『fate:ナイン・テラヘルツ』⑤
◇ 界機暦三〇三〇年 六月九日 ◇
■ 皇室庁 六戦機待機室 ■
この日、ナイン・テラヘルツは半年ぶりに六戦機待機室にやって来た。
人の多いところで暮らすことに慣れていない彼は、出来るだけ狭く暗い地下での生活を好み、自ら動こうとはしない。
加えて基本的に外に出てはいけないと指示されているが、その程度の制限は彼にとって自由と何も変わらない。
立てる。歩ける。走れる。それだけで、彼にとっては果てしない自由を手に入れているつもりだった。
「エヴリン君ッ!」
「ん? ……うわッ! な、何ですか!?」
振り返ったエヴリン・レイスターの頬を、ナインは人差し指で小突いた。
「ハハハ! エヴリン君は面白い反応するなァ。いやァ面白い」
「……ナインさん。セクハラですよ?」
「? 何それ?」
「えっと……いや、面倒なので良いです」
「そう?」
エヴリンはやれやれと息を吐いて、少し距離を取る。
ナインはずっと人と接したことがなかったため、距離感というものが分からない。
「紅茶が入ったのである」
「おおヴェルイン君! 久しぶり!」
「!? ナイン……!? 一体何故……」
「そんなに驚くなよ。暇だから来たってだけ。……駄目?」
「い、いや……駄目というわけではないが……」
「……」
ヴェルイン・ノイマンはティーポットを乗せたトレンチを机の上に置き、少し後退した。
それを見たナインは、もの寂しさを覚えて目を細める。
「シャハハハッ! 『亜種核』はまだ解明できちゃいねェバケモン資源だろうがよッ! 下らねェことに時間潰してんなよ『最強』ッ!」
シドウ・シャー・クラスタは、横柄な態度でソファに座っている。
「……だから、小休止を貰ったんだよ。すぐに戻るさ。……俺の体を、研究に使うために」
「シャハハ……ノーマン・ゲルセルクはどこでテメェを見つけたんだか……まったくどうかしてやがる。なァナイン。二百年前はモルモット。そんで今は元帥のオモチャ。楽しいのか? そんな人生──」
そこでナインは、瞬間的にシドウの眼前に移動する。
彼に左手の人差し指を向け、今にも襲いかかろうとする体勢になって。
「……あの人は、俺を助けてくれたんだ」
「……シャハハ……良いじゃねェか……。クソジジイが……!」
「……シドウ君……」
傍にいたエヴリンとヴェルインは、止めて入ることが出来なかった。
そして、シドウも額に冷や汗をかいている。誰も彼もが、ナインのことを恐れているのだ。
「……ナイン……?」
「おやぁ? 珍しいのがいるねぇ……」
すると、ガラン・アルバインとギギリー・ジラチダヌがこの部屋にやって来た。
そこでナインはシドウから離れ、二人にも挨拶をする。
「やあ。ガラン君。ギギリー君」
「……」
「クヒヒヒヒッ! こりゃとっととお暇しないとねぇ。おたくみたいなバケモンと、同じ空間に長くは居たくない」
頭を下げるだけのガランに、あからさまな嫌悪感を示すギギリー。
左目だけしか開いていないナインに、誰も目を合わせてはいない。
「そりゃないだろ? 折角の仲間なんだ。ちょっとくらいお話しよう」
「仲間……? クヒヒッ! ああ、そうさねぇ。仲間かもねぇ。けどねナイン、仲間であっても友達じゃないんだよ? クヒヒヒヒッ! 価値観の合わない昔のノイドと、話すことは何も無いさ。そもそも私は、ちょっと必要な資料があったからここに来ただけだ。さ、帰らせてもらう」
「……そうか……」
そしてギギリーは誰とも会話などせず、棚にしまっていた資料を持って部屋を出る。
ナインが相手だろうと関係なく、ギギリーはそういう男だった。
ナインは一度部屋を見渡す。
皆が彼と距離を置いている。生まれた時代が違うだけでなく、持つ力の度合いが彼らとは比べ物にならなかった。だから誰も、近付くことが出来なかったのだ。
かろうじてエヴリンはこちらの心情を察してどう接しようか悩んでいるようだったが、気を遣わせている時点でナインは申し訳なくなってしまっていた。
「……じゃあ、俺も戻るかな」
そうして扉の方に向かうと、近くにいたガランとすれ違う。彼はそこで質問した。
「……俺が怖いか?」
「……当然だろう。お前は……特別なノイドだ」
「……特別……か」
切なさと虚しさを抱えたまま、この日のナインは仲間のもとを去った。
いや、仲間だと思っているのは、もしかしたら自分だけ。
救ってくれたノーマンですら、目を合わせてはくれない。
