3-15話 カナーティア
トラウトは別室にアウルムを連れて行き、ワインをグラスに注ぎながら口を開いた。
ギュッ……ポンッと軽い音がしてコルクが抜ける。トプトプトプと、心地よい一定のリズムでワインがグラスに注がれていく。
「私のことはご存知ですか?」
「噂はかねがね聞いております……魔王を討伐された英雄ですよね?」
「まっ、その中の一人ってだけですよ。あれは実質うちのカイトが一人で倒したようなものですから……さっ、どうぞ。最高級のものです。
ジュエリーチョウザメの一粒銀貨1枚はするキャビアを乗せたクラッカーと一緒に食べると最高なんですよ」
「まあ、美味しいワインですね」
「気に入ってもらってよかった……」
トラウトはワインを軽くあおり、唇を舐める。その仕草は女を落とそうという、色気のある芝居がかったものだった。
アウルムは心の中でオェー! っと吐き気を催すも、悟られぬよう笑顔に徹する。
「バンドー……我々の世界の発音ではバンドウ。と言うんですがね、違いは分からないですよね。
まあ、それは良いとして、あなたが言う人物がヒビキ・バンドウの事ならばいくらか知っていますよ……して、その知り合いでしたっけ? 一体いつどこで会ったのか、まずそれを教えてもらえませんかね?
なにせ、彼は長い間行方不明でして同胞である勇者の我々にとっても大事な情報なんです」
(心配してるフリか……気ほどもそんな感情は感じられないがな……)
「話では3ヶ月ほど前に北方地域にて、ということらしいですよ」
「ほう、北方地域ですか……ありがとうございます。
彼はですね、私の一つ上の歳で直接の面識はそこまでないんですが、学校──失礼、この国でいうところの貴族学園みたいな場所で人気者でしてね……サッカー部と言っても分からないでしょうが、運動をする学生間の集団のトップの人間でした。
常に取り巻きがいて、女子には大人気。何度も告白されてる様子を見ましたよ。バレンタインという年に一度思いを伝えるイベントではそれは山のようにプレゼントを貰っていてね……だが、変わってしまった」
トラウトはそこまで言うと、ワイングラスを置いて椅子に深く座り込み、両手を組んだ。
「勇者には一人一つずつ、ユニークスキルが与えられ、ステータスもバラバラ。
何が言いたいのかと言うとですね、学校で人気だったからって、価値観の全く違うこの世界に突如召喚された彼はこの世界でも人気者にはなれるとは限らなかった。彼のそれまでの生活が一変してしまったんです。
単純な話ですよね、ユニークスキルは自分で選べないし容姿や生まれなんか関係ないんだから……見下していた自分よりも格下の方が突然強くなることだってあり得る。
我々勇者の中にも序列、のようなものが次第に形成されていくんですが、彼は最初は強くなかった。
ユニークスキルにも色々あって、成長と共に強くなるもの、最初から強いが大して成長しないもの、他のスキルやステータスを上げる事で初めて活かすことが出来るもの。そもそも何の役にも立たないもの。
玉石混交です」
「話の流れからして、その……バンドーさんは挫折を味わったということですか?」
「その通りです。勇者は戦うに向くスキルはダンジョンへ向かい、戦闘経験を積む。向かないスキルは後方支援として武器やマジックアイテムの生産などに周り、大きく二つのグループに別れました。
問題は、戦闘組の中でも当然ながら強い者と組みたがる者同士で構成される。彼は最初は強くなかったので、仲間外れにされたと聞いてます。しばらくして、そこそこ強くなり見捨てた仲間が擦り寄ってきたところ……彼は激昂しました。
まあ、気持ちは分かりますよね、調子が良いって言うか。そんな風見鶏みたいな連中は信用がならない。でも彼はそんな怒りを飲み込み、仲間を作った。
一人で魔王を倒すのは無茶ですからね。
しかし魔王は俺……失礼、私が参加していたパーティで討伐しました。彼からしたら、何の為に今まで我慢して自分を一度見捨てた仲間と行動を共にしていのか、分からなくなる。
結果、何が起こったと思いますか?」
「さあ、どうでしょう……勇者様は私たちとはまるで違うお考えをお持ちでしょうし……」
「殺したんですよ。仲間を」
トラウトは穏やかに語りつつも、その目は笑っていなかった。先ほどまでの軽薄な雰囲気はまるでない。
「まあ……それは……」
「彼は、その件で勇者であるにも関わらず、国内で指名手配になっています。これはあまり大っぴらに話して欲しくないことなんですがね、彼の動向を教えてくれた美しいあなただから、特別にお教えしたんですよ?」
(秘密の共有で心理的な距離を詰める手法か。こいつ俺をガッツリ口説きに来てるな。シルバみたいだが、あいつは俺を口説かない分マシだな……)
「貴重な話をどうもありがとうございます」
