8-5話 街に蔓延る悪の気配
「珍しいな……冒険者の旅人か」
「この先にいるモンスターの依頼でな。ここは宿はあるんか?」
冒険者のギルドカード、街に入る税金を出しながらシルバは無愛想な門番の兵士と軽く話す。
「あるが旅人はほぼ来ないから一軒しかないし、期待すんな。まあワインは美味いがな。金持ってたらの話だが」
「おい、その宿は俺の実家だぞ。期待すんなって……そりゃねぇだろ?」
隣にいた、兵士が無愛想な兵士を肘で小突きながらため息をつく。
「ああ悪い悪い……まあ、親族の贔屓目なしの意見の方が参考になるだろ? ワインとそれを使った煮込みはまあまあイケるから食うならソレだな……昔は好きだったけど、もうワインは気安く飲めるもんでもねえからなあ……」
「そうか、悪いけど案内してもらえるか? こういう街やとよそ者がウロウロするとロクなことないからな」
シルバはコインをピンっと弾き案内料としてのチップを兵士に渡す。
「金か……正直、この街で金持ってても仕方ねえんだよ。なんか珍しい食い物とかの方が嬉しいなあ」
「って言いながらも金は受け取るんかい。あ〜食い物ねえ……干したフルーツならあるけど」
「フルーツってあんた……流石Aランクだな、良いもんをヒョイと出しやがる」
シルバが胸ポケットから取り出したように見せたのは小熊族のドライフルーツ。オヤツにちょうど良い。
無愛想だった兵士もそれには目を輝かせて凄えと小さな声で呟きながら金よりもありがたそうにポケットにしまった。
この程度で、印象を良くスムーズに街を案内してもらえるのならば安いものである。
「ん……? なんや、この街はあんな爺さんまで兵士か? 言っちゃあ悪いがちょっとキツイと思うんやが……」
シルバが目に留めたのは剣を腰に下げ、槍を持って曲がった背中で立つヨボヨボの焦点すら合ってるかも怪しい老人だった。
「ああ……いや、あのモーズ爺さんはなあ……兵士『だった』んだけども、歳でボケちまって『まだ』兵士だと思い込んでて誰の話も聞きゃしねえから、ああやって仕事っぽいことをしてもらってるのさ。
誰の迷惑にもならねえからな……まあ見てな……お疲れ様です! 旅人を宿に案内します! 」
「了解ッ! こちらは異常なしッ! 任務を全うせよ!」
「はっ!」
モーズと呼ばれた老人は曲がった背中を瞬間的にビシッと伸ばして兵士の敬礼をしながら異常がないことを伝える。その瞬間だけは本物の兵士のように鋭さがあった。
「……な?」
「は〜ボケてても兵士やった頃の自分は忘れてへんのか」
「奥さんも子供も、もう死んでんだが……まあ、当時は結構落ち込んでててな。それすら覚えてねえのはある意味幸せなのかも知れん。今のあの人は兵士長として全盛期の記憶に戻っちまってるようだ」
(認知症……アルツハイマー……治すべきではない……治すのが正解かも分からん病気もあるか……思い出したくない、思い出さん方が良いこともあるしな……)
ラーダンは自分の記憶を取り戻すことにかなり執着していたが、知らない方が良かったというパターンもあり得るなとシルバは考えながらアウルムと共に歩き、宿に到着する。
***
「ぶっちゃけ、俺らに宿のランクとかはさあ、もはや関係がないけども……こういう田舎町の宿屋泊まるとこの世界の人間は凄いよなあ。
ノミとかダニとかがぴょんぴょんしてる汚い部屋でも平気で寝れるんやしさ」
「この世界の人間は俺たちの感覚からすれば驚くほど頑丈だからな。子供でもそれなりに鍛えてたら素手で殺傷能力があるというは恐ろしい世界だ」
シミのついたシーツや天井を眺めながらシルバはベッドの上に寝転び、呟いた。
部屋に入った瞬間に『不可侵の領域』で害虫を排除して、防音する動作も当たり前のようにこなす儀式のようなものになっている。
「見ろ、街の明かりもデカい道以外ほとんどない。真っ暗闇や。田舎の夜は早いねえ。言うたら悪いけどこの宿屋の感じやと娼館は期待出来ひんやろうなあ……あっても病気移されるわ」
「いやむしろ夜でもずっと明るかったバスベガが異常だ。それよりも気になったのはあの爺さんだ……お前、気がついたか?」
