7-19話 記憶の罠
重苦しく嫌な沈黙。そして火の前で炙られるようなヒリヒリとした痛みを伴う緊張感。
オークションが終わり、一行はホテルに戻っていた。
「クラウンが見つかり喜ぶべきか、厄介なことになったと憂うべきか……」
アウルムがこのまま沈黙していても仕方がないだろうと口を開いた。
「……つーか、そのラーダンの勘を疑うわけじゃあないんやがあれはマジでクラウン本人で間違いないんか? ってところからやろ。人違いでぶっ殺してしまいました〜じゃ、シャレにならんで」
「どうなの、お師匠?」
シルバ、ミアも恐らくそうであろうとは思うが、そもそも記憶が欠如しているラーダンの勘というものを100%信用して行動すべきなのか判断に迷っていた。
「私は奴を見てピンと来た。思わず、気配の制御が乱れるくらいにはな」
「そのせいで厄介な連中を警戒させてしまったがな。俺もあれをクラウンだと断定するには情報が足りないと感じるが」
アウルムは、かなり眉唾物の話だと言いたげにする。
「おいおい今更ラーダンに皮肉言うてる場合ちゃうって。で、ラーダンやが記憶を失う前後の記憶……って言うのか? クラウンに関連する記憶が確かって言えるんか?」
「……かなり朧気だな。混乱もあったし、年月と共に薄れて行ってしまっているので、身体がなんとなく覚えて反応した。その程度だ」
「でも記憶が消えて以降の一番古い記憶はあるんでしょう? なんとか思い出せないものかしら?」
ラーダン自身、あまり確信がある訳ではないがこの直感を無視は出来ない。そんな態度で、ミアはその記憶をなんとか思い出せないかと聞く。
「無駄だ、記憶というものは形にはないのだから、そんな簡単に引き出せはしない」
「……あれ? アウルムお前そう言えば、なんかそういうやつ出来るんじゃなかったか?」
沈黙があった後、シルバが思い出したかのようにアウルムに尋ねた。
「認知面接による記憶回復療法か? 技術的には可能だが……」
「そんなこと出来るの!?」
「ミア、まあ待て……」
技術的に可能──アウルムがこう言った表現をした時は必ず後に面倒な条件が提示されるとシルバは知っていた。
「出来るんならやった方が良くないか?」
「そう簡単に言うな。まず、さっきラーダンが記憶に形はない、と言ったな。それは普通の記憶喪失であれば脳の中に記憶が封じ込められているだけで完全に消失していないからだ」
「ああ……そうやな?」
「ああ。俺も記憶は誰にも奪えないものだからこそ価値があると考えている。だが、勇者が関連している場合はその常識も当てはまらない。
例えば、記憶を物質化して取り出すことが出来るユニーク・スキルによって攻撃されていた場合だ。
その状態で認知面接をした時の後遺症やリスクについて俺は分からない。だからあまりやりたくない」
「アウルム、それだけじゃないだろう。他のことも思い出し、私が君たちの敵に回ることも警戒しているな?」
ラーダンは遠回しな言い方はやめろと言いたげにアウルムを睨んだ。
「当然だ。俺たちのことを知り過ぎている上にお前は強過ぎる。何か記憶に関連したトラップが仕掛けられていて記憶が戻ると同時に操られる可能性もある。
そもそも、脳……記憶に関しては不明な領域も多く、ラーダンがどういう攻撃をされたかも分からないのに、下手にいじるべきではない」
「トラップか……可能性はあるな。この私にそこまで出来る相手が記憶を奪うだけで済ませていること自体不自然だというのは前から感じていたことだ」
「それは確かに……!」
シルバが二人の会話を聞きながら納得して、ポンと手を叩く。ラーダンの強さは肌で実感しているし、戦った際の処置としては不十分だとするのは理解が出来る。
とすると、記憶を消す以外の目的があり、記憶を探そうと行動するのは予測出来る未来。その先にあるものをアウルムが下手に突きたくないと言うのは当然だった。
「でもそもそもお師匠の記憶を取り戻すことに同意はしてるんだから、それを気にしてたら話が進まないんじゃないの?」
「いや、だから俺が言ってるのは記憶を取り戻す方法の問題だ。俺がやろうとしているのは正規の方法ではなく、言ってしまえば抜け道。
