10-9話 ジーン・カンベル
アウルムが商会に戻った後、その場で座り込み連絡を待った。落ち着かず、貧乏ゆすりをしながら天井を眺める。
(こうしてただ待ってても仕方ないな。遺体発見現場はあんまり立ち寄らんエリアやし、周辺の状況を把握しとくか……)
今やるべきことはアウルムを信じること。それと待ちながらでも出来ることを考える。
聴き込みをする兵士たちが戻ってくるにはまだ時間がある。書き置きを残して、現場に戻った。
迷宮都市の中でも、スラム街に近い現場に近づくことはほとんどない。
シルバが普段訪れる娼館や飲み屋は比較的裕福なエリアであり、死体が発見されるということはまずなく治安は良い。
プラティヌム商会の会長として、スラムに近い場所に立ち寄るということも外聞が悪く、土地勘がなかった。
まずはこのエリア特有の人間関係や雰囲気を把握しておきたい。
「ここらに住む連中は意外と口が硬い……というか、喋ることにリスクを感じてタダでは喋らんからな」
街の治安を守る兵士がこのエリアに住む人間に声をかければ、口を開くこともあるだろう。顔見知りの兵士もいるはず。彼らとの信頼関係が出来ている。
だが、外から来た見知らぬお偉い『調査官様』に対して正直に話すかと言えば、それはまずあり得ない。
ホームレスたちに忠誠心などあるはずもないが、かと言って敵対心があるわけでもない。
徹底して、自分に利があるかどうか。それだけを考えている。
よく知らない人間にペラペラと情報を話して良いのか? それはこのエリアを縄張りにする面倒な連中に目をつけられ、最悪は殺される。
それはリスクに見合わない。
──だが、金、食事が報酬として与えられたらどうか?
彼らは口を開く。リスクには見合わないが目の前の餌には我慢出来ず食いつく。シルバは彼らのそんな習性を知っている。
歩いているとライナーとヌートが遠くの方で姿勢を低くして走っている姿が見えた。恐らくは何かを追跡しているのだろう。
今はシルバではなく、調査官。声は掛けずに追跡を任せた。
屋台でスープ、パン、肉を購入してから周囲を散策すると丁度良い集団を見つけた。
4人のホームレス。少年、大人の男女、老人の男。家族ではないが、家族のように身を寄せて焚き火をして暖を取っていた。燃料はどこかの古びた家屋の木材を、勝手に持ち出したものだろうが、それは追及しない。
「聞きたいことがある。ここ、いいか?」
「お貴族様……? 一体俺らみたいなもんに……いっ!?」
シルバの服装はこのエリアからすれば場違いなほど高級であり、浮いている。一目で階級が違うと学のないホームレスでも分かる。
そんなシルバが現れて声をかけた。訝しげに見上げていると、シルバは地べたに座り込んだ。
身分のある人間が絶対にやらない行動、その異常性にホームレスたちは息を呑む。普通の貴族に連なるものは地面に座り、服を汚すようなことはしない。
何者だこいつは、と思わせればシルバの勝ち。まず、相手にしてもらうフェーズは成功する。
「今日の事件についてだ。お前たちはこのあたりに詳しいと思ってな。話を聞かせてくれ」
用意していた食事を並べながらシルバは一人一人と目を合わせて聞く。
「勘弁してくれねえか、ここらでそんなことする奴を喋ったら殺されちまう」
老人の男が、震えながら迷惑そうに断りを入れた。だが、その視線はシルバの用意した食事から離れない。ゴクリと唾を飲む音もシルバは聞き逃さなかった。
「いや、それはない。ずっとこの辺りに住んでる人間の犯行ではない。今回は明らかに余所者の犯行。このエリアで顔の聞く元締めのような奴がいたら教えてくれ。それと……」
このエリアの常識。どんな人間が、どのように行動するのか、ここに住んでいるからこそ分かる情報を聞く。
スープをすすり身体が温まり、腹も膨れていく。次第に精神的に余裕が生まれる。それは隙でもあり、少しずつ口が緩んでいき、最初の渋りが嘘のように有益な情報を提供しはじめた。
驚くことに、シルバの聞いていないことまで自主的に喋り出した。
「なるほど……となると、一応路上で仕事してる女も基本的には誰かの傘下に入ってるということか……参考になった」
