7-16話 最上階
ホテル・バスベガの最上階を全て『所有』している人物、カメリア。
ホテルの部屋を借りるということは金さえあれば、可能であるが、所有ということは誰にも出来ない。
それは、このホテル・バスベガという街の象徴でもある建造物は本来、公共財として扱われている為であるが、その公共財の一部、それも最高ランクの部屋しかない階層をワンフロアまるごと所有出来るのは異常である。
しかし、この異常が罷り通ってしまうほどに彼女の権力は強大で、誰も手出しは出来ない。
バスベガという都市は砂漠地帯だが、水の豊富な河川が流れていることから水源が確保されており、その川を通じて、地下水脈も存在している。
砂漠に点在するオアシスが集まり、周辺国との絶妙な位置関係、交通の便の良さから地理的に商業が活発に行われていた。
元々、治安の安定した地域であったことから、いつしか有力者の休養地的な役割を果たし、各国の大商人、教会関係者、貴族、王族と金と力を持つ者たちが集まり更なる発展を遂げる。
それはこの世界には珍しい君主の存在しないという独自の統治体制によるものも大きい。
職業、地位が世襲制でありながらも、親の築き上げた財産をただ相続したというだけでは認められない。
この街で地位を維持したくば、親以上の成果を上げる必要がある。
圧倒的な実力主義。実力のある者が自然と上に立つ。目先の金儲けだけを考えているような器ではこの街の統治に口を出せず、結果としてこの街は栄え続けてきた。
トップの者の代替わりにより、どこでも多少の浮き沈みはある。だがこの街は浮き沈みを許さない。
この街を発展、維持出来る器量のあるものでなければ、この街で成功は出来ない。
カメリアはその中でも特異な人物である。ホテルの最上階を所有するに当たって今から4年前、この街に莫大な金額を支払っており、その金はこの街のインフラ整備に充てられた。
そして、彼女が統率する最高サービスを求めて男たちは街を訪れ金を落とす。
つまるところ、カメリアのバスベガの街に対する貢献は計り知れないほど大きい。
故に公共財の一部を所有するという異常が許される。
カメリアのいる最上階層までは階段でのみ、向かうことが出来るが、階段はホテル内においてデザインは共通である。
しかし、カメリアの最上階へ向かう階段は異なる。
まるで別世界のようにデザインが違う。黒い高級な木から白と金細工によるアール・ヌーヴォを感じさせる生物的な、女性的な優美な曲線の階段と手すりと壁である。
大枚をはたき、ありとあらゆるコネを使いあのカメリアという最高の女を自分のものに出来るという興奮、高揚感を階段を一段ずつ登りながら高める演出まで、彼女によってプロデュース、ブランディングされている。
勿論、娼婦であることからカメリアのセックスに関する腕は天にも昇る気分をもたらすと評判であるが、それはカメリア自身からすれば当たり前のことであり、それ自体が価値ではない。
男たちは何を求めるのか。それは単純で『パワー』である。
カメリアと寝たことがある。それは誰もが羨み憧れる女に相手をされる実力を持つ人物だということの証明。
そんなカメリアを自分のものに出来るという男という生物としての強さの実感。
それらを友人、知人に話すだけで尊敬されもっと話を聞かせてくれと盛り上がり、また新たなチャンスを手に入れることが出来る。
──カメリアはホモソーシャルにおいて最高のステータスである。
そして、今宵また1人の幸運な男がカメリアの部屋に招かれるチャンスを得て、心臓を高鳴らせながら階段を上がって行く。
男の名はラティッペシ。年齢は53歳。このバスベガからやや離れた砂漠地帯の国の一つの上級貴族である。
ラティッペシは一段ごとに神の国に近付いているほど錯覚するような高揚感を覚える。
黒服で大柄な男たちが身体の前に手を組み、ゲストである男に睨みを効かせるが、殆どの男はそれすらも気にならず、扉の向こう側にいるであろうカメリアに思いを馳せる。
尚、貴族であろうとこの場に護衛を連れて来ることは出来ない。
「こちらに乗ってください」
ラティッペシは人が乗れる程度の大きさがある銀のお盆のようなものに乗ることを指示される。
「これは?」
「安全の為です。こちらに乗らないとここから先へは行けません」
