『fate:ガラン・アルバイン』
サザン・ハーンズという男が、羨ましかった。
あらゆる能力に秀で、若くして帝国の皇室庁に配属された彼は、恐らく皆の羨望の対象だったことだろう。
だがそれだけに留まるのは、皆が彼よりも遥かに下回る能力しか持っていなかったからだ。
憧れの対象であるだけならば、己との差を計ることも出来ない。
そして逆に、彼に近い能力を持つ者は、羨望と同時に嫉妬心と劣等感を持たされることになる。
──ガラン・アルバインも、その一人だった。
当時のサザンの年齢は、型破りなことになんと弱冠十六歳。
彼を推薦した官僚曰く、サザン・ハーンズは『神童』であり、『怪物』であり、『天才』。
頭脳明晰で、身体能力は生まれつき頗る高く、何よりどんなことを学ぶにしても、異次元の吸収能力を持ち合わせている。
ガランは彼と同じ部署で、同期に入庁した男だった。
彼自身も能力は高く、三つ年下のサザンは気軽に話せる相手として、強く信頼を置いていた。
もちろんガランの方も同じだ。ただ、彼はそれ以上にサザンのことを強く羨み、同時に複雑な感情を混ぜ合わせて持っていた。
それでも同期の仲間であり、友人。ガランの複雑な感情が更に混沌さを増すのは、『彼女』との出会いにあった。
*
◇ 界機暦三〇二四年 五月三日 ◇
■ ノイド帝国 央帝省 ■
「……どうした?」
ガランが声を掛けた先は、公園のベンチ裏。
そこでは一本の木の前で少女が一人、佇んでいる。木の上の方を見て、立ち尽くしている。
「あ、ああ。えっと、その……」
「……?」
ガランが同じように木の上の方に視線を向けると、枝に一つの風船が絡まっているのが分かった。
もしかすると、この少女の物なのかもしれない。
「……この高さだと、手を伸ばしても届かんな」
いや。木を登るか、助走をつけてジャンプすれば取れるかもしれない。
だがそう思った矢先、絡まっていた紐が外れ、風船は空高くに飛んでいってしまった。
「あ……」
「……行ってしまったな」
「ですね……」
自然な流れで、二人は近くにあった同じベンチに腰を下ろすことになった。
「良かったのか?」
「ああ……良いんです。私……とっても風船が好きで」
「……良くなかったのか?」
「ああいえ。……風船って……なんだか不思議ですよね。ひとりでに浮かんで、飛んでいっちゃって。掴んでいたなら傍に居てくれるけれど、私はそんな自由な姿が好きなんです。いつかは私の方から……手を放さないとって、思っていたので」
「……? あ、ああ。…………?」
一瞬納得しようと頑張ったが、やはり何を言っているのか分からなかった。
だがおかげで、ガランはこの少女に興味を持たされる。
「……役人さんですよね? そのバッジ」
「ん? あ、ああ。そうだが……」
帝国の公務員は、見てそれが分かるよう、全員が帝国のエンブレムが描かれたバッジを付けている。
高価な物で、故にこの少女は、ガランのことを危険な人物ではないと判断していたのだ。
「私の兄もそうなんです。すっごく凄いんですよ? 飛び級で学校を卒業して、すっごく偉い人に推薦されて、すっごく大変な仕事を頑張ってるんです。とにかくとっても凄いんです」
「……まさか、お前の兄の名は……サザン・ハーンズではないか?」
「やっぱり知ってますよねッ!? お兄様のことッ!」
いきなり顔を近付けてきたので、流石に普段から仏頂面のガランも驚き、目を見開く。
「……失礼しました」
我を取り戻した少女は、照れながら先程よりも距離を取る。
「……同僚だ、私は。あの男の」
「そうなんですか!?」
そしてまた距離を縮める。ガランは額に汗を垂らした。
「……サザンは優秀だ。何をするにしても、非凡な結果を残せる天才ノイドだ」
「そうでしょうそうでしょう。私の自慢のお兄様です」
「……時々、恐ろしくなる」
「え?」
ガランは自分でも気づかないうちに、内心の一部を吐露していた。
もしかしたらこの少女には、それを自然と引き出す能力があったのかもしれない。
「……私は自身が特別だと思ったことは一度もない。だが、特別でありたいと思ったことはある。サザンは特別な存在だ。恐ろしいほどまでに。きっと奴は……私のように何かを無償に欲したくなるような、浅ましい感情は持たないのだろう。崇高な精神を持っている、誇り高きノイドの奴ならば……」
「……そんなことはありませんよ」
「……?」
「お兄様は特別です。でも、貴方だって特別です。特別でないノイド……特別でない存在なんていません。あと、お兄様は案外浅ましい欲しがり屋さんですよ? この前も私が取っておいた電気シューを勝手に食べて、『私は何ものにも縛られない……』とか、訳の分からないこと言ってましたし」
「……クッ……」
「あ、笑った」
「……ふむ……」
笑顔を見せたのは少女の方もだ。ガランは気恥ずかしさを隠すため、思わず斜めに視線を逸らした。
