7-10話 夜の訪問者
オーティスを牛耳っていたフォガストはバスベガに戻り、ありとあらゆる権力をKTに奪われたのだと痛感させられていた。
あるのは隠していた財産とレストラン・モスコ、それに僅かな部下だけ。
持ち前の力量で荒稼ぎし、口八丁で味方を増やし、KTに対抗する力を増やしつつあった。
しかし、簡単に鞍替えするようなコウモリ野郎は信用が出来ない。勝ち目がないと分かればすぐに離れてしまう。
デカく稼ぎ、フォガストが健在であることをこの街、バスベガに知らしめるには今ひとつ、決定打に欠けていた。
長い間男しかいない奈落に封じ込められていたフォガストは憂さ晴らしと言わんばかりに女を連日抱いて眠っていた。
夜中の3時頃、ふと喉の渇きによって目を覚ます。
ベッド横のテーブルに置いたグラスに酒を入れて、飲み干した。
「……静か過ぎる」
ふと、グラスをテーブルにダンッと叩きつけた後、違和感を覚えた。
下の階では、部下たちが酒を飲み、賭け事をしていてもおかしくない。その声が全く聞こえてこない。
そして僅かにするハーブのようなものの残り香。
閉めていたはずの窓が開き、カーテンが風で揺らめいている。
何者かの侵入、まずはそれを疑い気配を探ったが気配はない。
そこまでの技能があれば、いつでも殺せる。しかしまだ自分は死んでいない。つまり侵入者がいたとしても、殺す気はなく、今更慌てたところで何の意味もない。
故に、フォガストは鬱陶しくたなびくカーテンを止める為、窓を閉めにベッドから出た。
「……ママに夜会った人にこんばんはって挨拶しろって教わらなかったのか?」
窓を閉めて風が収まると背後から、冷たい刃物が首筋に当たっていることに気がつく。
そら来た、と言わんばかりに軽口を叩いた。
「振り向くな、フォガスト」
「一々分かりきったことを俺様に命令してんじゃあねえ! 誰の手先だ!」
「ロアノークから話は聞いている」
「ああ、あいつの雇い主か。遅かったな……てっきり死んだのかと思って心配していたが……で、いつまでこうして手を上げて突っ立ってたら良いんだ?」
フォガストの背後には黒装束で、フクロウのマスクをしたアウルムと、ヒクイドリのマスクをしたシルバがいた。
シルバのナイフと、アウルムの弾丸がいつでもフォガストを殺せる位置で狙っている。
また、シルバはフォガストの真後ろに、アウルムは風魔法で声を発している位置とは全く違う部屋の隅に立って声の響きを変えている。
「良いだろう、座れ」
「ダァッ! 何しやがる!?」
シルバがフォガストの膝裏に叩き込むように椅子を滑らせて、カクンと膝が強制的に曲げられ着席したフォガストが怒鳴る。
「ったく……で、何のようだ大物ぶって凝った演出する意味があるのか? あ〜名前くらい教えてくれねえと話も進まんだろうが」
「オイレ、私のことはそう呼べ」
「ああそうかい、で……オイレ、振り向いたりしないからこのナイフをどかしてくれ、さっきからチクチクして喋りにくいんだよ」
「カズア、どかしてやれ」
「……もう1人居たのか。ロアノークかと思ったがあいつは来てないのか」
「お前がそれを知る必要はない」
言外に、ナイフを持っていたのは話している本人ではないと知らされてフォガストは初めて緊張感を覚えた。
完全にオイレと名乗るロアノークの主人の1人だと勘違いさせられていたからだ。
「下の奴らは眠ってるだけか? 殺されてるとなると、また一からメンツを集めるのも楽じゃないんだがなあ」
「眠っているだけだ。わざわざお前の手足を捥ぐことに価値はない。話は簡単だ、KTはどこにいる」
「知らん。むしろ知ってたら教えてくれ。奴は完全に姿を消してオーティスを全く違うものに変えやがった。指揮系統なんてものも存在しない。
どいつもこいつも自分が何をやらされてるのかすら把握出来ないウロボロスとか言う仕組みになってやがる。
前は俺様が全て把握し、俺様が全て差配していた。他の構成員同士、横の繋がりをないようにする部分は同じだが、一番上、いや真ん中か……それをまるっきり無くしちまいやがったのさ」
(ウロボロス……そう言うことか)
