8-22話 秘密結社
更なる追っ手による奇襲には絶えず警戒がされていた。だが、20日間のゆっくりとした遠回りの旅の途中でトラブルらしいトラブルは発生せず、無事に一行はキラド領へと到着する。
アウルムは先触れ、そして偵察として2日早く馬を走らせてキラド領に到着していることになっているが、キラド領自体へは転移で一瞬で到着する。
実質4日間の偵察が行われたが、それらしき存在は発見出来なかったことから、一先ず、安全は確保されたと言えるだろう。
領主の帰還ともなれば、配下総出の出迎えとなるのが、普通であるが、非常時である為、ひっそりと街に入ることとなった。
街の入り口には表向き兵士、裏の顔はキラドのスパイと言う男が門番として検問を担当する。
誰がいつ担当するかについても、アウルムが事前に確認し、連絡をした上である為、キラドが馬車から顔をチラと見せるだけで確認は済む。
「行ってよし!」
兵士として自然な態度で馬車を街に入れることを許可した。
地下通路を使用して屋敷に戻ると、やっとキラドは一息つく。屋敷の守りは厳重であり、特にマジックアイテムと魔法で守られた私室へは侵入することは出来ない。
「長旅、ご苦労だった。皆一度着替え、風呂に入り食事だ。話はその後で良いだろう……今回は流石に神経をすり減らした……」
目の間をギュウと摘み、首を回すキラドの声に力はない。馬車での移動がそもそも疲れるものに加えて、いつ攻撃を受けるか分からないという緊張感は相当応えたようだった。
***
旅の汚れを落とし、綺麗な服に着替えた4人だけの食卓は静かである。
カトラリーの音が時々、カチャと鳴るだけで会話はない。
シルバは静かな空間である分、鳴らしてしまった音が異常に大きく聞こえて、少し唇を噛んで取り繕ったような表情をする。
キラドはそれを見て仕方なさそうに片眉を上げる。
貴族の食事は基本的に、食事中の会話は無い。主人が食べ終わらねば他の者が食べられないという性質、マナー等の問題があり、優雅でありながらも手早く済ませることが多い。
晩餐会などはまた例外であるが、自宅での食事はこのような形式が取られる。
デザートを食べ終わり、茶を入れられたタイミングでキラドは従者たちを下がらせる。
盗聴を防ぐマジックアイテムを使用して、やっとキラドは重苦しくも口を開いた。
「もはや、王都は信用ならん場所だ」
「……義父様ッ!?」
反逆の意図あり、そう取られてもおかしくない問題発言にヘルミナは耳を疑い、席から立ち上がる。
「話は最後まで聞いて欲しい、ヘルミナ。良いか、一旦粛清は終わったが、完全に信用出来る者だけが王都に残っているということではない。
王位継承、軍と対立、教会の癒着、他国の信用、戦争、どの問題も私に情報が集まり、それを握る私は以前から命を狙われてきた。
そして、各勢力に陰謀を企てる者がおり、その中のどこか……あるいは全てか、ヒカル・フセという国賊に情報を横流ししている者がいるのは間違いない。
ここにいる3人、そして数名の配下がいなければ私はノースフェリで死んでいた」
ノースフェリの街に入る以前から、そこを通ることを知っていたとしか思えないタイミングでの襲撃だった。
そして、それはキラドにとって比較的近い立場である者しか知りようがない。
王都にキラドが死んで得をする者がいるのは疑いようのない事実である。
「内通者が……? それは一体……誰なのですか?」
ヘルミナは目から鱗が落ちる思いだった。真偽官による調査、王国祭前後の行動の聞き取りなど、徹底されたものであり、多くの貴族が粛清された。
その粛清に直接出向いたのも騎士団としての役目だった。
国内の膿みは出し切れた、とヘルミナは思っていたのだ。
「それが、意図的に、かは分からぬがな。情報を抜き取る方法は、情報源本人すら気付かないということも珍しくはない。
まあ、それは普通であればだが、今回に関しては意図的にであろう。情報の扱いは王国祭以降より厳重になっているのだからな。それを指揮しているのも私だ」
