8-6話 アンバーアラート
シルバは起床すると、いつの間にか散歩から戻ったアウルムがベッドで寝ていることに気がついた。
「う〜ん、街って言っても家々の間隔がかなり広いし空気がこもってないから綺麗やなあ」
窓を開けて太陽光を部屋に入れ、猫のように背中を伸ばしてストレッチをする。
高い城壁と密集した住居の並ぶ都会の街の空気は澱んでいて、風が悪臭を運ぶ。ここにはそういったストレスはなかった。
現在の時刻は午前9時。客人という立場であるシルバたちの起床時間は遅い。客が早く起きれば宿の者はそれよりも早く起きなければならないから、最低限のマナーとして普通に働く者よりはゆっくりとしたペースで活動する。
逆に朝早くからギルドへ行き仕事をしなければならない冒険者は宿屋では朝食にありつけないので、それを狙ったパン屋や露店が都会ではある。
この街にはそんな便利なものはなく、各家庭で朝食を作る為火を起こして上がる煙が煙突から見えていた。
道の方に視線を下せば行き交う人々の姿があり、走ってどこかへ向かう者もいる。
「歯磨くか……」
自作の歯ブラシと歯磨き粉で歯を磨きながらボンヤリと外の景色を眺める。いつもとは違う景色の朝。見慣れない場所からの1日の始まり。
この世界ではいつだって初めてのことばかりであり、外に出れば退屈しない。
これこれ、こういう生活がやっぱり性に合っている……と、シルバは久しぶりの旅の面白さを再確認する。
「朝からドタバタしとんなあ……ん〜? って言うか……なんか…………トラブルっぽいか?」
兵士と領主の騎士風の男たちが何やら慌てた様子で話し、馬が何度も物凄い速度で走って往復している。
単に朝の忙しさでは説明がつかない雰囲気を感じ取った。
「アウルム起きろ、なんかあったみたいやわ。俺らも出掛けるで、1分で支度しろ」
アウルム、と呼ばれた瞬間には目を覚ます異常な睡眠の浅さに気持ち悪ッ! とシルバは思いながらアイテムボックスから着替えを渡して支度を急がせる。
「……で、なんなんだ?」
「さあ、知らん。でも騎士まで出張って馬走らせるんや。しかも全員血相変えとる。これがこの街の朝の普通とは思えんやろう。悪徳商人エイサと護衛のウルド絡みのトラブルってのが、まあ自然な予測やが……」
「とにかく聞いてみるしかないだろう」
***
「おはよう! え〜と、確かマイルズやったか」
「悪いが今は呑気に挨拶してる暇じゃねえんだ。ったく、面倒なことになりやがった!」
「おいおい、何があったんや朝から……随分と騒がしいみたいやが?」
昨日、門で話した兵士のマイルズにシルバは声をかけた。しかし、マイルズは朝から疲労困憊といった表情で余裕がない。
「いやそれが……ビーリャって女の子が見当たらねえってんで騒ぎになってな……街中探してても見つからねえし、それよりも厄介なのがその犯人がウルドってゴロツキだって皆思ってて……いや、俺もそうだと思うんだが一触即発状態でキレてる両親や住民で殺し合いになりそうなんだよ!
今は騎士様も手伝ってもらって抑えてるが……こりゃ多かれ少なかれ血が流れるぜ……」
「なんか森の方に採集に出かけたとか……そんなオチちゃうんか?」
「かもな……その線もあるから一応森の方にも捜索隊は向かわせてる。だが、皆どっかであいつらに感情をぶつける口実が欲しかった……ってのが正直なところな気がして……いや、事情も知らねえ客人のあんたらに言っても仕方ねえんだが……いや、待てよ……」
マイルズはブツブツと呟きながら、閃いた、と表情を少し明るくする。
「あんたら冒険者だよな……! 悪いんだが……!ビーリャが森にいねえか探してくれねえか? 騎士様たちだって戦えるが本来の業務そういうのじゃねえし、狩りをするあんたらの方が見つけられるかも知れねえッ!」
「期待してもらって悪いが……いや、お前だって本当は分かってるだろう、森を舐め過ぎだな。初見でそう簡単にいるかも分からん少女を見つけられるとは思えない。