窓はガラスなど使われておらず開閉式の木の板。シルバはそれを開けて点ほどの大きさである家々から漏れた明かりを探しながら夜のお楽しみはナシかと肩を落として話す。
「……ああ、ズボンの裾についてた血か? 確かに気になったな。そりゃ乱暴な奴や酔っ払いをぶん殴って抑えるのもこの世界の兵士ならあり得るから不自然ではないが……」
「名誉兵士みたいな爺さんがそんなことに首突っ込むかってところだよな」
「いかんなあ……職業柄、些細なことでも気になるし、何か事件かもって邪推してまうわ。
まっ、せいぜい動物とかの解体でついたってオチやろうな。平民でも鳥くらいなら普通に捌くし……大体、あんなボケた爺さんが殺人犯って無理があるからな」
「かもな。だが、気になる。明日一応調べておくか……」
「おいおい、調べるのはここで幅利かせてる商人やろうが。人柄、好み、護衛、教会の誰とどういう関係にあるのか、調べることは山ほどあるぞ。
この国の北部はこの世界で最も権威ある宗教のお膝元。各国に絶大な影響力を持つ教会と喧嘩しようって話やねんから、よそ見してる余裕ないで?」
アウルムの好奇心と神経質さが出て本来の目的を見失わないようにと、シルバは注意する。
実際、ビジネスとその先の活動の為にこの街がうってつけであるとは言え、問題自体は相当に厄介なものである。
通常、宗教ならば種類によって○○教のような言い方をするが、この大陸の宗教とはそれすなわち光の女神を信仰するものであり他の宗教は存在しない。
よって、光神教のような呼び方も一般的ではない。
──あるのは神の教えに対する姿勢の異なった派閥のみ。
教会側の人間からすれば、亜人種は全て異教徒であり排除すべしと考える者や、貴重な労働力であるので改宗されることで十分であると考える者、多様である。
しかし、教義、信条、それらはあくまでも建前であり、実態とは異なるということも珍しくない。
その分かりやすい例がこの街の利権と搾取である。
教会の人間には神よりも金を信じる拝金主義者がそれなりにいる。そんな者でも結局は教会に多額の金を入れれば良き信徒であると認められる。
宗教団体、巨大な組織に起こりがちな腐敗が特に驚くこともなく当然のようにまかり通るのが現状である。
「この街のワイン、早速飲んでみるか……」
「俺は散歩に行く」
「また散歩か! お前知らん街来たら散歩ばっかしよるな!」
「『入り口』が作れないからな。後で便利になるし情報も手に入る」
シルバはこっそりと出かけるアウルムを放っておき、宿屋の一階に降りて、店主に酒を頼んだ。
「いや、悪いんだが……ない……」
「え? ここワインの名産やろ? 切らすってことあるんか?」
「確かにダルグーアはワインの名産地だ。最高級の上等なワインの教会のお偉い人や王族、貴族なんかが主な客だ。だが、そんな高級品、俺ら庶民じゃとても高くて買えねえよ。
年に一回、収穫の祭の時だけグラス1杯飲むことを許される。そういうワインなんだ。
だから、殆どよそから客の来ないこの街の宿屋にそんなものは置いてないのさ」
(カカオ工場でチョコ食えへん子供みたいな話や……!)
ワインボトル1本の値段はこの街の住民の平均的な月収3ヶ月分。
多大な手間をかけ、丁寧に作り上げたワインだが原価計算をすれば、決して手が届かない値段ではない。
だが、ワインは全てこの街の人間のものではなく、教会のものである。あくまで、この街は下請けでありこの街の人間が自由にしていいものではない。
故に、作り手であってもワインは飲めないし、旅人も滅多に来ない、月に1度のワインを運ぶ商人の為だけにあるような宿屋には置かれているはずもなく、店主は申し訳なさそうにするだけだった。
「え〜……あ〜じゃあ、どうやったら手に入る? 売ってる場所とか人とか、交渉出来るような方法はないんやろうか?」
「……あるにはあるが、オススメは出来ねえ……いや正直言ってやめた方がいいし教えたくもねえな」
「なんでや〜ここのワインは王都でも全然出回ってないし特別なコネがないと手に入らんやろ?