キラドは茶を一口飲んでから砂糖を足してティースプーンでかき混ぜる。
「問題は誰が信用出来るのか、もはや分からぬということだ。こちらはじっくりとそれを炙り出してやるつもりで動いていた。
だが、その時間の猶予は与えぬというプレッシャーをかけられた。ヒカル・フセの狙いの一つはそれだろう。
誰が味方なのか分からぬように仕向けて国内を崩壊させに来ている。
その先に何があるのか……これに関してはまだ不明であるがな」
「ならばこそ、疑心暗鬼になり、王都の人間を遠ざけるのは愚策ではと……思うのですが……」
「それはその通りだ。だが、組織化された勇者と戦うには国が違う方向を向き過ぎている。
私……警備局が潰れれば、既に揺れる情勢は更に大きく傾くだろう。しかし、そうなれば、これ幸いと他国が攻めてくる。
この混乱により、利を得る者もいるのだ」
「戦争をする……軍……ヴィルヘルム殿下派閥、ということでしょうか?」
「それもまた、一つの勢力に過ぎんがな」
ティースプーンでかき混ぜられ、渦を巻く茶をキラドは見つめながら、ため息と共に答える。
ヘルミナはカップに入った茶を飲み干し、乾いた唇を舐める。
「……で? 本題はなんなんですか?」
「調査官の身分で……無礼ですよ、冬蝕」
ティースプーンでチンチンとカップを鳴らして質問するシルバをヘルミナは叱責するが、シルバは「すんません」と大して反省していない態度で椅子に深く腰掛ける。
今までの説明は状況を理解出来ていないヘルミナに向けてのものであり、シルバ、アウルムとしては当たり前の情報。前提でしかなく、その先の話をしてくれなければ話は進まないのだ。
「調査官……それは私だけが選んだ者ではなく、多派閥の有力者も独自に任命しており、完全に信用出来る者ではない。
警備局という組織自体が、命を預けるには不確かなものに成り果てている。
現に、私は情報の漏れた場所を警備局のどこかだと、疑っているのだからな。
今では近い親族と直属の配下程度しか信頼出来ぬ」
「では尚更何故、この2人の前でその話をするのですか?」
ヘルミナはシルバとアウルムをチラと見てから、今話すべき内容ではないと、言いたげだった。
「それは──」
「我々がどの派閥とも繋がっていないキラド卿が直接任命した調査官だからだ。そして、信頼出来る者だけの組織を新たに結成したい、そういう話ですね?」
キラドが答える前に被せるようにしてアウルムが喋る。
無礼であろうが、今キラドはシルバの『破れぬ誓約』に違反しかけていた。そうなれば行動の自由が奪われてしまう。
アウルムが自ら情報を開示しなくてはならなかった。
「そうだ。この2人は調査官の中でも確実に信用出来る者たちであり、利害は一致している。
そして、ここにいる4人……私の家族を含めたごく少数で情報を集め、見えぬ敵と戦うべきだと、判断した。
どうだ? 2人とも?」
自ら言ってくれて、助かると視線で礼を伝えながらキラドは続ける。
「そうですね……四六時中、あなたを守るのは不可能ですし、人手が足りないのは事実です。あなたが死ねばこちらも困る」
「まあ情報収集は可能として、防御でしょ? 勇者の襲撃にも対応出来る手練を集めんと、どのみちヤバいとは思いますけどねぇ」
アウルム、そしてシルバも消極的な同意の態度を見せるが、つきっきりでの護衛は不可能だと、その点については強調する。
「分かっている。信用出来る可能性のある者はリストアップする故、極秘の身辺調査を貴様らには依頼する。
勇者からの攻撃を防ぐには騎士団の各部隊長クラス、冒険者ではSランク……そして……」
「勇者、ですか」
そこまで言えばヘルミナも察したのか、ポツリと呟いた。
しかし、勇者と敵対している現状でこの世界の人間ではなく、勇者を味方に引き入れるのはリスクが大きいのではと、言いたそうだった。
「王国祭の一件で、勇者同士、全員が友好的な関係ではないことは分かっただろう?