最低1人でもこの周辺の土地に詳しい者がいないと危ないだろう」
(……よう言うわ。お前にはそんなもん関係ないやろうが)
マイルズは軽いパニック状態で冷静な判断が出来ていない。地元民でもない冒険者2人を森に行かせたところで大した成果など上がらないと、普段ならすぐに思い至るはずだった。
アウルムは冒険者としての常識的かつ模範的な回答をする。ただし、出来るかと言われれば出来る程度のお願いだった。
「……すまん、どうかしちまってるな……そりゃそうだ。だが、森にはモンスターもいる。もうすぐ俺たちも街の中を捜索するがここは結構デカい。
案内をつけるから冒険者としての視点で何か知恵を貸してくれねえかッ! ビーリャさえ見つければ騒ぎは取り敢えず収まると思うッ!」
「それは冒険者である俺たちに対しての依頼か?」
「おいッ! 今はそんなこと言うてる時ちゃうやろ!」
アウルムを諌めるようにシルバは肘で小突くが、ただの意地悪ではなかった。
「いや、逆に今しっかり話すべきだ。この街に来たばかりの俺たちが疑われる可能性を排除したい。何の報酬も受け取らずに仕事を手伝うなんて普通に考えて怪しいじゃないか?」
日本でならば、善意、親切な人、ボランティア、そんな言葉で解決するかもしれない。しかし、この世界は日本に比べるとドライで打算的。
何をするにしても対価を払う必要がある、という考えが一般的なので人の善意を利用して動かすのは難しい。
良く言えば日本よりも労働に対する意識は高い。
そして、報酬を欲しがらないというのは極めて奇妙な行為に映る。言わば『貸し』がある状態。
この世界の住人は貸しがあることをかなり嫌う傾向にあり、恐ろしいとも考えている。貸し一つで元々の用件よりも難しい要求をされるかも知れないと考えてしまうからだ。
だからこそ、金や欲しいものをはっきり言ってくれる方が良く、タダで良いなんて奴は相当に怪しく不気味である。
マイルズは当然後から何か対価を出すつもりであったし、そういうこともこの世界ではあるにはあるが、トラブルの元となる可能性は無視出来ない。
不必要なリスクを抱えたくないアウルムは要求する。
「単にウロウロしてそのビーリャとかいう娘を探すだけなら銀貨1枚ずつで良い……もしくはここのワインか」
「ワ、ワインか……う〜ん……銀貨ならなんとか……」
「あ〜この街の住民はワインそんな簡単に飲めへんらしいで……」
マイルズは明らかに困ったので、シルバは助け舟を出す。
「い、いやっ! エイサだって自分の護衛が疑われてるのは都合が悪い。無関係だって証明出来て丸く収まったらワインの一つや二つ流石に融通してくれるとは思うッ……!」
「なら、お前がその話をつけろ……」
「分かった……!」
「……何故お前個人が勝手にそんな判断をする?
これはお前の問題ではなく、街の問題。治安を守る兵士たちの問題で、お前一人が抱えるべき範疇を超えた要求だったはずだ」
「ッ!」
シルバは気がついた。
捜査は『既に始まっている』と……。アウルムはこの目の前の男、マイルズを疑っていると。
「……身内なんだよ! ビーリャは俺の奥さんの妹の娘ッ! 家族みたいなもんだろ! 俺個人じゃなくて俺は一応一家のリーダーだから街の兵士ではなく家のリーダーとして判断したし決断する責任も権利もあるッ!」
「そうか……了解した。依頼を受領する」
「依頼受けるからには約束守れよ?」
「当たり前だッ! 頼むぜあんたら!」
一歩強く出て、すぐに一歩引く。心理的な駆け引きをして、関係性を構築し言質を取る。
シルバの『破れぬ誓約』の発動条件が整った。
「だが、まずはそのエイサとウルドのところに行く。話を聞きたい」
「ああ、なんならボコボコにしてやって構わねえよ。誰も止めねえ。あいつらには我慢ならねえからな……昨日ギルドカードで見たが2人ともAランクなんだろ?
