8-11話 ガスライティング
(アウルム、ビーリャは無事やしブロンゼスも確保や。今から尋問するがどうする?)
シルバはブロンゼスに剣を向け妙な真似をしないように見張り、アウルムに連絡をする。
(……無事ってのは、文字通り怪我も無かったということか?)
(ああ……俺も意味分からんのやが洞窟の中でお互いに身体預けてリラックスした様子で寝てた。まさかとは思うがこんなジジイと少女が恋愛して逃避行ってことはないよな?)
アウルムの困惑が声色から伝わってくる。それはお前が治療したから無事であって、最初は怪我をさせられていたのか? というニュアンスの含んだ質問であった。
そして、シルバとしての無事なことにはホッとしたものの、状況がイマイチ読めず尋問するにしても、こちらが何も分かっていないのは都合が悪いと、出来るだけ早く正確な現状把握がしたかった。
(ビーリャは拘束されていたか?)
(いや、洞窟ってのが高い場所にあって縄梯子使わんと登り降り出来んような環境やが、監禁というよりは2人で隠れてたって感じかな。手足を縛ったような形跡もない……ストックホルム症候群か?)
(……縛ってないだと? シルバ、もしかしたらビーリャはガスライティングをされてる可能性がある。だとすると……ブロンゼスは自分の妄想にビーリャを巻き込んでいるし、まともな会話は難しいかもしれんな。
今、領主のダルグーア男爵と話していたんだが、ブロンゼスの性格や直近の行動、どうにもおかしい)
(おかしいって? あ、ちょっと待ってくれ)
「テメェ動くなって言ってるやろうがッ! マイルズッ! 登ってこいッ!」
「グゥッ!」
シルバはブロンゼスの頭を足で踏みつけて動けないようにする。すぐにマイルズを呼び、ビーリャをこの場から回収してもらう。
「シルバ! ……ッ! ビーリャッ!?」
「大丈夫、寝てるだけや、外に出したってくれ。んで、降りたらモーズ爺さん呼んできてくれ……登れるかなあの人」
「んしょっと……はぁ……ジジイ扱いするんじゃねえ……ああ良かった……」
間髪入れずにモーズ爺さんも登ってきていたようで、息を切らせながらビーリャを見て表情が緩んだ。
「んん……マイルズおじさん?」
「ああ、俺だ。心配したぜ全く……さあ帰ろう」
マイルズは抱えられて目を覚ましたビーリャの頭を撫でながら、声をかけた。
「待って! ブロンゼス様は!? あの人が助けてくれたんだよ!? 私がウルドに狙われて殺されちゃうから隠れないとって! ウルドがいる街に戻ったら危ないよ!?」
ビーリャはマイルズの腕の中で暴れ出してパニックになりかける。
シルバは咄嗟に『不可侵の領域』の設定を変えてブロンゼスの姿を隠した。
「あ、ああ……話は聞いてるんだが……ブロンゼス様は今は居ないみたいだな……街の方は領主様が動いてくれてるから大丈夫だ」
マイルズはビーリャに説明をしながらシルバにアイコンタクトを取る。これで良いのだろう? 被害者であるビーリャに何もかも本当のことを言う必要はないし、ブロンゼスを庇われたら面倒だよな、という確認の視線である。
「分かった……でもブロンゼス様探してねッ!?」
「ああ、もちろんだ」
(アウルム、聞こえてよな?)
(しっかり聞いている)
念話は自分の意思により周辺の音を拾うのか、自分の心の中での声だけを送るのか、操作が出来る。
シルバは状況をリアルタイムでアウルムと共有していた。
(ガスライティングってのは俺は意味が分からんが……要するに、ウルドって共通の敵から逃げるって言うストーリーをでっち上げて隠れてたってことやろ?
だから、縛る必要も無かった。自主的に酒樽の中に入らせて運び、ここから出たら危ないから大人しくしてる……中々賢いやんか?)
