8-4話 ワインの街ダルグーア
休暇を初めて2週間が経った頃だった。
アウルムはそれなりに誰にも邪魔されない自分だけの時間を楽しみ、武器や装備、エナジードリンクの研究に没頭して昼夜逆転とそのまた逆転を繰り返して、力尽きるまで活動し、眠る毎日を過ごす。
これはアウルムにとって非常に充実した毎日だった。
しかしながら、シルバは違った。最初の方こそ、犯罪、殺人、暴力、そんなものから距離を置いた生活をしていた。
朝、日の出から少ししたタイミングで二度寝を楽しみながらゆっくりと起きる。
ジョギングしてササルカの街を探検する。焼きたての美味しいパンが食べられる贔屓にするパン屋の娘に挨拶して、基地に戻る。
そのパンはアイテムボックスに入れていれば焼きたてのままなので、取り出さずに卵を使った料理とソーセージなどの軽めの肉料理を作り、小熊族のフルーツで出来たミックスジュースをグラスに注ぐ。
朝食が完成すれば、それを引き篭もりの相棒に持って行き、軽く雑談をしながら食べる。
食べ終えた頃には昼前で、ラーダンに教えられた訓練のメニューを淡々とこなす。
暑くなってきたところで誰もいない、実質的なプライベートビーチにマスタングを出して疾走し、運転の練習もしておく。
海に入って水浴びがてら魚を獲ったりもする。
夕方になると、ビーチチェアに寝そべりながら葉巻きをふかして、日が沈むのを眺める。気が向いた時だけアウルムの本をちょっと読むがすぐに飽きる。
今日はアウルムも合流して、ゆっくりとした時間を過ごす。
まるで毎日が旅行中のようで、ふと時間を確認するとまだこんな早い時間なのかと、やたらと1日が長く感じる。
「……飽きたッ! 最初の5日くらいはこういう生活もええやんって思ってたし充実感もあったけど、流石に2週間もやることがないと飽きるッ!
刺激が欲しいッ……!」
「夜は楽器作りしてるんだろ?」
「苦肉の策や……あかん、こっちの生活に慣れてきたと思ったけど、ある意味アドレナリンジャンキーみたいになってる節があるッ!
俺はインドア向いてないッ……! 死ぬ前は自宅で作曲したりするのがあんだけ楽しかったのに俺は変わってしまったッ! 狩りや、狩りがしたいッ!」
シルバは白銀舞の頃、クラブのセキュリティをしながらも作曲家になることを志していた。まだ芽が出ない下積みで生活も安定していなかったので、作曲家と言えるほどの収入がなかった。
元々は両親と同じようにダンサーになりたかったのだが、バイクの事故で関節を痛めており、ダンサーをするのには無理があったからだ。
シルバは知り得ないが、事故の後にインターネット上に投稿していた過去の楽器がヒットして、今も白銀舞として生きていれば作曲家になれていた。
楽器作りというのは、ヴァイオリンとチェロを作ってみようと夕食後から寝るまでの間の退屈な時間を誤魔化す為のものであり、根本的な解決ではなかった。
「なあ、どっか出かけようや。まだ行ったことのない国……までは大袈裟にしても街とかさあ、平和ボケして感覚鈍るの怖いわ」
「狩り……ブラックリストの奴らを追うのはダメにしても、今後の為にやるべきことはあるんだよな……その為に動くか……まあ、表で顔を売るのはいつも通りそっちこ仕事だから殆ど任せることにはなるんだが」
「おっ!? なんや、なんでもいい、パシリでもこの際構わんわ。何かやることくれ!」
「エナジードリンクの製造をする為の場所、材料、人員の確保だな。入れ物の方はそんなに難しくないんだが、それなりの量を生産しなくてはならないとなると、ある程度の規模の街の人間ごと巻き込む必要がある」
「それってよお、レシピの漏洩のリスクあるんちゃうんか? いや、お前1人でそこまで手回らんってのは分かるけど」
「ある程度は自動化……工場みたいな感じで近代的な手法で作るつもりだ。個人が決まったことをして、全体像は掴めないような仕組み、タクマ・キデモンのやり方を真似させてもらう」
「ブロックチェーンとか言うやつか? それがシステム的に出来るとして、街の人間にそれやれって言ったところでやるか? って話やろ。相手は人間で感情があるし、生活もある、新しいことさせるのはそれなりに面倒やと思うけど」