売春を斡旋するポン引き、取り持ち女と言われるような者がいる。このエリアには派閥が2つ存在しており、殺された女は、ペイジ婆と呼ばれる老婆の組織する派閥に属していたことまでが分かった。
そして、シルバが話を聞いていた連中が恐れていたのは、その敵対する組織の者。
どちらか一方の人間が殺されれば、もう一方の人間を疑う。
そんな緊張がある時に調査官が、現れれば敵対した組織の人間が怪しいと垂れ込んだと思われる。そして、殺される。そういうロジックがあり、恐れていた。
シルバはこれから、そのペイジ婆率いる組織に敵対している、オージーという男に話をつけにいくと約束をする。
「あんた……一人で行くのか? 殺されちゃうぜ? 悪いことは言わない、あいつらは身分なんて無視してやる時はやる奴らだ。護衛を連れて行った方が良い」
少年が怯えながらも、食事を提供してもらった礼にとシルバに忠告する。
「話をするだけだ。少し調べれば、そいつらが容疑者として浮かぶのは当然だろう。だからこそ、その疑いを晴らしたいはずだからな」
少年にはリンゴを一つ、くれてやり頭を乱暴に撫でてからその場を去ろうとする。
「あのさ! お貴族様ッ! 犯人捕まるかな? 俺も殺される……?」
「犯人は女しか殺さないはずだが……まあしばらくは一人で行動するのはやめておけ。それと……お前がさっきからやっていた座り方は基本的に女にしかやらない。隠したいなら上手くやることだ」
「……!」
女の子座りと呼ばれる、正座の状態で足を外側に開いて座る方法。この世界で危険から身を守る為に男の振りをする少女というのはそれなりにいる。
そういった細かい仕草で対して知らない人間にも、第二次性徴が来ていなくてもバレるぞ、と暗に忠告をしてその場を後にする。
そして、路地裏の隅から眺めていた一人の男に声をかける。
「なんだテメェ……!? こ、国家治安調査官ッ!?」
「我々は今回の事件、外部の人間の仕業と考えている。ここの連中は疑っちゃいない。あいつらはお前たちのことをチクった訳じゃあない。むしろ、見慣れない余所者がうろついていたら詰所に連絡しろ。多少の褒美はくれてやる。ボスに話を通しておけ……敵対する方の連中にも話を流せ。余計な抗争など、望むところではないだろう」
シルバは身分を明かす。聞き耳を立てる男の気配を察し、顔を見ればオージーの派閥の男だと鑑定で分かった。
先ほど話を聞いた彼らを殺してみろ、酷い目に遭うぞと脅しながらも、このエリアの治安を乱す余所者を逮捕するので、安心しろと伝える。
協力者は出来るだけ増やす。持てる限りの力を持って怪人シャイン・ドゥを徹底的に追い詰めるつもりだ。
小銭を握らせ、行けと命令すると男は慌てて立ち去った。
***
犯人が現場に戻る、その可能性も考慮してシルバは再び現場に近づいた。
遠巻きに現場を眺める野次馬の中に殺気を感知する。
(ん? 誰や……!)
特定は出来なかった。だが、現場に向かって殺気を放つ者がいる。周囲に上手く溶け込んでいるが、僅かに漏れ出した意識がシルバを警戒させた。
(鑑定……何ッ!? ジーン・カンベルやと? なんでここに……!)
一人一人、鑑定をしていくと表示された名前は知っていたものだった。
現在指名手配中の罪人──ということになっているが、キラドの調査では陥れられ、一般的に思っているような犯罪者ではない可能性のある兄弟の兄の方。
詳細が不明であり、もし友好的な関係が築けるのであれば、保護を条件に味方に引き入れたいと考えているリストの人物。
しかし、本当に犯罪者であることも予想される為、しっかりと調査が済んでいない以上は警戒が必要である。
(教会の人間があれを見たらどう動くか……クソッ! 厄介なことになりそうや、ひとまず追跡して多少なりとも情報を集めとくか)
拠点だけでも把握しておけば何かあれば抑えやすい。付かず離れずの距離で、視界に入らぬよう注意を払いながら尾行する。
怒りの感情が見える挙動をしながらジーンは歩いていく。敬虔な信者としての反応と考えれば、ルイス神官と同じ。
だが、教会の掟を破ったことで指名手配されているような男に信仰心のようなものはあるのだろうか?