そして、引き抜かれなかった勇者に関してはヒカル・フセと協力関係ではない可能性がある。
やはり一番に名が上がるのはカイト・ナオイとその仲間であるが、あれらは無理だ。関係が破綻しており、ヤヒコ・トラウトとの繋がりが多少あるのみで期待は出来ない」
「あっちはあっちで動くみたいですから邪魔にならない限りは好きにやってもらっても構わないでしょう。
有効に活用出来るだけ、まだマシと言うものです」
「あ〜キラド卿? 身辺調査は良いんですけど、俺らのことは基本的に内部の人間にも情報漏らすんは無しでお願いしますよ? 知ってる人間は少ないに越したことはないんですからね」
「それは分かっている。そして、今後はこの組織内で夏蝕と冬蝕の名を使うのはやめた方が良いだろう。
ヘルミナに関してもそうだが、組織、個人にも新たに暗号名を使わねばならん」
キラドは今回、アウルムとシルバの名をヘルミナの前で呼ぶことすらしない程警戒していた。
調査官の表の名など、ないにも等しい無価値なものであるが、2人が普段何をしているのかなどの質問にも答えなかった。
この旅の道中でもヘルミナの挙動はアウルムとシルバに観察させ、どこかに連絡を取るような行動をしないかなど、素行調査をさせた。
その上でこの話を打ち明けても大丈夫だと判断したキラドだったが、アウルムとシルバは今ではキラドの秘密兵器的立ち位置におり、ヘルミナが意図せずとも情報が抜かれる可能性はある。
既に表で使用されている『夏蝕』、『冬蝕』は使うべきではない。そして、『ヘルミナ』も使うべきではない。
シルバの『破れぬ誓約』により、口外が出来ないようになってはいるが、破ろうとしたその瞬間に行動不能となる。
これはそれを強いられる状況においてはヘルミナの命の問題もある。それは避けたい。
シルバとしてもその意見には賛成だった。
「組織名は……そうだな、平凡なものが良い。冬蝕、何か拠点となる店の名前を考えよ」
「俺すか? え〜……無茶振りやな、店の業種は?」
出来るだけ自分たちとは関係の無さそうな、関連性を見出されにくそうなもの、と考えたがキラドの性格上、意味のある名付けをしてしまいそうだった。
そこで、シルバならば突拍子もない間抜けなキラドらしくないものが出ると考えた。
予想だにしていなかった振りに、シルバ困りながら時間を稼ぐ。
「何でも良い」
「いや、良くないです。侯爵の貴族、騎士、冒険者、商人が出入りしてもおかしくない業種でないとダメです」
そこにアウルムが割って入る。話の流れから、どこかに店を作りそこを拠点とするつもりであろうが、お互いの立場にバラツキがある以上は無視出来ない問題である。
この世界の店、とは基本的に使用する客の身分が固定されるものが多い。
同じ服屋でも、貧しい平民が客の古着屋、貴族が客の古着屋、平民の金持ちが客の仕立て屋、貴族が客の仕立て屋、更に貴族のランクなどによる細かい分類がある。
下級貴族と王族の仕立て屋のクラスが同じはずがない。
そんな店にあらゆる身分の者が出入りしたのでは怪しいというレベルではない。明らかに変であり、目立つ。
どこにあってもおかしくなく、どんな客が出入りしてもおかしくない店である必要があり、まず業種を決めるべきだとアウルムは断言した。
キラドは貴族。そして上級貴族に入る部類であり、常識はあくまで貴族としての常識。庶民的感覚を持ち合わせておらず、上の者は変装さえすれば潜り込めるが、下の者は上の者がいる場所に入るのが困難である、という前提が抜け落ちている。
冒険者や勇者に協力を得ようとするならば、貴族ではないものでの入れる店でないとダメだ。
「では夏蝕、貴様が業種を決めろ……というよりは既に考えがあるのだろう、勿体ぶらずに言え。そして冬蝕が出来るだけ馬鹿げつつも、悪目立ちのしない店の名を考えよ」
「……なんか俺の扱い酷くないですかキラド卿? 刺客の勇者殺してますけど?」
「業種は会員制の酒や葉巻きを提供する遊戯場にするべきでしょう」
