9-23話 H・J・R
ワース家の領地がある北に向かいアウルムとシルバは馬を走らせていた。北へ向かえば向かうほど徐々に気温が下がってきて、顔にぶつかる風が肌を突き刺す。
北部は山が多く、標高も高くなっていく。景色が王都周辺とはまるで違う。
「ワース領には領民ってのがおらんのやろ」
「領地と言っても収穫物を納める規模でないからな。土地持ちの貴族と言っても様々で王都で働いている者もいる。道理から考えればワース家はそのパターンだ」
「でも、王都とキラド領を往復してる古参のキラドが知らんってのはあり得へんから、やっぱり存在してないんか」
「だが、勝手に農作物を育てて売っている貴族もいておかしくはない。だから、それを防ぐ為に徴税官が調べるんだ」
馬を走らせながらシルバは今回の事件を改めて整理しようとしていた。どうにも、実際にそのような誤魔化しが可能なのか信じられないとアウルムに引っ掛かりがあることを伝える。
「一応、今はイブ・ワースって女が当主やろ。てことは犯人は女か。プロファイリングからして、女って感じる要素はあるんか?」
「被害者に性的な犯行をしている形跡はないから、女の可能性はある。だが、それが女だと確信に至るほどのものではない。ホシノ領には赤ん坊の死体もあったから、単なる殺人ってわけではなさそうだ。赤ん坊を殺す意味がよく分からんが、それにしては数が多過ぎた」
「赤ん坊ねえ、イブって前世の聖書では最初の人間の名前やん、そのイブが赤ん坊殺してるなら名前と全然合ってないなあ。てか、なんでか知らんけど前の世界のどう考えても聖書とか神話由来やんって名前がこっちにあるのは不思議やんなあ!」
「同じ名前があることは俺も変だと思って調べたが、由来が全然違った。不思議なもんだ……イブ、アダムも普通にいるしな…………アダム?」
「うぉっと……! なんや急に!」
アウルムが馬を止めた。シルバは襲撃を警戒して、馬を強引に手綱を引いて制御し、進むのを止めて周りを確認した。
「気配はなし……おい、なんやねんビックリするやろうが」
「アダムだッ……!」
「はぁ? アダムって奴が犯人か?」
「違う! いや、違わなくはない……か……アダム・ワース……そうか、『H・J・R』……繋がったぞ……」
「待て待て、アダム・ワースなんて名前は記録上のどこにも無かったやろ。急に知らん奴の名前出すなや! 混乱するやろ!?」
勝手に納得して驚いているアウルムにシルバはイラつき、怒鳴った。アダム・ワース、それにウォクトラムが残した謎の『H・J・R』の問題も繋がったと自分の世界に入られてはついていけない。
「シルバ、簡単な教養の問題だ。シャーロック・ホームズの宿敵は?」
「俺、コナンドイル作品読んでないから知らん。漫画のコナンは知ってるけど」
何故、このタイミングでそんなことを聞くのかシルバは分からなかった。だが、アウルムがこういう聞き方をするのには意味がある。
「ジェームス・モリアーティ教授だろうが、マジで知らないのか?」
「あ〜知ってる知ってる。聞いたことあったわ。えーと、犯罪界のナポレオンとか呼ばれてた奴やんな? ライヘンバッハの滝に落ちて死んだとか……そんな感じ?」
「なんだ知ってるじゃねえか……」
「漫画知識や。原作はマジで知らんで」
逆にさっきまで知らないと言っていたには中途半端に知識があるシルバにアウルムは驚いた。
体系だっていない知識、雑学程度とも呼べる知識がシルバには複数存在し、知っていて、知らない中途半端さがシルバらしくもある。
「モリアーティ教授にはモデルとなった犯罪者がいたとされている。そいつの名前が『アダム・ワース』だッ!」
「何ぃッ!?」
「しかもだ、アダム・ワースは偽名をいくつも使っており、その中でも有名なのが『ヘンリー・J・レイモンド』だ」
「ヘンリー……おいおい、それって『H・J・R』やんけッ!?」
そこまで言われれば、シルバでも気がつく。元の世界の知識が入っているということは……。
「勇者が関わっている……間違いない……」
ここにきて、トドメとなる勇者確定の情報にアウルムは目の色が変わった。
「じゃあ、イブ・ワースは普段はヘンリー・J・レイモンドって名乗ってるんか……だとしたら男やな」
「いや違う。アダム・ワース、ヘンリー・J・レイモンドとはウォクトラムのことだ。やって来たことが類似している。それとアダムに対をなすイブという名前。
