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ENSEMBLE THREAD  作者: 田無 竜
八章【彼方から零へ】
120/158

『fate:ユウキ・ストリンガー』

 進み続ける物語は、ここで一度後ろを振り返る。

 だがそれは、歩みを止めて全てを諦めるためではない。

 もう元に戻せない凄惨な過去を、引きずって運び続けたその過去を、決して忘れないために。

 決して、全てをなかったことにしないために。

 ここで一度、振り返る。

 必ず諦めず、最後まで勇気をもって進み続けるために──



=====================



◇ 界人暦かいじんれき三〇二三年 四月九日 ◇

■ ターゲット国 ゲヘノン大学 ■


「……あれが、噂の……」

「ああ……」


 通りを歩く、女性が一人。

 ブロンドの髪にグリーンの瞳。低い背丈の割に胸は発達している、冷たい目をした人間の女。

 人は彼女を見て、その名を呟いた。


「……ユウキ・ストリンガー……」


 周囲のざわつきを無視して、ユウキは風を切って歩き続ける。

 ここは国立ゲヘノン大学。国内最高峰の大学であり、世界的に見ても相当な社会貢献を果たしてきた実績もある、

 ユウキ・ストリンガーは、ここの入試を首席で合格し、学生の身でありながら数々の論文を上げ、活躍を見せている天才だった。

 そして先日、あまりの能力の高さを見込まれて、とうとう政府からも声を掛けられるようになった。

 ……その内容は──


(……気持ちが悪い……)


(周囲の視線が……気に入らない……)


(何もかも……どうでもいい……。何もかも……虚しい……。何もかもが……)


 ユウキ・ストリンガーは、世界に虚しさを覚えていた。

 優秀な彼女の両親は、当然ながら優秀だった。だが、それ故に多忙で、娘と共にいる時間も少なかった。

 寂しかった彼女は、両親に構ってもらえるように、自分自身も二人に近付こうと努力をする。

 勉強に勉強を重ね、幼少の頃からあらゆる分野で結果を出してきた。

 だが、それで両親が彼女を褒めることはなかった。

 むしろ、自分たちよりも優秀な彼女を厭うようになったのだ。


 二人にとって彼女は、人形のような存在でしかなかった。産んでから暫くの間、愛でるだけの人形。

 飽きてからは他人。ずっと他人だった。だから彼女のことを家事手伝いに任せ、放任していた。

 彼らはユウキを自分たちの立場を脅かすような、有能な存在にしたかったわけではない。

 そして実際、彼女は子どもながらにして両親の会社が開発した製品を凌駕する物を自らの手で作り出してしまった。

 流石に直接的なことをして嫌悪を示すことはなかったが、賢い彼女は両親の態度の変化にすぐに気付く。


 二人からまったく愛情を受けていなかったことを理解した彼女は、そのまま世界に虚しさを覚えるようになってしまったのだ。


     *


 この日は、大学のサークル各所で、新入生歓迎会が行われている日だった。

 無論、学生の域を超えてしまっているユウキには関係のない催ししか存在しない。

 だが、それでも彼女は優秀が過ぎるため、研究を進める速度が速すぎて、暇な時間が生まれてしまう。

 いつもならその時間をまた別の研究の時間に使う彼女だが、今日は何かが違った。

 その違いが何だったのかは分からない。もしかしたら、声を掛けてきたその人物の声が、透き通るように明るかったからなのかもしれない。



「『ENSEMBLE(アンサンブル) THREAD(スレッド)』です! 空席有りますよ!」



 別にユウキは、新入生ではない。

 有名な彼女を知らない者は、彼女に遥か劣る無知な学生しかいない。

 見下すような目を向けながら、彼女はそのサークルの出し物が何かを確認する。


 『ENSEMBLE(アンサンブル) THREAD(スレッド)』。ゲヘノン大学の音楽系サークルで、どうやらこれから演奏会を行う予定らしい。

 空席を埋めるために、手当たり次第新入生と見られる人物に声を掛けているのだろう。

 自分の背が低かったために新入生と勘違いされて声を掛けられたのかと思うと、若干ユウキは不機嫌になる。


「……演奏会……」

「どうか! 聴いていってください!」

「……」


 不機嫌なはずなのに、体が傾いていた。

 そして彼女は、何かに動かされたかのように『ENSEMBLE(アンサンブル) THREAD(スレッド)』の演奏を聴くことになるのだった。


     *


 客入りはやはり虚しいことに、ユウキを加えてもものの数人だけだった。

 それでいて問題の演奏の方は、ハッキリ言って凡庸なものだった。

 所々ミスが目立ち、噛み合ってない部分が見え隠れする。努力は見えるが、『上手い』などとはお世辞にも言えない。

 ただ──


「……………………」


 つい先ほどユウキに声を掛けた、その人物。

 人間ではなく、機械の体で出来た人型の生命体……『ノイド』の女子。

 キラリと光る宝石のヘアアクセサリーを付け、前髪が長い所為で目は見えないが、表情は分かる。


 とても楽しそうに、笑顔で、全力でヴィオラを弾いている。

 自身の腕と接着した、恐らくギアの一種である、そのヴィオラを。

 彼女は楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうに、演奏している。

 お世辞にも『上手い』などとは言えない。


 だが、何故か……。


 ユウキは何故か………………泣いていた。


(……何で……)

(私は……何で……)

(何で……泣いているの……?)


