9-2話 ホシノ領
馬車に乗り、一見すると商人にしか見えない格好で2人は森の中を進む。
「治安悪なってんな……」
「どうせ捕まらないって思われてる。警備局も舐められたものだな。……にしてもさっき通った場所、木が根こそぎ薙ぎ倒されてたが台風でもあったんだろうか」
「さあ? 木こりが木材にしてるんちゃうの」
「厄介なモンスターがいるという報告は受けていないが少し気になるな。野党が根城にしているとしたら更に厄介だ。また襲撃があるかもな」
ここに来るまで約2日の道のりだが、野党の気配が数度あり、1度は襲撃を受けた。
「そりゃ、護衛なしで2人の馬車やからなカモに見えるやろうけど、俺なら逆に何かあると思って勘繰るわ」
「困窮した農民崩れの野党がそんなことまで考えるかよ」
「農民でもその認識なら、いよいよ本格的にヤバいんちゃうか? 犯罪者や悪い貴族なんかは、ほとぼりが冷めたら動き出すやろ」
「ああ……実際動き出した犯罪者も多いからな。最近は強盗、人攫いが増えてるらしい。組織的なものだろうな」
「強盗に人攫いねえ……政権のゴタゴタは犯罪者にとっちゃ都合良いってか? そう言えばいたよな? ブラックリストに誘拐犯の容疑あるやつが」
「名前は不明だ。だが、シャンシーは噂を聞いたことがあると言っていた」
バスベガの三欲のうち、一角を担う商人シャンシーは幅広い情報網を持ち、大陸東部では顔が効く。
実質的な従属関係にあるシャンシー、犯罪者を統括するフォガスト、この2人から得られる犯罪関連の噂は数え切れないほどに膨大である。
「あのキモイおっさんか……あいつ、俺らを見る目恐怖もあるやろうけど、ヤバないか? ずっと乳首こねてるし」
「キモかろうが、大商人なだけあって情報を精査する能力はかなり高い。亡国の宰相の家系の出だそうだ、国が滅び家も失って僅かな資金から一代で成功した人間だぞ、甘く見るな」
「それはそうなんやろうけど……ッ! アウルム」
「分かってる」
シルバは御者台の右側に座るアウルムの前に右腕を広げて、危険を知らせる。
手綱を握っていたアウルムはすぐに馬車を停止させた。
「囲まれてるな……いや、来た道だけ残して囲みつつあるな。ただの野党じゃあなさそうやで」
「まあ、十中八九ソラ・ホシノの関係者だろう。来ると分かっていれば俺たちに弓や魔法の遠距離攻撃は効かない。慌てる必要もないし、敵対的だと思われる行為させしなければ問題ない」
アウルムは涼しげな顔のまま、ゆっくりと両手を上げて、抵抗の意思がないことを示す。シルバもそれに倣い、手を上げた。
「ここから先はホシノ領だ。たった2人で移動して道に迷った商人などという弁解は出来ないと思え」
どこからか、森の中で反響して位置が特定出来ないような声が聞こえる。女の声だ。
「我々は国家治安調査官だ。定期的な調査に来た、代表者のソラ・ホシノ殿に面会願いたい」
真っ直ぐ、正面を見つめ周囲を探る素振りを見せないまま、アウルムは答える。
「証拠を見せろ」
少しの沈黙があった後、また声がする。先ほどとは違う声の主であることは分かったが、また女の声だった。
「首飾りを見せる。服に手を入れるが、攻撃はしてくれるな」
「良いだろう……だが、お前が隣の者の首飾りも見せろ」
アウルムは左手で首飾りを服から出して見えるようにわざとらしく、ブラブラと揺らす。
そしてシルバの服の中に手を入れて首飾りを取り出す。
「アハァン」
その時、首飾りが乳首に擦れてシルバはふざけた声を出した。間髪入れず、弓矢がシルバのこめかみめがけて飛来する。
シルバは予備動作や反応もなく、僅かに上げていた手を握り、矢を掴んだ。
「ご丁寧な歓迎なこった」
「いや格好つけたつもりか、そりゃお前のせいだろ」
「お前が変なところ刺激するからや」
変わらず視線は正面に向けたまま、アウルムとシルバは会話する。掴んだ矢を離すと御者台にコロンと音が鳴った。
「殺気も込めたとは言え、矢に動じず防ぐか……知らん間に王国の調査官は質が上がったのか?」