(それにビーリャの歳の割に話し方が幼かった。恐らくは発達がやや遅めの子なんだろう。それもターゲットになった理由の一つだな)
(大体事情は掴めてきた、詳しいことは聞き取りしてからやがマイルズがビーリャを連れて街に戻るから後は頼む。こっちは……ちょっと時間かかるわ。モーズ爺さんの目つきヤバなってるし、聴取も簡単じゃないやろう。
悪いけど、ウルドはお前がシバいてくれるか)
(あまり俺の戦闘は晒したくないが……仕方ないか、今のところ俺はエイサの肩入れをして街のことを根掘り葉掘りしてる怪しい男って印象だからな。
憎き、エイサとウルドを倒して人心を掌握し、今後のビジネスをやりやすくするようにシフトさせるしかないな)
(ああ、ホンマならそういう表の顔は俺の仕事やが、流石に娘殺されてるかも知れん爺さんほっとく訳にもいかんやろう?)
(それはそうだが、殺した後の偽装はしっかり頼むぞ)
(了解、んじゃそれ以外の火消し作業は任せた)
「シルバ、もう良いんだろ? アウルムと連絡を取ってたんだよな?」
念話を終えて、モーズ爺さんの方を見ると、それを察した彼は槍をギュッと握りしめる。
「黙ってただけやのに、よく分かったな」
「お前、喉が動いてんだよ。そこから何となく予想は出来る……さて、ブロンゼスお前に聞きたいことがある……お前、俺の娘……ジダが消えたあの時、あれはお前がやったのか?」
「ジダか……懐かしいな……」
「ッ! コイツッ……!」
「待て待てッ!」
モーズ爺さんの質問に目を丸くして、本当に過去を懐かしむような表情をしたブロンゼスに殴りかかろうとしたのをシルバは止める。
「殺したのか!? 俺のジダをッ!? 答えろッ!?」
「モーズ、お前……記憶が戻っているのか? ああ、だからここが分かったんだな……お前の言うことなんか誰も信じないと思ったから見つからない自信があったのに……そう言えば子供の頃、俺を見つけたのもお前だったな」
「俺の質問に答えやがれこの畜生めが!」
「殺してない……ジダは勝手に死んだんだ。ここに登る時に足を滑らせて落ちて、頭を打ったんだ。俺は殺してない」
「な、な……何を……」
それは、お前がそもそも何をしなければ、ジダは頭を打つことなんて、そもそも起こらなかっただろうが、それを何を他人事のように、悪びれもなく言っているんだと、驚きのあまり言葉が出ないモーズ爺さんの感情をシルバは読み取る。
罪の意識、罪悪感を覚えない犯罪者、また自分のやっていることの悪さを理解していない犯罪者、珍しくもない。
何故自分が捕まったのか、まともに答えられない犯罪者は普通にいる。
平均よりも低いIQ、子供の頃の環境、怪我などによる脳の損傷、理由は様々であるが、根本的に反省して、自分の行いを後悔することが出来ない犯罪者に直面した時の絶望感というものをシルバは知っている。
だが、モーズ爺さんは知らない。未知の邪悪に対峙し、どうすれば良いのか、頭の良いモーズ爺さんであって知らないことに対して適切な対処は出来ず、フリーズしていた。
「……ジダ、そしてビーリャをここに連れてきたのは同じ理由か? 危ないとか、隠れんといかん、みたいなこと言って連れてきて……お前は何がしたかったんや?」
「そうだ、寂しかったんだよ」
(会話が微妙に噛み合ってないな、ああコイツ自体が精神の発達が止まってるんか……?)