「ですからねえ……彼はあまり、まともな精神状態ではないはず……誰かを助けたり世話をしたりするようなタイプとは、とても思えない。俄には信じがたい。一体彼は、その知り合いに具体的に何をしたって言うんですか?」
「それは……」
「どうしました? ああ、もしかしてその知り合いの話を詳しくしたら、自分の身分が分かってしまうことを心配してるんですか? 『カナーティア』さん?」
「ッ!? ど、どうしてそれを……!」
「勇者はね、鑑定スキルを持ってるのであなたの名前くらいすぐに分かるんですよ。だから、ここにいる貴族を安心してハメが外せる。
この場にいては都合の悪い人間はこのパーティには侵入出来ない。そういうお墨付きがあるから人気があるんです」
(流石、闇の神と言ったところか……魔王討伐の伝説の勇者クラスのやつにさえ鑑定偽装はちゃんと効いてる。こいつはすっかり俺を商家の娘、カナーティアだと思い込んでるな)
わざと、慌てて動揺を見せる。匿名のパーティで勇者に名前を知られた娘ならば、こう反応すべきだからだ。
「ですが、それもここだけの秘密です。私は身分制度のない世界から来ましたから、平民だとか貴族だとか、そんなことは特に気にしません」
トラウトはわざとらしいウインクをしてアウルム、否、カナーティアを安心させようとする。
「だから、本当のことを教えて頂きたいのです。お願いです、彼の情報は私にとっても大事なことなのです」
「バンドー様を捕まえるおつもりですか?」
「あなたに彼を庇うほどの恩があるのですか? その知り合いの方を心配しているなら、安心してください。
我々勇者はこの世界の人間に対して何ら捜査や逮捕の権限を持ち合わせておらず、関心もありませんから。
自治権の侵害になってしまいますからね……。
勇者の不始末は勇者がカタをつける。それだけです」
「バンドー様の話を聞いたのは、我が家と少し縁のあったザナーク様からです」
「ザナーク? 聞いたことが……ああ、確か犯罪組織の……そういうことですか。いえ、それだけ聞けたら十分ですよ。助かります」
そういう繋がりならあり得るか……と、トラウトは呟き納得の表情を見せる。
「さて、難しい話はこれくらいにして、お互いのことをもっと知り合いましょう?」
(来たな……こいつ顔はまあまあイケメンだが、こうやって親切なフリして性欲向けてくるのはマジで気持ち悪いな。寒気がするっ!)
「では……まずは殿方から……あなたの事を聞かせてください」
「良いでしょう……何が知りたいですか?」
「さきほどのユニークスキルの話が気になりました……トラウト様のユニークスキルは一体どんなものなのですか? 魔王を倒せるほどの力、どうしても気になってしまって……」
「ふふ、それは秘密ですよ。いくら美しくても、それだけはそう簡単には言えません。仲間に迷惑がかかってしまうかも知れませんからね。
でも、好きな女性のタイプは言えますよ」
(クッソ、流石にそう簡単には教えちゃくれないか。てかなんで俺は自分に色仕掛けの才能がないことを若干腹正しく思ってるんだ! そんな才能いらんだろ!)
「あなたのような青い目の女性はとても好きだ……」
そう言って、トラウトはカナーティアのマスクに手を伸ばす。
(抵抗するか? いや、ここでその動きは不自然だ。男女が密室に入ったと言うことは、つまりそう言うことが起こるのを互いに承知の上で、入った。そういう認識になっている。
ここで、マスクと服を外したら女装がバレる。しかし、かと言って実力が未知数のこいつに『現実となる幻影』をかけるのはリスクが高いっ!)
アウルムが僅かに冷や汗をかいた時だった。
屋敷が揺れた。
ズゥンと低く、身体の芯にくるような深い振動。
(これは……地震か? この世界に来て初めてのことだな)
「まさかっ!?」
トラウトはアウルムから離れて窓の方に走りだす。
「東に30キロ……あれは……『白貝の門』のある方角だっ! 来たか……バンドウッ!」
(バンドーだと? だとしたら、思っていたよりもかなり近くまで来ているな……)
「俺はこれにて失礼する! 今のうちに避難するんだ!」
トラウトはアウルムを残して部屋を走って出ていった。
ホールの方ではトラウトが今すぐにここから離れるようにと大声で叫び、半分パニックになった参加者は慌てて屋敷を飛び出していく。
(シルバ、どこにいる?)
念話でシルバとの連絡を取るアウルム。
(ちょ、ちょっと待ってくれ! 今服着替えてるから屋敷の前で5分後に集合や!)
(お前……遊んでたな?)
(そういう趣旨のパーティやろうがっ!)
(違う! 情報収集の為の潜入だ!)
(いやいや! 遊びながらでも仕事は一応したから! ちゃんと耳寄りな情報もあるから!)
(くだらん内容だったら殺すぞお前)
(そんな怖い事言うなよ! 信用ないな〜)
(女関係のことに関してはまるで信用ならん!)
念話を終了し、アウルムはイライラしながらシルバが到着するのを待った。