8-12話 街の守り手
アウルム、そしてそれに続いてダルグーア男爵はエイサの店を出ると、やっと出てきたと慌てた住民が押し掛ける。
時刻は既に19時を過ぎ、外は暗くなっている。異例の事態につき、本日はワイン製造の業務が完全に停止していた。
騎士、兵士は騒ぎを止めることに疲れ切っており、住民たちから領主を守ることすら難しくなっていた。
数の暴力をものともしない圧倒的な強者である個人がいるこの世界だが、田舎の騎士や兵士程度では一度住民が暴徒と化すと止める手段はないだろう。
「アウルム、止めよ」
「……俺はあなたの護衛ではないんですがね」
そう言いながらも、アウルムは空中に向かって火球を発生させ、その爆発音により住民を驚かせることで静寂を生み出した。
「ダルグーアの民たちよ、私はエイサ殿、及びその配下をビーリャ誘拐の実行犯として法廷の場で裁かれるべきだと判断したッ……!」
「おおっ……!」
「犯人なのは分かりきってたからなぁ!」
「そんな悠長なこと言ってねえでぶっ殺しましょうよ領主様ッ!」
覚悟を決めたダルグーア男爵の宣言により、住民たちはエイサと完全にこの街は敵対することを決断したのだと判断し、声が次第に大きく、そして乱暴なものになっていく。
「……な、何を言っているのか分かっているのですか、ダルグーア男爵……? 正気ですか……!?」
店から出てきたエイサは商人的な取り繕った表情を捨て、本気で驚きながら、ダルグーア男爵の顔を見た。
そもそも、エイサたちからすれば今回の事件は完全なる濡れ衣であり、実際、何もしていない。
証拠など出るはずもなく、この件が片付いた後にどれだけ有利な交渉が出来るかと考えて、その計算をしながら余裕で状況を静観していた。
この街だけの問題ではなく、王都まで巻き込んだ大事にするなど、とても正気とは思えず、その結論に至ることなど想像することもなかった。
選択肢としては一番あり得ない答えを出したダルグーア男爵が本当に乱心したのか、エイサは怒りよりも心配が勝った。
「……私は本気だ。領主としてこの街で起こった問題に対して公正な裁きを求める」
「何を馬鹿なことを……!? 自分の言っていることが分かっているのですか!? そんなことをすれば、この街がどうなるか、理解しているのですよね!?
私たちは何もしていないのですよ、謝り、金を払うなどではとても済まない大事になりますよ!?」
「ほう……エイサ殿、では王都へ召喚された後、真偽官の元で無罪である証明をすることは何ら問題がない、自分たちに後ろ暗いことは何も無い……そういうことですね?」
「……ッ!?」
アウルムが前に出て、引っ掛かったな間抜けが、とでも言いたげな顔をしながらエイサに念を押す。
そこで、エイサは理解した。このアウルムという男は今回の事件とは関係のない、自分たちの情報についてあまりにも知り過ぎていることに。
尋問されている時に、冷静に考えれば言うべきでないことをベラベラと喋ってしまっていたことに。
誘拐は全くの濡れ衣であるが、調べられれば都合の悪いことなど山のようにある。商売に関するあらゆる書類を見られていた。
あの時は事件に関する証拠が隠されていないか、書類の隙間などを調べていただけだと思っていたが、ただの冒険者が一度目を通しただけで瞬時に内容は理解出来まいとたかを括っていたが、もし──理解していたら?
法廷の場に引きずり出されたら言い逃れ出来ないような内容を既に掴んでおり、その確信があるからこそ、ダルグーア男爵にこの決断をするよう吹き込んでいたら?
自分たちは確実に裁かれる。
マズイ、この状況、非常にマズイ。
そして、この状況を打開する手は一つしかない。否、コイツは明らかにそれを狙っている……と。
だが、それと同時にそれで解決出来ると思っているのか? こちらをあまりにも舐めていないか?
圧倒的な強さを持つウルドに加え、他にも強い護衛がいる自分たちをたった1人でねじ伏せることが出来るとでも?