信仰のあり方がまるで違う日本人的な感覚を持つシルバとしては一見矛盾するような心理に共感も推測も出来なかった。
その時、アウルムからの念話により商会の者が取り敢えずは無事だという連絡に胸を撫で下ろす。念話をしながらジーンを追跡していると、丁度終わったタイミングで彼が足を止めた。
街から外れた針葉樹の並木がある、人通りの全くない辺鄙な場所にたどり着く。
(尾行に気がついて誘導……? いや馬鹿な、こっちは足音だけで一切身体は見せずに追跡してたんや。振り返っても見つけられるはずがない……となると弟の方と待ち合わせか?)
現在、シルバはジーンから100m以上離れた木陰から様子を伺っている。念の為、『不可侵の領域』を展開して姿も見えないようにしようとしたその時だった。
シルバに向かって鋭利な刃物のような冷たい殺気が飛ばされた。
「ッ!」
足音からして、シルバの方に向かい振り返ったことは分かる。半歩、足を引き身体を反転させたのだ。そこからは何の音もしない。完全に動きを停止させ、シルバの方を見ていると推測出来る。
(まさか、この距離から気がついたってのか!?)
息を止めて動かず、物音の一つも立てないように木陰からジーンの気配に集中する。
そして、またジーンは振り返り元の進行方向に身体を戻した。
(偶然……何となく、そんな気がして振り返っただけ……か? 尾行はバレてないのか?)
ゆっくりと、呼吸音のならないように息を吐き緊張が落ち着いていくその時だった。
シルバの足に異変……。突如として痛み、走る。
(グッ……!? な、なんや……!? ふくらはぎが千切り取られたみたいな痛みが……!)
恐る恐る、足を見る。ドバドバと血を吹き出し、その血が滴る生温かさを感じるはず……痛覚が確実に怪我をしていると教えている。しかし、そうであれば、足とズボンにあるはずの変化。
破れなど、損傷が一切ない。ズボンをめくり患部を確認する。血も流れていない。
削られている。足がギザギザの動物にでも噛みちぎられたかのようにごっそりと肉と皮膚がなくなり、薄らと骨が見えている。
(な、なにぃぃ〜〜ッ!? これはぁッ……! 恐らく俺は何かに『噛まれた』ッ! でも噛まれた部分の肉がなくなっているというより透明になって消されたってのかぁ〜〜ッ!?)
「──てっきり刺客かと思ったが……修道兵じゃあねえなテメェ?」
「はッ!? いつの間に俺の背後にッ!?」
シルバの耳元まで声が聞こえるほどに接近したジーンはガンを飛ばしながら、剣を首に当てていた。
足音は無かった。どれだけパニックになろうと、シルバの聴覚は敵の接近に気付かないということはあり得ない。
つまり、ジーン・カンベルは決して忍び足で近づいたわけでもなく、高速で走った、または跳躍したのでもない。
突如として、シルバの背後に現れたと言うのが正しい。
「俺が、質問をしている。生殺与奪を握った俺が質問する権利も握っている。お前は教会にいれば必ず使う独特のお香の匂いがしない……つまりッ! 教会とは全く関係がない人間ッ……! 俺を追っている連中ではないにも関わらずだ! そして、奇妙なことにお前の匂いは嗅いだことがある。ワースの屋敷にお前と全く同じ匂いがあった。むしろ俺はお前を追跡する側のはずだった……そんなお前がさっきから俺を追跡していた……何者だッ!?」
ジーンは矢継ぎ早にまくし立てる。非常に頭の回転が早く、そして嗅覚に自信を持っていることはすぐに分かる。
ここでシルバは考える。この場、この相手においてどう答えるのが正解かと。
シルバの虚を突く接近、足に受けた謎の傷、異常なまでの鋭い嗅覚。あまりに分からないことが多い。