「お前、ガキの頃ここでビーリャくらいの歳の女の子と隠れて遊んでたんちゃうか?」
「なんで知ってる?」
「知らん、考えただけや。モーズ爺さんが言ってた。ここで隠れて行方不明になって大騒ぎになったってな。その後はそこで遊ぶのは禁止された。
でも……そうやな、お前の奥さんとその後も隠れて遊んでたんちゃうか? それがお前にとっては大事な思い出で……子供が死んだ時はジダ、奥さんが死んだ今回はビーリャで、あの時の思い出を再現しようとした……こんなところか」
「…………ここは特別な場所だ、楽しい気持ちになりたかっただけなんだ。何も悪いことはしていない……それなのに、なんで俺に武器を向けてるんだ? 俺はこの街の騎士だぞ?」
「こ、コイツ……シルバ……コイツは一体何を言ってるんだ……しらばっくれてるのか……?」
シルバにはブロンゼスの思考がある程度は理解出来た。共感しているのではないが、何を考えて、どういう理屈で動いているのか、それは分かる。
モーズ爺さんはそんなブロンゼスを化け物を見るような目で見て、若干の怯えが声に出ていた。
「モーズ爺さん……こいつは適当なこと言ってこの場を切り抜けようとはしてない。自分のしてること、それが悪いことやって理解出来ひん頭やねん、元からな。
こいつを問い詰めて反省しろとか、謝れとか言っても無駄や……終わりにしよう」
シルバはモーズ爺さんの肩を叩く。本人としてはやりきれないだろう。せめて、ジダのことを後悔していると泣いて詫びれば気持ちの整理もつくというものだが、ブロンゼスには意味がない。
モーズ爺さんは涙を流し、やめろやめろとこの期に及んでも騎士である自分を殺そうとするのは間違っていると的外れな説得するブロンゼスの心臓を槍でゆっくりと刺した。
ブロンゼスの目から光が失われていくのを2人は眺めて、死んだことを確認した。
死体はシルバによって傷のない状態で森の中に捨てられ、モンスターの餌となる。
***
「ダルグーア男爵、決断をしてください」
「街を守る為に教会を敵に回せ……と言うのか? いやしかし、それでは結局街を危険にするだけではないのか……」
「教会の一部は敵に回すことになるでしょう。だが、そもそも教会はこの街の味方ではないですよ。ただの金ヅルです。しかしこの街が教会の敵になれば、それだけで教会の資金源を潰すことになり、弱体化はさせられます」
「それは理屈の上ではそうだろうが、この街を守る義務があるのだぞ、私は」
アウルムは今回の事件の顛末をダルグーア男爵に報告した。騎士ブロンゼスが犯人であることに驚きはしたが、それと同時に、その真相に納得もしていた。
どこか、周りの者とは少し違う、そんな理解の深いものではなかったが、日々のコミュニケーションの中での違和感や不気味さのようなものは感じ取っていた。
そして、このままブロンゼスが犯人であり、エイサたちには疑ってすまなかった、で済むレベルの話ではなくなっていることもダルグーア男爵は重々承知であり、目の前が暗くなった。
そんなタイミングで提案される悪魔のようなアウルムの策。
確かに、この場を収める方法はそれしかないようにも思える。だが、それは問題の先延ばしであり、より大きな問題が後から襲うだけではないのか、そんな不安は拭いきれなかった。
「ダルグーア男爵、あなたが領主としてこの街を守らなくてはならない。それは当然のことです。
では、そのあなたを……いや、シャイナの一部であるダルグーア領は国が守らなばならない義務がある、という大前提をお忘れですね」
「それは建前でしかない! ワインを生産する拠点でしかないこの街がワインを作れないのであれば、守る価値はないと王都は判断する!
