そうかもしれない。でも、そういう問題じゃなくて……」
ユウキが返答に困っていると、一瞬フォンスは瞳を大きくする。
まるで、返答に悩むこと自体が妙であると思っているかのように、怪訝な表情のまま近くの椅子に座った。
「……あれ? 俺の言っている意味が分かったのか?」
「? いいえ。ただ…………私は、この子にそこまで特別な才能があるように見えない。私が『感動』したのは……ただ、私だったからってだけ……な、気がする……」
「……なるほど」
「ま、まあ私、実際別に、そこまで上手くないですからね……。ここのみんなの中でも。褒めてくれるのフォンスさんだけですし……」
ロインがそう言うとフォンスは笑い出し、手を叩いた。
「そうかそうか! フフ……ハッハッハ! そうかもな! ……だとしたら、そちらの方がむしろ……」
「? 何?」
「いや、何でもない。俺としては、うちに入ってくれる人は多い方が良いんだが……」
「……ごめんなさい。私は……」
「Say no more. 分かってる。……政府から、御呼ばれしているものな」
また、ロインは訳が分からない様子で首を傾げている。
他の部員たちは分かっているのだが、彼女だけが分かっていない。
「? 政府? 何の話ですか? ユウキさん」
当の本人は俯いてしまったので、代わりとばかりにフォンスが答えた。
「『お雇い』さ。クリプトグラファーとして、政府から直接勧誘を受けたそうだ。噂になってる」
「クリプ……ファー? 何ですか? それ」
「……暗号解読者。これから起こる──
────戦争に必要な人材さ」
*
◇ 同日 ◇
■ ゲヘノン大学 特殊情報整理施設 ■
ユウキの出身であるターゲット国は、世界最大の多民族国家。
そのターゲット国にとって最も障壁となるのが、隣国であるノイドだけの単一民族国家・ノイド王国。
この星の反対側に広がる多くの発展途上国を、様々な経済援助をすることで実質的に制御している、二大国だ。
ターゲット国は、星の反対側で権益を広げるために、ノイド王国に関する情報操作を進めていく。
対立関係を深めていくと、両国の中で種族間差別も広がっていく。特にターゲット国の政府は、ノイド王国の悪印象を助長するために、差別を黙認する。
様々な理由が混ざり合わさって、戦争の火種は、どうしようもないほどに燻っていた。
「こんにちは。ユウキ・ストリンガーさん」
そして知る者は既に知っている。戦争は既に、『情報戦』という形で始まっているということを。
ユウキが本日訪れたこの施設は、大学内にありながら、水面下で軍に協力していた。
「……どうかしてる。大学内に傍受施設を置くなんて……」
「歴史的記録のあるこの教育機関は、攻撃対象になりませんからね」
「……卑怯な真似をするんですね。我が国の政府は」
「フッ……戦争ですよ? 卑怯で狡猾で絶望的であるべき……。違いますか?」
「……さあ……」
政府の人間に案内され、ユウキは施設の奥に入っていく。
彼女以外にも、政府に雇われた学者や研究員は数多くいるようだった。
全ては敵国の通信傍受と、その暗号解読、またこちらの通信における暗号作成を行う役目を担うため。
世間では知られていないが、大学内では噂となっている。ユウキは完全に、政府と軍に利用される立場となっていた。
「ユウキさんには期待していますよ」
「私は何も期待したくないです」
そう言って、指示された仕事を淡々とこなしていく。
政府の目利きは確かだったようで、彼女の能力は非常に高かった。
ノイド王国が生み出した最新式の暗号機の構造・原理を、瞬く間に理解し、次々に解読していく。
一方で、そちらで結果を出し続けると、必然的にユウキの仕事は暗号解読のみで手一杯になる。
もちろん彼女一人の力が足りないからというわけではないが、ターゲット国はノイド王国の秘密情報を掴む機会が増えるものの、同時に暗号作成技術の発展は滞っていた。
両国の情報戦は、互いに一歩も譲る気配がなかった。
*
◇ 界人暦三〇二三年 五月八日 ◇
■ ターゲット国 ゲヘノン州 ■
▪ ローテーションホール ▪
ユウキとロインの親交は、意外にも四月の頃から深まっていた。
無論、ロインの一方通行そのものだったが、それでも会話を交える回数は増えていたのだ。
「……どうして私が……」
今日も、ロインに無理やり誘われて、彼女ら『ENSEMBLE THREAD』のコンサートに来る羽目になった。
ただ、今の彼女は理解している。誘われても無視できないのは、確かに自分の中で何かが変化していたためだということを。
「来てくれたんですね! ユウキさん!」
宝石のヘアアクセサリーを煌めかせながら、ロインは手を組んで喜んでいる。
「……貴方が誘ったんでしょ。貴方たちのコンサートに」
「いやでも無視されるかと……」
「……」
態度の悪い自身に問題があるのは分かっているが、ユウキは少しだけ信用されていないことが残念に感じていた。
(実際こんなところに来る意味は無い。なのに……私は……)
「……この前、貴方から電気シューを貰ったから」
「え?」
「その分を返すだけ。……食べてないけど。別に、貴方たちの下手の横好きを、傍から見たいと思ったわけじゃない」
「素直じゃないんですね……」
