9-4話 傷ついた勇者
失敗した。シルバは目の前の光景を見て、ギリリと音が鳴るほどに歯軋りをする。その強さのあまり、歯が一部欠けるほどに噛み締めていた。
数十秒程前のことである。ヒカル・フセとの念話によるやりとりを詳細に聞き取った後、躊躇いながらもホシノに絶対に聞いておく必要があった質問をした。
「──もし、今後彼から直接的に勧誘された場合シャイナ王国を裏切り、あちらにつきますか?」
「はぁ……その質問に……何の意味が? そのつもりなら、正直には答えないし、正直に答えた場合あなたを生かしておく理由がない……」
ホシノは額からダラダラと汗を流しながら答える。
「いえ、仕事なので意思の確認というのはやっておかないと、こちらとしても問題ですのでね」
「そのつもりはありません……」
「では……家族が人質になっても、あり得ないと言いきれますかね。家族を殺すと脅されて、それでもシャイナ王国を裏切り……敵対しないという当初の約束を守りきれますか?」
極端な話ではある。だが、ヒカルならばやりかねないとも考えられる。そんな選択を迫られた時のホシノの反応は知っておかなくてはならない。
今回の調査の目的はまず、敵ではないか。そして可能であれば味方に引き込めるかどうか。
打算的ではあるが、ホシノの家族を人質に取られてもなお、裏切らずに徹底してシャイナ王国と共に戦うのか、キラド卿派閥に都合の良い存在となるのか。
その可能性を検討する為の情報収集が任務である。
アウルムとシルバとしても、ブラックリストではないか、ブラックリストではなくとも殺す必要のない安全な勇者かどうかを判断する必要があった。
避けては通れない質問である。
「家族が……殺され……裏切り…………違う……しない! そんなこと僕はもう……しないッ! しないしない……嫌だ嫌だ嫌だ……傷つけたくない……!」
(ん……?)
──異変。
シルバの質問に回答している、と言うよりは自分自身に言い聞かせるように小声で何度も繰り返して語る。
汗、顔色、身体の震え、明らかな精神状態の悪化兆候が見られ始める。
フワリとシルバの前に垂らした髪が浮き、風が頬をくすぐる。
密室、隙間風の入る余地のないしっかりとした建て付けのホシノの私室で発生した風。
「グッ……ハァハァ……ちょ、調査官……離れて…………くれッ……マズイ……ユニーク・スキルが……」
「お、おい……大丈夫か……」
「早くッ……妻と子供たちを避難させ……グォアアアアッ……!」
微風が次第に強くなり、それと共にホシノの様子もおかしくなる。彼を中心に風が巻き付くように発生してシルバは引っ張られるような感覚を覚える。
(これは……ヤバいッ……!)
シルバはすぐに部屋を出て、家にいたホシノの家族に避難を促すッ!
「ホシノ殿が暴走しかけてる今すぐ出ろッ……!」
「ソラッ!?」
「ソラに何をしたのッ!?」
「そんなことより今は早く逃げろッ……!」
シルバを責めるような目で妻たちは見るが、行動は迅速だった。慣れた動きで家を飛び出しながらシルバに悪態をついていたのだ。
一際大きな音が鳴り、家の2階。ホシノの私室があった部分から空に向かって巨大な竜巻が発生する。
感情によって溢れたエネルギーを何とか被害が最小限に収まる上方向へと逃したのはまだ良かった。
「ヌゥッ!」
飛来する家の瓦礫をシルバは風魔法を乗せた剣圧で弾き返す。
肝心のホシノであるが、天井から飛び出して、空中に漂って苦しみ悶えているのが見えた。
「何があったッ!?」
「トラウマを刺激してもうたみたいや……」
「やはりそうか……」
「やはり? お前、こうなることが分かってたんか!?」
シルバは思わず駆けつけたアウルムの胸ぐらを掴む。
「違うッ! 彼女たちの話を聞いていて、その危険性があると気がついたんだ。それとほぼ同時の出来事だ! こうなることが分かっていたら質問の内容も変えていたッ!」
「チッ……そりゃタイミング悪いで、おい……どうするんや」
やり場のない怒りから舌打ちをしてホシノを睨む。
「……彼がこうなるのは今回が初めてか?」
アウルムはホシノの妻たちに問いかける。彼女たちは苦しそうな顔をして黙る。
「初めてじゃあないんだな……ということは、彼がこんな辺鄙な土地にひっそりと住んでいるのは……不安定な精神から時々暴走し、その際の周囲への影響を考えてか……檻とはそういう意味だったか」
「ッ! 寝る場所はこの家じゃあないって言ってたのはもしかしてそういうことか……!?」
