8-19話 冷たい眼差し
(役者は揃った。後は居場所、そしてタイミングか……)
ヘルミナをビリーの前に配置し、アウルムは影に潜む。
同じく、この場に唯一姿を現さずにいる桃太郎を始末する為。
少し前、大きな爆発が森の方で起こり、すぐに現場に急行したが争いの形跡のみが残り、人の気配はなかった。
否、全て消されたと言うべきだろう。肉や骨、毛髪、装備、何も残っていない。爆発によって抉り取られた球状の地面と、薙ぎ倒され、焦げた木だけである。
恐らくはヤヒコと弥助の戦闘によるもの。
両者のユニーク・スキル的にはあの規模の爆発はあり得ない。
となれば、アイテムか第三者の介入か、それ以外の何らかの方法による自爆。ここまでは推測出来る。
アウルムが懸念するのは、もし他の勇者にも自爆による範囲攻撃があった場合の周囲への被害が森と街中では比べ物にならない規模となること。
シルバはまだしも、キラドやヘルミナでは蒸発してしまう可能性がある。
(しかし……自爆によるこちらの駒を潰すというのでは、わざわざ勇者を使う必要がない。勇者は増やせない貴重な駒。ヒカルが命を軽視していようと効率面を考えれば、まず取らない方法。
で、あれば……)
「口封じか」
顎に手を当てながら少し考え、恐らくそうだろうと、アウルムは結論に至る。
シルバには念話で、口を割らせ情報を得ようとすることなく、殺せると思ったタイミングで速やかに殺せと指示を出しておく。
ヘルミナは技量的にそこまでの余裕があるとは思えないが、自動か手動か、その情報は今後必要になると判断して、敢えて泳がすことを選択する。
キラドは勇者からは距離を取っているが、部下たちを殺して回っているので、部下たちにもその自爆機能があるのかは分かりかねる。下手をすれば死ぬだろう。
キラドが死ぬのか、こちらの情報があちらに漏れたまま逃すのか、天秤にかけるような内容ではないが、優先するべきは情報の封鎖。
キラドを守る何者かがいた、という事実。それ自体を葬り去る必要がある。
戦闘要員ではないであろう桃太郎は勝ち目がないと判断すれば戦わずに逃走する可能性が高い。
勇者の戦闘における、敵の情報収集も任務のうちの一つであろう。戦闘よりも生存が優先されるはず。であれば、桃太郎はここで確実に始末するべき。
ここまでの思考に約5秒。考えをまとめたところで、桃太郎の位置特定に脳のリソースを割く。
「……良いだろう。俺という存在の痕跡を残してやる」
アウルムは魔法によって水を生成、そして自身を洗浄する。
更に火、風の魔法を使い熱風を生成。大量の発汗を強制的に促す。
雨に濡れた街、ノースフェリは現在風邪を引くことを予感させる冷たい気温。
駆け足で家や宿に帰り、何とか少しでも雨に濡れまいとする人々の中で、身体から白い湯気をゆらゆらと発生させながら、ゆっくりと歩くアウルムは一際異様に見えただろう。
アウルムは普段、誰もその体臭を感知出来ない。
匂いがするのにしないと錯覚する特殊な香水に加えて、常に冷気を纏い、発汗を極力抑えて行動している。
アウルムに近付く、あるいは近付かれた際に涼しさ、冷たさを感じるのは比喩ではなく、実際にアウルムが冷たいからである。
嗅覚に優れたビースト種、と呼ばれる獣の特徴を持つ人々でもアウルムの匂いは認識出来ない。
これはビーストたちからすると、極めて違和感を覚える。匂いのしない人間などいないからである。
そこで、普段は追跡を避ける為の香水を洗い流し、体臭を敢えて、出した。
嗅覚を頼りに追跡する能力を持っているであろう、桃太郎への囮として。
***
「……? 急に強い匂い、それも魔力の豊富な強者な匂いが発生した……ですか……?」
桃太郎、その名からは想像出来ないほど小柄で少女のような見た目、そしてオドオドとした落ち着きのない臆病な立ち振る舞いをする男。
年はもう20を超えるというのに、今だに髭も生えない。子供にしか見えない桃太郎。
彼は街の中に突如現れた異変を察知した。
ユニーク・スキル『桃太郎』。通り名とユニーク・スキルが全く同じという珍しい存在。
犬、猿、雉を生み出し、使役、感覚の共有を行う能力。
犬、嗅覚を頼りに獲物の追跡を行い、噛みつけば狂犬病にすることも可能。
