2-9話 火に油
ザナークの素早い突進により、一瞬でシルバの間合いに侵入する。
速いっ!
攻撃を弾いたが、想像よりも身軽で反応はギリギリだった。
ザナークはバックステップで一度距離を取ると闇に溶け込む。暗殺者なのだから不意をつく攻撃をすると予想してたが、闇に溶け込むというのはかなり面倒だ。
「なんで俺の敵はコソコソ攻撃しかけてくるやつばっ……かっ……やねん!」
ミストロールとも似たような戦闘をしていたことを思い出し、こめかみを痙攣させながら攻撃をかわすが、時々薄皮を切り裂かれ出血もある。
戦闘の腕はミストロールよりも上のザナークは素早く巧みにシルバを翻弄し、『不可侵の領域』を展開させる隙すら与えない。
それに防御に徹しているだけでは、いずれザナークは屋敷に火をつける。
──『非常識な速さ』〜思考加速〜!
シルバは自身にユニークスキルの効果をかける。
体感速度を3倍速に設定。これで一時的に知覚する時間をゆっくりにして、反応速度を上げる。
あまり速くしすぎると脳の感覚と身体の感覚が合わずに逆にタイミングがズレる。
今使用可能なのは最大で3倍まで。
「見えるっ!」
思考加速でザナークの不意打ちに反応出来るようになり、危なげなく戦闘が出来るようになった。
問題はここから。ザナークは生け取りが望ましい。だが、そう易々と無力化出来るほどの余裕がない。
「お前何者だ……ただの通りすがりではないな、冒険者……いやキラドの刺客かっ! それともあいつか、あいつの敵討ちか……」
「思い当たる節多過ぎるやろ……」
ザナークの攻撃に対応するシルバの素性を探り出したが、頭の中に思い浮かぶ顔が多く特定出来ないでいる様子を見てシルバは呆れる。
ヒュンっと何かを投げる音が聞こえる。
「チッ暗器まで持ってんのか」
千本が闇に紛れて飛んでくるのを風魔法で地面に叩き落とす。
「どうした接近戦しか出来ないのか? 串刺しになるまでくれてやるっ!」
「……へ〜俺にくれんのか……ならありがたくもらっとくわ」
「ほざけっ!」
「ふんっ!」
ザナークの飛ばす暗器をボトボト地面に叩き落とす。
『不可侵の領域』ッ!
ザナークの武器は確かにシルバのものになると宣言した。故に地面に落ちたものはシルバの所有物。
『不可侵の領域』の対象に入る。
これでちょこまかと動き回るザナークによる死角からの攻撃は塞げる。そして、ザナークの武器のみを侵入禁止に設定。
カンカンと金属の弾かれる音がして、武器は四方に飛び散る。
「結界魔法か! 厄介な!」
ザナークはそこに足を踏み入れる。
「グッ!? な、なんだ!?」
ステータス差を9倍にするシルバの絶対的なナワバリ。
そこにまんまと侵入したザナークは自分の身体が思うように動かなくなったことで、バランスを崩す。
「墓穴掘ったなあ! この間抜けがっ!」
「グベラッ!?」
シルバは動きの遅くなったザナークに接近して顎を拳で打ち抜く。
脳が頭蓋内でバウンドし、脳震盪を起こしたザナークは足に力が入らず、倒れ込む。
「はあはあ……降参だ」
両手に何も持っていないと証明する為か、指まで開き震えながら手を上げて降伏を宣言する。
「ホンマか? 暗殺者がこんなにあっさり降伏するなんて信じられへんなあ?」
「本当だ! 光の神に誓ってもいい! お前に何一つ致命傷を与えられなかった! 時間もかかり過ぎている、お前は暗殺失敗だ!」
「誓うねえ……その言葉、俺の前では想像以上に重いがええねんな?」
「あ、ああっ! 本当だ! 神に誓って抵抗しねえよ!」
「そうか……」
ザナークは知る由もないが、この瞬間シルバの『破れぬ誓約』が発動される。
ジジジジッ……。
何かが爆ぜるような……そう、導火線が燃えているような音がする。
嫌な予感のしたシルバは音を探る。
「!? お前ぇッ!」
「へへへ……俺はもう何もしてねえぜ?」
ザナークが既に投げていた手榴弾が導火線から引火して小さな爆発を起こす。
無力な人間の腕が吹き飛び、目が潰れる程度の威力。この世界の魔法ならばもっと強力なものがあるが、屋敷にかかっていた油を燃やすのには十分な火力をもってして爆発し、あっという間に炎が油を辿って燃え広がる。
ザナークの誓い通り、宣言してからは何もしていない、『破れぬ誓約』の発動により油断したシルバの不意をついたザナークはしたり顔で笑う。
「まずいまずいまずいっ! 消火ぁああああっ!」
水魔法を発動するが、火、風、闇を主体としたスキル構成のシルバでは、焼石に水程度の威力しか出せなかった。
「馬鹿が……隙あっ……!?」
「お前は大人しくしてろ!」
慌てたシルバの背後を攻撃しようとしたザナークは契約違反により行動不能となる。その点に関してはシルバの懸念材料ではなかったので、意図的に無視していた。
それよりも、この火。メラメラと燃え上がりそのうちこの屋敷を全焼させかねない威力で燃え上がり出す。
黒い煙がモクモクと立ち上ってくる。結界により、それを吸い込むことはないが、中にいる人間が死ぬ。悪い貴族ではあるがそこで働いてるだけの平民の女だっている。
自分の不始末で巻き込むことは避けたい。
「火消すには水か土で……ってまたあいつおらん時に限ってやんけぇっ!……何か俺の使える方法で……屋敷の周りにもの置いて火を侵入禁止……いや、それじゃ遅いっ! 何かないか何か……」
その時シルバの脳内に一つのアイディアが浮かぶ。
子供の頃に読んだ西遊記。牛魔王の住む火焔山にて、羅刹女の持つ芭蕉扇によって火を消すエピソード。
「風で火を吹き飛ばせばっ……!」
シルバはありったけの魔力を込めて広範囲の風を発生させる。
轟ッ! 豪ッ! 業ッ!