「それに知らない人たちですよ〜? 前来た人は髭が生えた赤髪の人だったような気が〜?」
草木をかき分けて、姿を現したのは20代前後の女性が3人。いずれも迷彩柄で素肌の露出が多い服装をしていた。
(どんな格好やねんッ! お色気ニンジャかよ、肌見えてる部分多いから迷彩の意味ないしッ! アホくさ……ソラ・ホシノってやつは変態なんは間違いないな)
彼女たちの服装から、なんとなくこの先にいる勇者の人物像が見えてきたシルバは口角をヒクつかせる。
「もう腕は下ろして構わないか?」
「良いですけど、妙な真似したら死にますよ〜?」
「こちらは仕事をしに来ただけだ」
背の低い、甘ったるい声と喋り方をするクナイを持った赤髪の女はウインクをしながらアウルムに忠告する。
「職務上、事前通知が不可能であり驚かせたのは申し訳ないが面会は可能か? 今日でなくとも構わないが、突然の訪問の非礼を詫びる品だけでも受け取っていただきたい」
「お気遣い、感謝します」
背の小さい女の隣に立つ、ウサギのビーストの女性はお辞儀をした。
「荷は改めてもらって構わない。帰り際に水と食料を少しばかり売ってもらいたい」
「どうぞ、こちらへ」
軽く、荷馬車の中を確認されたが、実際に商人が運んでいてもおかしくない食べ物や衣類などが入っているだけであった為、案内されることになる。
「ようこそ、ホシノ領へ」
しばらく進むと森の中に巨大な壁が現れ、複雑な彫刻のされた木の門を潜ると、小熊族の村を彷彿とさせる長閑な景色が広がった。
道は石で舗装され、平坦。馬車に伝わる振動が一気に無くなる。木で作られた家々が並び、黒い土の畑と作物が見えた。
「あ〜どうもどうも、こんな格好ですみませんねえ。領主のソラ・ホシノと、妻、それに子供たち、我が家の家族です」
少し先で並んだ集団の前で馬車を止めると挨拶をしてきたのは、小柄な日本人の顔立ちをした男。
妻たちは顔が整っているが、ソラ・ホシノは日本人的感覚から言えば、不細工の部類に入るだろう。
一見すると釣り合っていないようにも思えるが、距離感や表情、ボディランゲージから関係性は良いように思える。
ギュッと強く目を閉じる癖のあるまばたき、それに回数が多いことに対してシルバはたまにこういう人いるよなと思いながら眺める。
だが、それは家族間の話であり、外から来た2人に対しては警戒が現れていた。
農作業中だったのか、ツナギを着たホシノは土で顔が汚れており、タオルで顔を拭った。
「ほら、調査官さんに挨拶して」
5歳くらいの少女が子供の中で一番歳上らしく、ホシノは彼女の肩に手を置きながら、挨拶を促した。
「こんにちは……ルルです」
「良くできたね、すみません恥ずかしがり屋さんで」
「こんにちはお嬢さん」
「こんにちは」
アウルムとシルバは愛想良く彼女に対して挨拶を返す。上手く挨拶が出来たようだと理解した彼女は父親であるホシノの顔を見上げる。
そんな娘の頭を撫でるホシノは父親そのものであった。
その光景にアウルムとシルバは少なくない動揺を感じる。この世界に転生してから、前の世界ではあり得ないことを沢山経験した。
だが、この今見える光景が一番非現実的に思えた。
この世界で生きる日本人。全く異なる人種と結婚し、子を成して、父親として生きる勇者は普通であるが、今まで見てきた勇者の中では逆に異常とも言える。
あまりに馴染み過ぎている。
しかし、その目の奥には自分の家族を害するのであれば殺すという戦場を経験した勇者特有の鋭さも秘められていた。
「僕の家へどうぞ、田舎なので大したもてなしは出来ませんけど……ああ、そうだ、お荷物お預かりしますよ」
「いえ、お構いなく。他者に触れさせることを禁じられた書類などもありますので」
「あ〜、それはそうですよね申し訳ない。触ってはいけないものもある……機密、ということですね」
ホシノはペコリと頭を下げて、アウルムとシルバにかえって気を使わせてしまったことに対する謝罪をする。
