5-21話 一・零十
ニノマエ・レイト──漢字では一・零十と書く。
物理学の科学者である父が名付けた名前であり、名字だけで珍しいが、名前もまた珍しくニノマエ本人は気に入っている名前。
10月10日に生まれ、名前を数字にすると『1010』。これは2進数で『10』を意味する。
生まれた時から0と1に囲まれていたことから、我ながら気の利いた名前だと感じ、ある種のアイデンティティとしていた。
ミドルアッパークラスの家庭で一人っ子ということもあり、東京の都心部で生活をしながら育つ。
小学生の間は勉強とスポーツが得意で1番になることが多く、また1番を取ろうとすることにこだわりを見せた。
しかし、中学に入り何かで1番を取るということが難しくなり始める。だが、それはニノマエにとって屈辱でしかなく、次第に攻撃的な性格となる。
真面目に教科書を丸暗記するのは馬鹿だとか、スポーツが出来るからといってプロになれるわけでもないのに必死やる意味がない。などと、他人を批判することで優位性を保とうとする言動が度々見られるようになる。
そして、当然のように次第に周囲の人間から避けられ始める。
孤独が、通常のコミュニケーションを重ねる事で得られる社会性、人との距離感というものを年相応に育てることを許さなかった。
次第に自分が輝けないのは周囲の環境のせいだと考えるようになる。チャンスさえ与えられればモノにできると。
高校入学直後、父と車に乗っている際交通事故に遭う。父はその場で死亡したが、ニノマエは奇跡的に一命を取り留め、一年弱に及ぶリハビリの結果、普通の生活に戻ることが出来た。
父は死んだが、自分は生き残った。神がいるとすれば何らかの意図があってそうした。やはり、自分は特別なのだという気持ちが強くなっていく。
そして、2年の新学期に異世界へと召喚されたことでニノマエの特別であるという認識は確信へと変わる。
自分が復帰した日の初日にそんなイベントが起こるのは出来過ぎている。自分はこの作品の主人公なのだと。
結果、それなりに強いと思えるユニークスキルを与えられ、不当に扱われてパーティを追放された。
と、あくまでニノマエ本人は思っており、カイト及びその仲間たちに後悔させる為に旅を開始した。
何故かいく先々でトラブルが起きる。小説のように感謝されチヤホヤする仲間には恵まれなかった。それはニノマエ自身の言動にあり、トラブルを生み、元々あった問題も悪化させるという疫病神としか思えない行動を各地で繰り返しながらも、少しずつ強くなっていくことで自信をつけていく。
だが、満たされない気持ちは消えなかった。そんな中、カイトが結婚するという噂を聞き当時の記憶が鮮明に蘇り、薄れかけていた怒りも戻ってくる。
あのパーティ追放の一件、ストーリーが回収されていない。シズクを仲間に引き入れるというイベントが回収されていないから、ストーリーが上手く進行しないのだという独自解釈に陥る。
では、今の自分の不遇はシズクを縛るカイトが原因ではないか。邪魔者、悪役、許すまじカイト。
そうだ、カイトを殺そう。
王国祭が始まる2ヶ月前の街中で決意したのだった。
その時、12個目の試練の条件がアンロックされたことに気がついた。
***
王都の中心に位置する王城より東に馬を走らせること45分程、そこには草原が広がっており斜めに生えた岩が点在する通称──シャイナ自然区域がある。
王都とする領地は非常に広大で、城壁に囲まれた生活区域を便宜上、王都と呼称することが一般的であるが、城壁の外にあるシャイナ自然区域もまた、王都の一部であり騎士団の定期的なモンスター討伐により比較的安全な場所である。
ここをニノマエを迎え撃つ場所としてヒカルは設定した。ここであれば、周辺の被害は最小限に済み、城壁内で何かあったとしても1時間以内に駆けつけることが出来る距離だからだ。
現在、王国祭は一時的に中止となっているが治安状況の悪化により王都を脱出するものは後を絶たず、壁に設置された門近辺では混乱が見られる。
ニノマエはその混乱に乗じて脱出するであろうという予測、あえて退路を用意することにより草原に引き付けることが出来るという意図があってのことだ。