猿、人に変身し、人語を喋り念話も使用することが可能。
雉、空を飛び俯瞰した時点での観察、高速の追跡が可能。
「標的の仲間でしょうか……? どちらにしても厄介な敵になりそうな人物は『マーク』しないとですね……」
桃太郎はまず、猿を使う。街の人間に変身させて雨から逃れる普通の人間を装い、犬を抱えて走る。
怪しげな匂いを醸し出す男に向かって走る。
「おっとごめんよ!」
「…………」
追い抜き際に、少しだけぶつかる。その瞬間、抱えた犬が気が付かない程度の極少量の尿をかけた。
雨が降っていることも好都合。濡れていることに異変は感じることはないし、匂いも犬にしか分からぬもの。
『マーキング』完了である。これで、雨にどれだけ濡れようと見失うことはない。
共有された視覚から、マーキングは無事に成功し、あちらが追跡するような素振りは見せないことも確認する。
「ふう……ちょっと危ない行動でしたけど、これで大丈夫ですね……はい」
猿はここで、路地裏に入り、姿を消す。犬はそのまま解き放ちアウルムを後方から追跡する。
この世界では野良犬が街をうろついていても何ら不思議はない。まず、野良犬ということで怪しまれる心配はない。
「それで……こんな雨の中、どこに向かっているのでしょうか……?」
宿に入ることもなく、ただウロウロと街を練り歩く。
他の勇者たちは戦闘に入ってもはや桃太郎の介入する余地はない。むしろ、介入されることを嫌う扱いにくい人物たちだ。
「弥助君は死んじゃったんですよね……ヤヒコ君はやっぱり1人じゃ勝てなかったかあ……だから言ったのに……」
爆発音、そして念話が通じない、交友欄から名前が消えている。いくつもの情報から弥助は間違いなく死んだのだと、桃太郎は追跡をしながら思い出す。
「でも……流石にそれくらいは会長は予測してますよね? そうですよね? 僕、怒られたくないなあ……」
それから30分。桃太郎にとって怪しい匂いのプンプンする男はアテもなく、ランダムに適当に歩いているのではないかと思えるほど、振り向きもせずに歩き続けた。
もはや、ここまで来ると異常である。何かを探している素振りも見せず、建物の中に入らない。
流石にこの雨の中、散歩しているだけというのはあり得ないだろう。
時々、自分の潜む場所に接近した時はヒヤリともするが、気が付いたというわけでもなく足を止めない。
「一体いつまで……ッ!? 止まったッ!?」
アウルムは突如、立ち止まり、クルリと方向転換する。
「追跡することに慣らされていた!? いや、まさか……て今は……バレないようにしないと……!」
桃太郎は犬を屋根の下で雨宿りしているかのように大人しく座らせる。
アウルムはその犬を見て近づいて来る。
「まさか……! バレたのかッ!? あり得ないただの犬ですよ……!?」
心臓の脈打つ音が早くなり、桃太郎に緊張が走る。
──だが、アウルムの行動は桃太郎にとって予想外のものだった。
撫でた。
犬を見て撫でる。ある意味普通の行動。何ら怪しくはない。頭を撫で、懐から小さい干し肉を渡す。
桃太郎はそれを喜んで犬に食べさせるよう操作する。これが犬として当たり前の反応。今、警戒されるようなことはしない。
むしろ、肉を与えられたことにより、懐いて、ついて来てしまう、そんな犬らしい行動がこれで可能になったと考えながら、肉を食べる。
ジッとこちらを見る男の視線を感じながら犬を演じることに徹する。
「一体何がした……ッ……! あ、ああ……!」
突如、桃太郎に得体の知れない強い恐怖感が侵入してきた。
震え、寒気、吐き気、遠隔操作をしている桃太郎は犬が感じ取る情報をダイレクトに受け取る。
これは桃太郎ではなく、犬が感じている恐怖。
「や、やば……ハッハッハッハッ……!」
呼吸が乱れ、その恐怖から感覚の共有を思わず遮断してしまった。
訳が分からない。だが、あれ以上感覚を共有していたら何かとんでもないことが起こる。そんな予感がして本能的に行動した。
「ウォッ!」
「グアッ……!」
「何だッ!?」
「アアアアッ!」
1階に居た護衛たちの断末魔が聞こえ、それは一瞬にして消える。不気味なまでの静寂。
(全員やられた……!? そんな馬鹿なッ!?)