シルバはアウルムの人の感情を無視して効率を追い求めるやり方は誰もがついて来れる訳ではない、それがしっかりとした計画でメリットがあると分かっていても、そう簡単に人は動かせないだろうという考えがあるので否定的な反応をした。
人はアウルム程、合理や利益の計算では動かないものだと、改めて説明する。
「ま、そこがお前頼りなのがこの計画の穴だな。だが、方法……というか、候補はある。
要するに、俺たちが介入した方が助かるような目立った産業のない街だってあるってことだ」
「誰が穴や。つまり、打算ありきで恩を売ってやらせようってことやろ? マッチポンプみたいであんまりやりたくないかもやねんけど」
「商売ってそういうもんだろ? 別に搾取しようって訳じゃないからな? 互いに公平な利益を生む提案をする、その提案を聞きやすくする為……信用を得る為の行動を自覚的にする。
ちゃんと筋の通ったことしかやるつもりはないから、安心してくれ」
そこまで言うのなら、と日がすっかり沈んで暗くなってしまったので基地に戻り話を切り上げる。
***
シャワーを浴びて戻ってきたシルバはアウルムが用意した資料の並んだ机の上に目を向ける。
「これは?」
「まず、ドリンクってことで水が綺麗で美味いとされる場所を候補地にしている」
「んなもん、ぶっちゃけこの世界の生活排水で汚されてへんところはどこでも美味い水やと思うけど」
「そりゃそうだ。更に、俺たちの手で解決出来そうな問題を抱えた訳アリの土地に候補は絞っている」
アウルムが候補としている場所に目印があるのは合計で6つ。
「その、『俺たちの手で』ってのは、『どの』俺たちの話をしてるんや?」
闇の神の使徒、Aランク冒険者、商人、国家治安調査官、ロアノークのような作り上げた闇の世界の人間、2人にはいくつもの顔がある。
そして、そのうちのどういった立場で解決出来る問題なのか、そこは慎重に聞いておくべきだとシルバは判断した。
「それは場所による、ここは調査官、ここは冒険者、ここは商人……とバラバラだ。まあ最終的にはそれらの存在に恩があるプラティヌム商会とパルムーン商会のビジネスの窓口という役割になるのだがな」
「う〜ん……取り敢えずは順番にその訳アリの理由を聞いてみるか」
「まずここだが……」
アウルムは順に集めた情報からこの土地にはこういった問題があり、どうすれば解決出来るのかという具体性のある説明を始めた。
表に出るのはシルバだから、シルバがやりやすそうな土地を選んでいいと言われたので、その視点を持ちながらアウルムの説明を聞く。
「で、どうだ?」
「せやな……今のところ候補は2ヶ所かな。1つ目はここ。理由は何かあった時に地形的に守りやすいから。
2つ目はここ。困ってる理由……ってか、原因がクズのせいで筋通ってないし、ワインの産地ならノウハウ的にも流用して受け入れやすそうやから」
地図を指差しながら、自分なりにシルバは候補地を絞った説明をする。
「うん……やっぱそう言うと思った」
「あ? ……あァッ!? お前ッ……! やりやがったなッ!? これ、『クローズドクェスチョン』やなァッー!? 俺が考えて俺が選んだみたいな感じにしてるけど、お前の中で殆ど答えは決まってたんやろうがッ!?」
「先日の犬派、猫派の件で思いついてな」
説明を終えた後のアウルムのニヤッとした表情、言い方に違和感を覚えたシルバは少し考えてハメられたと理解して叫ぶ。
クローズドクェスチョンとオープンクェスチョン。
オープンクェスチョンは『動物なら何が好き?』のような具体的な選択肢が用意されておらず、回答するものに自由があるような質問。
クローズドクェスチョンは『犬と猫ならどっちが好き?』のような、選択肢が既にあり、その中から選ばせる質問。
そして、シルバは自分で選んだと思ったが、そもそも、選ぶ為の情報は全てアウルムから与えられており、選択肢も限定されていた。
自らの意思で選んだのではなく、アウルムの手のひらの上で踊らされていたということに気が付いたので叫んだのだ。
「俺の本を読んでいないな? これはテストだ。2章を読んでいれば簡単に気が付いたはず。流石に2章くらいまでは読んでくれていると期待していたが……」
「おい! 汚いぞお前ッ! そんな騙し討ちみたいなことしやがって!」