「勘違いしないで」
「それをするのが、私というノイドです」
彼女の笑みを見ると、ユウキは自分の中で何かが紡がれているような気がした。
無数の細い糸が集まり、光る何かを形成している。
それが何かまでは、まだ分からない。
*
コンサートは、やはりというべきか当然というべきか、『無難』の一言でしかなかった。
新入生歓迎会の時とは違い、確かにミスは減っていた。
だが、それでも手放しで素晴らしいとまで言えるほどにはなっていない。
終わりに控え室に向かったユウキは、そこで疲労感と達成感を露わにしているロインの姿を確認した。
「ハァー……疲れました!」
「……まあまあだった。素直に言うと」
「ですよねー。私、一瞬手汗で譜めくりミスって、一ページ分丸々暗譜でしたからねー」
「……どうりで急にアドリブが増えたんだ」
「アドリブにしては良くなかったですか!?」
「まあまあだった」
「素直ですね……」
確かに完成度は『まあまあ』だった。決して評価としては高くない。
しかし、何故か、ユウキは前回の時と同じ様に、ロインの姿を見て『感動』していた。
演奏そのものではなく、全力で楽しんでいる姿を見て、『感動』していたのだ。
そしてユウキは、楽器のギアを弄っている周囲のノイドのメンバーを見て呟く。
「……便利だね。ギアは」
「? ええ、はい。ノイドはギアを使って、楽器を自分の体から出せますからね。持ち運びせずに済むのは楽かもです」
「…………人間の中には、ギアによってあらゆる能力を手にすることが出来るノイドを、恐れる人がいる」
「はぇー、そうなんですか?」
「……この国の地方でも、ノイドが差別される例は見られている。ここは都会だからそうでもないけど……」
「それはまた……悲しい話ですね」
「……私が、ノイドの国との戦争に協力するとしたら……どう思う?」
不思議と頭に無かったはずのことを、ロインに聞いてしまった。
聞く気など無かったのに、口が勝手に動いていた。
「ユウキさんはユウキさんでしょう?」
長い前髪の隙間から、彼女の綺麗な瞳が見えていた。
「……意味が分からないけど」
「要するに……私に嫌われたくないってことですか? ふふ……可愛いところあるんですね。ユウキさんって」
「べ、別にそんなんじゃ……」
「心配しないでも、私は嫌ったりしないよ?」
「急に丁寧口調止めて距離詰めないで」
「不安になるから? 距離を置かれることを想像して」
「それは……」
ユウキが目を逸らすと、ロインはもうその心の内を見透かすことが出来ていた。
育った環境の所為で多少捻くれてしまっていたが、ユウキはロインと年も変わらない。
少しずつ、だが確かに、ユウキの胸に刺さった針は、抜け始めていた。
「……見てもらおうと努力して、親には避けられるようになった。頭が良すぎる子は……要らないんだって。ただ愛らしく親の言いなりにってくれる子が良いんだって。だから……私は…………期待したく……ない……」
「……良いんだよ」
「え?」
「期待して良いの。幸せになって良いの。ううん。ならないといけないんです。ね? ユウちゃん」
「…………ロイン…………」
少なくともその言葉は、自分が期待していた言葉と変わらなかった。
彼女の望むことを、ロインはしてくれている。それも、何の見返りを求めることもなく。
「……いや、待った。『ユウちゃん』はない。嫌だ」
「えー? 良くないですか? 可愛いよ?」
「嫌」
「えー」
そして、二人の関係はこれを契機に、大きく変化を遂げることになる。
「……Are you really negative trash too? Or positive? Or zero...」
*
◇ 界人暦三〇二三年 十月十日 ◇
■ ゲヘノン大学 特殊情報整理施設 ■
気が付けば、ユウキの胸に刺さっていた針は取れていた。
ロインの前でだけは、彼女も自然な笑顔を見せ始めていたのだ。
六月は、ロインに流されて生まれて初めてウィンドウショッピングをした。
七月は、ロインに引っ張られて山にキャンプをしに行った。
八月は、ロインに誘われて彼女の友人らも交えて海に行った。
九月は、ロインに連れまわされて大学祭を堪能させられた。
「また明日!」
「……うん。また明日……」
もう何の疑いもなく友人として認識していたロインに別れを告げ、ユウキは今日も仕事に取り掛かる。
ターゲット国とノイド王国の関係は日に日に悪化していき、その所為でユウキが解読しなければならない暗号も複雑さを増していく。
だがそれでも、優秀な彼女は次々に敵の秘密情報を明らかにしていった。
気が付けば、彼女はこの国において重要な存在になっていたのだ。
施設の中に入ると、そんな彼女のことを政府の人間が待っていた。
「……ユウキさん。今日はこちらに」
「? 日報は?」
「ああ、構いません。暗号解読において、優秀な結果を残し続けてきた貴方に……是非とも、お会いしたいという科学者の方がいまして……」
「……え? どういう……」
そして前を向くと、件の人物が自ら姿を現してくる。
長い白髪で右目が隠れた、人間の男──
「彼のコードネームは……ゼロ。本名は──
─────────────ハルカ・レイ」