抜け道に行くことを相手が予測していて、その先に罠があった場合……俺たちでこいつを止められるか?」
「それは……無理ね……お師匠が暴れたら災害だから……」
ミアはラーダンの記憶を取り戻してやりたいと前のめりになっているが、アウルムは方法が問題だと忠告する。
ミアもラーダンが暴れた場合のことを想像して顔色を悪くした。
「なあ、記憶を無くす前のことは置いといて、取り敢えず一番古い記憶を鮮明にさせるのは大丈夫なんちゃうの?」
「……あまりやりたくは無いのだが、そうも言ってられないか。出来るだけそれ以前のことは思い出さないようにやるしかあるまい」
リスクばかり気にしていても話は前に進まず堂々巡りとなるのはアウルムも分かっていた。過去の記憶を取り戻すのではなく、記憶喪失直後の記憶をより鮮明にする。
そこが妥協点だろうとアウルムは渋々頷いた。
***
「う〜寒っ……夜の砂漠は冷えるな」
シルバは腕を擦りながらブルリと震える。ホテルから場所を変えて周囲に誰も居ない、人目のつかない場所に移動したのは、もしラーダンが暴れたらホテルが崩壊し周囲に被害が出るからである。
「こいつを装着してもらう」
「魔封じか……当然だな」
アウルムはアイテムボックスから魔力の流れを制御する魔封じの枷をラーダンの首と手足に装着させ、シルバの『不可侵の領域』の中に入れた。
ミアには周辺の警戒を頼んで、目撃者がいれば始末するようにしている。
「それで、何をするつもりだ」
「催眠術を利用した方法だ。俺が記憶を呼び覚ます手伝いをするがあくまで手伝いだ。その際多少の苦痛があるかも知れんがガキみたいに喚くなよ」
「ふん私をガキ扱いするのはお前くらいだ。始めてくれ」
ラーダンは砂漠の中にポツンと置かれた椅子に座り、アウルムと向き合った。
「まずはこの火を見て意識を集中させろ。リラックスして身体の緊張、警戒を完全に解け。ここは安全でお前を害する存在はいない」
夜の闇にアウルムの手のひらから生み出された炎をラーダンはぼんやりと眺める。
アウルムの用意した鎮静効果のある香が焚かれてラーダンはそれを嗅いで落ち着いていく。
──正確には意図的にバイタルを安定させるように身体に命令していた。
「この火の奥に俺の目が見えるな?」
「ああ……」
「俺の目をカウントしている間見続けろ。俺が合図をしたらお前は目を閉じるんだ。すると一番古い記憶の場所に移動する」
揺らめく火を通してラーダンはアウルムの青い眼を見ていた。1つ、2つ、とアウルムは声に出してカウントを進めていく。
「10ッ!」
10と同時にアウルムは手を叩きラーダンは目を閉じた。
「ラーダン聞こえるか……俺の声に集中しろ。ここはお前の記憶の中だ。お前の最も古い記憶の中に入るように暗示をかけている。何が見える?」
「……森の中だ。ここより遥か北にあるゲールドの大森林に俺は居た。倒れていて木の間から太陽が見える……真昼だ」
「そこには誰がいる? その時の匂い、音、感じたことに意識を向けろ」
「鳥と虫の声……木と土の香り……いや、これはハーブのような匂いもするか……人の声が聞こえる……力が入らない……身体が異常に重い……まるで山を乗せられているような重さだ……そして眠い……」
「少し時を戻す。聞こえていた人の声に集中しろ」
アウルムは指を鳴らしてラーダンの記憶の時間を戻す暗示をかける。
「男だ、男の声が……」
「お前に向かって話しかけているのか?」
「いや違う……」
「……では一人ではなく複数人いるのか?」
「ああ……この声……比較的最近聞いたことがある……どこかで……」
「聞こえている会話の内容を声に出せ」
「……良くやった……『クラウン』……君の……おかけで……クッ……ハアハアハア……!」
ラーダンの呼吸が乱れ始め、額には汗が流れる。
「ラーダン、おいラーダン!」
「だ、大丈夫だ……続ける……君のおかげで悪い龍人を……無力化することに成功した……クラウン…………そこで声が聞こえなくなった……頭が動かせないから状況が見えない……」
「顔は見えないのであれば、あれがクラウンと断定するには早いか……」