答えを間違えれば、得体の知れない相手との殺し合いが始まる。そもそも、彼とは可能であれば協力関係を築きたいところなのだ。一度敵対してしまえば、友好的な関係を築くのは不可能とはまで行かなくとも難しくなるのは必至。
「ところで、これは何の香りだ? スンッスンッ……! やたらと良い匂いがしやがる。ああ、気になって死にそうだし殺しちまいそうだ」
ジーンはシルバの後頭部をやたらと大きな音を立てながら嗅ぐ。鼻はシルバの銀の波打つ髪に触れるほど近い。
「……私は国家治安調査官。今朝発生した事件の調査をしている最中、現場でただならぬ雰囲気を纏っていたお前を見かけた。犯罪のあった現場で他とは違う動きをする者がいれば怪しいと思うのは当然。犯人の可能性があったので追跡した。お前が知ってるかは知らんが、首飾りがある」
「可能性が『あった』と今言ったのか? そいつはおかしいだろうがよぉ? なんで過去形になってるんだ。ついさっきまで追跡していたのなら、可能性が現在進行形で『ある』だろうが……何故、俺が犯人でないと断定しているんだ? 俺が犯人かも知れないだろうがよぉ? ん? 俺はちんけな首飾りじゃお前が調査官だと認めねえぞ」
「良いだろう。だが、その前に剣を下せ。そして、俺の足につけた普通じゃない傷をなんとかしろ。これはポーション飲んで包帯巻いて寝てたら治るような怪我じゃあないだろ」
「テメェッ! 状況分かってんのかッ!? 偉そうに命令出来る立場じゃあねえんだよこの間抜けがッ! さっさと調査官だと俺に信じさせるほどの賢さを見せてみなッ! そうじゃなきゃ絶対に信じてやらねえぜ! じゃなきゃ、俺は剣を下げることはない!」
ジーンはイラつきながら、シルバの首に当てた剣に力を込める。グッと強く刃が当たり、皮膚が切れる寸前。チクチクとした痛みがシルバを襲った。
「……私が調査官じゃなかった場合、嘘をついたことになる。そうすれば、お前は私を殺すだろう。だが、本当に調査官だった場合、それはそれでお前は殺すしかなくなる。何故なら本物の調査官に武器を向けて脅した上、お前は明らかに追っ手を気にする逃亡犯の言動そのものだからなぁ? 宣言する……お前は剣を下ろすことになる。そして、剣を下ろしたなら、こちらの話を聞いてもらうッ!」
……いずれにせよ、ジーンをこのまま説得するには無理がある。追われているという状況がそうさせているのだろう。
ジーンを追跡し、それがバレたという時点でシルバにも一定の非がある。警戒されるような動きをしたのだ、神経質になるのも分かる。
であれば、取るべき行動は一つ。この状況を脱して調査官であることを理解させながらも、ジーンに殺せない状況に持っていくように動く。
「はぁ? 妙な真似するんじゃねえぜ、首がぶっ飛ぶぜ! やれるもんならやってみやがれ!」
「──なら、『妙な真似』も『首がぶっ飛び』もするぜ」
「なっ……!? ハァッ……!?」
シルバはジーンの剣を掴み、自ら頸動脈を切った!
「グボッ……! グガァァアッ!」
花火のようにシルバの鮮血は首から吹き出して周囲を血で染める。首を抑え、掻きむしりその痛みに悶えながら地面に倒れ込む。
「何なんだお前ェ〜ッ! 普通じゃない! コイツは尋常じゃあないッ! 自分で自分の首を掻き切るだと!? 何を考えてやがるッ! だがこの違和感は何だッ!? 情報漏洩を防ぐ為に自決って感じでもないッ!」
どさりと地面に倒れ込むシルバの周りに血が流れ、白い雪のキャンバスに赤い花が描かれたような鮮やかな光景が広がり、ジーンは度肝を抜かれながら絶叫した。