「そういえば、まだ名前言ってませんでしたね。私、サザン・ハーンズの妹の、エルシー・ハーンズと言います」
「私はガラン。ガラン・アルバインだ」
「どうぞ今後とも、兄をよろしくお願いします。ガランさん」
*
◇ 界機暦三〇二五年 七月十日 ◇
■ ノイド帝国 央帝省 ■
元々サザンを友人としていたガランは、少しずつエルシーとも親交を深めていた。
多忙なガランだが、昼休憩などの時間は時折外食することがある。そして稀に、どういうわけか向かった先で、エルシーと出くわすことがあった。
そんな偶然の意味を理解しないまま、ガランは最初に彼女と出会った公園で、今日も偶然彼女に出会う。
「こんにちは、ガランさん。奇遇ですね」
「……奇遇……だな。最近、私が昼休憩で外食をするたびに、お前に会っているような気がするが……」
「不思議ですね」
「不思議だ……」
そして気にもしないまま、今日も僅かな休憩時間をここに捧げる。
「最近のお兄様はどうですか?」
(……またか……)
「お前はいつもサザンの話を聞きたがるな」
「ええ。気になってしまうのです」
「……そうだな。新人の女に絡ま……いや、よく頼りにされている。教育も上手いらしい」
言い終えると、エルシーの顔がまた近付いていたことに気付く。
しかも、かなり真剣そうな表情だ。ガランは圧に押されて後退させられる。
「……どうした?」
「新人の……?」
「……女?」
「……」
するとまた顔を離れさせて、エルシーは顎に手を当てて何かを思案する。
「何だ一体」
「……まあ、お兄様は素敵なお方ですから、多少は仕方ないかもしれませんが、でも進展したら、私には内緒にするのか、どうか。いやまさか、この私に何も言わずなどというのは、あり得ないと思いますが、でも、でも……」
「……何なんだ……」
早口すぎて良く聞こえなかったが、とにかくエルシーがいかんともしがたいほどに兄を溺愛していることはよく分かった。
ガランとしては、溜息を吐くほかない。
「……失礼しました」
「ああ。……奴は果報者だな。…………本当に」
「?」
ガランはここで自省した。一瞬、ほんの一瞬だが、不快であるかのような表情が出てしまったからだ。
(……何だ? 今私は……何故ほんの少し、苛立つかのような……)
「兄のことが……嫌いですか?」
「……!?」
エルシーは、ガランの表情の変化を見逃さない。だが、彼女自身は不快には思っていない。むしろ彼のことを理解しようとしている。
それを察することが出来ないほど、ガランは鈍くはない。
「………………私にも、兄がいた」
「え?」
「年の離れた、腹違いの兄だ。いや正確には……人間の母を持つ、体外生殖で生まれた兄だが……」
「ッ!? それは珍しいですね……。でも、そもそもこの国に人間は……」
「いるところにはいる。数は少ないが」
ノイドの子どもは、ノイドにしか孕むことは出来ない。しかし人間の赤子と違い、必ずしも体内でなければ生殖出来ないわけではない。
機械仕掛けのノイドは、性別の異なるヒト種二人分の遺伝子さえあれば、体外で生殖することも可能なのだ。
「……兄は、人間とノイドの争いを止めるべく戦い、死んだ。……三年前に」
「ガランさん……」
「ノイドの国であるこの帝国では、人間の親を持つというだけでハンデを背負うことになる。それでも兄は折れることなく、人々に尊敬される存在になった。私にとって……何にも代えがたい、大変に誇り高い兄だった」
ガランは固い表情を何とかして和らげようとしつつ、彼女に目を合わせた。
「……気に障るかのような顔をしてしまったことは済まない。不快に感じていたわけではない。恐らく……ただ、兄のことを思い出していただけ……のような……気がする」
「…………そうですか」
「……関係無いが、兄の遺体がこちらに戻るまでかなり時間を要した。ある人物が力を貸してくれていなければ……もしかしたら、兄を弔うことすら、敵わなかったかもしれん。私はその人物に、多大な恩義を感じている。しかし問題があるのだ」
「何ですか?」
「その恩を返す方法が思い付かない。誠意を伝えるにはどうすれば良いと思う?」
実を言うと、ただ重苦しい空気を変える方法を探っただけで、本気で問題に思ってはいない。
残念ながら元々声色自体が重苦しい所為で、空気はそこまで変わっていない。
「……うーん……そうですね……。やっぱり、その人の望むことを聞くべきでは? 私がとやかく言うことでもありませんし……」
「その人の望むこと……か」
「それが一番ですよ。その人の望みを、支えてあげる……。その人の意志を、尊重する……。それだけで……私だったら、嬉しいです」
「……お前の望みは?」
「人の望みを、支えることです」
迷わずにそう言える彼女は、芯の強い特別な存在に見えた。
いや、違う。既に彼女はガランの中で、特別な存在になり始めていたのだ。