なら、腕っぷしも強いはずだ。2人がかりならウルドもなんとか……」
マイルズは勘違いをしている。正確にはアウルムに勘違いをさせられている。
ボコボコにしても良いが、それとこれとは全くの別件。
そもそも、犯人の可能性があるが確定はしておらず容疑者の1人でしかない。
少し話をすると言ってマイルズと距離を空けながら問題のエイサとウルドのいる家まで向かいながら2人は話す。
「よお、マイルズに突っかかったんはワザとか?」
「当たり前だ。『解析する者』でビーリャとの関係は見えていた。彼女と近い関係にある者。誘拐、行方不明の事件において統計的に最も疑わしく、犯人である確率が高いのが『身内』だ」
「だから対価を個人的に払うって話持ち出した時点で捜索をコントロールしようとしてる可能性を疑って揺さぶりかけたって訳か……」
「ハッキリ言って、捜索自体関わらせるべきではない。この世界の連中に言っても無駄なことなのは分かっているがな」
犯罪捜査において、その事件に直接的に関わったものを加えるべきではないし、今回のケースで言えばマイルズが犯人である可能性も拭えない。
犯罪者は積極的に事件に関わりたがる。最前線の捜査状況を把握して先回りしたがるし、方向性を曲げることも出来る。
悲しむ親族の反応を楽しむことも出来るなど、メリットが非常に多く、関わろうとする者ほど疑わしいとアウルムは言う。
「にしても……この街来て早々事件で人探しか……やっぱ外は退屈せんなあ……あっ、マイルズ! ビーリャがおらんようになったんは今日の朝とか明け方の話か?」
「昨日の夜だ……日が沈んで4時間くらいから姿が見えてねえ!」
シルバはいつ居なくなったのかを聞いてなかったと前にいるマイルズに声をかける。早足で歩きながら、マイルズは反転して後ろ歩きを一瞬して返事をした。
「ッ……!」
「となると……午後10時くらい……12時間は経ってるから……タイムリミットは72から12を引いて……60時間……か……?」
シルバは誘拐事件においてのタイムリミットとされる72時間のルールのことを気にしていた。
だが、それを聞いたアウルムの顔色が少し変わったことに気がついた。
「違う……」
「え? 計算間違ってたか……?」
「そうじゃないッ! 72時間、それは災害時における人間の活動限界と通常の誘拐事件における発見の可能性がほぼ0になるまでの時間だ」
「いや、だから誘拐っつーか行方不明なら同じやろ72時間引く12時間で60時間やん」
「12時間だ」
「はぁ? いや、だからァッ……」
話の噛み合わないアウルムにイラつきながら反論をしようとする。
「ビーリャが生きて発見出来る可能性のあるタイムリミットが残り12時間だ……!」
「ッ!?」
行方不明の対象が児童と言える年齢の場合、事情が変わってくる。
タイムリミットは24時間。非常に短く、それを超えると発見不可能かつ、死亡率がグンと上がる。
理由にはいくつかあるが、そもそも大人よりも簡単に子供は死ぬこと。
誘拐犯としては子供というのは扱いが難しく、レイプ等の目的が達成されれば監禁することの難易度が高く、殺して捨てる方が簡単なことなど、極めて難しい事件であることをシルバは理解していなかった。
故に、通常の行方不明よりも一刻一秒の早期解決が望まれる。
それにしては既に12時間……これは時間が経ち過ぎている。遅過ぎる。
もう街中の人間がこの騒ぎに気付いているだろう。事件が明るみになれば、まだ生きていたとしても犯人は動揺して、ビーリャを始末する可能性が上がる。その方がリスクが少ないからだ。
「ネットもテレビもない……アンバーアラートも発令出来ない……犯人を最初から決めてかかってる……マズイな……」
「アンバーアラート?」
アンバーアラート──誘拐事件等が発生した際に周辺に事件を伝える警報システムのことであり、アメリカ、カナダで運用されている。
1996年、アメリカでアンバー・ハガーマンという当時9歳の少女が誘拐され犯人は検挙されず発生から4日後に死体で発見されたことから、このシステムが構築された。
誘拐された児童が死体で発見される事例は多く、何よりも早期の捜査捜査と発見が求められる。死んでから見つかっても意味がない。
何もかもが遅く、足りていない。
アウルムは珍しく焦っていた。やったことのないタイプの事件の捜査。知識では知っているが実際のノウハウがない上に12時間しかないタイムリミット。
加えて、この先起こり得る問題にも頭を悩ませる。
「……ウルドかエイサが犯人の場合はまだマシだ。奴らはキレた住民にリンチされて殺されてそれで終わる。
だが、違ったら? 人攫いなんてまずいない田舎街で奴らの家や所有する建物からビーリャが見つからなかったら?」
「……魔女狩り……集団パニックやな……おいおい、ヤバいやんか」
この街の人間、いやどこの地域であってもそうだろうが、まさか自分の住む街、自分の身近なところにそんな悪魔のような存在がいるとは想像もしない。
しかし、実際にウルドたちが犯人では無かったと分かった時に起こるパニックは捜査の邪魔となる。
「だからそう言ってるッ! 良いか、俺は奴らを尋問する。お前は被害者像を調べて親族への聞き込みをして、まずは親族が犯人である可能性を排除しろッ!」
「こういうタイプの刺激が欲しかったわけじゃあないんやがなあ……」
冒険、旅がしたかっただけで、こんなシビアな話になるとは思っていなかったとシルバはため息をつきながら歩いた。