飛行能力のあるニノマエにとって門は意味をなさないが、空を飛べば目立つ。パニックを避ける為にも陸路からの移動ルートを与えた。
加えて、やや挑発的な内容の張り紙を街中に張り決闘の場と時間まで伝えた。ここまでお膳立てをすれば誘導されていると分かっていても、行動を自ら律して雲隠れすることは不可能だろうと分析している。
また、ニノマエが来た方向から潜伏先もある程度絞り込めるという狙いもあった。
正午、カイトは草原の中にあぐらをかいて座り込み、目を閉じて集中を高めていた。
そのカイトの背中を三方向から囲むようにヤヒコ、シズク、カナデが見守る。
全員が誰一人欠けることなく、ニノマエを確実に始末する。長い戦いを経験してきた最強のパーティメンバーは今更、ニノマエを殺すということに躊躇するほど甘くはない。
エリという仲間を失った経験が彼らを更に強く結束させていた。
「そろそろ来るんじゃね?」
ヤヒコは太陽の位置から、約束の時間のはずだと空を見上げる。
「ビビって腹が痛くなってトイレ篭ってるとか?」
「カナデ、こんな時に冗談言ってる場合か」
カナデの発言に普段はお調子者であるヤヒコが呆れた声を出す。
「それより、会長たちからの連絡が何も無いのが気になるけど」
「便りがないのは良い報せって言うだろ。何かあったらすぐに連絡するじゃん。あっちだって素人じゃないんだから非常時に念話で報連相するのがどれくらい大事か分かってるって」
「ウチらが戦いに集中出来るように配慮してくれるんじゃないの」
「そう……だね」
表面上、全員がリラックスしたような会話をするがシズクの言う通り、何も連絡がないのは無駄に緊張を煽っており内心はピリピリとした。
「……来たか」
ヒュウと風が吹き、草原の草を波打つように撫でつけた時、カイトは目を開けて立ち上がった。
300mほど、先からカイトの正面に向かい歩いてくる人影がある。
「皆、あいつが一人とは限らない。俺の方は見なくていい。左右と後ろに注意していてくれ」
カイトはニノマエから視線を逸らすことなく、三人に声をかける。
25m。有効な攻撃が通る射程範囲に既にニノマエは接近していた。
「止まれ……ニノマエ」
「カイト、いや勇者カイト・ナオイ。シズクはお前には勿体女だ。束縛するな。シズク、こいつを倒したら俺の方がお前に相応しい男だって認めるよなぁ? なぁ、こっち見ろよ……」
「……王都をめちゃくちゃにして、人を殺しまくったら英雄になれるとでも思ってるのか?」
「世界中をめちゃくちゃにして、魔族どころか人を殺しまくったお前が英雄になれるのなら、俺もなれるさ……あれ? そう言えば一人足りないよなあ……え〜と、誰だっけ? あ、そうそうっ! エリだ、どこ行ったあいつ?
……あ、お前が死なせたんだったっけか? ほら、幼馴染を死なせたやつでさえ今じゃ英雄だぜ?
そりゃ当然俺もなれるに決まってるじゃ──」
「──それ以上口を開くな」
カイトはニノマエの目の前に急接近していた。
ニノマエが瞬きをするその間、まさに瞬間で距離を詰め剣を横なぎに振るうモーションに入っていた。
「だから、効かねえって……俺の『ネメア』知ってるだろうが」
あくびをしながら、ニノマエはカイトの斬撃を何もせずに弾き返す。
「やはり効かないか……」
バックステップで5mほどの距離を置きながらカイトは呟く。
「今そう言っただろ? 馬鹿かお前」
「お前の発言など信じない。武器による攻撃が効かないはずのお前に対して、前回は俺の攻撃はちゃんと通じたからな」
「駆け引きってやつだよ。昨日はまあ小手調べだ。お前らが俺と戦うに相応しい相手かどうか確認する必要もあったからな」
「負け惜しみか?」
「おおっと、俺を挑発して戦いを有利にする駆け引きのつもりなら無駄だぜ? 昨日はわざと乗ってやったんだよ」
ニノマエは笑って手を振った。
「御託は良いさっさと戦え」
「後ろの奴らは来ねえのか?」
「お前は俺一人で十分だ」
「あっそ…………でも俺はお前だけに攻撃するほど甘くねえぞ? 『ステュムパロス』ッ!」
