3-20話 彼らを知る者たち
キラド領主、トーマス・キラドの元に手紙が届く。双頭の狼の封蝋。つまり、子飼いの調査官から送られてきた手紙だ。
マジックアイテムでもある銀色に緑の石のついたペーパーナイフを執務している机から取り出す。
国家治安調査官のネックレスには、手紙を保護する機能がある。それだけで平民が数年の稼ぎが一度に飛んでしまうような価値を持つネックレスはただの装飾品ではない。
対となるマジックアイテムがあって初めて開封が可能となる仕組みがついている。
国家治安調査官の書類、極秘書類である以上、防諜のシステムが必要不可欠。
固った蝋にかざすと、ピシリと音がなり、封蝋が解除される。
そのままナイフを使い、手紙を取り出し、召喚されし勇者が伝えた老眼鏡なるものを装着し、文字に目を通す。
これもまた、一つで平民の数年分の稼ぎが吹き飛ぶ超高級品。
「……ほう、夏蝕と冬蝕の腕は大したものだな」
亡き娘の仇、ザナークを捕らえ、得体の知れぬ方法で悪名高いこの街のチンピラ、ボルガの精神を破壊し自首させる程の腕前。
出身、生い立ち、経歴、一切不明の不気味とも言える二人の通り名を示す、赤と青の月の絵が手紙の端に描かれていた。
各地の盗賊や悪党の始末、国家の治安に影響しそうな些細な情報、果てはゴーストによる連続殺人の解決まで、短期間で十分過ぎる程の成果を報告した手紙だった。
調査官の肩書きは報酬であり、本来の業務を強いることは無かったが、義理堅いのか、調査官として申し分のない活動をしている。
王国祭に顔を出す予定なので、その際に会うことが出来ればと、スケジュールまで書きつけられている。
これは再会した折には何か便宜をしてやらねば、恩人でもある彼らの上司として示しがつかないなと、褒美を考えたが、また夏蝕の方が奇天烈な申し出をするに違いないと、思考を放棄した。
それよりも、目下の懸念事項は王族による継承問題だ。これにより、せっかく平和な世が訪れた国が割れねば良いのだが……と、トーマス・キラドは髪を撫で付け、心を落ち着かせる。
コンコンと、ノックの音が聞こえ、入室を許可する。
「入れ」
「失礼します……叔父上、やはり彼をここへ呼ぶ事は許可が降りそうにありませんね」
トーマスの甥、ニクソンが険しい顔をして報告する。
「やはり無理か……まあ、それも仕方ないというのは立場上理解している。これはただの私的な要請なのだならな。彼も、あいつも、王都か、キラドに移動させるのは難しい。しかし残念だ」
「僕は驚きましたよ、まさか久しぶりに故郷に帰ったら、彼女を殺したあのザナークを確保しているのですから」
国家治安警備局の文官として働く甥の帰郷。副大臣のツテで入局した彼は、その中でも『奈落』と呼ばれる政治的な理由など、様々な事情で処刑することが出来ない犯罪者を収容する、王都の地下に存在する牢獄の担当をしている。
「して……あいつをどうするおつもりですか?」
「嬲り殺すしかあるまい。それほどの事をしたのだ……私の……娘……を……」
「分かります、僕もザナークをこの手で殺せればと何度夢に見たことか……しかし、いざそれが実現するとなると、人間とは……欲深いものです……殺すだけで足りないと感じてしまう。叔父上もそうなんでしょう?」
「お前はあの娘と昔は仲が良かったからな……」
二人が彼女、娘、と個人の名前を出さないのはまだ心の傷が癒えきっていないからだ。名前を呼ばないことで心理的な距離を取っている。
消化しきれていない、怒り、悲しみ、憎しみ、恨み。
野蛮と呼ばれても構わない。ザナークを痛めつけ、苦しめることでこの心の澱がなんとかならないかと、考えついた解決法。
ザナークの徹底的な拷問。殺さない範囲での拷問を日夜繰り返すが、それでも足りない。
本来、量や回数の問題ではない。
快楽を目的としたシリアルキラーにとって、最高の殺人経験は大抵が初回。ドラッグに似ている。初回の殺人によって得られる快感を二度目、三度目が超えることはまずないとされる。
だが、彼らはあの快感をもう一度と追求する。手段は? 武器は? 手順は? 何が悪い? 何故あの快感が得られない?
