『fate:ナイン・テラヘルツ』
◇ 界機暦三〇三一年 七月二十七日 ◇
◇ 午前八時半 ◇
■ 帝国軍統合作戦本部 ■
正式な医療機関を通さずに個人的な知り合いに傷を診てもらっていたのは、六戦機、ヴェルイン・ノイマン。
腕を失って血を大量に流しておきながら、彼は気絶すらしていない。
「何でェ何でェ。ヴェルちゃんよォ。おみゃーがこんなにやられるなんざ、ひっさしぶりじゃあねェのかい」
かつて軍に所属していた彼は、引退した軍医の男ノイドに頼み、秘密裏に診てもらっていたのだ。
「何の……これしきッ! 問題無いッ!」
「あるだろ馬鹿垂れ。腕なくなってんだぞい。人生で何度も経験できるもんじゃねェよォ」
「二度も三度も関係はないッ! 吾輩はまだ行かねばならぬのだ!」
「三度は無理だろ。ヴェルちゃんよォ」
傷を塞ぐという点に限って言えば、ノイドは人間よりも遥かに処置がしやすい。
何なら、この世には自ら腕を破壊して、ギアの性能と自身の核が発するエネルギーで、何度も新しく腕を生やせる怪物もいる。
「……サザン・ハーンズならば、限りもないであろうがな」
「サザン……〝顎鋏〟かい? ありゃ特別さ。ギアの効果でそれが出来るだけ。大体お前さん、本気でまだ戦うつもりかいな」
「……吾輩は一度、軍から……戦いから、逃げだしている。二度も三度も……逃げ続けるわけにもいかんだろう」
「軍人なんざなるもんじゃねェ。おめーは間違っちゃいなかったよ。だが……気になるねェ。老成しちまったらそうそう人は変わらねェ。俺もノーマンの馬鹿垂れも、凝り固まっちまってもうただの頑固爺さ。ヴェルイン、お前は……どうして変われた? いや……変わろうと思えるようになった?」
「…………吾輩よりも、遥かに若い者が戦っている。……世界を守るために……」
ヴェルインは結局、これまでの戦場において本気で敵を殺すために力を発揮することが、ついに出来なかった。
しかしここから先の戦いは、もう立ち止まるつもりはない。
「変わることが出来ん者もいることだろう。だが、それだけではないことを証明しよう。流されることを選んだシドウ。己の悦を選んだギギリー。愛を選んだエヴリン。見捨てぬことを選んだガラン……。貫くことは素晴らしい。だが、それだけでもないであろう。吾輩は……老いぼれとして、可能性を若者に示すことにしよう。それくらいしか……出来ることが、ないからな」
「それはそれで、貫きがいがありそうだぜェ? ヴェルちゃんよォ」
「ん……? フッ……ガッハッハッハッハ!」
そして、ヴェルイン・ノイマンは立ち上がる。
「オイオイもう行く気かよォ。馬鹿垂れがァ」
「そうであるとも! 馬鹿と鋏は使いよう! ガッハッハッハ!」
「駄目だァこりゃあ。へっへっへ!」
彼は部屋を出ると、これからどうするべきかを改めて思案し始めた。
(……戦力は、あるだけ必要であるが、足手まといを増やしてはならんだろう。……協力してくれるとは思えんが、掛けるだけ声は掛けておく必要はあるか……)
そして彼は、『最強のノイド』のことを思い出す。
「……ナイン……」
*
◇ 同日 午前七時四十分 ◇
■ 皇室庁 地下一階 ■
サザンは死ぬ間際のガランに、ノーマンの現在地を聞かされていた。
──「皇室庁の地下一階……秘匿中の秘匿領域。ノーマンさんは……そこで巨大な機器を使い、『サテライト』の設定をしている」
──「……ファーストプランは、『ノイドの思想統一』。全てのノイドが、人間を敵視し、人間を滅ぼそうと考えるように……『サテライト』から特殊電波で、全ノイドの精神を操る」
──「……セカンドプランは『統一ノイドの生成』。仮にゼロによって世界の存在全てが滅ぼされようとも、『サテライト』から降り注がれるエネルギーによって、鉄屑から同様のノイドを生成する。そして世界を……ノイドだけのものにする」
サザンはノーマンの目的を聞いて愕然としたが、同時にずっと抱いていた違和感を晴らすことが出来た。
ただ、不思議なのは計画があまりにも壮大すぎるという点。
ゼロのように滅ぼすだけならば、今の科学力で実現可能なのは明白だ。
世界中のノイドを操ったり、世界中にノイドを生成、複製したりするなどというのは、明らかに最早、ヒトに許されるような次元を超えてしまっている。
──「……これだけの技術を抱えていながら、ノーマンさんは……そのことを誰にも知られぬよう振る舞っていた……」
──「可能にさせたのは……ゼロですら把握していない、六戦機最強の男の存在……」
──「……ナイン・テラヘルツ……」
サザンは歯をギリギリと噛み締めて、皇室庁に乗り込んだ。
止めようとする者を振り払って勝手に地下に入り込み、そしてそのまま先に進み続ける。
一筋の光を求め、真っ暗な闇の中を──
──「……ナインがいたら終わりだ……。必ず逃げろ……。頼むサザン……あの人を……ノーマンさんを……救って……。……いや……終わらせて……くれ……」
そしてサザンは、だだっ広い真っ白な空間に辿り着く。
あるのは二つの巨大な扉だけ。
一つは今自分が通ってきた扉。
そしてもう一つは、正面にあるこの先に続く扉。
「────────────────だれ?」
扉の上の、庇に座る、男が一人。
右目を閉じたオールバックの金髪で、右膝を折って、左足をぶら下げながら座っている、若い見た目で青年のようなノイド。
予測は付いていながら、サザンは友の忠告を聞く気はなかった。
ここで逃げても、意味は無い。