アウルム、シルバはお互いの得た情報から現在の状況を理解する。
「……夫は……ソラは夜驚症です……一体あの人に何をしたんですかッ!? こうならないように穏やかに生活していたのにッ……」
睡眠中に突然パニック状態となり、恐怖で暴れてしまう病気。
普通は子供によくある症例であるが、ホシノの場合は戦争によるトラウマ、ストレスが原因であることはアウルムとシルバであればすぐに察せられる。
戦争帰りの兵士などに見られるPTSDの症状とも言える。
今回は睡眠時ではないが、元々精神状態が不安定なホシノに対してトラウマを想起させるような質問をシルバがしてしまった為にフラッシュバックが発生した。
結果、勇者の暴走というとんでもなく危険な状況が起きた。
「仕事で国を裏切るかどうかの質問をする必要があった……こんなことになると分かっていたらしない……! 過去の調査官め、適当な仕事をしやがって……」
与えられた過去の調査資料にはホシノに精神疾患があるようなことを察せられる内容は書かれていなかった。
厭世的ではあるだろうとは思っていたが、ここまで悪い状態だとは分かるはずがない。
アウルムは他の調査官の杜撰な仕事に腹を立てる。
「彼がこうなった時はどうしているんだ!?」
「普段は彼は魔封じで拘束された状態で家から少し離れた地下で寝ています……起きた時にここまで酷い状態になったことはありません……」
ネビィの答えは実質、こうなってしまっては止める方法がないと言っているのと、ほぼ同じであった。
「わ、私ッ! 魔封じを取ってくるのですッ!」
ナップスはハッとして慌ててホシノの寝る場所にあるだろう魔封じを取りに走り出す。
「とにかく離れろッ……危険や……!」
「でも止めないと……」
「あんたらが傷つくことはホシノ殿の本意ではない……!」
シルバは手で彼女たちを離れるようにと手で追い払うが動こうとしない。
「それは俺たちがやるしかないだろう」
「調査官2人にソラが止められたらあなたたちは勇者と同格ということですよ!」
それはそうだ。こんな時に笑っている場合ではないが、客観的に見ればイカれたことを言っていると思われるだろうなと、鼻を鳴らす。
アウルムとシルバの実力を知らない彼女たちからすれば、調査官風情が何を無謀なことを言っているのだと思われて当然である。
「殺し合いならば、そうだろうが……何も真正面から戦うとは言っていない。彼の力の向きを誘導して落ち着いたところを拘束するッ!」
「まあ、そういうこと……なあ、今あの状態のホシノ殿に攻撃した場合、やり返してくるか!?」
「錯乱状態になったソラに触れることすら危険です……間違いなく自身を守る為に反撃して来ます。それもとんでもない威力の攻撃でもって、ですよ」
ネビィは絶対にやるべきではないと、シルバを制する。むしろ懇願に近い。村ごと吹き飛ぶ危険性すらあると言う。
「……森や! ここに来る途中、不自然に木が薙ぎ倒されてた場所があった! あれはもしかして……?」
「……そうです、ソラは感情が不安定になった時、それを発散する為にここから離れた場所で力を使います」
「なら、そっちに誘導して被害を最小限に防ぐしかないだろう。君たちは村人を避難させてくれ、こんな村なんだ、こういった事態を想定して隠れられる場所くらい作っているんだろう?」
「ッ!? 何故それを!?」
シェルターのようなものの存在を見抜かれてネビィ、他の妻たちも驚く。知っていたわけではないが、自身の危険性を理解してこの村を作ったのであれば、それに対しての備えをしているはず。
ソラ・ホシノとはそういう人物であろうと分析をしたに過ぎない。
「そんなものを作ったところで、別に罰したりはしない。あるなら避難させてくれ君たちの実力じゃあここにいるだけでも危険だし、同時に守るのも無理だからな」
「どっちかって言うと怒られるの俺らの方やろ」
「確かに……」
「魔封じッ! 取って来たです!」
ナップスがジャラジャラと鎖のついた魔封じを小さな身体で引っ張りながら戻って来た。
「後は任せてくれッ!」
「私たちも行きますッ!」
「避難指示をしろ! 俺たちがこの村の人間に命令しても受け入れ難いだろう! それぞれに適切な役割がある!」
シルバはナップスの魔封じを引っ掴み、森の方へと駆け出した。
それについて行こうとするネビィや妻たちをアウルムは腕で止める。
「でも……あなたたちだけでは!」
「……」
アウルムは水の巨大な壁を展開する。このすぐ後に来る熱波から彼女たちを守る為に。
