6-10話 夜食
留守番を任されたラーダンは一人でアラアバブの街を散歩していた。
今、慌ててもどうにもならない。シルバが帰ってくるまでの間、街で何かが起こらない限りはやることがない。
「退屈だな……」
パイド・ライダーのせいで街全体に活気がなく、店を閉めているところも多い。以前来た時に美味かった記憶のある店もパイド・ライダーの影響か、潰れてしまっていた。
街の上役たちは今後の対策をどうするかと激しく揉めているが、ただの冒険者であるラーダン──この街では偽名で登録したランスで通っているが、干渉する道理もなく大まかな話の推移だけをぼんやりと聞いていた。
どうやら、冒険者ギルドのギルドマスターであるベスティが街のまとめ役にされそうだと言うのは流れを聞いていれば分かった。
元々、長老と呼ばれた代表はマキナによって殺され、現在は長老の次に年配だった老人が臨時で務めているが、その器ではないとその役割を降りたがっていた。
(まあ、この街であればベスティぐらいしかおらんだろうな……)
歩きながら、確かに適任な人材は彼だろうと先ほどみた街の会合を思い出す。
「念の為、街の防衛力を上げておくか」
ラーダンは一度街の外に出る。
ほぼ平坦な砂の大地を対魔石で作った壁で囲っているアラアバブの街だが、これはあくまでモンスター襲来に備えたもので人間による攻撃は想定された作りではない。
機動力の高いパイド・ライダーは簡単に侵入が出来てしまう。
「砂を固めるのは多少魔力を消費するが……まあ、あの程度の連中であれば腕力だけで、どうとでもなるな」
ラーダンは土魔法でサラサラとしたパウダー状の大地を固める。水魔法を併用して使えば更に硬くすることも出来るがカッサ砂漠の特性上、いくら対魔石で守られているとは言え、使うべきではないだろう。
非効率ではあるが、留守番を任されそれを請け負った以上やることはやる。
まず、街の門の前に壁を作り出入り口を塞いだ。
更に、土で出来た氷柱状の1.5m程度ある突起をあちこちに乱立させる。
その手前には穴も掘っておく。
「これで、突っ込んで来ても時間は稼げるか」
簡易ではあるが、バリケードの構築が終わる。
「バイク、クルマ……あの乗り物は良い、是非とも一つ頂いておきたいな」
ラーダンはエンジンによって走る化学の力を使った乗り物を気に入っていた。
旅をする身として燃料さえあれば疲れ知らずに高速で移動出来るということのメリットは非常に大きい。
シルバからもう少し手解きを受ければ自分でも運転出来るだろう。何せ、数百年生きているのだ、ヒューマンの子供が運転出来るのであれば、自分に運転出来ないはずがない。
一度は失敗して激突しかけたが、馬だって飛竜だって慣れる時間は必要だ。
早くクルマを奪う為、戻って来いとシルバの帰還を心待ちにする。
(……これではどっちが盗賊か分からんな)
ごく自然にクルマを『奪う』という発想をしていることに気がついたラーダンは顔を撫でるぬるい砂漠の風に吹かれながら笑った。
***
夜になり、日付も変わったが、まだシルバもパイド・ライダーも現れる気配はない。
もし本当に妊婦がいるのだとすれば、時間がかかるのは分かるが、シルバが思いの外手こずっているのかも知れない。
「今からでも向かってみるか……いや、彼を信じよう。即席とは言え、相棒は相棒だからな」
壁の上に登り、周囲を観察するが今のところは異常はない。
しかし、高速で移動する相手なだけに油断は禁物。信用しているとは留守番を任された以上は仕事を全うする。
ラーダンは門のすぐ近くで野営することにした。
「夜食でも作るか」
アウルムにパンと肉を調達してもらっている。それをシルバのアイテムボックスを経由してラーダンに渡された。その他にも調味料など、物資を奪われている住民に負担をかけずに夜食を作るに十分な量がある。
まずは火を起こす。拾ってきた枯れ木を集めて簡易的なカマドを作成する。
「さて、何を作るかだが……」
手元にある食材を並べて腕を組みながらラーダンは唸る。
「『アレ』を自分で作ってみるか」