「そ、そうか」
慌てて、それにラティッペシは乗る。ここから先に進めるのであれば、何なのかは、もはや気にならなかった。厳重なボディチェックも気がつけば終わっている。
しかし、これがカメリアの持つ身辺警護の為のマジックアイテムの一つであり、アウルムの侵入を許さない代物である。
銀のお盆のようなもの、それは体重計であり、重量センサーでもある。
乗ることでまず体重が計測される。そしてその重さの分だけがカメリアのいるフロアに侵入を許される。
そこまではアウルムも知っていた。しかし、問題はその先。規定の重量を超えた際にどうなるか。他にもセキュリティ対策はされているはずであり、そこに莫大な投資をしているカメリアである。
ストレートボール的なトラップであれば、対処は可能だが、カーブボール的な予想外の事態が起こる可能性もある。
奈落での経験から、慎重になっているアウルムはここから先に侵入出来ずにいた。ある意味、奈落の看守よりも厳重に守られたカメリアに手出しが出来ない。
***
「ようこそラティッペシさん」
「おお………………美しい……」
護衛に案内されながら進み、部屋のドアが開くとカメリアが出迎える。そして、目の前の光景に思わず息を呑む。
ふわりと、鼻に入ってくるのは嗅いだこともないような安心感と興奮をもたらす女の色気という概念を具現化したような良い香り。
さらりと夜空のような黒さを持つ髪が揺れると、その香りは更に広がる。
「今夜のこと、楽しみにしてたのよ。さあ、奥へいらして」
その一言は娼婦ではなく、まるで初めてのデートに浮かれるような娘を感じさせる無垢な笑顔と共に全ての男を高揚させる。本当に自分のことを気にして、そればかり考えていたのだ、この女は、と錯覚させる絶妙な仕草で。
この時点で客と娼婦という関係性の意識は吹き飛ぶ。ただの男と女である、と。
くるりと振り返り真っ赤な半分透けている薄い素材のドレスを揺らしながら背中を見せる。
存在感、迫力は大の男でも圧倒されるほどのオーラを放つが、その背中は女の白く小さく、触れれば壊れてしまいそうな繊細さがある。
それがまた、一瞬圧倒されたカメリアであっても、所詮は女であり、自分の思い通りに出来るのだという男のプライドを満たすよう、計算して弱さを演出していた。
「2人の出会いにお祝いをしましょう?」
「ああ、乾杯だ……私が開けよう」
ワインをコルクを抜くのに苦戦するカメリアを見てラティッペシ自らが開けることを提案する。
これもまたカメリアの作戦の一つ。ちょっとした動きから男のタイプである女性像を分析し、微調整をする。
数分も話せば、完璧に好みの女を演じることが出来る。
カメリアは生粋の男たらし、天性のプロファイリングスキルの持ち主であった。
話は弾み、まるで昔からの知り合いのような感覚に陥る。
品がありながらも、接しやすい、普通の女とは違うと全ての男が勘違いする。
男は力を求めてここにやってくるが、カメリアに癒しを求めるようになる。
男とは、容易に他人に弱みを見せず、弱音を吐くことが出来ないもの。それが社会的に情けないと思われるという価値観に雁字搦めにされているもの。
しかし、それを抱えたまま生きていくというのは難しく、どこかでその不安を吐き出したい。
一夜限りの関係の相手に気を許し、封じ込めていた不安を解放するのは、そこで何が起こっても、その場で完結するからである。
力の実感が目的であるはずだが、そもそも力を実感したいと思う本質的な部分は心に空いた穴を埋める何かが欲しいのだ。
女に話を聞かせて褒めて認めてもらいたがる者、逆に女の悩みを聞かされてアドバイスすることで、頼られた自分の価値を再認識した気になる者。
若い女に経験からアドバイスをする、人に何かを教えることでコントロールすることが出来るというのは直接的に力を誇示せずとも相手に影響を及ぼす点で中毒性の高い快感を生む。
結局は何かしらの形で心が満たされている。カメリアによって穴が埋められる。男たちは優位性を見せつけ、自分の方が上だと実感して自信をつける。
それは全てカメリアの手のひらで転がされているだけとは知らずに。
***
気がつけば、あっという間に時間が流れて軽く雑談をするだけのつもりだったラティッペシは1時間以上話をしていたことに驚く。