ニノマエは前に出していた手を広げる。それと同時に見えない塊がカイトをすり抜けて後方の三人に襲いかかる。
「『闇糸使い』」
「『従魔召喚』」
「『結界生成」
ヤヒコのユニークスキル『闇糸使い』は闇属性の付与された糸を自由自在に操り、自身をも糸人間にすることが可能。
闇の糸を正面に集めて、攻撃を無効化した。
シズクのユニークスキル『従魔召喚』は一度倒したことのあるモンスターを召喚して使い魔として使役することが可能。
ミスリルゴーレムを召喚し、攻撃を無効化した。
カナデのユニークスキル『結界生成』は指定した場所に結界を作り、結界そのものを自由に移動させることが可能。
自身を結界で守り、攻撃を無効化した。
既にニノマエの能力については解析され、あらゆる攻撃に対応するプランを組んである。
故にニノマエの攻撃に対してカイトが仲間を案じ怯むことはない。
「おいおい仲間の心配なしって冷たいやつだよなあお前」
「いや、誰よりも信頼しているからこそ後ろを気にすることはない……それよりも、お前は俺だけに集中せずに俺を殺せると思ってるのか?」
「ああ思ってるね。『ヒュドラ』!」
「分身するつもりか!」
「へえ、知ってるんだな。だがもう遅い!」
ニノマエから残像のように現れたのは三人のニノマエ。
「これで人数の差は埋められるよなあ」
「……だが、分身体は一つの能力しか使えない。そうだろ」
「何でもお見通しってか? ああ、そうさお前の言う通りヒュドラで作った分身は俺の持つ能力を一つずつしか与えられないッ!」
「それで返り討ちにされたのを忘れたか……」
カイトだけでなく、ヤヒコ、シズク、カナデも昨日に分身して現れたニノマエを一人で倒していた。
同じことを何度繰り返しても意味がない。
「──原初の実美味かったぜ」
「ッ!?」
「ハハァッ! 今ギョッとしたなあ! カイトォッ!」
ニノマエのその一言、それはヒカルたちが原初の実の警備に失敗したことを示唆する。
そして、シズクの言っていた連絡がないという話にも結びつく。
分身した四人のニノマエに対して、カイトの剣が通ることはなかった。
***
「シズク、今すぐ墓地に偵察を派遣しろ!」
「もうやってる!」
ニノマエの発言により、シズクはすぐに鳥型のモンスターを飛ばして勇者たちの眠る墓地に偵察をさせた。
墓地と草原ではどれだけ急いでも1時間以上がかかる。被害を軽減させる為、墓地から離れた場所に布陣したことがかえって仇となった。
また、分身して同時に両方を攻めたとしても戦力が分散した方が有利であるという算段も、今となっては応援にいけないというデメリットの方が大きくなってしまっている。
空を飛べる鳥型のモンスターであれば、直線の移動が可能なので30分もしないうちに到着するだろう。
だが、それが分かったところで何も出来ない。だからこそカイトは歯噛みした。
「俺は原初の実を口にすることで、新たな能力を手に入れた。全ての能力を同時に使えるッ!これが俺の『ヘスペリデス』だっ!」
ニノマエは空中に上昇する。
「お砂糖……スパァイスッ! そして『素敵なもの』をいっぱぁーいッ!」
アイテムボックスを開き、上空から『粉』のようなものを撒き散らした。
赤い霧のように広がり、時々太陽光を反射してキラリと光るその粉はカイトたちに降りかかる。
「ッ! 吸うなッ! 毒粉かも知れないっ……!? ゲホッゲホッ……! 唐辛子……催涙攻撃か……! 水で洗い流せ!」
吸ってはいない。だが、粉は目に染みた。
「なんてセコイ攻撃しやがるんだ……! いてぇ〜!」
涙を流しながらヤヒコが叫ぶ。魔法が使えないような冒険者が使う手口を今更ニノマエが使用するとは思っていなかった。
使うとすればもっと有毒なものなはずだった。
「まずは視界を奪う……魔力は命綱だからなあ、魔法を使わずに済むことは科学で解決する……異世界人らしい発想だrrrrォウッ!」
「『解刀』──全ての状態異常を解除出来る。俺には効かない。その程度か」
「まさか、『素敵なものをいっぱい』つったろ? 『エリュマントス』ッ!」
ニノマエは両手の指を組み合わせ、パシッと音を鳴らした。