アラアバブに以前来た時、美味かった記憶のある料理。シルバにも是非食べさせてやろうと楽しみにしていたのだが、閉店していたことは思いの外ショックだった。
記憶を失っているラーダンはここ数年の旅の思い出が全ての記憶であり、その記憶の一つを構成する店が無くなっている。それは、ラーダンにとってそれなりに大きな喪失感を与えていた。
幸い、以前この街で食べたものは手元にある材料で再現が出来そうで、それを作ろうと決める。
大きな石を並べる。これが調理台であり、フライパンであり、皿であり、テーブルとなる。
まずはニンニクを潰して刻む。包丁は必要ない、ラーダンは風魔法で解決する。フワッと特有の香ばしい匂いがして、食欲をそそる。
大きな生肉にニンニク、この街に自生する果実の乾燥させたもの、ハーブ、胡椒を塗りつける。
焼けた石のフライパンにモンスターの脂を乗せるとジュウッと音がして、十分に温まっていることが分かる。その石に、下味をつけた生肉を乗せて焼き目をつける。
肉からこぼれ落ちるニンニクなどのカケラはカットしておいたパンに一つ塗りつけ、これもまた火の近くにおいてこんがりと焼き上げる。
火が入ることでニンニクのガツンとした香ばしい匂いにたまらず、ラーダンはパンを取って口に放り込む。
ザクッ! と硬い音を立てる。ガーリックトーストを貪りながら、肉の表面が十分に火が通ったところで一度石の上から茶色くなった肉を素手で持ち上げる。
龍人族であるラーダンはこの程度では火傷はしない。
しっかり表面に焼き目のついた肉にバナナの葉っぱに似た植物の葉を使って包む。
これを火と水の魔法を使って温めたお湯の中に放り込みしばらく待つ。その間にまたパンを一つガーリックトーストにして食べながら、肉の中にも火が通るのを龍眼を使い確認する。
30分ほど経った頃、お湯から肉を取り出して包んだ葉を剥がし、石の上に乗せる。
それを人差し指で撫でると、スパッと切れ味の良い包丁で切ったかのように肉が切れていく。
外はしっかりと茶色く、中は鮮やかな赤で、血のような汁が滴る。
所謂、ローストビーフである。
これを軽く炙ったニンニクの香るパンに挟む。チーズと卵にも火を通してサンドする。
最後に木の実、少しばかりの砂糖で作った特製ソースをかければ完成。
アラアバブで食べた味、ローストビーフサンド。
大きな口で齧り付く。レアな肉の僅かな血の味、これが美味い。
「シルバにも食べさせてやるか……」
忘れないうちにラーダンはシルバの為に葉で包んで保存しておく。
「……ベスティか、何のようだ?」
ラーダンの背後に近づく気配、足音、振り向くこともなくラーダンは質問する。
「いや〜結局俺がこの街の代表ってことになっちまってな……寝付けなくて散歩してたら良い匂いがしてよ……それ、ニルスの店で作ってたやつだろ? 懐かしいぜ」
「……食べるか?」
「おっ、良いのか? にしても材料は一体どうやって……いや、野暮な質問は無しだ。ありがたくもらおう」
ベスティはラーダンに渡されたサンドを手に取り齧り付いた。
「うん……かぁ〜美味え! ランスお前料理上手いな」
「まあ、長年生きて舌は肥えている方ではある。それで、何か相談があるんだろう? ただ飯が欲しくて来たわけではあるまい」
「……バレてたか。まあ、聞いてくれや、この立場になっちまうと街の人間には話せねえ話ってのもあるんだわ」
「立場か……放蕩者の私には縁のない話だがシルバが帰ってくるまで暇だ、付き合っても良い。一人の食事は味気ないからな」
***
「つまり、住人たちは身体の不自由な子らを街全体で世話していたが、不当な扱いをしていた者がいたことを知っていたし、それを止めようとも思わなかった。
それに対して負い目を感じて口を閉ざしていたというのか」
「ザックリ言うとそうなるな。パイド・ライダーが来た時に言われたよ。俺らが差別していたってのをその時初めて理解したやつもいる。
あいつらは残虐なやつらだが、心のどこかで納得しちまった奴もいる。
これは『業』だってな……だからと言って人を殺して良いわけがない。だが、俺たちはパイド・ライダーを止められない。