自分を大きく見せない、相手を気遣う仕草など、典型的な日本人の行動をそれなりに長い間この世界にいるにも関わらず見せることからアウルムはプロファイリングをする。
(5年以上全く違う世界で生活をしているのに、日本人的な行動を変えない、また村の住民も似たような動きをする。建物こそ違うが、日本の村社会を辺鄙な場所に構築するということは自身の生まれに対して誇りを持っている。割と自尊心が高いな……それに排他的だ、説得に応じるようなタイプではないか)
そのプロファイリングは念話により、タイムラグなしにシルバと共有される。
アウルムの分析に対してシルバも独自に感じたことを伝える。
(子供と手繋いでたり、肩に手を置く仕草から、俺らに対して警戒はかなり強いぞ。荷物の預かり拒否して更に警戒は上がった。妻全員がホシノから一歩引いた距離感……優柔不断なハーレム男というよりは亭主関白な家庭を構築してるんちゃうか)
(そこは元奴隷という関係性に起因しているのか……? 分からんな、情報が足りない。俺はこの領地を視察する。お前はホシノと会話して、どんな人間かを探れ)
会話以外から読み取れる身体的な言語も見落とさない。ホシノはこの土地においての強力なリーダーとして振る舞っていることが、僅かな時間で分かった。
小規模のコミュニティ、それも安定のしない時代や場所においては民主的な統治よりも優れた個による統治の方が上手くいく場合がある。
このホシノ領においても、勇者であるソラ・ホシノは一定の尊敬を集め、日本人社会ではあまり目立たなさそうな雰囲気でありながらもカリスマ的指導者として君臨している様子から、見た目や言葉遣い通りの性格ではないことが伺える。
一際大きな家、といっても貴族の屋敷というほどではなく、せいぜいが都会の多少成功した商人の家レベルの建物がホシノの自宅らしく、そこに案内される。
見栄や威嚇の必要がない閉鎖的な土地においては十分な、落ち着いた色合いの赤い屋根の建物だ。
庭の芝には手入れが行き届いており、外観は綺麗。問題はなさそうな、ごく平凡かつ平和な雰囲気が伝わる。
玄関先のポーチには椅子とテーブルが置かれ、埃が被っていないことから、定期的に使用されていることが分かる。
日本というよりはアメリカの田舎の家屋という見た目で、これが戦いの果てに隠居した勇者の理想の暮らしの一つなのかと、アウルムは横目に観察した。
「ああ、うちは二足制なんですよ。お手数ですが、靴は脱いで上がってください」
(シルバ、間違えても靴の向きを揃えるなんて真似はするなよ)
(いや……それよりもこうするべきや)
「大丈夫です、勇者の方々の国ではそれが一般的な文化だと聞いてますので……確か、こう……するのが礼儀でしたか?」
シルバはブーツを脱ぎながら、敢えてそのブーツを掴み、つま先を玄関の方に向けて揃えておいた。
これは勇者の文化を尊重し、こちらから歩み寄る姿勢を持っているというポーズ。
普段は日本人的な行動は出来ないが、今回はその知識を意図的に利用して心理的距離を埋める。
なるほど、とアウルムも感心しながら靴の向きを揃えた。
「これはこれは知ってくださっているとは嬉しいですね……おや、どうしました?」
アウルム、シルバは靴を脱ぎ、向きを揃えたが玄関から上がろうとはしない。それを見てホシノは不思議に思い声をかける。
「いえ、恐らくは汚れを家の中に持ち込まない、掃除をしやすくするという配慮から生まれた文化……であれば、旅で汚れた足で家の中に入っては意味がないのではと思いまして」
「……!」
そんな少し困った顔を見せたシルバの言葉を聞き、ホシノは僅かながら、目を開いて驚きをあらわにした。
そこまで相手のことを気にするこの世界の人間はいなかっただろう、形式ではなく、その意図するところへの理解。
完全に虚をつかれた。ホシノはこの2人に対して普通の調査官ではないと理解しながらも、警戒よりは親近感を覚えてしまう。
