うわさ
私が小学校に通っていた頃は、まだ今のように集団登校とか、集団下校とか、そういったものはありませんでした。子供は毎日、好きな道を通って登校して下校していました。学校側は毎日の道順、登下校道をそれぞれの子供に当てはめて、その道を使うようにという事を定めていた様な記憶はありますが、学校から出たら後は知らないという風でした。まだ、その辺の事がガバガバだったんです。ガバガバでよかったんだろうなと思います。今に比べると幾分か鷹揚だったというか。まあ、あの頃が良かったとかそんな馬鹿みたいな事は言いませんけど、いくら言っても思っても戻ってこないですからね。もう二度と。永遠に。
家に、住んでいる場所によっては、この道以外では帰れない。という人もいましたが、私は比較的どこを通っても帰れる場所に住んでいました。幾分か遠回り、幾分か時間がかかる。でもまあ、帰れることは帰れる。別に大丈夫。だから、日によって登下校道を変えて学校に通ったり、家に帰ったりしていました。それはまあ、何というか、その日の級友の感じというか。例えば、いつも遊んでいた子供と帰る時はこの道。その子が休んだ時は、こっちの友達とあっちの道を。そういう感じで。勿論日によってはひとりで帰る事もありましたし、日によって登校中に偶然友達と会ったら、こっちの道を行くとか。たまに、通ってはいけない道を通ったり(学校で、この道は登下校に使わないでくださいと言うお達しが出ていた)のにその道を使って学校に行って、校門の所にいた先生に怒られたりとか、そういう事もありました。それでもまあ、そういう事があったら次からは気を付けよう。見つからないようにしよう。って。そういう感じでした。
そんなある日の事です。夏休みに入る直前でした。金曜日。二時間目が終わった後のちょっと長い休み時間。
教室で男子生徒が数人ある一人の席の周りに集まって、話していました。
「あのガソリンスタンドの裏にあるお化け屋敷、壊されるんだって」
「えー、マジかよー」
「マジでマジで、うちの父さんが言ってた」
そのお化け屋敷というのは、私も知っていました。ある通学路の脇に建っている家の事でした。まあお化け屋敷とは言っても、単なる無人の建物です。不思議な、外壁の黒い建物でした。どうして黒いのかはわかりません。黒くて四角いニ階建ての。そういう家屋がある通学路の脇に建っていました。比較的交通量の多い道の脇、ガソリンスタンドの裏に。
私が子供の頃から町は過疎化が進んでいました。だから、探せば空き家なんてどこぞかしこぞにあったと思います。でも、その黒い建物、お化け屋敷は、その偉容から子供たちの注目を集めていました。私が小学校に通う前から、それはそこにありました。長い間。そこに建っていました。錆びて用をなさない門扉があって、塀があって、その中の地面はどこもかしこも草ボーボーで。その向こうに格子ですりガラスの引き戸があって。いつ見ても電気が灯っていない。それがいつからそこにあったのか、子供たちは誰も知りませんでした。勿論、市役所の人は知ってたに違いないし、そこが無人になった理由もわかるでしょう。でも、こちらは子供で、愚かで、他人の事を思いやれず、向こう見ずでした。単なる黒い無人の廃屋よりもお化け屋敷と言って騒いだ方が楽しいのです。
特に男子生徒には人気でした。定期的にその廃屋についての噂が発生しました。
《女の亡霊が出る》
《こないだ夜に通りかかったら、電気がついていた》
《元はサナトリウムだった》
《うちの兄貴の友達が忍び込んだ》
《中に女性の絵が飾ってある。その目を見ると呪われる》
そういうのです。まだネットもスマホも無い時代でしたから、こういうのだけでも、女子はキャーキャー言いましたし、男子は話に尾びれを付けて面白おかしく話しました。
「お化け屋敷を壊すって呪いとか大丈夫なのかな」
「他にも変なものが色々あるんじゃないかって言われてるしな」
男子生徒達は嬉々としてそういう話をしていました。私は横で聞いていて、ああそうかあ、あれがついに壊されるんだなあと思っていました。子供の頃から怖がりで、日によっては真っ暗な家の二階に上がるのも怖かった私です。だから怖いモノにはなるべく近づかないようにしていました。件の廃屋に関しても、ただの風景の一部として認識していました。お化け屋敷とか、そういう噂は私の所にも来ることは来ましたが、最低限にとどめていました。だから、詳しくは聞かない。知らない。だって、怖いから。でも、それ、その廃屋の偉容はその道を通ったら嫌でも目に入ります。だから精神衛生面を考慮して。あえて、鈍感でいる。そういう処置。
「だから今日の夜さ、俺たちで行ってみないか」
男子生徒の一人がそう言いました。
「え、何処に」
私も横で話を聞いていて、思いました。え? 何処に? って。
「お化け屋敷だよ」
「えー」
「だってもうすぐ壊されちゃうんだぜ」
絶対に嫌だ。馬鹿かこいつら。私はそう思いました。そんな私の感情が男子生徒に伝わったのか、一人がこちらを見て、
「聞いてた?」
と言いました。
「は、何が?」
その後、私とその男子生徒達の間に微妙な空気が流れて、彼らは話す事をやめ、次の授業のチャイムが鳴った事もあり、皆、自分の席に戻っていきました。
それから、彼らの中でどういう事があったのかわかりません。もしかしたら、昼休みとかにどっか違う所でその計画についての話をしたりしたのかもしれません。そして実際にその日の夜、あの廃屋に忍び込んだのかもしれません。あるいはそんな事なかったのかもしれません。
わかりません。
というのも、その日、金曜日が終わり、土日の休みになって、そして夏休みに入る前の最後の一週間、月曜日になって登校したその日、私の席の横でその話をしていた男子生徒が全員が学校に来なかったからです。
彼らの行方が分からなくなったそうです。私も噂で聞いただけなので詳しくはわかりません。でも、誰も。一人残らず。どこに行ったのかわからなくなったそうです。夏休みが終わっても、学年が変わっても。小学校を卒業しても。私も含めて他の皆が中学校に入っても。
誰一人来ませんでした。
今に至ってもまだ、戻ってきていないそうです。もう、
二度と。永遠に。
戻ってこないのかもしれません。
黒い廃屋は、小学校を卒業した頃に壊されました。私はあの廃屋が壊されてホッとした反面、もうあの偉容が見れないのだなあと思うと、少しセンチメンタルな気持ちにもなった。そう記憶しています。