直後、未だ空中に漂い、地面に落ちた赤い粉は火属性の魔石の粉末に変わっていた。
「昨日の言葉を返すぜ……ぶっ飛べカイトォッ!」
「ニノマ────」
大量の魔石の粉末がニノマエによって励起され無数の爆発を一体が包む。
「なかなか頑丈なやつだなおい」
黒煙から姿を現したカイトはところどころに擦り傷や軽い火傷を負った程度で致命症には至っていない。
しかし、服はボロボロになっていた。
「昨日の爆発はこういう仕掛けか……どうりで発見されないわけだ。まさか物体を変換あるいは交換出来るんだからな」
「どんだけ強くてもやっぱ普通に考えたら服は強くならねえもんなあ! 英雄のお前が全裸になるまで爆発させてやるぜ! ギャハハハッ!」
「お前ら大丈夫か!? ……おい返事しろ……!」
「お前は大丈夫でも皆ちょっと吸っちまったからなあ」
「カイトッ! ヤヒコとカナデがっ!」
背後からシズクの声は聞こえる。だが、ヤヒコとカナデの返事がない。
「だ、大丈夫だッ! 俺たちのことは良い! 早くそいつを倒せカイト!」
カイトはヤヒコの声が返ってきてホッとする。だが、ヤヒコは気道の一部にダメージを負ったせいで喉に強い痛みが走った。カイトを心配させたくないという一心から無理やり声を絞り出していた。
「カナデも無事だッ……!」
「ヤヒコッ! 報告は正確にだ」
「ッ……! 結界の中で爆発して炎に包まれちまった……息してねえ……!」
「そうか……ヤヒコ、シズク、30秒ニノマエの相手してくれるか」
「あ、ああ……!」
「『快刀』……喉の調子はどうだ?」
「助かった……早くカナデを!」
即座にカイトはヤヒコの方へ移動して喉を切り裂いた。
切ったものを癒す効果のある『快刀』によってヤヒコの怪我は治療された。
「カナデ……これはマズイな」
思ったよりもカナデの傷が酷い。治療に時間が掛かりそうだとカイトは冷や汗をかく。
カナデの結界は自身を中に入れてしまう場合だけ移動が出来ない。故に基本的には結界の中に入らず、壁のようにして使うことが多い。
ニノマエの攻撃方法が分からなかったので、全身を確実に守れる結界の中に入るという選択がこの場合において最も悪手だった。
四方に拡散するはずの爆風が逃げられず結界によってカナデに集中してしまった為だ。結界の中を反射しながら瞬間的に何度もカナデを攻撃した。
カイトはカナデの心臓に剣を突き刺す。傷つけることは出来ない快刀によって、一時的に停止していた心臓は鼓動を再開する。
常人の目には認識出来ない速度でカナデをめった切りにした。すると、肉の色が見え、爛れた皮膚が再生されていく。
回復役である、エリを死なせてしまった後にこの能力を得た。あの時、これが使えていればエリは死なずに済んだとカイトはこの快刀を使う度に辛い思いをする。
倒れたカナデの姿が、死ぬ直前のエリとダブったカイトは息を飲んだ。
「ブハアッ! ハアハア……間に合った……良かった……!」
まだ意識は戻っていないが、自発的に呼吸しているシズクの顔を見てカイトは一気に息を吐き出した。
「ヤヒコ、シズク待たせたな」
ほんの10秒かそこらの時間だったが、どんな攻撃をするかまだまだ底が見えないニノマエを仲間二人に任せるというのはカイトにとって永遠のように長く感じた。
そして、エリの死を嘲笑しただけでなく、仲間を傷つけたニノマエをこれ以上生かすことは許されない。
「『界刀』を使う、今すぐこの場から退避しろ」
「ッ! マジかッ!!」
「ヤヒコ、カナデをッ!」
カイトは右手に持つ剣を真っ白に変化させていた。その言葉にヤヒコとシズクは顔色を悪くする。
カイトが本気を出し、確実にニノマエを消す。あまりに強力なその剣による影響範囲は広く、下手をすれば自分たちまで巻き添えを喰らうからだ。
「やっとかよ、俺も全開でいかせてもらうぞカイト……『ゲリュオン』ッ!」
分身を消したニノマエは『ゲリュオン』と唱えると、側頭部に顔が生えて、背中からは四本の腕が現れる。
阿修羅──そう形容するしかない姿にニノマエは変身し、6本の剣をアイテムボックスから取り出した。