8-16話 ヤスケとヤヒコ
「モモタロサァンッ! ヤヒコを殺しましたヨォッ!」
弥助は見上げて、上空を旋回する鳥に向かって叫んだ。
首から上は青、そして目の周りは赤。カラフルな構造色と呼ばれるハトやシャボン玉のような複雑な色の変化を見せるその鳥は、この世界には存在しないはずの種類だった。
「ケーンッ!」
そんな特徴的な鳴き声で飛ぶのは日本の国鳥、雉である。
この雉は弥助の報告を受けるとノースフェリの街の方に飛び去っていく。
『桃太郎』と呼ばれる諜報担当の勇者によって召喚されたユニーク・スキルによる雉は使用者と視界を共有することが可能であり、ヤヒコが死んだことを確認した。
「ふ〜死体の始末がチョト面倒デス……ね……ッ!?」
戦闘により、額から汗を流した弥助は小手でそれを拭おうと左手を上げようとした。
だが、指一本とて弥助は動かすことが出来なず、その異変に更に冷や汗を流す。
「──やっと邪魔者がきえたなぁ……」
「な、なんで生きて……!?」
弥助は首だけの状態で喋り出したヤスケを動かせる目で見て、口からは声を絞り出した。
あり得ない、生きているのは不可能。完全に首は切断した。血も出ていたし、空を切るような感覚でもなかった。
何故、何故、生きている? 何故、喋ることが出来る!?
「……『首の糸一本』、繋がってたら俺は死なねえからな」
「糸ッ!? そんなものは繋がってなかったハズデスッ……!」
「ああ、だからそこは賭けだったぜ? 俺はちょ〜っとずつお前がどれくらいの細さの糸なら感知出来るのか試してたんだからなぁ。
で、この細さなら認識出来ねえってことだな」
髪の毛の太さ、100μmの10分の1の太さ。それがヤヒコが操作可能な限界であり、操作自体にも相当の集中力を要する。
ヤヒコの首の後方はその糸で繋がれていた。
そして、確かに弥助が切断したと思った首、身体はヤヒコの糸によってコーティングされていた空洞。
その糸の器の中にあったのは森で死んでいたモンスターの亡骸だった。それによって偽りの手応えと血飛沫を弥助に与えていた。
ヤヒコの上半身は解けていき、そのモンスターの死体だけが地面に残る。
ゆっくりと、頭と首は繋がっていき、ヤヒコの全身、五体満足の姿が形成される。
慎重な操作が要素される故、多少の時間はかかったが、それは問題ではない。
既に戦闘は終わっている。慌てて身体を再形成する必要はない。
「なぁんで動けねえか不思議かぁ? そりゃお前の身体には神経に至るまで俺の糸が侵入しているからだ。
注射針よりも細い糸だからな、刺さっても分かんねえだろ?
ましてや、戦闘中の興奮状態じゃなあ?」
「アナタの操り人形……というワケデスカ……」
「はぁ? お前は糸なんか入ってなくても最初から俺に誘導されて操られてたんだよ、自惚れんな。
ま、そんな馬鹿丸出しの甲冑じゃあ侵入してくる糸にも気付けねえだろうよ。
俺を殺した瞬間に移動されてたらヤバかったがなぁ」
ヤヒコは指を軽く振る。すると、弥助は自分の意思に反して両腕を広げて直立させられた。
更に指を振ると、甲冑は粉々に崩れ落ちる。
「ほおら、見てみろよ」
弥助の腕を彼の目の前に持っていく。
びっしりとその腕は弥助の持つ本来の黒というよりは濃い茶色の肌ではない、ドス黒い闇のような黒さのあるものだった。
それはヤヒコの闇の糸によって覆われた腕だった。
「それで……? お前らの目的は何だ? ヒカルは何考えてやがる?」
「HAHAッ! 拷問ですかッ!? それは無駄デスッ! ワタシたちはカイチョさんが何考えてるか全然知りマセェンッ! 戦争終わって退屈してたワタシたちの居場所を用意シテクレルと約束したダケデェスッ!」
「──今のはただの質問だぜ? 拷問ってのはこうやるんだよ」
「イギッ……! グアアアアアアッ……アアアアアアッ!」
侵入している糸による神経の直接的な刺激。指先に針を刺す拷問を超えた想像を絶する痛みに弥助は苦悶する。
それは死んだ方がマシだとさえ思うような『強烈』では生優しい表現とも言える痛覚の攻撃。
しかし、ヤヒコは気絶を許さない。神経を支配し、気絶をさせない技術をこの世界で生きる為に獲得していた。
あまりに残酷で悍ましいその方法は仲間にさえ教えていない。
「カイトを苦しませるのは許さねえ。あいつの心は俺が守る」
ヤヒコの目は自身の糸のように暗く、狂気さえ感じるようなものであり、弥助は痛みよりもそのヤヒコの目に恐怖を感じた。
「答えろ、アイツは何をしようとしている……」
「グッ……ギッ……ソレハ──」
「ッ!?」
弥助が何か答えようとした、弥助はニヤりと笑う。
──その瞬間。
弥助の身体は発光した。
(この状態でユニーク・スキルの発動ッ!? いや、あり得ねえッ……!)