風は火に空気を送り込み、燃え盛る低い音を立てて更に勢いに拍車をかける。
「あぁ〜ッ! あぁあああああ〜〜〜ッ!?」
火に扇と書き、煽る。
シルバの行動は焼石に水どころか、火に油を注ぎ、火事を煽る結果となった。
「なんでや〜ッ! イケると思ったのにぃ〜ッ!? ……お前そこでジッとしてろよ!?」
シルバは行動不能なままのザナークを放置して屋敷に飛び込む。
火魔法が使えるので火の耐性は高く、また風魔法で新鮮な空気を摂取出来る。
火の中に飛び込むことは問題がない。問題は中の人間の救助。
「ゴホッゴホッ……誰かっ……」
屋敷の庭を警備していた男が煙を吸って倒れこみ、助けを求めている。
「大丈夫かっ!」
シルバは新鮮な空気を吸わせて担ぎ上げて、壁の外に避難させる。
「これじゃ埒があかん!」
一人一人抱えて外に運ぶ、このペースでは間に合わない。
せめて、違法に奴隷にされているというエルフだけでも助けてやりたい。全くこの火事で死ぬ筋合いがない。
貴族の元で働いているやつはそれなりに給金も良いと聞く。平民ですら、貴族の元で働いていたら貴族のように平民に偉そうにするらしい。
貴族は圧倒的な権力で好き勝手するが恨まれることも多い。リスクを覚悟で働いている。ある種そういう判断が出来る。
だが、違法奴隷は自分の意思とは関係なく連れてこられいる。ならば、最優先はそいつら。
この火に巻き込ませるのは『筋が通らない』。
ますます火の手が広がり、周囲は煙で視界が悪くなり屋敷は崩壊が始まる。
「どこや……どこに……奴隷となると……地下室とかに監禁されてる……!」
居場所を考えていると、人影が見える。
「あっ! ローブの巨乳の姉ちゃん……!」
火の粉が降り注ぎ、ローブに火がついて脱ぎ捨てると、そこには豊満な胸が現れシルバの視線が集中する。
「って! エルフやったんかぁっ!」
そう、ローブを脱いだ彼女の耳は長く尖っていた。口元を布で覆い、煙を吸い込むことを防いでいたので顔は見えないが、エルフであることには間違いなかった。
スラリと長い手足に淡い茶色の髪、濃い緑がかった瞳。
顔立ちはこの国の彫りの深い一般的な人種とは異なるどこか、アジア系の血の混ざりを感じるバランス。
この国の人間としても、日本人としても異人種であると感じる容貌をしていた。
その後ろから3人のエルフの女が続いて避難しようとしている。
「リリエルッ!」
エルフの一人が膝をついて咳き込む。かなり煙を吸ってしまっているようだ。彼女を他の3人が肩を貸して持ち上げ、なんとか脱出しようとするが火は既に四方を囲んでいた。
「くっ……どうすれば……」
「大丈夫か?」
「何者ですかっ…………!」
「いいから、ここに入ってろ」
シルバを見て一度警戒し、驚きながら言葉を詰まらせる。
「結界の中から出るなよ? ここなら燃えんし、綺麗な空気も吸えるから……っておい、どこ行くねん!?」
巨乳のエルフが結界から出て屋敷に戻ろうとする。
「仲間がっ、後二人仲間がいるのです! 彼女たちが安全ならば私は助けに行かないとっ!」
「何!? どこや俺が行ったるから大人しくしてろ!」
「いえっ、行かせてくだっ……ゴホッゴホッ……!」
「言わんこっちゃない……でも止めても聞かなさそうやな……ちょっと胸失礼するで……」
「な、何を……」
シルバは女の胸に手を置く。無論、その胸を揉む為ではない。焼けかけた肺を『非常識な速さ』で回復させただけだ。
「息が……あなたは一体……」
「ごちゃごちゃ説明してる時間ないぞ案内してくれ!」
「は、はいっ!」
シルバと女は燃え盛る屋敷の中に入って行った。