(いやどう言うことやねん、尻尾食ってる蛇か竜やろそれ)
アウルムが1人で納得していると、シルバが念話で説明を求めた。
フォガストがこれまで敷いていた組織は網走刑務所などで見られたパノプティコンに似ている。
中央から全てを監視し、囚人は互いの姿が見えないようにされたシステム。
完全なる部署ごとに分かれた上位下達のフォガストを中心とした組織。それにより情報漏洩や組織の全容の把握を難しくさせていた。
しかし、KTはそのパノプティコンの中央を取っ払った。
これはブロックチェーン、非中央集権的な組織を意味している。
ウロボロスとはシルバの言う通り尻尾を食べる蛇か竜のことであり、循環、永遠、死と再生などのシンボルとされている。
円による、中央の空白化、何故かKTはそういう形にオーティスを変えた。
そこまでを、ウロボロスという一言でアウルムは理解しシルバにそのまま説明した。
今ではKTは伝説となっており、とっくに死んでその形だけが残った組織が自動で動いている、そんな噂すらある程度に、尻尾を掴ませない立ち回りをしているとフォガストが言ってシルバは笑いかける。
──尻尾は頭が食べているのだ、掴めるはずがないと。
ウロボロス、ギリシャ語で『尾を喰らう』まさにその名の通りである。
「一つ、気になることがある『オーティス』とはどう言う意味だ?」
「はっ! そんなこと聞いて何の役に立つってんだ! だが聞きたいなら教えてやる。これは俺様がまだガキだった頃の話……」
「経緯は要らん、意味だけ答えろ」
「主人の家だ……満足か?」
(皮肉だな、オーティスとはギリシャ語で『誰でもない』という意味。現在のコンセプトとは真逆だ。むしろ現在の方がオーティスの意味と合致している)
世界が違えば、言葉の意味も変わってくる。アウルムの知っている意味かと思えば由来は全く違うこの世界由来のものだった。
「それで、その家はこんな料理屋だけになったと……どうやって奴を探す気だ? 俺は奴を殺すが探すのは骨が折れる。だからお前が探す、そういう協力関係だとロアノークからは聞いているが」
「策はある。金と人手がいるがな。今はその準備段階だ」
「その策とはなんだ?」
「オークション、その3日後の会議だ。この街を仕切っている三欲の代表者がオークションの決算会議をする。これだけは代理人は立てられない。奴は今は岩陰のサラマンダーみてえにコソコソ隠れてるが、必ずそこに現れる!」
興奮しながらフォガストは窓に向かって叫んだ。
三欲、聞いてみれば陰でこの街を操る実力者の総称。
性産業の元締め、娼婦の女王、カメリア。
商人の元締め、バスベガ商人連合の首長及びジンクァ周辺国の会頭、シャンシー。
暴力、犯罪の抑止力の元締め、オーティスのKT。
金、暴力、セックス、この街の存在意義の頂点に立つものが絶妙なバランスで街を支配している。
オークションの収益により、毎年この会議における発言力が変わる。それだけオークションの影響は大きい。
このオークションの3日後に会議が行われ、普段は顔を見せないトップが一堂に会する。
ただ、それは長くバスベガにいる者ならば誰もが知っている事実。それだけでは策とは呼べないはずだとアウルムはフォガストの発言の続きを待った。
「だが! 馬鹿みたいにデカい額の金を積めばその会議に割り込めるんだよ! KTのシノギを削りまくって迷惑になるくらいにカジノを荒らせばヒョコっと顔を出さざるを得ない。
そこでオイレ、お前の出番だ」
「荒稼ぎをすれば、と言ったが何か勝つ算段があって言っているのか? 賭け事に必ずということはあり得ないだろう」
「イカサマをするのさあ。それこそホテルが傾くレベルの大勝ちをしてな」
「そのイカサマが成功する保証がどこにある」
「言っておくが、俺様はそんなことする必要がないくらいに賭けは強い。読み合いならまず負けん。騙し騙されの世界で何十年と生きて来てるんだよ。
それはただのキッカケに過ぎない」
これはホテル・バスベガ、カジノ、この街の基本的な仕組みを熟知しているフォガストだからこそ、考えつく策だった。
まず、金にまつわる大原則としてアウルム、シルバが囚われていないのが金を持ち歩くリスク、手間という問題。