ランスとシルバが死ねば、俺は街のやつらの心を軽くする為の体の良い生贄とされるのさ」
「それは無い、断言できる。私とシルバが負ける相手とはそう多くない。負けることはまずないが、全くの犠牲を出さぬまま穏便に片付けるのはまた別の問題だがな」
ラーダンは燃え盛る火の中に枯れ木を足しながら呟く。
実際、ラーダンを殺す、どうにか出来る存在などこの世界を見ても10人もいない。それくらいに強い。
あとはどうしようもない自然災害や生物以外の問題。個人や小規模の集団程度では相手にならない。
ただ、人の心を力の強さでは変えることは出来ない。
恐らく、この戦いもそういった自分の力では解決出来ない結果が待っているだろうとラーダンは覚悟していた。
「ベスティ、君に子供はいるか?」
「……昔はいた、だな」
「そうか……余計なことを聞いたか」
「いや、良いんだ。むしろ聞いてくれや、俺の子供も身体があんまり強くなくてな、だからパイド・ライダーたちの言い分もちょっと分かるんだよ。
『普通』に生まれてこなかった者の辛さがな……」
「ふむ、龍人族の私からすればヒューマンというのは皆強いとは思えんから分からん感覚かもな」
「やっぱ龍人族かお前。ハハッ……まあそうだろうな龍人族って言えば最強の種族って言われるくらいだ、そんなのと比べられたら大人と子供ほど差があるかも知れねえな。寿命から考えても年齢的にもそれくらいの差はあるだろう」
ラーダンは火を囲んで、ベスティの今は亡き子供の話を聞いた。
(私にも子供がいたのだろうか……? そんな大事なことさえ思い出せないというのは、どうにも気分が悪いな)
自分の生きて来た証明とも言える記憶の欠如は屈強であるラーダンを少し心細くした。
口には出さないが、記憶がないという何を忘れているのかすら分からない感覚には常に漠然とした不安がある。
自分が自分である為にも記憶は必ず取り戻さなくてはいけない。ベスティと彼の息子の生きてきたエピソードを聞いて、そう強く感じさせた。
***
気が付けば夜は明けていた。砂漠の夜特有の寒さもすっかりとなくなり、鋭い日差しの暑さがやってくる。
「朝になったが帰ってこねえな……リーシェル、生きていれば良いんだが……」
「シルバがそこまで下手を打つとは思えない。彼の能力は攻めるよりも守ることに特化している。パイド・ライダーを無力化出来ずとも、自分の身を守るくらいの力は持って…………」
「どうしたランス?」
突然、言葉を遮り地平線の方向を睨むラーダンにベスティが聞く。ベスティも同じ方向を見るが、何か異変があるようには見えない。
「近づいてくる気配がある……」
「何っ!? リーシェルたちを取り戻したか!?」
「いやッ! 3人……パイド・ライダーだ! 街の人間を安全な場所に隠せ、後は私がやるッ!」
「マジかッ!? でもたった3人だろ? ちょっと大袈裟じゃねえか?」
「逆だ、『たった3人』で何かをやるつもりなら最大限の警戒をするべきだ」
ベスティの言う通りたった3人のパイド・ライダーなど、ラーダンの敵ではない。だが、その数に頼らない異常なまでの少なさに警戒した。
その人数で事足りる何か目的があることの証明だからだ。
(シルバ、無事なんだろうな……まさかやられたということはないだろうが……留守番は務めるが、お前が死んでは意味がないぞッ!)
遠く遠く、豆粒ほどの大きさの影が低い位置の太陽と重なって砂煙を巻き上げながら近づいてくる。
「行けっベスティ! ここは私に任せろッ! お前がやるべきことをやれ!」
「あ、ああっ……! だがっ! 気をつけろよランスッ!」
「フンッ……私をそこいらの冒険者と一緒にするな」
ラーダンは竜眼を使い、近づく3人の姿を注意深く観察していた。
「3人……ムッ! 反応が増えている……これは……モンスターの群れかッ!? 奴ら、追われているッ!?
……違うッ! 『モンスターを引き連れて』いるのかッ……!」
ポツリポツリと、ラーダンの視界に入るモンスターの反応が増えていく。
小さな煙はどんどん大きくなり、砂嵐のように広がっていく。