「……人に名を尋ねる時は、己から名乗るべきだ」
「そうかな? じゃあ教えようか」
そして、そのノイドは立ち上がる。
スラッとした体型で、予想していたような屈強な男ではない。
だがどこか、明らかに他のノイドとは雰囲気が違う。
……何かが、違う。
「ナイン・テラヘルツ。よろしく」
「サザン・ハーンズだ。挟んでおけ、貴様の魂に」
そしてサザンは、鋏の腕に『震え』を覚える。
「……悪いんだけど。ここ、入っちゃ駄目なんだよね。帰ってくれる?」
「……私はその先に用がある」
その男は困った様子で頭を掻いた。
とても常識人のような仕草をしているが、それ自体が不気味に見える。
「……サザン……ハーンズ……。……ああ! そうか、思い出した。ノーマン君が言ってたよ。優秀なんだって? もったいない。君があの日健康診断に出て、コアの適合者に選ばれていたら、ギギリー君みたいなのがコアを持つこともなかったのに……。……いや、そんなことはないか。彼ならまた別の手段を取るだけかな……」
サザンの目には、誰に対しても親しげな呼び方をする彼が、やはり奇妙に映った。
(……何だ……コイツは……。……何かが……何かが私や他のノイドとは…………決定的に、違う……)
「まあ、いいから帰ってくれよ。というかさ、役人に止められなかった? 地下に降りる前に」
「眠ってもらった」
「……マジで? 参ったなァ……
────本気か?」
「!?」
ナインの表情が、一気に強張りを見せた。
だが、一瞬のうちに構えたサザンの方に、彼は向かって来ない。
強張りを見せたのもまた一瞬で、ナインはそのまま最初と同じ様に庇に座り込んだ。
「……で? 何しに来たんだ? サザン君」
「……元帥を、止めに来た」
「どうして?」
「『どうして』だと? ……世界は、ノイドだけのものではない」
「ふむ」
「貴様は元帥の目的を知っているのか? ここを通してくれ。私は……ここで立ち止まっているわけにはいかない」
「ふむふむ……」
サザンは再び歩き出した。
根源的な恐怖を感じていたが、その理由が分からない以上、今は放置するしかない。
自分がやらなければならないのは、ノーマンを止めることだけだ。
「駄目だよ」
瞬間。
天地が、ひっくり返った。
「────────────―ッ!?」
サザンは、何故か地面に伏せていた。
背中には少し痛みが走っている。
だが、何が起きたかは全く分からない。
「……ッ! 何をした……!?」
サザンは拳を地面に叩きつけ、そのままの勢いで立ち上がる。
「蹴ったんだよ」
だが、ナインは先程の場所から動いていない。体勢は少し違うが、庇の上で座ったままだ。
(……オーバートップギアか? どういう能力だ……? エヴリンのように……遠隔で力を発揮できるものなのか……?)
本人は『蹴った』と言っているが、それを素直に信じるサザンではない。
明らかに、ナインは何かしらの特殊な力を使った。
そして次の瞬間──
──────────────消えた。
「誰も通すなって言われたんだ」
「ッ!?」
背後にいた。ナイン・テラヘルツは、サザンの背後にいた。
庇の上から刹那の速さで移動したのか。何が起きたのか。まるで何も分からない。
「……君には分からないだろうけど、俺は彼……ノーマン君に借りがある。一生ものの借りさ。だから、俺は彼に力を貸す。良いじゃないか別に。思想を統一されるのは嫌だろうけど、どうせゼロって男が世界を壊すんだろ? 壊れた後の世界のことを、気にする必要なんてない」
サザンはあまりの動揺で、すぐに言葉を返すことが出来ずにいた。
(何をしたッ!? 今……コイツは一体何をしたッ!?)
「聞いてる?」
「……ッ! 貴様……」
距離を取ることに意味がないのかもしれないと思いながらも、サザンは少しだけ後ろに下がった。
「世界は壊れないッ! ゼロは必ず打ち倒されるッ! その為の強大な戦力が、既に動いているからだ!」
「……そう。それは凄いね。……なるほど。だったら邪魔をする理由は分かる。要はシンプルな話……俺達と君は、分かり合えないってことだ」
やはり、瞬間。サザンは確かに正面を向いていたはずなのに──地に伏せていた。
「かッ……!」
今度も背中が痛む。だが、攻撃を受けた自覚は全く無かった。
「やっぱり帰る? 俺は君を……殺したいわけじゃないし」
そして、高みから声が聞こえる。
ナインはまた庇の上に戻って座っていた。
(高速で動けるのか……!? いや……そんなレベルではないッ!)
そしてサザンは、再び立ち上がる。
ナインは彼が自らの足で帰ることを期待しているのだが、その望みは叶わない。
(……私が捉えられないほどの速さで移動して、風がここまで静かなはずがない。これは……『瞬間移動』か……?)
そして、ナインの右手を確認する。確かにその拳は、殴打を与えた形跡があった。
(……今の痛みは、確かに殴られた感覚だった。間違いない。この男は……)
「……まだ帰らないのか?」
「……帰るつもりはない。私を殺す気がないのなら、私を止めるな」
そう言うと、ナインは呆れて溜息を吐いた。
「違うんだよなァ……。殺したくないってだけで、殺せないわけじゃない。どうしてもノーマン君の邪魔をしたいってんなら、俺はここで君の命を、容赦なく奪い取る」
「出来るものなら……」
ナインはまた立ち上がり、右手で自身の閉じている右目を覆う。
自力では不可能だからなのか、人差し指と中指で、その閉じた右目を開いた。
「アナライズ・ギア」