問題点を探して改善を繰り返すも、初回の快感には至らず。だが、辞められない。もう一度上手くやれば、そんな可能性に賭け、幻覚に囚われる。
神に祈る、神父と話す、カウンセリングのないこの時代ではそれくらいしか、トラウマを克服する方法を知らない彼らは、拷問という手段に手を出す。
「是非とも伝説の拷問官『シュラスコ』に頼みたかったのだが……」
「彼は超危険人物。故に『奈落』で生きることしか許されていません。彼を連れて来たいと聞いた時は耳を疑いましたよ」
「残念だ……これでやっと前を向けると思ったのだが」
「叔父上……いや、叔父さん、ここら辺で終わりにした方が良いのかも知れませんね」
「…………そうだな、これ以上は何も変わらんだろう。明後日、ザナークを処刑する。親族へ連絡を」
「分かりました」
ニクソンは一礼をして、部屋を出た。
「これで終わりか……」
ザナークを通して、娘との繋がりが完全に断たれると思うと、寂しいような気もするが、どうにもならない現実から少しでも目を逸らしたく、トーマス・キラドは椅子に深く腰掛け、目を閉じた。
***
騎士フレイは、アウルムとシルバによって故郷の危険が去った後に、王都へと戻った。
それからしばらく、勇者の同行をより注意深く観察しながらも、いつも通り何の疑いを持たれぬよう、平静に騎士として警備の仕事を行っていた。
本日の業務は、城下街の巡回、顔馴染みの平民に軽く挨拶をして、異常がないかを確認する手慣れた業務内容。
文字通り吐くほどの厳しい訓練をするよりはマシで、騎士にとっては比較的、楽な部類の仕事と言える。
だが、ミストロールの一件以来、こういった街の情報をしっかりと聞いておくことの重要さが身に染みたことから、本日も油断ならないと、気を引き締めて歩き回る。
「お疲れ〜フレイちゃん」
「これは……トラウト卿ではありませんか」
「だからトラウト卿は勘弁してよ、ヤヒコで良いからさ」
「しかし……魔王討伐の立役者のお一人をそんな友人のように気安く呼ぶのは憚られます」
馬に乗ったまま、声をかけきたのはヤヒコ・トラウト。王都では誰もが顔と名を知った人物だ。
職務モードの貴族的な服を着た彼には、畏怖と尊敬から、目立つ街中であっても気安く声をかける者はいない。
しかし、オフの日であれば、平民だろうとトラウト自ら気安く声をかけるほど、フランクであり、顔も広く、人気である。
「……どこかへ出かけられていたのですか?」
「まあね、ちょっと暴れてる同胞を捕まえに。ほら、彼、バンドウ君……でも逃げられちゃった、しかもいつの間にか死んでるっぽいんだよね。自殺したのか、殺されたのか……」
あの二人だっ! と、フレイは確信した。証拠のようなものがあった訳ではない。ただ、そんな事をやってのけるのは、脳裏によぎるのは、あの飛び切り異常な二人組。
「バンドウ殿が亡くなった……というのは本当ですか……」
「ああ、本当だよ。しかもこの半年でバンドウところか、ツチミチさん、オリハラ、クマイという失踪組も死んでいることが確認されている……これは何かが起こって──っと、フレイちゃんに言うことじゃねえなこれは」
しかも3人殺している! ミストロールから、更に二人の勇者を殺すことに既に成功している!
不可能だと、思った。ミストロールに勝てたのは運が良かったから、しかし、3人となるとそれはマグレじゃなくなってくる。
確信を持って、確たる意思を持って、確実に問題のある勇者を殺しに来ているっ!
有言実行。大層な御託を並べるだけの連中とはまるで違う。やはりあの二人は何かが違う。
フレイは平静にトラウトと話すことに努めたが、その背筋には汗が吹き出して、尻までツゥーっと流れる。
勇者を殺す、別に褒められた話ではない。しかし、隣村で見た惨状、勇者の行った現実を目の当たりにしたフレイからすれば、そういう存在が必要であるという事実に理解がある。
この世界の人間からすれば、勇者とは桁外れ、桁違いの人の身では想定至れぬ常識の枠の外の存在。
その存在に、手出し出来るこの世界の人間がいるという事実。
これに、フレイは驚愕し、同時に思う。
勇者を守るという役職につきながらも、不遜ながらも、僭越ながらも、この世界の人間も、やるものだっ! ……と。
思わず、トラウトの前で口角が釣り上がりそうになる。年頃の子供が小遣いやお菓子をもらって、上品な態度で居ようと心がけても年相応に、身体が反応してしまう。笑顔が隠しきれない時の頬のひくつき。
そんな感覚が全身を脳内を支配する。
正直言おう、女だろうが騎士として、戦いに身を置く者として、この世界の勇者とは違う平凡な存在として、痺れたッ!
あの二人なら勇者がとんでもないことをして、国や民に危害を及ぼした時、なんとかしてくれる。
そんな安心材料が生まれる。実に頼もしい。誇らしい。
「ん〜? なんか、フレイちゃん嬉しいことでもあった?」
「い、いえっ! 別にありません。それよりもよくご無事でお帰りになりました! ご同行致しましょうか?」
「いんや、別に大丈夫だ。お仕事中でしょ、声かけて悪かったね」
トラウトはヒラヒラと手を振り、ゆっくりと馬が走るように手綱を動かす。
「いえ、構いません! ではお気をつけて!」
「うん、ありがとう……フレイちゃんも気を付けてね?」
冷や汗──またしても冷や汗。基本的にのんびりと柔らかな、いやむしろ軽薄までもあるトラウトの普段の口調とはまるで違う、尖った声。
背筋どころか、全身から汗、吹き出す。
喉元に剣を突きつけられたような不快感を覚える。
殺気? 自分に向けられた? いや、自分には向かっていなかった。向かっていたら、冷や汗どころの話ではないはず。
魔王を倒した勇者の一人の殺気、生身の人間がまともに受けられるはずもない。
もうトラウトの小さくなった背中しか見えない。フレイは完全にその姿が視界から消えるまで動くことが出来ず、往来の場でしばらく直立していた。
周囲からは勇者の見送りとして、しっかり礼儀のなっている女騎士だ。そう映ったはず。しかしその実、フレイはただ動けなかっただけ。
「とんでもない役目を任せてくれたものだあの二人は……」
誰に言った訳でもない。この気持ちをなんとか口に出して緊張を解きたかっただけだ。
だが、改めて自分の立ち位置の危うさというものを身につまされたフレイだった。
1週間ほど4章、5章の調整&執筆期間でお休みします。