「なるほど、であれば客同士顔を合わせることもないよう仕向けても不自然ではないな。多少金を持っていれば身分を問う必要もないし、用意も比較的簡単だ。
勇者の世界の遊戯もいくつかは広まっているし、そこに勇者が来ても不自然ではない……偽装として友人の貴族とたまに遊びに行くのも良かろう」
「おーい無視?」
「私はさっきから空気と化していますがね……」
アウルムとキラドの間でどんどん話が進みシルバは無視される。アウルムとしては娼館がベストかとも思ったが、キラドの名が落ちるような提案は出来ないので、会員制のバーのようなものを妥当案として出した。
ヘルミナは先ほどから、黙って話を聞いていた。所詮は武人、所詮は騎士。名門の貴族であるとは言え、そこまで難しい策略を巡らせることが苦手であるから騎士団に入っている。
「従業員は?」
「こちらで用意する。場所は?」
「王都の方が良いと思いますが、詳細はまた後日詰めるべきかと」
「よろしい、冬蝕、店の名前は?」
「えっ!? あっ、えっと……じゃ、じゃあ『蝋燭』で……!」
(そりゃ、お前が働いてたクラブの名前だろうが……)
パニックになりかけたシルバがとっさに思いついたのが、転生する前の職場の名前であり、この世界で共通語として使われる言葉で蝋燭を意味するものだった。
アウルムは呆れて目を閉じたが、キラドはそれを良しとした。
光の神を信仰する国の店、そして店の秘匿性の高さという雰囲気とマッチしており、個人を繋がるようなメッセージ性も大してないと評価する。
妥当なラインだと、満足げに頷いた。
「個人の名前はどうしますか?」
「……道具だな。我々だけが分かる道具であり、役割もある程度互いに認識出来る程度のものだ。
日常会話で使ってもおかしくはないがそれほど頻出でないもの……私が『天秤』では安易過ぎるし……『銅のベル』とする。呼び出しをかける者、という意味だ。
ヘルミナお前は『2つのブローチ』だ。騎士とは結びつかないだろう。私の胸、国の胸を守る者。
夏蝕は……『夜のインク』、情報をもたらす者。冬蝕は……あ〜『長いスプーン』で良いだろう」
「え……!? ダサくないですか……俺だけ……ナイフに! せめてナイフでお願いします! 今チラッとスプーン見たから思いついただけでしょうそれ!」
「ダメだ、長いナイフでは剣を連想させる。銀髪で背が高い、お前は長いスプーンだ」
「ふざけんな! お前味方せえや! 自分だけそれっぽいのもらっててズルイぞ!」
キラドがこんなものか、と次の話に移ろうとした時、シルバの待ったが入った。
『長いスプーン』に不服である。加えて、アウルムの暗号名がカッコよく思えたのにも納得がいかないし、アウルムがナイフ案を却下するのも腹が立つ。
「良かろう、では……『濡れた靴下』だ」
「チェンジチェンジッ! カッコよくしてくださいよ! なんでそんな臭そうなやつにするんですか!?」
「私には貴様の『格好いい』の基準が分からんのだが」
「チェンジは2回までだぞ」
「そんなルールないわ!」
ラストチャンスだ、と悪ノリをするアウルムが指を2本立てて半笑いでスプーンを反対の手に持った。
「はあ……では夜のインクが、長いスプーンが納得しそうな適当な名を提案せよ」
「はっ、では『臭い──」
「お前、分かってるな?」
ふざけた名前を提案したら殺すぞと言わんばかりの眼光で睨みつけられ、アウルムはわざとらしく肩を竦める。
「……後でごちゃごちゃ言われるのも面倒だしな仕方ない……『血濡れの歯茎』……はダメそうだな、『割れない鏡』で良いか?」
「おい、一回出かけてた『血濡れの歯茎』ってなんやねん……まあ、それなら良いわ。『割れない鏡』で」
「ふん、まあ此奴は顔だけは整っておるからな。喋ると残念でならんが……身体も頑丈であるし妥当なところだろう」
不細工を鏡が割れる、と比喩表現することがあるこの国では、シルバの暗号名はまあ、身内には通じるレベルの暗号名とはなった、とキラドは鼻を鳴らして認める。
一先ず、秘密結社、『蝋燭』と初期メンバーの暗号名が決定したところで今日のところの話はお開きとなった。