ギィ……。
「ッ……!」
ギィ……ギィ……。
木の軋む、嫌な音が桃太郎のいる建物の1階から2階へと続く階段から鳴り響く。
だが、桃太郎はそれよりも自分の心臓の音の方がよっぽどうるさかった。耳の中に心臓があるのかと思うほど、鼓膜が震える。
ホラー映画のお決まりの展開のように、『来る』ことが分かっていて、それでいて、その未来へのイメージがより恐怖を引き立てる……思わず固唾を飲まずにはいられない、緊張の糸が限界まで張り詰めさせられる雰囲気。
ギィ……。
音が止まる。
来るッ!
数巡先の未来への心構えにより、ショックを和らげる為の予測というよりは防御の反応。
だが、扉が吹き飛ぶことも、斧が突き刺さることもなく、隙間から白い霧が立ち込めてくる。
「クッ……! 毒ガスッ!?」
桃太郎は慌てて息を止める。既に息は限界まで上がり、急に息を止めることも相当に苦しかったが、吸うわけにはいかなかった。
部屋はあっという間に冷たい空気になり、鳥肌が立つ。だが、これはただの水蒸気であり毒ではない。
部屋の中が真っ白になった頃、桃太郎は息の限界が来て大きく息を吸った。
「ハッ!?」
この瞬間、来るなら間違いなくこの瞬間だと思った。
正面ではなく、背後。気が付けばもうそこにいる。扉は破られていないが、いるなら後ろだと、桃太郎は経験から振り返った。
「ハァハァハァッ……! いない……!? いや正面からッ!」
背後と見せかけて、振り返るのをやめた瞬間の不意打ち。それも考えた。だが、いない。
「何なんだッ! いるなら出てきてよ……!」
膝が笑い、過呼吸になりかけた状態で桃太郎は叫ぶ。
そこで、桃太郎は匂いを感じた。
甘ったるいような、不思議な匂い。これは香水などではなく、体臭。犬の能力を使わずともハッキリと人の気配を嗅覚から感じ取る。
「アッ……!? ウッ……『鬼』……ダメだ……」
急激な眠気、そして身体の麻痺。
瞼が異常なほど重い。誰かに押さえつけられるような倦怠感。
立っていることも難しいほどに制御は効かず、倒れそうになった刹那。
「──ここだ」
心臓が一瞬止まるのを感じた。
生命の活動を停止する感覚を味わうその直前、耳元で囁くような恐ろしい声、そして青く輝く二つの瞳がこちらを見ているのを桃太郎は目撃し、気絶した。
「意識を失うことでの自爆はないか……」
アウルムは桃太郎の襟を掴み、『虚空の城』へ投げ込む。
気を失った桃太郎からすれば、何故ここが分かったのか、不思議で仕方がないだろう。
アウルムは無闇に街を歩きまわった訳ではない。
追跡する犬、猿、雉の距離、挙動から桃太郎との距離を測った。
心理的安全圏──秩序的な殺人犯は犯行を安全圏、つまり生活に近い場所では行わない傾向にある。
遠隔で監視するのであれば、それが可能であれば、わざわざ敵の近くには行かないだろう。
むしろ、距離を取りたがるはず。そこから、使役する動物たちの動きを観察する。
本人は意識していないのだろうが、所々、その反応に変化が生じる箇所がある。
三角測量の要領で、大まかな場所を特定し、かつ誰にも近付かれないような場所の把握。
徐々に候補を絞り、とある廃屋であるはずの窓ガラスの曇りから、人の存在を確認する。
それが分かれば、まずは犬に自身の攻撃が通るかを確認する。
『分泌物操作』。
カメリアから得たスキルにより、犬と接触して恐怖を感じるように分泌物を操作。犬から本体の桃太郎に恐怖は伝わったことは目の前の犬から手に取るように分かった。
そして、事前に設置した『虚空の城』の入り口から、廃屋まで転移。
廃屋内を霧で満たして、『霧化』で部屋の中に侵入。足音は恐怖を煽り、反応を見る為の演出。
そして、また『分泌物操作』で霧の中に揮発した汗を桃太郎に接触させ、気絶させる。
これで、どこまでやったら自爆するかについての情報を掴みつつも、桃太郎を殺すことなく確保に成功する。
(追跡される対策については、まるで不勉強だな。この程度がヒカル・フセの刺客か? 正直、拍子抜けだ。
ただの臆病なガキ、戦士の死を覚悟した狂気さがまるで感じられない……こいつは能力の毛色が他とは違う……無理やり仕事をさせられているのか?)
「雨が上がった……そろそろ決着はついた頃だろう。まずはキラドを探すか……やはりインスタント版では30分と少ししか持たないか……」
窓から差し込む光から、雨が上がったことを確認し、アウルムは無人となった廃屋から姿を消す。