 他の全ての客が帰るまで、ユウキは席から立ち上がることが出来なかった。

 涙が全て流れきるまで、彼女は体を動かすことが出来なかったのだ。


     *


「ありがとうございました!」

「!」


 涙を拭いて、ユウキは横を向く。

 そこには、最初に彼女に声を掛けたノイドの女がいた。


「……えっと……だ、大丈夫……ですか?」


 泣き出したうえ、その場から動かないユウキを見て、心配になったのだろう。

 前髪で目は隠れているが、不安な目をしていることが容易に推測される。


「……別に……」

「どうでしたか!?」

「…………別に。聴けないことはない……くらい……」

「辛辣ッ! で、でもでも、今泣いてたじゃないですか!」

「……欠伸しただけ」

「いやいやいや! 号泣してたじゃないですか!」

「してない」

「おぉう……。それはまた面白い事を仰いますね……。まあでも良いです! 最後まで聴いてくださって、ありがとうございました!」

「……」


 ペコリと一礼して、彼女は去っていく。足取りも何もかも、彼女はとても自由に見えた。

 そんな彼女に羨ましさを感じたユウキだったが、どうせこれ以上彼女と関わることはない。

 今日のことは忘れ、なかったことになるだろうと、そう思っていた。

 …………翌日までは。


     *


◇ 翌日 ◇

■ ゲヘノン大学 食堂 ■


 ユウキは偶然、昨日の女ノイドを発見した。

 人間とノイドの入り混じった多種多様の友人に囲まれ、笑顔を見せていた。

 一人で孤独な、自分とは違って。


「ロイン。弦楽器以外は使わないのかァ?」

「使わないんじゃなくて、使えないんです! そもそもヴィオラ・ギアしか持ってないですし」

「金無いなら貸すよー」

「大丈夫です! 私はこの子のこと愛しているので!」

「純愛~」


 ただ人間関係を構築するためだけに学生をしているような、ユウキとは百八十度立場の違う連中。

 彼女は一瞬だけ耳をそばだててしまったが、すぐに息を吐いて離れた席に座った。

 だが、その目隠れの女ノイドは、そんなユウキの姿を視界に捉えてしまう。


「あ、ちょっとごめん」


 そして、自然な調子でユウキの方に近寄っていく。


「こんにちは」

「…………何?」

「え? 『何?』と言われても……。ただ挨拶しただけですが……」

「……そう」


 ユウキは一瞥だけしてすぐに食事に戻る。

 効率的な生き方をしている彼女は、食事時に会話をしようとは思わない。

 そもそも目の前の女ノイドにそこまで興味が無い…………ことも、なかったのだが。


 そして自然な流れで、彼女はユウキの正面に座った。


「一人なんですか?」

「……それが何か?」

「うちのサークルに入りませんか!? 友達も出来ますよ!}

「…………」


 どうやら、彼女はまだユウキのことを新入生だと勘違いしているらしい。

 一人でいるユウキを、勧誘対象として丁度良く思ったのだろう。


「……私は新入生じゃないよ。ロインさん」

「え? 『ロイン』って……」

「さっき聞こえた。そっちの会話が」

「ああ……なるほど。でもそれ、サークルのみんなの呼び方で……」

「そ」


 黙れば離れると考えて、ユウキは食事に戻る。

 だがロインは、ユウキの思惑通りに諦めて、この場を去ることはなかった。


「……何年生でも構いませんよ! 今入ってるサークルはありますか?」

「そちらに入るつもりはないよ」

「あうッ! そうですか……」

「……」


 どれだけ拒絶の意志を示しても、なかなかロインはこの場を離れない。

 そろそろユウキは鬱陶しく感じ始めている。が──



「私に興味ないですか?」


 そんな直球の質問をされ、ユウキは思わず顔を上げた。


「……逆に聞くけど、何であると思うの?」

「いや、あるとは思ってませんよ? ただ……だって…………『涙』を、流してくれたじゃないですか」

「……!」

「……それって……その……う、うちのみんなの演奏を聴いて……か、感動とか……してくれちゃったのかなって……思ったんですけど……。……そ、そういうわけじゃ……な、ない……みたい……ですかね……?」

「……それ……は……」


(私は……《《感動した》》の……? あんな演奏で……? 違う……。私はただ……この子の演奏する姿を見て…………見て……)


 素直に認められないのは、捻じ曲がってしまった彼女の性格の所為。

 しかし彼女は馬鹿ではない。言い返せないということがどういうことか、分からないわけではなかった。


「あ! そういえば、お名前聞いてなかったですね。聞いても良いですか?」


 ノイドを苦手と思っていたわけではないが、このロインに迫られるとどこか心が不安になる。

 この時のユウキはそれを言い知れぬ嫌悪感ではないかと思ったが、正体はその全く逆。

 彼女はただ、ユウキの胸に刺さった針を取るために、その心に少し触れてきただけなのだ。


 そして彼女は永遠に後悔することになる。

 この時に、ロインのフルネームを聞かなかったことを──


「……ユウキ……ストリンガー……」

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