いや、もう1人仲間がいたが、その男と住民の騎士、兵士と団結して戦えば、勝てると思っているのであれば、希望的観測に過ぎるだろう。
そこで、諦めて投降することを期待しての揺さぶりであるならば……。
「エイサ殿、もし私が間違っていたのであれば、私は自分の首、そしてこの街の住民の生殺与奪をあなたに預ける。
領主としてそういう覚悟で発言しているし、その権限が与えられている。
法廷の場で決着をつけさせて頂くが問題はないな?」
「ふん、それは……到底認められませんな」
「無実であるのに、断るとは……やはり犯人であると自ら証言しているようなものだな、どう思う? 街の人間たちの意見を聞こうではないか?」
「た、確かに!」
「やっぱり……だな」
「真偽官に嘘はつけないってガキでも知ってるからな!」
白々しいことをわざわざ言いやがって、と住民を煽るアウルムを憎らしげに睨みつけるエイサと、どうするつもりだ? と自信の満ちたアウルム。
「はあ……もう良いです。ウルド、この男を殺しなさい。お前たちは抵抗するこの街の人間を相手しなさい」
アウルム、ダルグーア男爵、エイサ、3者にとって思い通りの結論。
ただし、お互いが勝つと確信している。決着は勝った方の思いのまま。極めて乱暴な解決方法に着地する。
「なんだよ、結局そうなるならもっと早く言ってくれりゃ良いだろ? エイサ、お前は答え出すまでが長えんだよ!
退屈してたからなぁ、遊ぶ相手を用意してくれたのは嬉しいけどよぉ」
ウルドが背中に固定していた大剣の柄を握り、前に出る。
その巨体は椅子に座れば、椅子が身体で完全に隠れ、家の扉は背中を曲げなければ入れないほどのサイズ。
2m10cm。背が高いだけでなく、筋肉質なその姿は威圧感を与え、通常の人間には勝てるという妄想をすることすら許されない、抜きん出た体格。
それに対峙する身長が180cmのアウルムがまるで子供、木の枝のような頼りなさを感じるほどの差。
「フンッ……小さいなお前、それに傷一つない綺麗な顔……まるで女だな、よっぽど運が良かったんだろう? おいエイサッ! 俺の相手がこんな小枝の雑魚で──」
「「「!?」」」
ウルドを見上げるアウルムを眺めて、鼻で笑い、エイサに一瞬視線を向けて何か言おうとした瞬間のことだった。
アウルムはその刹那にウルドの左足にふくらはぎを狙ったカーフキックを喰らわせていた。
それを目撃した住民たちは息を呑む。あのウルドを蹴るなど、怒らせるなど自殺行為であり、よくぞやってくれたという満足感よりも恐怖の方が強かったからだ。
「……あ? なんだそのヘナチョコのキックは? 効くとでも?」
ウルドは、これで自分に対してダメージを与えられると考えていたのだとしたら、頭が悪いにも程があると、目を丸くしていた。
事実、アウルムの接近戦におけるステータスはウルドよりも低く有効な攻撃にはなり得ていない。ウルドとしてもプラスチックのおもちゃのバットで叩かれた程度の衝撃しか感じていない。
「俺が蹴りたいと思ったから蹴ってみただけだ。何か問題あるか? それに後から効いてくるぜ?」
「……お前らちょっと下がってろ。コイツは俺が殺す」
「お前らも下がってろ、コイツは臭いし汚い」
始まる、今すぐにでも殺し合いが始まってしまうと危険を察知して両陣営が距離を空けて、アウルムとウルドを中心とした円が形成された。
「大きく出たなあ、お前装備からして魔法タイプだろうが。この距離で勝てるとでも?」
戦いのスタイルによって有利な射程は変わる。魔法に長ったらしい詠唱が必要がないとしても、魔法をメインとした人間が接近戦において、近接戦闘をメインとした人間には勝てない。
それが常識であり、純然たる事実である。