イブ・ワースは女の可能性がグンと上がった。自分の目的の為にウォクトラムと手を組んで人身売買に関する仕事をしていた……いわば、ペアの犯罪者だったんだ」
「ウォクトラムとイブ・ワースが手を組んで人身売買をした先に何の得があるのか……気になるなこれは」
「ああ……興味深い。貴族制に打撃を与える作戦とは一体何なのか……テロとして自爆する兵士の大量生産……とかはあり得そうな話だ。そして彼らは既に国内中に潜伏している……なんてな」
「うぉ〜それがマジならやっぱシャイナ王国って泥舟やなあ〜、ちょっと穴空いたらすぐに沈むで」
「何を他人事みたいに言ってるんだ。俺たちの活動の為にも国が荒れるのは迷惑なんだよ。止めるぞ……俺たちで」
「せやな……仲間もいる国やから滅びてもらったら困るわ。よし、いっちょ国を救いますか……先を急ぐでッ! ハァッ!」
シルバは馬の腹を蹴り、スピードを上げて走り出す。アウルムも頷き、シルバを追って止めていた馬を走らせワース領へと向かった。
***
「ここら辺か?」
「地図ではそのはずだ。大きな木の下に印があってそこが境界線だが……」
通常、詳細な地図は機密情報であり、公開された情報ではない。技術として測量は可能なのだが他国と戦争をしている過去もあり、現在でも領地間の争いはある。
ただし、徴税などに関してはその地図情報が必要であり、ごく限られた許可を得たものだけがそれにアクセスが出来る。
今回、アウルムとシルバにはキラドが内密にその地図が渡されていた。もちろん、国全体ではなくワースの土地周辺のものではあるが。
「もしかして、あれか?」
「あ〜あれだな。気をつけろここからは敵の土地だ」
王都を出発して3日目、ようやく目的地に到着する。周辺の雰囲気や怪しい情報などを収集する為、やや遠回りをしていた。
何のプランも無しに突進するのは近道のようであって、かえって遠回りな上に危険も増す。
移動劇団が巡行中だという情報も手に入り、ワースという貴族を近くに住んでいる人間すら知らなかったという確証も得られた。
目印となっている一際大きな木の下に、目立たないように置かれた石像がある。そこから先に針葉樹の並木道があることから、定期的に人がここを通っていることは察することが出来る。
「一本道……進みたくないなぁ」
「ここからは歩きだ」
馬から降りて、アウルムは一度『虚空の城』の入り口を作成する。馬はササルカの基地に移動させ、徒歩で並木道の端を進む。
移動中は出来るだけ木の陰に隠れて、見つからないよう細心の注意を払い、罠にも警戒する。
今は夜だが、幸い月が出ているので差し込む月光が視界を確保してくれていた。
加えて、アウルムとシルバは肉体が日本人のものではない。この世界に来てすぐに驚いた自身の肉体の変化の一つとして、暗い場所がやたらと見えることである。
実際、日本人が海外の映像作品やゲームに触れた際、夜のシーンが暗過ぎて何が映っているのか分からないことがある。
あれは日本人には見えないだけで、作っている人間には見えているのだ。光に対する感度が違う為、日本人が思っている以上に夜でもハッキリと見えている。
故に昼間は眩し過ぎてサングラスが重宝されているという面もあるが、今のような夜には都合の良い目となっていた。
「妙だな……私兵の類がうろついていてもおかしくないが」
「それどころか人の気配がまるでないねんけど……」
「警戒するのが馬鹿らしく思えるほど不用心だな。そもそも誰も来ることはないと思っているのか?」
「いや〜でも、迷ってたどり着いてしまう可能性もあるから、それはいくらなんでも間抜けやろ。慎重に、巧妙に仕事やって来たから今までバレてないんやし……」
「そうなんだよな……ん? 花の匂いがするな……」
「ん〜? するか?」
「ああ、確かにする……もう少し先だろうがな」
嗅覚の敏感なアウルムが花の匂いがすると言い出して、スンスンと何度が鼻を鳴らす。シルバも真似して嗅ぐが感じるほど強い刺激はない。
5分程、道を真っ直ぐに進むといきなり開けた場所にたどり着いた。
「うわぁ〜凄え……綺麗やなあ……」
そこは一面の花畑だった。深く青い静かな夜空の下に淡い色彩の様々な花が咲き乱れる。