「すみません、色々気がつかなくて……そうですよね、ここから王都まではそれなりに距離がありますし汚れているのも当然……どうです? まずは風呂にでも入って旅の汚れを落としていかれるというのは? 話はその後いくらでも出来るでしょう」
「風呂……ですか、いや、しかし、わざわざ湯を沸かすのも手間でしょう。足を洗う桶と布でも頂ければ十分なのですが」
「はは、江戸時代の旅人みたいなことを言いますね、ああ、いえなんでもないです、こちらの話です……僕にはユニーク・スキルがありますから然程手間でもないんですよすぐに用意します。お互い、ある程度は腹を割って話さないと何も意味ないでしょうし、そういう点では風呂は向いているので得意です」
「「?」」
アウルムとシルバは『エドジダイ』とはなんだ? と言わんばかりの表情を作る。息があったもので、日本の知識に対してしらばっくれることも可能だ。
(俺たちのプロファイリングにフロファイリングで対抗か)
(アホなこと言うてんなよお前)
基本的にはシルバに任せて黙っているアウルムのくだらない念話にシルバは思わず笑いそうになってしまった。
***
ホシノの家のすぐ裏手に大きな風呂専用の建物があった。脱衣所には体重計のマジックアイテムがあり、この空間はいかにも日本の風呂屋という雰囲気で、シルバは窓から見える景色とのギャップに不思議さを感じる。
「ここは領主のホシノ殿の専用の浴場ということですか?」
「いや、まさか。この村の皆が使えるんですよ。今日のところはお2人がいるので、他の皆には使用を遠慮してもらいますがね」
どういう訳か、ホシノまで一緒に風呂に入ろうとする。
アウルムとシルバはそれを固辞したが、勝手が分からなくては困るし、妻や調査官に慣れない村人に相手させる訳にもいかないということで説得された。
恐らくは監視、そして様子見であろうということは分かるが、距離の詰め方が独特であり、思惑が分からない普通のこの世界の調査官であれば面食らってしまうのはまず間違いないだろう。
そんなことを考えながら2人はホシノに促されて服を脱ぐ。
「荷物には触らせませんから……って、おお、凄い身体で……凄いですね」
「?」
ホシノは服を脱ぎながら、振り返りシルバの裸を見る。無数の傷が入り、筋肉で覆われた頑丈な肉体であるシルバを見て思わず声を上げた。
「あっと……失礼……人の身体をジロジロ見て感想を口にするべきではないですね」
「お気になさらず」
「元々は兵士か冒険者だったとか? 身体が鍛えられているということは、身体を鍛える仕事をしていたんでしょうね」
「すみませんが、我々の過去については開示出来ません」
(コイツ、飄々と間抜けなフリをしてやがるが、探りを入れてるな……油断ならん男だ)
ホシノの視線の動きは鑑定した時に見えるステータスを読む独特のものだった。
調査官、そして表の身分である冒険者の情報を読みながらカマをかけて、どの程度機密を漏らす性格なのかを探っているとアウルムは看破する。
まずは、髪、身体をこの領地で作ったという石鹸で洗い、偽装した旅の汚れを落とす。
ホシノの裸だが、ずんぐりとしてはいるが、太ってはいない。農作業などで自然についた筋肉があり、ガッシリとしている。また、傷もそれなりに多い。
明らかに戦闘を繰り返した人間の身体だった。
「ふ〜お湯と木の香りが良いですな」
ヒノキに似た香りの良い木で作られた浴場は仕事を一瞬忘れそうになるほど快適なものでシルバは声を出した。
「ははは、どこの国の人でも反応は同じなんですね」
「これはお恥ずかしい、そういうものですか」
そんなシルバを見てホシノは笑う。故郷の人間と同じだと。
「あ〜答えてもらえるのかは分かりませんが……他の勇者……皆の様子はどうですか?」
それで、ホシノはふと思い出したのか、勇者について聞きたがった。リラックスして、なんでもない雑談として話題に上げる。
湯から立ち上る湯気を見て、湯を手ですくい、パシャリと顔にかけ、まるで王都のゴタゴタなど知らぬと言わんばかりの表情だった。