森の方から光の筋が走った。轟音と共に爆発の閃光と熱が発生する。
シルバが投げたのは爆裂槍。パイド・ライダーの少年たちが使用していた接触と同時に爆発する武器である。
普通の人間に対してであれば、殺傷兵器となるが勇者に対しては注意を向ける程度の威力しかない。
続けて2発。追加で投げ込まれる。
爆発の音と熱風、またそれを防ぐ広範囲の水魔法。
これだけ見せれば、2人がただの調査官ではなく、ある程度やれる人物なのだと分かる。
アウルムはその認識が出来たと判断した時点で魔法を解除して、シルバを追った。
ホシノを纏う竜巻は自動で、その槍を迎撃する。無意識の防衛によるものだが、パニック状態のホシノは身を守るべく、攻撃してくる何かに対して意識を向けた。
すぐに森の方へと飛来する。
飛行魔法、重力魔法、風魔法、空を飛ぶ手段は基本的にこの3つであり、先天的に飛ぶ能力を持つ種族とユニーク・スキル、恩寵持ち以外は飛行出来ない。
瞬間的に浮くことは可能であるが、飛行そのものを移動手段とするには制御が難しく、魔力消費量も効率が悪いので、空中戦闘というものは基本的にない。
現実的には落下時の激突を防ぐようにして使われる。
ホシノの飛行はユニーク・スキルにより『浮く』というよりは風で無理やり『持ち上げている』が正しく、3つの竜巻を見に纏い絶妙なバランスで操作して移動している。
どう見ても効率の良い飛び方ではないが、事実飛ぶことが出来ている。それもかなりの速度、精度で実現されている。
後どれくらいそれが持続可能なのか、ホシノが落ち着くのかは初見のアウルムたちには分からない。
(距離と時間を稼がねえと……)
「どうだ?」
「あいつを中心に発生してる竜巻が攻撃と防御兼ね備えてて、加減してるとか関係なく有効な攻撃は無理や。まず、そのレベルの威力の攻撃は届かん」
走りながら時々反転し、爆裂槍を投げ込むシルバと合流したアウルムは状況を確認する。
そう、注意を向けることは出来ても攻撃手段がないのである。
地面から空への攻撃は届かせることが難しい。高所が有利であるというのは戦闘において基本であるが、制空権を取られると厄介なのは明白だ。
加えて、飛行するモンスターと大きく違うのは防御力の高さと、空から一方的に繰り出される旋風の攻撃。
移動、攻撃、防御、全てにおいて高水準であり、隙がない。
会話、意思疎通が不可能なこの状況においてはシルバの『破れぬ誓約』、アウルムの『現実となる幻影』による攻撃は通用しない。
──強い。
ソラ・ホシノ、通称『天災』はその圧倒的な攻撃力とその攻撃範囲の高さから、戦時中に猛威を振るった純粋な戦闘タイプ勇者。
『勇者討伐序列』、第5位。伊達ではないのだ。
故にキラドが協力者として欲しがった。敵に回るにはあまりにも強大な力、何としても仲間もしくは中立にさせたい存在。
それが今、剥き出しの暴力としてアウルムとシルバを襲う。
「『不可侵の領域』は使えるか!?」
「無理無理ッ! さっきやろうとしてマーカーが一瞬で吹き飛んだッ! 俺の動きに反射的に攻撃してるから投げたナイフに向かって竜巻ぶっ放しよるわ! あいつ確保するなら範囲指定もデカくせんとやし、現実的じゃあない!」
「精々が俺たちが逃げ込める安全地帯としてか……」
「どうすんねん!? ノープランやろ!?」
「当たり前だッ! こうなる予測が出来てたらそもそもこうなるような動きをする訳がない! 走りながら考えて村から出来るだけ遠くに移動するしかないッ……うぉっ!?」
「大丈夫かヒョロガリマッチ棒ッ!」
竜巻の力で、アウルムの身体が一瞬フワリと浮いた。油断すればミキサーのような竜巻に引き込まれてしまう。
シルバはアウルムの服を掴んでやや前方に投げ込む。
「近付いて来てるぞ! バイクだ! バイクだせ! 普通に走ってたら追いつかれるッ!」
「『車生成』ッ! よっしゃあ乗れェッッッ! ……にしても休暇明け早々の仕事にしてはエグ過ぎやろおおおおおおッ! ヤバいッ! 持っていかれるぞッ!」
走りながらシルバはバイクを召喚すると共にエンジンをかける。だが、ホシノの竜巻はドンドンと近付きタンデムした2人を持ち上げる程の距離まで接近していた。
「俺が後方にデカい魔法ぶっ放すッ! その反動で距離を稼ぐッ!」
「了解ッ! やったれッ!ニトロブースターやああああッ!」
アウルムは運転するシルバと背中合わせになるような乗り方をして、爆発の衝撃から生ずる反作用を使い、一気にバイクごと前方へとジャンプし、30m程吹き飛んだ。