色とは光の反射する波長の違いであるが、明るい花はまさに光を反射してるのだと思い知るほどに月光で輝いていた。
「幻想的だな。こういう景色を見ると異世界なのだと改めて感じる」
花の一部は実際に発光しているのだ。その花は冬の寒い地方にだけ咲く『冬月照花』と呼ばれる貴重な素材でもある。
思わず2人は足を止めてその光景に見惚れた。警戒は怠っていないが、非現実的な景色を前にして日々の毒気が少し抜かれてしまった。
そんな時、風が吹きつける。
風によって花びらが空に舞い、乱反射して音楽ライブの銀テープのようにも見え、アウルムとシルバがここに訪れたことを祝福しているようだった。
「気持ちいい〜! あ〜なんか涙出そうなるわ……」
「確かに、今の瞬間は心が動かされ……」
空を見上げてシルバは鼻の奥がツンとするほどに感動を覚え、アウルムもそれに同意する。だが、アウルムは最後までは言わなかった。
「シ、シルバ……おかしくないか?」
「あ? 何がや?」
「今の『風』だッ! 物凄く心地良かった……それには同意するッ……! だが、変だぞ! この季節の風にしては冷たくなかった……いや、むしろ『ぬるい』ッ! ぬるい風だったッ……!」
「ッ! 確かにッ……!」
僅かな違和感をも見逃さなかった。心を風景の美しさに奪われても、少しでもおかしなところがあれば反応してしまう職業病が役に立った。
明らかな異変。そして、悪いことの前兆である。
「急ぐぞ、今のが攻撃だったのなら、既に何かされている……! すぐに変化が訪れないということは遅効性の攻撃だ、グズグズしていたらこっちが一方的に不利になるッ!」
2人は走り出す。どこに向かえば良いのかは分かっていた。
その視線の先には煙突から出る煙がある。つまり、誰かが火を起こしているのだ。家があるのだ。
そして、そこには寒さに耐える人が絶対にいるのだ。
いる……誰かがいる。近づくにつれてどんどん人の気配が増していく。
「こんな夜中に客人とは珍しい」
「ここはワース家の敷地だが……迷い人であるか?」
「その装束、冒険者とお見受けするが」
「珍しい花でも盗みにいらしたか……」
大きな屋敷があった。花畑を進むとまた並木道があり、そこを抜けると更に大きな花畑が広がり、蜜蜂がブンブンと羽音を鳴らしながら飛び回っている。
そこに4人の男が立っている。間違いなく護衛。
侵入者を排除するこの土地の守り手である。彼らは非常に穏やかで柔らかい口調。上から目線の騎士とも野蛮な冒険者とも違う独特な雰囲気。
白く光り輝く甲冑を身にまとい、髪は耳の後ろ部分を三つ編みにした特殊な髪型。
「こいつら……修道兵だ!」
「やっぱズブズブやなぁ」
修道兵と聞いてシルバは思わず笑いが込み上げる。神の教えがどうだとか、街中で偉そうな説教をしている連中も結局はこれ。
犯罪者と絡み、信仰を実践する為の資金にする。では、何の為の信仰なのか、本末転倒ではないか、筋が通ってないのではないか、シルバは常に感じている。
だが、彼らは彼らの独自のロジックによって一貫性があると信じている、シルバとはまるで価値観の違うものたちであり、話も通じない。
よって、シルバは会話はしない。問答など時間の無駄なのである。
──故にコミュニケーションは戦闘によって行われる。
シルバは剣を抜く。専用のロングソードを二振り。
名匠バルバランによって鍛えられたその銘を『アシュヴィン』、二つで一つの黒い剣。
この剣にはシルバが使うならではの性能がある。素材はミスリルで耐久度という点ではアダマンタイトに軍配が上がるが、魔力の通り、付与の効果が高い。
シルバには『非常識な速度』というユニーク・スキルがあるので、耐久性は無視してよい。タイムラグなど感じない速度で即座に修復が可能である。
更に、剣全体に『非常識な速度』の効果範囲を行き渡らせることが出来、切った相手の傷を高速で化膿させ、腐らせる。耐久戦、持久戦が得意なシルバと戦う相手は一方的に削られ続ける。
アウルムもカドゥケウスを構えた。
1vs2を2組のような闘い方はしない。シルバの前衛、アウルムの後衛による殺人に特化した本気の戦闘スタイル。
「まあ、ここに来た以上、迷い人だとしても生きて帰れないのは事実ですからね」
「その判断は残念ですが……」
「正しくはありますね」
「では始めましょうか」