「待てっ……! 近づいて来る足音がする…………! やつだ! オークションにいたあの男と同じ顔をしている……何をする気だ……私の顔を覗き込んで……箱? 箱のようなものをどこからか出して……そこから更に……馬鹿げた大きさのハンマーを振りかぶり……クッ……ハアハアッ!」
ラーダンはそこで目を覚ました。滝のような汗を流して息を荒げながら。
「クラウンは最後、私の頭を殴った。ハンマーでな。そこで意識が途切れて……その後私は数日歩き回りながら状況を理解し、近くの村で世話になったのは覚えている」
「ハンマーだぁ? おいおい、ラーダンの頭ってハンマーで殴られて気絶するほどヤワじゃないやろう〜?」
「私もそう思うわね。アダマンタイトで覆われてるんじゃないかってくらい硬いからハンマーの方が壊れるはずよ」
「ウルヴァリンやんって……あ〜いや、なんでも無い。忘れてくれ」
まず、シルバとミアはいくら無防備でもハンマーごときでラーダンを気絶させることは不可能だろうと言い出した。
そんなことが出来るのはそれこそ、ラーダン自身が自分の頭を殴らないことには、まず起こらないと。
「マジックアイテムじゃない? 気絶させるの専用の効果があるとか?」
「あ〜アイテムか、ユニーク・スキルやろうな〜じゃないと無理やろ」
「それは置いておいて、オークションのヤクモ・カタクラがラーダンの言うクラウンであるのは間違いないのか?」
「前後の会話の文脈、そして声から俺に近付いて来た男がクラウンであると推測される。というまでだが、まず間違いないだろう。だが、記憶を消したのが誰なのか、俺を倒したのがクラウンかは不明だ。
もう一人の男の声も聞き覚えがあるのだが……あれは…………」
そこまで言ってラーダンは黙る。
「なんだ?」
「今思えば、あれはシオン・シトネの声に似ている」
「シオン・シトネってアウルムが9割以上の確率でKTやって言ってる孤児院の先生か?」
「でも、そのKTがクラウンをオークションに出品したってのは何かしら関わりがあるって考えた方が自然よね?」
「いやこれ絶対関係あるやろ!? グルやったんちゃうん? 仲間割れか?」
「待てお前ら、結論を急ぐな。結論ありきの推理は危険だ。似ているというだけで顔を見た訳でもあるまい。大体、現在のKTは過去に姿を現している時と顔を変えている。ならば、声も変えていると考えるべきじゃないか」
分かりやすい答えに飛びつこうとするシルバとミアをアウルムは制した。どうにも誘導されているような気がしてならない。
簡単に……とは言えないが、ラーダンを無力化出来た割にボロを出し過ぎではないか、という引っ掛かりをアウルムは感じていた。
記憶を消すことが出来るのであれば、ラーダンの意識があり今話した内容の部分まで完全に削除するべきだった。
中途半端な対応だ。こうやって思い出す可能性があるのだから、消すなら完全に消さないと追跡されてしまう。
これがアウルムが憂慮していた罠の部分なのかも知れないと考える。こちらに与えられた情報自体に意味があり、計算されたもの。
そもそもラーダンの記憶そのものが捏造されたものを埋め込まれている可能性だってある。
それの真偽を探る方法はない。
結果的にはKTとクラウンの関係性を疑わざるを得ない。目を向けざるを得ない。
どうにもそういう風に運ばせられているのではないかという疑念も与えられる。
考えることが複雑になり、逆に答えから遠のいてしまっているような嫌な感覚がアウルムに植え付けられた。
今思ったことをアウルムは正直に話す。
「しかし何もしない訳にはいくまい、KT、クラウンを取り押さえて尋問し始末するべきだろう」
「ああ、俺もそう思うわ。どうせ攻撃しかけたら生きて返す訳にはいかんからなあ。倒さんことには記憶も絶対戻らんやろうし」
(良く無いな……やはりこういう方向に向かってしまう。それが間違いかもと二の足を踏む、躊躇させる情報がここに来て出て来るのか……俺の考え過ぎか……?)
アウルムは一抹の不安を抱えながらも3日後に行われ、KT、カメリアが確実に出没するであろう会議の対策をフォガストと打ち合わせにシルバと向かった。