絶対的な肉体の支配をしている以上はユニーク・スキルが使えないはず、だが、発光の意味が違った。
発動ではなかった。起こったのは弥助の肉体を中心とした爆発。
金色の炎によって身を包まれ、辺り一体を吹き飛ばす猛烈な威力の爆発により、ヤヒコは50m程後方に飛んでいった。
咄嗟に糸で全身を覆いガードしたが、完全には衝撃を吸収出来なかった。
「グホッ……自爆だと……ゴホッ……イカれてやがる……」
口から血を吐き出し、よろけながら、完全に消滅した弥助のいた爆心地を睨みつける。
「いや……違うな……口封じだ……あの野郎なら情報を漏洩させない手段くらい用意してるのはおかしくないが仲間を爆発させるかよ……」
全てにおいて抜かりのない完璧な男。ヒカル・フセ。
そのヒカルが差し向けた刺客から自分たちに不利になるような情報がそう簡単に入手出来ないという覚悟はあった。
だからこそ、時間をかけて戦い、完全に支配して生け取りにする必要を理解し実行した。
やっとの思いで何か聞けると思った矢先の自爆。
全て筋書き通り。あの男には失敗などない。やること全てに意味がある。
これは刺客の任務失敗ではなく、成功。数あるプランの中のあらかじめ決められていた筋書きの一つ。
手下を1人倒した、などと喜ぶべきではないだろうとヤヒコは思い知る。
手のひらで踊らされ、操られていたのは自分。弥助を殺すことで何かの策が進んでしまった。
そんな嫌な予感、不安だけが与えられる結果に終わる。
「……今ので俺の切り札がバレたと思った方がいいか……クソッ! 思いつく何をやろうとしても、それがあっちの思い通りになるような気がして動けねえッ……!」
自発的な行動すら、誘導されたものではないかという不安が襲う。
動けない。糸を絡められて身動きが出来ないようにされる。頭の回る者ほど、その恐ろしさを感じ、動かない方が良いのでは、何もするべきではないのではと、脳みそを侵食されるような感覚を味わう。
仲間を守る為の行動が、仲間を危険に晒すかもという恐ろしさを与える。
「──結局、それでも俺が正しいと思う道を進むしかねえか……クソッ……! 『それが地獄に続く道かも知れないよ?』としたり顔で囁くアイツが目に浮かぶぜ……!