「この距離? お前を殺すには十分過ぎる距離であり、時間だ。──実際、俺はまだ生きているのだからな。
俺より接近戦が強い奴は少なくとも4人いるが、そいつらなら俺はとっくに死んでる。つまりお前は大して強くない……それこそ、お前はよっぽど相手に恵まれていただけだな」
「背は小せえが態度だけはデケエようだ。俺はよう、そういう生意気な奴が泣いて詫びてるのを見ながらバラバラにするのが大好きでしょうがないんだよ……ッ!?」
「どうした、さっさと剣を抜いて始めて良いんだが? 何故一度掴んだ柄を離す?」
ウルドは剣を持とうとした、だが、剣の柄が異常なほど熱く感じて手を離した。
「何かしやがったな、くだらねえ……魔法使いのよくやる手だな」
「おいおい、正直にビビって手が震えて上手く持てないって言っても良いんだぜ? 別に手が火傷してる訳じゃあるまいしな……それにさっきから戦ってもないのに息も荒過ぎやしないか?」
「……お前既に魔法使ってんのか? 卑怯な野郎だ……」
ウルドの周囲の酸素濃度は徐々に下がり、ウルドは水の中にいるような息苦しさを感じていた。唇も変色していき、赤紫のような色になっている。
「自分の怯えを人のせいにするのか? 小物にも程があるな。膝が笑ってるのはやっぱりさっきの『ヘナチョコのキック』が効いてるのか? どれだけ弱いんだよ」
まるで身体に重しを乗せられているような感覚を覚え、溺れているかと錯覚する息の苦しさから、ウルドは満足に動くことすら出来なかった。
アウルムはゆっくりと近付きながら、ウルドの左足を再度蹴る、蹴る、蹴る。
「ガァッ……! クソッ……! なんなんだ……!?」
「ポキィって気持ち良い音がしたな、まるで小枝だ」
「お、おい……嘘だろ……折れるってか、千切れてんじゃねえか……」
「あの丸太みたいな足折るってどういうことだよ!?」
ウルドは足が千切れて、地面に膝をついた。見下ろしていたアウルムに見下ろされ、屈辱に感情を支配された。
『現実となる幻影』により異常なほどに脆くなった足を、キックを通して凍結させられ、既にウルドの下半身は氷の彫刻となっていく。
「身体が冷たくなってきたことだろう、今ならその剣、持てるんじゃないか?」
「ふざけ……やが──」
最後まで言い切ることが出来ぬままウルドは氷漬けにされていき、動きは完全に止まった。
その光景を全員が口を開けながら眺めていることしか出来なかった。
「……で、誰を殺すって?」
そう言いながらアウルムは氷となったウルドの死体を蹴り砕いた。
呆けていたダルグーア男爵はエイサ及びその護衛たちを捕えるよう命令を下した。力関係の差はあれど、絶対的な身分の差のある平民の商人が貴族である男爵を殺すと公言したのだ。もはや言い逃れは出来ない。
ウルドを殺されたショックにより、誰も逆らう者はいなかった。
それからほどなくして、ビーリャとマイルズが街に戻り、歓声と共に迎えられた。
この街の悪は打倒され、その解放感からすっかりと、ウルドたちが犯人であると思い込み感情も思考も誘導されたことも知らずに喜びが爆発した。
真相を知る、シルバとモーズ爺さん、アウルム、そしてダルグーア男爵とはあまりにも様子が違うことなど誰も気になどしなかった。
***
2日後、ブロンゼスは変わり果てた姿で発見される。
表向き、ビーリャの危険に気がついたブロンゼスの咄嗟の機転によって森に隠され、彼女を守った英雄として葬儀が執り行われる。
ブロンゼスの為ではないが、葬儀は必要である。
この街の為、偽りの英雄として祀り上げられた罪人の死を悲しむ住民を見るダルグーアの表情は暗い。
被害者でありながら、真実を知らないビーリャの悲しい顔を見ていたアウルムとシルバは少なからず罪悪感を覚えていた。