貨幣、または物々交換による商取引が基本のこの世界では、金そのものが結構な荷物となる。
それこそ金持ちであればあるほど、金という存在が邪魔になる。
場所も取られ、重く、身につけて移動すること自体が危険。
よって、武器、アイテム、宝石、アクセサリーなど、小さく持ち運びやすく、貨幣自体よりも価値のあるものを金持ちは身につける。
商人が派手に嫌味なくらいに高価なものを身につけているのは、単にその方が便利であるからという理由もある。
バスベガにおけるチップ制度はその金の問題を解決する方法の一つだった。チップそのものは大した価値はないが、チップが保証する金額は現在流通するどの金貨よりも高い。
それにより、この街では手軽に大金の移動が可能となる。
そのチップを交換するに当たって、金目のものをホテルが一括で管理する金庫が当然のごとく存在しており、その堅牢さこそがバスベガのあらゆる取引を保証していると言っても良い。
客が得たチップを現金と交換したい、と言えばそれに応じる必要がある。ただし、それが大金となるとそう簡単には応じられなくなる。
金庫から大金を移動させる際に非常に高いリスクを伴い、ホテルとしても最も神経を尖らせる状況だからだ。
その際に、承認をする立場の者が動く必要が出てくる。
「その承認をするのがKTということか」
「いいや、違う。実際、俺様が仕切っていた頃は俺様がやっていたが、隠れんぼが好きな野郎ならそんなところでノコノコと顔を出すはずがない。
そこに現れるのがKT本人だと言うようなものだからな、そこまで間抜けなはずがない」
そこまで説明を聞き、アウルムが口を出すとフォガストは得意げに笑って否定する。
要するに、KTはそこには現れないが、誰かが必ず承認自体はしなくてはならない。そしてそれは組織における金庫番に他ならず、金庫番はKTと誰よりも繋がりがある。
その金庫番を通じてその話はKTの耳に入る。大勝ちされてしまえば、組織の金は外に出てしまう。
イカサマだと誰もが薄々感じ、またそれを防ぐことが出来ない無能の組織。金も出ていく。
それではオーティス及びそれを束ねるKTの影響力、発言力も弱まってしまう。
それを回避する為にはKTは動かざるを得ない。そこまで説明したフォガストはこう言う。
「そこで、その金庫番を殺せ」
「何?」
「奴は慎重だ。そんな金庫番が動く事態になろうが、どうせ尻尾は掴めない。そういう工夫がされてるとここしばらく動いて思い知った。
だが、組織の人員は代替可能な道具の部品ではない。金庫番は誰にでも出来る仕事ではないんだよ。
俺様はここから代替不可能な組織の運営に欠かせない役職にいる奴を片っ端から潰していく」
「それはオーティスを取り返した時のお前自身が困る策ではないのか?」
「ああ、そりゃそうだ。だが裏切り者は要らん。肉を切らせて骨を断つくらいの覚悟が無ければあの小僧に一矢報いてやることは不可能だ。
これは戦争なんだよ、容赦するつもりはない。中心が無かろうと削られて痛い部分を分散しているだけで、手間がかかるが無敵ではない」
「私を殺し屋として使うつもりか」
「KTを殺したがっている奴がいる、それなりに腕が立つ。そんな奴がいると言う前提で俺様も動いている。
雛鳥みたいに口を開けて待っていればエサが運ばれるとでも思っていたのか?」
「……良いだろう、好きに動け。殺して欲しい奴がいれば言え。それでKTに繋がるのなら殺してやる。後はロアノークへの報酬だが、用意出来ているのか」
「悪いが、それはあいつ個人への報酬だ。お前には渡すつもりはない」
「手下の報酬を横取りなど、そこまでケチな真似をするつもりはないが、約束をした以上は支払え」
「ほう? 勝手に仕事を引き受けたことに関しては咎めないのか、そんなことを許していたらそのうち俺様につくかもなあ」
「それはない」
「……行ったか」
いつの間にかフォガストの寝室からアウルムとシルバが消えたことに気がつく。
「面白くなってきた」
フォガストは窓から見える月を眺めながら、酒を飲み干して誰も居ない寝室で呟いた。