最初はカメリアの肉体を舐め回すように見ていたが、いつの間にか話すことに夢中になっていた、とふと我に帰る。
そして、カメリアはそれを見逃さない。頃合いか、とラティッペシの肩に体重を乗せ、腕に柔らかく豊満な胸の感触と体温を伝える。
「ねえ……お話も楽しいんだけれど、私たちもっと楽しめると思わない?」
「そうだな、おいで……」
カメリアとラティッペシは互いの唇を貪るように情熱的なキスをする。
ここでラティッペシ、いや全ての男は脳から下半身へと血が巡り、スイッチが入ったかのように、それともブレーカーが落ちたように、とでも言えば良いか、理性が飛ぶ。
後はもう、二人は獣となる。
ベッドの上はあらゆる体液で汚れる。
そして、この体液の接触こそがカメリアのユニークスキル『蝶のように舞う魂』の発動条件だった。
唾液の直接的な付着がされると男はカメリアに対して好感度が極限まで高まる。
そしてカメリアの体液を粘膜で接触させた場合、カメリアの思うままに身体から分泌されるあらゆる成分の操作が可能となる。対象はカメリア自身とその相手まで有効である。
そして、男をカメリアの意のままに奴隷のように自由に扱うことを実現する手段でもある。
これは言わば、カメリア自身が毒そのものであるような能力であり、この時点まで進むと抵抗はほぼ不可能になる。
『薬物の女王』とまで呼ばれるヘロインであるが、これは英雄を意味する『hero』の女性形『heroine』と同じ綴りであり、語源はギリシャ語に遡る。
そして、更に愛の神、エロスに通じる。
そう呼ばれるだけにヘロインのもたらす快感はドラッグの中でも飛び抜けて強く、エクスタシーと呼ばれる合成麻薬MDMAなど、比べものにならないほどの快感をカメリアは分泌させることも可能である。
これが、腹上死した男の原因だった。
***
「ハァハァ……ああ、気持ち良かったわ……でも、あなたには道具以上の価値は無いからここでおしまいね。その代わり、死んじゃうくらいの快感をプレゼントするからね」
「も、もう……無理ィアアアアァッ! ハァハァ……と、止めてく……れ……」
とことん楽しみ、女としての肉体の喜びを感じて満足した頃、カメリアの背中からは透き通った蝶の羽が現れた。
一度だけフワリと羽を動かすとラティッペシは息も絶え絶えに中断を請うが、壊れた蛇口のように、決壊したダムのように快感はとめどなく遅い、心臓がギュッと縮まり全身に痛みが走るようになった。
「ご馳走様……」
ラティッペシの心臓は止まり、死亡する。
そしてラティッペシの体液は羽の中に吸い込まれ、また次の夜に羽ばたく為の力を得る。
何故、殺したのか。生かす価値がないと判断したのか、これはカメリアの中で明確に基準が設けられており、殺す者と、生かして手駒にする者を選別しているからだ。
ラティッペシは生かすのではなく、殺す方の基準に引っ掛かった。
その基準とは一体何なのか?
それは古参のツキビトであっても知らず、ましてや『新参のパルムーン』は知る由もなかったが、彼らは選ばれた側であり、カメリアの寵愛を受けているので気にすることもなかった。
カメリアは目を開いたまま死んだラティッペシの姿勢を直して服を着せ、布に包む。
プレゼントを丁寧にラッピングするように出来るだけ布に皺が出来ないよう注意を払いながら、蛹のようにあるいは卵のようにして。
「マティアス、マティアスはいるかしら?」
チリンチリンとベルを鳴らして近くで待機していたマティアスという男を呼ぶ。
「いつも通り片付けておいてくれる?」
「はい」
そう言うと、カメリアはつい先ほどまで性交して殺し、弔っているかとさえ思うような行動が無かったように相手への興味を失う。
この一見不可解な行動にも彼女なりにしっかりと意味はある。
これはカメリアが男の死体を『ゴミ』と自分に認識させる為の儀式である。死体を包むのはゴミをゴミ袋に入れるのと同じこと。
丁寧に包むのは癖であり、母親からの教えが染み付いており、そうした方が安心するから。
「来世は綺麗な人間に生まれ変われると良いわね……さあ、明日はオークションだから早めに寝ようかしら」
そして、彼女本人ですら気付かない理由にアウルムは近付きつつあったことをまだ知らない。