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WEAK SELF.  作者: 若松だんご
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六、相し笑みてば(五)

 「今日はいろいろすまなかったね」


 夜になり訪れた寝所。先に室にいた妻、山辺に声をかける。

 

 ――草壁の子の祝いだ。飲もう。


 そう言いだしたのは川島。その後忍壁に突っ込まれたように、ただ、酒を飲む口実が欲しかっただけのようだが。

 それでも突然決まった酒席だし、そこに高市まで加わった。異母妹(いもうと)泊瀬部の相手をするだけでも苦労しそうなのに、そこに宴席の準備まで手を煩わせてしまった。


 「いいえ。久しぶりに高市さまや川島の異母兄(おにい)さまにもお会いできて、とても賑やかで楽しゅうございましたわ。泊瀬部さまもいらしてくださいましたし」


 「泊瀬部……ねえ。嫁いだのだから、もう少し落ち着いてくれればいいんだけどなあ」


 川島のもとに嫁いだ異母妹、泊瀬部。同母兄の忍壁に似て、幼さが残る。

 酒宴の間、山辺と一緒に酒の肴を用意してくれたり、甲斐甲斐しく動いてくれたが、こちらへ来るついでに、忍壁と一緒に川島をからかうか、痛烈な一言を川島に浴びせていた。それがまた酒席での笑いとなり、楽しく酒が進んだのだが。

 元気いっぱいなのはいいが、夫をもう少し大事にしてもらいたい。元気すぎる妻に振り回される川島に、軽く同情する。


 「あら。わたくしは泊瀬部さまといっしょにいるととても楽しいですから。彼女には、あのままでいていただきたいですわ」


 そう言う妻の手の中には、縫いかけの産着。

 卓に向かうように座って、ずっと縫い物をしていた。

 最初、泊瀬部が縫っていたが、脇の下など込み入った部分になると難しかったらしく、「義姉(ねえ)さま、お願い!!」と押し付けていったものだ。もちろんそのやり取りを、ここぞとばかりに川島と忍壁がからかったのは言うまでもない。


 「御名部の異母姉(おねえ)さまもご懐妊とのことですし。これから忙しくなりますわ。たくさん縫わなくてはいけませんもの」


 「それは大変だ」


 「ええ。でも楽しみです。御名部の異母姉(おねえ)さまと阿閉の異母姉(おねえ)さま。子が増えていくのはとても賑やかで楽しそうですわ」


 「そうかなあ。弟が生まれて、氷高は少し寂しそうだったけどね」


 突然母の腹が膨らみ、月満ちて生まれ落ちた弟妹。大切な弟妹とわかっていても、両親を取られるようで、やはりどこか寂しいのではないか。


 「あら、それなら一度、言祝ぎと合わせて氷高にも会いに行ってやりませんと。誰かが相手をしてあげれば、寂しさも紛れますでしょうし」


 「そうだね。でもそれを言ったら、これから高市異母兄上(あにうえ)のところの長屋も寂しがるようになるのかな」


 母親である御名部が弟妹を産む。長屋は氷高より年上だけど、だからって兄になる自覚があるとは限らない。


 「それなら、いっそお二人をこちらにお招きしましょうか」


 「え?」


 「御名部の異母姉(おねえ)さまも、懐妊されたばかりではお体も辛いでしょうし。二人が一緒に遊べば、寂しさも紛れるかと。泊瀬部さまにもいらしていただければ、きっと楽しゅうございますよ」


 良いことを思いついた。

 妻が縫いかけの産着を置き、手を軽く叩く。


 「そうだなあ、それがいいかな」


 そうすれば、寂しさも紛れる。


 「そうとなれば、早速、長屋と氷高が喜びそうなものを用意しておかなくては。お菓子が良いかしら。それともなにか一緒に遊べるものが良いかしら」


 子供と遊ぶのが楽しみで仕方ない。

 妻の目が明るく輝いた。


 「そうだ。今日、氷高に、妻になってあげるって言われたよ。山辺のおばちゃまと一緒に妻になってあげるって、熱烈な求婚をされた」

 

 「あらあら」


 「よっぽど寂しかったんだろうなあ。ちょっと抱き上げてあげたら、妻になってあげるだもんなあ」


 口元を軽く押さえ、クスクス笑う妻。


 「では、氷高も妃になさいますの?」


 「いや、そんなことをしたら草壁が泣いてしまうよ。大事な娘を取られてしまったってね」


 「そうですわね。まだまだ可愛くて仕方ない年頃ですものね」


 笑い続ける妻。泊瀬部よりは年上だが、まだその顔はどこか幼く、美しいというより愛らしい。眠る前なので、簪を外し、下ろした髪が笑いとともに揺れ、その愛らしい顔を縁取っている。


 「さて、もう遅いことだし。そろそろ寝ようか」


 牀榻(しょうとう)に腰掛け、妻を誘う。


 「先にお休みください。わたくしは、もう少しだけ……」


 笑いを収めた妻が縫い物に戻る。キリのいいところまでやってしまいたい。そう思っているのだろう。


 「いや、それは困る。寒くて仕方ないんだ」


 「あら、わたくしは温石(おんじゃく)の代わりですか?」


 再び笑う妻。卓の上に縫いかけの産着を置くと、こちらに近づいてきた。


 「そうだね、温かくて柔らかい、愛しい温石だよ」


 「では、愛しい我が背のために、温石を務めさせていただきますわ」


 腰掛けたままの自分の前に、妻が立つ。自分を見下ろす妻と視線を交わす。

 フッと微笑み合うとその細い腰を抱き寄せ、ともに床に横たわる。上掛けを被せ、体を寄せ合えば、それだけで温かい。

 

 「僕も山辺を温める温石を務めるよ。ほら、こんなに手が冷たくなってる」


 先程まで針と糸を持っていた手。その指先は氷のように冷たくなっていた。大事に真綿で包むように、その手を両手で包み込む。


 「互いが温石になってしまったら、誰が『ああ、温かいなあ』と喜んでくださるんでしょうね」


 「そうだなあ……」


 ともに暖める温石になってしまえば、温かさを実感してホッと息をついてくれる人がいなくなる。

 だけど、それでいいじゃないか。

 上掛けのなか、こうして身を寄せ合えば、互いの熱が心地よく眠りに誘う。相手を思いやる気持ちと温もりが溶け合って、温めているのか、温められているのかわからなくなる。

 日が落ちてしまえば、まだまだ凍てつくように寒い二月の夜。

 だけど、今、ここにだけは確かな温もりがある。


 「山辺……?」


 そっと声をかけるが返事がない。代わりに聞こえてきたのは、静かに規則正しい寝息。

 楽しかったと言ってくれたが、やはり疲れていたのだろう。温かさに誘われるように眠りに落ちていったようだ。


 (ごめんね……)


 自分の肩に頬を寄せて眠る妻。その頬にかかった髪をそっと払い除けてやる。

 彼女が賑やかさを求めていること。子供が好きなことは承知している。

 無理していることも。自分を抑えて笑っていることも。

 だけど。


 その柔らかな肢体を包み込むように抱きしめ、瞼を閉じる。

 そうすれば、ここだけは温かい。ここだけは幸せに満ちている。

 ここだけは。ここにいれば。

 冬の寒さもなにもかも忘れて温かい気持ちでいられる。


 抱き寄せた妻の豊かな髪からは、淡く梅の香りがした。 

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