とにかく、ここを離れねえと……他の奴らには構うのはやめだ。キラドのジジイ……こりゃ死ぬかもな……」
ヤヒコは木の幹を殴りつけて、唇を噛みながら、森から離れた。
どこか、遠くへ。刺客たちのいない国外をまずは目指さなくてはと、足を止めることなく、人目を避けながら歩いていく。
***
「どれくらいで到着させられそうや?」
「それ自体はいつでも可能だが問題はタイミングだ……な……」
「アウルム?」
「あり得ない……」
「ん? 何がや?」
早朝、シルバはキラドの仲間と挨拶をして、これから街を出る手筈となっている。
アウルムは隠れ、周辺の警戒をしていたが、今のところは襲撃の気配はない。護衛となる配下も鑑定をしたが、異常は検知出来なかった。
宿で移動ルートの打ち合わせをアウルムとしていた時のことである。
アウルム壁に背を預けて、斜めから窓の景色を見て敵の存在を警戒していた。
そして、空を飛ぶ鳥が目に入った。
「雉だ、雉が飛んでいた……」
「雉ィ? おいおい、見間違えやろ。この世界に日本の鳥は流石に……雉ってまさか」
「──桃太郎、その名前の勇者と雉だぞ……関係あるに決まってるだろ」
その時だった、コンコンと部屋をノックする音が聞こえる。
「シルバ様、ご主人様がお見えです」
「あいよ〜ちょっと待ってくれ〜」
「……」
シルバはアウルムとアイコンタクトをして、返事をする。その間にアウルムは姿を消す。
アウルムの存在は誰にも知られない方が良い。それが味方であろうとだ。よって、この場にはシルバしかいないことになっている。
「いや〜すんません。準備出来ました〜そろそろ行きましょうか」
「少し話したいことがある。コルレオ、少し下がっていろ」
「は……しかし……」
「守りならば、この男がいて無理ならば無理だ。お前がこの場にいて事態を変えられると思うか? 心配するな、少しだ。2分もあれば良い」
「いえ……失礼します……」
コルレオ、と呼ばれる従者はシルバをチラリと見てから、礼をして下がる。
そして、キラドは扉を閉めた。
「これを。私の署名の入った書状だ」
「助かります」
キラドは封蝋のされた丸めた紙をシルバに渡す。シルバはそれを部屋の隅に投げると、その紙は消える。
「……ふん、これで問題ないな?」
アウルムが受け取ったのだが、キラドにはその姿が見えない。いると分かっていても見えないというのは気味の悪いものだとキラドは軽く鼻で笑う。
「無いよりはマシかと思いますけど、どこまで役に立つかは正直……」
「こちらとしても、本当に可能なのかはいまだに信じれんがな」
「こっちは2人。あっちは少なくとも3人の勇者ですからね……しかも狙われる側ですから、分が悪いのは変わりませんわ」
コンコン、また部屋をノックされる。
「むう、心配なのは分かるがあやつも落ち着きがないな……」
キラドはそのノックに苛立ちながらドアを開ける。狙われているという緊張感から誰もがピリピリとしており、和やかな雰囲気とはいかない。
「ご主人様、そろそろ出発しましょう。店の裏に馬車を回しています。門も検査を受けずに通れる手配をしています」
「この人混みの中で襲われてはたまらんからな。見晴らしの良い街道の方がまだマシか……笑えんな。普通は街道こそ、襲撃には定番の場所なのだが」
アウルムの『虚空の城』により、キラド領に移動するという手段もある。だが、万が一にでもその力を知られてはいけない。
敵を炙り出しつつも、通常の方法でキラド領に向かうべきであるというのが結論。
ダミーとなる馬車は既に5台、宿の裏口に止まり、しばらくしてから出発した。
擬装としては荒いが、多少の目眩しにはなる。数の不利は、ターゲットを絞らせないという方法で少しでも埋める。
金と人脈のあるキラドだからこそ、出来る大胆な作戦だった。
「じゃあ行きましょか……」
(シルバ……! そいつッ……コルレオじゃあないぞッ!)
「……ッ!」
「……窓からAは左に2歩Bは右に1歩」
アウルムは念話をシルバに繋げる。そこにいたのは朝に鑑定したコルレオではない。
その時、コルレオは窓を見て、誰に言ったのか、小さな声で喋り出した。
シルバは咄嗟にキラドに覆い被さり、地面にしゃがみこませる。
「『非常識な速さ』ッ……!」
時間をゆっくりに。この場に何が起こるのか、現在進行する状況を見極めるべくシルバは即座にスキルを発動させる。
外から窓に何か接近している。ガラスがゆっくりと割れ、真っ直ぐにこちらに向かって螺旋を描きながら進む2つの物体を確認した。
(弓矢かッ!? んなアホなアウルムはここから射線となりうる場所の確認はしてたはず! どっから射ってるんや!? 『貫通』……はあかん! キラドに刺さるッ! クソッユニーク・スキルの攻撃受けるのはマズイッ……!)