「馬鹿かッ! 敵は騙し討ちだろうがなんだろうがアリなんだよッ! 汚いとか言ってる間に死ぬッ! そういうことへの対策する心構えをしとくべきだろうが! お前が言ってた刺激を提供してやったんだよ!」
「グヌヌ……ッ! 言ったけどッ! 言ったけどなんか違〜うッ! でも確かに間抜けな俺の負けやッ!」
「……まあ、現実的かつ、リスクが少ないのは実際この2ヶ所しかない。どっちかについては、本当にどっちでも面倒とリターンは様々な視点から考えても同じくらいだと思う。
今すぐに決める必要はないが、もう少し詳しい資料を用意してあるから、じっくり読んでから考えてくれても良い」
「分かった……って……動きたいのに結局字読むハメになるんかい……!」
シルバは中途半端に乾いた髪の毛をワサワサとタオルで拭きながら、資料を睨んだ。
「……良い加減服を着たらどうだ?」
「馬鹿やから風邪引かへんねん」
「いやそうじゃなくて……なんでもない……今日はもう寝る」
「お前も汗は流しとけよ〜おやすみ〜……はあ……面倒くさいなあ……」
とは言いつつも自分から言い出したことではあるので、何度も寝落ちを繰り返しながらもシルバは資料に目を通して候補から選んだ。
***
「サァッ! やって参りました! ダルグーア!」
「テンションがおかしいぞ」
シルバが結局選んだのはシャイナ王国北西部に位置するダルグーア山脈の麓にある街。街の名前はそのまま山脈と同じである。
山脈からの雪解け水から出来た川は西部のキラド領にも流れており、上流の水は非常に澄んで清潔で、西の方へと旅する者は途中でこの近辺の川から水を汲み、休憩をする。
アウルムとシルバはキラドに転移し、人目のつかない辺りでマスタングに乗り移動すること3時間、ダルグーア山脈のすぐ近く見える場所に来ていた。
ダルグーアの人口は約2000人。辺鄙な田舎でありながらも、それなりに人が住む規模の街であり、顔が広ければ街の人間全員知っている者もいておかしくない程度の規模感。
主な産業はワインの生産。住民はワインに関連した職人とその家族が大半を占め、キラド派閥に所属するダルグーア男爵が街を統括する。
しかし、このダルグーアには問題がある。問題があるからこそ、アウルムが目をつけたのだが、簡単に解決出来るようなものではなかった。
あくまで、解決した後の影響の少なさやメリットが考慮に入れられているのみである。
このダルグーアの街の財政は赤字である。その原因は主産業のワインの生産そのものにある。
ワインの生産、販売は言わばシャイナの国教である光の女神の教会の利権で、生産のノウハウに関する権利使用料、許諾費、上納金と、あらゆる名目で金がむしり取られる。
利益に対して機材等の維持費や人件費を考慮に入れない暴利での徴収が財政を圧迫して火の車なのが実情である。
「で……教会の徴税人的な奴の悪事の証拠を暴いて俺らのボス、キラド卿へのポイント稼ぎも兼ねてるってか……」
「キラドは現実主義者で、貴族にしては珍しくあまり信心深くない。それどころか、自治に口を出す程の影響力のある教会は前から鬱陶しがっていたから、家臣のことも何とかしてやりたいと思っているんだろう。
だが、ワインの生産をやめればこの街は終わる。キラドは貴族であって商人ではないからな。
教会と手を切った後のことを考えたら何も出来ないのさ。具体的な解決法もないのに介入することは出来んだろうし、そもそも今はそんなことする余裕もない」
「ああ……余裕あったら調査してくれって言われてたリストに入ってたのはそういう事情か。
でも、問題なんかは教会の人間よりもそれと癒着してる悪徳商人……てかほぼヤクザみたいな連中やろ?
そいつらが武力で実質仕切っとるし、貧乏な小規模な街の男爵の程度じゃどうにもならんと……それをどうにか冒険者を依頼する金もない、か……」
「行こうか。ここからは旅の途中で寄ったAランク冒険者のアウルムとシルバだ」
「おうけぃッ! 調子乗ってるゴロツキなんかワンパンやわ。ワンパンで解決出来ひんのが面倒やが、ま……なんとかなるか。基地でダラダラするよりは何倍もマシや」
アウルムは改良した槍を肩にかけ、シルバは手のひらに拳をぶつけてパンッ! と鳴らし気合を入れてダルグーアの街に入った。