本当のことを知らない方が幸せではあるが、知る権利はある。全体の利益の為に真実を葬り去ることが正しいのか、その答えは出ない。
答えなど、最初から無いのだ。
また、知らない方が幸せであるが知ってしまった男もいる。
「モーズ爺さん……大丈夫か?」
「俺は兵士だ……この街を守る為に働いてきた……今更騒いだところで誰も俺の話なんか間に受けない。イカれちまったジジイだと思ってやがるからな。
ジダを殺したブロンゼスが英雄扱いは気に食わねえが……納得出来ねえ嘘っぱちだが、……俺1人の感情でこの街に危険を晒しちゃジダも喜ばねえだろうよ……街を守る俺は自慢の父ちゃんらしいからな……」
モーズ爺さんは静かに震えながら涙を流していた。
「ああ……あんな危ないやつがいたのに見逃していたなんて……街の人間はあんな奴が立派な騎士で、俺がイカれたジジイと思ってるなんてな……やりきれねえよ」
こんな思いするなら頭がおかしかった頃に戻ってた方が良かったなあ、とモーズ爺さんは嗚咽を交えながらポツリとこぼした。
「…………」
ふと、アウルムはラーダンのことを思い出した。彼は必死になって失った記憶を探しているが、こういう結末に終わるのであれば、取り戻さない方が幸せではないのかと思った。
数百年生きているはずのラーダンにも悲しい記憶はあるに違いない。
記憶力が良過ぎるせいで、忘れたくとも忘れられない記憶があるアウルムとしてはある意味で羨ましいとさえ思ってしまう節がある。
記憶とは、幸せとは何なのか、そんなことを考えながら咽び泣くモーズ爺さんを見ていた。
「モーズ爺さん、これマイルズから今回の報酬としてもらったワイン、一緒に開けへんか?」
「おい、まさか酒で忘れるってか……? 」
「いいや……ただ、調べた限りやとジダってまだ成人してなかったやろ? やから一緒に酒飲んだことないんちゃうかって思ってな。
時期的に……収穫で飲める頃に成人してたはずやったんやろ、楽しみにしてたんちゃうかなって思って。
父ちゃん頑張って生きて犯人やっつけたでって報告と献杯やん」
「献杯……か……そうだな、それなら悪くねえ」
それを聞いてモーズ爺さんはハッとする。服の裾で涙をゴシゴシと拭き顔を上げた。
「……なら、俺はツマミでも作ろう。あんたは料理がからきしのようだしな。台所に血が付着し過ぎて殺人現場みたいになってる」
アウルムは立ち上がり、料理を始めた。
モーズ爺さんの服に付着していた血から、アウルムとシルバは最初は事件を疑ったが、何のことはない。
料理などしたことのない孤独な老人が妻も娘もいない状態で、食事を作ろうとしていた際の失敗によるものだった。
簡単にツマミを作ったアウルムがこの家の食器を使い、普段は1人で使用しているであろう、机に並べていく。
シルバがワインの栓を開けて5つのグラスに注いでいく。
「ジダとモーズの奥さん……」
「リダだ。最高の妻と娘のジダとリダに」
「「ジダとリダに」」
シルバは献杯の音頭を取ろうとするが、彼の奥さんの名前を知らなかった。モーズ爺さんが自信を持って名前を告げる。
それに続いてシルバ、そしてアウルムはグラスを持ち上げる。
そんな2人を見て、彼はありがとうと言いながらグラスに口をつけた。
「ッ! 今ッ! リダとジダが……! ああ……また会えた……」
「……」
モーズ爺さんはワインの注がれたグラスの奥に妻と娘の姿を見た。
シルバはアウルムに視線を送ると、アウルムは何も言わずにゆっくりと頷いた。
それは『現実となる幻影』の優しい幻影であり、モーズ爺さんにとっては確かな現実であった。
「父ちゃん、まだこの街守るからな……」
そう呟いてモーズ爺さんはワインを一気に飲み干した。