シルバだけであれば、この攻撃を回避するのはそこまで難しくはない。だが今回に限り、任務は護衛であり、護衛対象の死亡は失敗を意味する。
完全な不意打ちであり、後手に回った。
ものの動きがゆっくりに見えるからと言って、その時間の中を自由に動けるわけではない。
少し先の未来、起こり得る事態を人よりも速く理解が出来るだけのユニーク・スキル。
(情報が狙いなら……護衛の俺はともかくキラドの方は非殺傷のはず……一か八かやなッ!)
「──ダァッ……! いっでぇッッッ!」
シルバは自分に向かって放たれた矢を避け、キラドに向かった矢の射線上に身体を割り込ませる。
普通の弓矢ではない。頑丈なシルバの腕を貫通し吹き飛ばす威力で、しかもどこから狙われたのかすら分からない。
ただ、この座標を教えたやつはいる。
「シィッッ!」
吹き飛んだ左腕とは反対の右腕で、剣を振るい、コルレオではない何かを切り伏せる。
「伏せてろッ! 窓から見えん位置にッ!」
シルバは左の肩を抑えながら、乱暴ではあるがキラドを部屋の隅に隠す。
(俺が煙幕を張るッ! お前は結界だ!)
アウルムはすぐに部屋を煙で満たした。
シルバは部屋の四方にナイフを刺し『不可侵の領域』を作成する。
「何やこいつは!?」
切ったコルレオは溶けた蝋人形のように形を崩していき、その中から切断された猿の死体が現れた。
「どうなっているッ!?」
「襲撃や! コルレオは偽者とすり替わってたみたいやキラド卿ッ!」
「脱出計画は失敗か……本当のコルレオも死んでいるだろう……」
地面に伏せてシルバの指示に従うキラドは埃を吸って咳をしながら、悔しそうに舌打ちをする。
(クソッ……どこにいるか分からんのかアウルムッ!)
アウルムは鏡を魔法で作り、窓の外を観察するが射手は見つからない。屋根の上や見張り台など、狙えそうな位置に人影は確認出来ない。
(ダメだ、弓矢の軌道を曲げられるとしか思えん。今はお前の結界で守られているがじきに囲まれるぞ)
(マジか……どうするんや……! またかッ!)
キンッ! と音がして、結界に矢が直撃した。攻撃としては無効化されているが、ここにいても狙われ続ける。
(こっちから出るしかねえだろうが、俺はこの変身する猿と雉を飛ばしてる……恐らくは桃太郎を。お前は弓使いってことは『与一』を殺すしか無い)
(待て待てッ! 『ビリー』と『弥助』がおるかもやろうが!)
(そいつらもお互い見つけ次第やるしかない。
だが、一番厄介なのは桃太郎だ。諜報能力に特化してる奴は早めに潰しておかねえとな……お前はもう姿を見られちまってる)
(『不可侵の領域』もな……見られたからには始末するしかない……頼むで)
アウルムはすぐに姿を消し、桃太郎の暗殺に向かった。
「キラド卿、結界張ってるからここは取り敢えず安全ですわ。この部屋で大人しくしててください。俺は弓使いを殺しに行きます」
「分かった……だが、今待機させている馬車は出発させろ。私は次の馬車に乗る」
「マジで言うてますかそれッ!?」
「時間の無駄だ。術者の離れた結界など長くは持たん。ずっとここにいる方が危険だ。それに私が移動した方が奴らの注意を逸せる」
「いやどう考えても危ないでしょ」
「これでも警備局の副大臣だ。敵から逃げる技術はこの国でも私が一番だと自負している。
──冬蝕、あまり舐めるなよ? 勇者であろうとガキの1人くらいならば欺くのは容易い」
敵1人ならば対処のしようはあると、ただの強がりではない気迫の籠った声で、宣言しキラドは埃を払って帽子を被った。
「……ご武運を」
シルバは一瞬、迷ったがキラドを信じる。頭は相当に切れるし、そもそも並の冒険者よりも強いことはステータスを見ていれば分かる。
今でこそ、デスクワークだが現役時にはアウルムに似た活動を行い今に至るまで生きていた男だ。
「行け、冬蝕ッ! 私はこんなところで死ぬつもりはないッ! 貴様も死ぬなッ!」
キラドはシルバを激励し宿の部屋から叩き出した。