お前が言っているのは守られる価値を放棄せよという本末転倒な話だ!」
「では良いことを教えて差し上げましょう。あなたは教会を敵に回すと考えるようですが、厳密には違います。勘違いをされてる。
契約は教会という団体に対してではなく、教会に所属する大司教個人と、この街のもの……まあ大司教は間違いなく怒るでしょうが、それを喜ぶ教会の人間もいるということですよ」
「お前……敵に回すのは大司教1人……いや、その派閥だから問題ないとでも言うつもりか?」
それの一体どこが『良いこと』なのか、まるで理解出来ないとダルグーア男爵は感情が出過ぎていることも気にする余裕がなかった。
「問題ありません、ちゃんとこの街が生きていくプランは用意しています。それも王都の騎士や後々には軍が絶対に守りたいと思えるようなものをね」
「王都の騎士……それに軍だと!?」
感情が殆ど顔に出なかったアウルムの口角が少しだけ上がった。
その変化を見逃さなかったダルグーア男爵はそれを酷く不気味かつ恐ろしいと思ったが、いきなり大きくなった話の続きがどうしても聞きたくなってしまった。
「まあ、実際に試してもらった方が早いでしょう。こちらを飲んでください」
アウルムは懐から瓶に入った黄色い泡立つ液体を取り出して、ダルグーア男爵に渡す。
「この得体の知れないものを飲めと?」
「毒でも入ってると思っているのですか? この密室で? あり得ないでしょう。
大体、私はAランクの冒険者の実力があるのですよ、殺そうと思えばいつでも殺せます。
これは疲労回復が可能な新しいポーションです。まあ、最初の一口は毒味として私が飲みましょう」
アウルムは蓋を開けて、液体を流し込む。それを見たダルグーア男爵は逡巡した後決断する。
「……良いだろう、これを飲まないことには話が進まんのだろう? ……こ、これは……身体の重さが抜けていくようだ!?」
一気に飲み干し、すぐにその効果を感じたダルグーア男爵は目を丸くしながら、手のひらを握ったり、歩いたりしながら自身の体調の変化を確認する。
「これをこの街で作ってもらいます。このポーションの効果は今実感してもらった通りで、これは警備局……厳密にはフリードリヒ殿下主導ということになりますが、王都の情勢に関しては多少ご存じでしょう?」
この時、ダルグーア男爵は人生の中で最も素早く思考した。
王都の事件、王位継承問題、フリードリヒ王子、キラド卿派閥の支配する警備局、騎士の影響力の低下、ヴィルヘルム王子派閥の軍による戦争の動き……大きな戦局での視点が広がる。
「これを……フリードリヒ殿下が、ヴィルヘルム殿下に売る……必ず欲しがるだろう、もし、本当に量産出来るのであれば今後無くてはならないものになるのは間違いない。
そして、その拠点であるダルグーアはどちらの派閥も教会から絶対に守ろうとする……そういうことなのか……貴様ッ! 最初からそのつもりでこの街にッ!?」
「言っておきますが、ブロンゼスやエイサの件はただの偶然ですよ。本当は商談に来ただけです。この状況を多少利用させてはもらいましたがね……ですから、教会を敵に回す心配はそこまで必要がないということです。
それで、最初の話に戻りますが、決断していただけますか?」
「ああ……あのお方はどこまで見えているのだ……キラド卿……本当に恐ろしいお方だ……」
ダルグーア男爵はこの作戦はキラド卿によって仕組まれたものだと、勘違いをしているようだったが、あえてアウルムはそれを否定しなかった。
事後報告とはなるが、この件はキラドと共有する必要がある。本来であれば越権行為、それも度が過ぎているような行動ではあるが、キラドは首を横に振ることは出来ない。
この街の問題を解決出来ればして欲しいと言い出したのはキラド本人であり、派閥の力が弱くなっていることも理解している。そのどちらの問題も解決することが出来る話は認めるしかない。
これはアウルムの希望的観測ではなく、情報を集め、キラドという人間をプロファイリングした結果の確度の高い予測である。
事後報告に関しても、いまだにヒカル陣営やヴィルヘルム陣営によるスパイはいると考えられ、情報漏洩が問題となっており、秘密裏に動くことが最善だったと答えを出すことも分かりきっている上での独断による行動だった。
「ダルグーア男爵、決断を」
「……分かった。アウルム、ブロンゼスの件は揉み消し、エイサを裁き、ウルドは殺せ。
この街は教会に喧嘩を売ってやろうではないか。住民も教会に搾取されてきたのだ、熱心な信者などおらん。
生活、そして安全さえ保証されているのであれば、喜んで参加するだろう」
「分かりました。ではさっさと問題を片付けましょう」
アウルムはニヤリと笑いながら立ち上がり、ダルグーア男爵と共に部屋を出た。