せっかくここまで来たなら飲みたいんや〜。そりゃ原産地なら買えるところがあるはずやろう?」
店主は頭を掻いて言うべきかと悩みながら、消えそうな程の小声で言う。
「はあ……ちょっとこっち来な、兄さん」
なかなか粘るシルバに店主は折れて奥の厨房の方へ来いとシルバを連れて行く。
普段ならば、適当にあしらって終わらせるのだが、シルバはカメリアから得たスキル『罪な男』によって何故か放っておけないと思って、つい親切にしてしまう。
「なんや? 人目を気にしてるのは分かるが、何が怖い?」
「エイサって男がいる。この街とかその近辺のエリアを統括してる大司教様とベッタリのクソみてえな商人だ。
そいつが王都のゴタゴタに乗じて、なんだかんだと理屈をつけて最近街に店を作りやがった。
そこで一応金さえ払えば売ってもらえるかも知らねえが……やっぱオススメは出来ねえ。めちゃくちゃ厄介で悪い男だ。その中の護衛にヤベェ奴がいるから誰も逆らえねんだよ。
元冒険者の傭兵で変態だが、腕は確かでな……悪賢いエイサと護衛の『怪力ウルド』に目をつけられて無事で街を出られるとは思えねえし、俺へのとばっちりも怖え。
だから、正直言ってワインは諦めて別の場所で手に入れる機会を伺った方が良い」
「へえ、エイサにウルドねえ……」
「知ってんのか?」
「ま、冒険者やってたら多少は……」
「なら分かるだろうが! 関わるな! ここは水が綺麗だからいくらでも持っていける! 今日しっかり休んで明日にでも出て行った方が身の為だ」
店主はシルバの肩を掴んで馬鹿な真似は考えるなと忠告をした。
商人エイサ自体は、アウルムが事前にある程度調べていたので知っている。評判の悪い商人だ。
そして『怪力ウルド』だが、彼がエイサの護衛をやっていることは今さっき知った。
だが、シルバ個人はその名を知っていた。
怪力ウルド──この世界に来て一番最初に足を踏み入れた街キラドのAランク冒険者であり、乱暴者で有名だったので関わることを避けていた人物。
当時は戦闘スキルもそこまで高くなく、特に争うことによって生じるメリットもなかったので放置していた男である。
一度、冒険者ギルドで酔っ払って暴れていた際に酒の飛沫を浴びてイラついたが我慢した、その程度の関係だったウルドが、どういう運命の巡り合わせか2年後にまた同じ街にいる。
「聞いてんのか兄さん?」
「あ、ああ……まあワインは飲む」
「聞いてねえな!?」
「安心しろ、迷惑はかけん」
「……ッ! Aランク冒険者の証ッ!? 兄さんそんな強えのかッ!? い、いや……ダメだ強いだけで解決出来る相手じゃねえからな、やっぱり関わるべきじゃあないぜ!」
シルバは店主を納得させようとギルドカードを見せたが、それでも心配なようで、やはり関わるべきではないと改めて強く言った。
「そうもいかんのよなあ……まあ今日のところは諦めるわ」
「なんて話の聞かねえ奴だ……あっ! 俺から聞いたことは……」
「言うかよ、むしろ聞いたこと黙っててくれ」
シルバはチップとして銅貨を机の上に置いて部屋に戻った。
***
「ガハハァッ! おいそばかすの女ッ! なんか食うもん持ってこい!
お前ッ! おいそこの乳のデカい女ッ! お前だ! お前はこっち来て俺に酒を注げ」
「…………クッ!」
この街に唯一ある酒屋と飯屋の店主のアマッツは奥歯が割れる程に強く噛み締めて、目の前で起こる光景を眺め我慢することしか出来なかった。
ウルドがこの店に入り浸るようになってもう2ヶ月。
エイサの護衛をする必要のない時はこうやって夜遅くまで酒を飲み、飯を食う。
金はそれなりに持っており、食べた分は払う。逆に金を払ってるんだから文句はないだろうと好き放題をする。
給仕をする女は街の若い娘たちを無理やり集めさせたもので、その中には名前ではなく単に身体的特徴だけで識別される『そばかすの女』呼ばわりされた娘もいる。
「や、やめて……」
「あ? 良いのかぁ? そんなこと言ってえ……お前の親父バラバラにして犬に食わせるぞ?」
遠慮なく酒を注ぐ女の胸を揉みしだき、臭い口で彼女の頬に伝う涙をベロリと舐める。
「あ〜なんかムラって来たなあ……しゃぶれ、ガキ」
「……え?」
「俺がしゃぶれって言ってんだよおッ! 質問なんかするんじゃあねえッこのボケッ!」
ウルドが指名したのは胸も最近膨らんできたくらいの年頃の、誰が見ても子供である12歳の少女。
「お姉ちゃん……」
その少女はウルドの隣に立ち胸を揉まれて泣く娘の姉。
「脱げ、そんでしゃぶれ。ガキでも何言ってるかくらいは分かるよなぁ? オラッ! お前の妹なんだろうが、どうしたら良いか教えてやれや……触るのはある程度育った女の方が楽しいが……見るのはコイツくらいの方が俺は好きなんだよ」
第二次性徴が訪れた頃か、少し前くらいの少女を好む男を一般的にロリコン、ロリータコンプレックスと呼ぶが、この世界においては結婚、出産の平均年齢も低い。
よって、子供を産めない年齢の少女に興奮する、それらの性的嗜好を持つ男を表現する言葉は『変態』のような大雑把なものしかなかった。
少女は泣きながら、そして吐き気を催しながらも圧倒的な暴力の前に屈服し、言われた通りにするしかなかった。
それしか身を守る方法がなかった。
周囲の大人、親たちは何も出来ずに目を閉じて、時間が過ぎるのを待つしかなかった。
ある者は歯が割れ、ある者は手から血が滲み、ある者は唇を噛み、ただその目の前の外道の存在を認めるしかなく、己の無力さを呪い、神に祈った。
(神よ……何故このような酷いことが許されるのですか……! 天罰を……どうか、このクソ野郎に天罰をお与え下さいッ! 私の命はどうなっても良い……どうか……どうか、この街に平和を……私たちをお救い下さいッ……!)