ナインはそこで初めて、自分が今以上の幸福を望もうとしてしまったことに、気付いてしまった。
*
◇ 界機暦三〇三一年 七月二十七日 ◇
◇ 午前八時十五分 ◇
■ 皇室庁 地下 ■
サザン・ハーンズは、目を覚まして飛び起きた。
「馬鹿な……」
(痛みが……無い……!? 俺が生きている……? そんなはずが……)
傷が癒えている。自身の回復力はかなり高いと自負しているサザンだが、それでもいくら何でも、治るのが早すぎる。
そもそも、あのままの状態で生きているはずが──
「……やあ……」
隣には、仰向けになっているナインの姿。
「ナイン……!? お前……」
そこでサザンはハッとする。明らかに、彼の様子が先程までとは違う。
右目は閉じ、『超過』の状態でないのもあるが、それだけではない。
彼の胸から───────光が消えている。
「ッ!? お前……何をしたッ!?」
「自分の胸に……聞いてごらん……」
「……ッ!」
サザンは自身の胸に目をやる。
そこには、フラスコ型のオリジナルギアが埋め込まれているだけのはずだった。
「馬鹿な……これは……」
「……『亜種核』だよ。俺の……ね」
「……ッ!? なに…………何故ッ!? 何故だナインッ! 性質が違うと言っても……これはお前の『核』だッ! 生命維持機能の中心だッ! なぜこんな馬鹿なことを……ッ!」
「…………これで、俺は特別じゃなくなる」
「…………!?」
「ごめんねサザン君。俺の代わりを務めさせることに……なるかもしれない……」
「何で…………何故だ……何故だナイン……」
「……俺はずっと、『最強』のノイドや、『天才』のノイドと呼ばれるのが嫌だった。『特別』なノイドと呼ばれるのが……嫌だった」
「ナイン……!」
「君は俺に、初めて目を合わせてくれた。君は俺と、対等だった。俺は分かってしまったんだ。……幸福なのに、それ以上を強く欲してしまう、君らの気持ちが……」
「お前は……」
「……死んでほしくなかった。少なくとも……俺よりは長く、生きてほしいって……思ってしまった……」
「馬鹿な……。俺は……俺はまだッ! お前のことを何も知らないッ! 『分かった』なんてのは上っ面だッ! 俺もお前もッ! まだ何も分かり合えていないッ! これからだったんだッ!」
「……俺の亜種核があれば、体の回復力は今までよりも……遥かに跳ね上がる。生きろよ……サザン君……ッ!」
ナインの亜種核を埋め込まれたサザンの体は、途轍もない速さで自身の傷を回復させた。
だが、亜種核も他のノイドの核と同じ。人間で言う心臓のようなもの。
これまで多くの研究にその機能だけを利用させることはあったが、体から取り外したことは一度もない。
体から取り外せば本来使えなくなるのが、ノイドの核のはずだった。
「これは奇跡なんだよ……ッ! 体から取り外した時点で、普通は機能が止まるのに……。君の体に埋め込んだら、君に適合して、動き出したんだ……。俺の亜種核は……俺と君は……繋がることが、出来たんだ……ッ!」
「……………………」
サザンは目を強く瞑り、ナインに触れる。
そこにいるのは間違いなく、一人のノイドの男でしかなかった。
「……でもまあ……確かに……俺は、君のことを……何も知らないな……」
「……何でも聞いてくれ。ナイン……」
「……そう……だな……。それじゃ……うーん……好きな食べ物……とか? 飲み物でもいい。何か……あるかな……?」
残念なことに、サザンは食べ物に関して好き嫌いをしないし、選り好みをしたことがない。
だが、何でもいいから答えたくなる。
ここで必要なのはただ、言葉を交わすことだけだ。
「……オイル……だな」
そう答えると一瞬ナインは驚き、そして──
「フ……フフ……アハハハハハハハハハハハハ! それは良いッ! 最高だッ! 『笑うノイドはオイルも飲む』って!? クク……俺がこっちで蘇ったばかりの頃に、テレビで流行ってたことわざのアレだろッ!? 覚えてる……あの頃のことは……よく覚えてるッ!」
「……ああ。俺が子どもの頃に、一瞬だけ広まっていた」
「俺は今と姿変わんないけどなッ! コールドスリープの弊害さ! クク……面白い奴だなサザン! ああ……面白い奴だよ……! サザン……」
「…………この冗談で笑ってくれたのは、お前が初めてだ」
「……へェ……。そいつは……ちょっと…………誇らしい…………か……な…………」
そして、ナイン・テラヘルツは──
──────────左の目も、閉ざした。




