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WEAK SELF.  作者: 若松だんご
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三十五、WEAK SELF(二)

 「よお、坊っちゃん、久しぶりだな」


 「八尋か」


 「相変わらずボーッとしてんな。今日はあの嫁さんはいないのか?」


 年が明け、迎えた初春。

 海石榴市の賑わいのなかで再会した八尋は以前より体つきもしっかりして、男らしい体格になったが話し方は全く成長していない。


 「彼女は今懐妊中だからね。宮で大人しくしているよ」


 「宮? 宮ってあの宮か?」


 「どの宮だよ」


 目を真ん丸にして驚く八尋に笑う。

 

 「いやだって、宮だろ? あのスメラミコト? だっけ。よくわかんねえけど、ああいう高ーいところにいるヤツが暮らしてる場所だろ? あの嫁さん、っていうか坊っちゃん、何者なんだよ」


 「僕は、そのスメラミコトの一族、帝の息子だよ」


 ほえええ~。

 八尋がポカンと口を開け、変な息を吐き出した。


 「坊っちゃんが……ねえ。スメラミコトの……ねえ」


 腕組みし、ジロジロと、こちらの身の上を何度も上下する八尋の視線。


 「驚いた?」

 

 多分、下級官人だと思われてただろうから。


 「いんや。まあ、驚いたっちゃあ驚いたけど。どっちかというと、ボーッと坊っちゃんでもスメラミコトの子なんてのをやれるんだってことに驚いた」


 「なんだよ、それ」


 プハッ。

 八尋と一緒に笑い合う。


 「ま、なんだっていいや。取り敢えず、坊っちゃん、おめでとさん。嫁さんと腹の子、大事にしてやれよ」


 「ああ、言われなくても大切にしている」


 「どうだかな~。坊っちゃん、ボーッとしすぎて、ウッカリ怒らせたり悲しませたりしてそうだしなぁ」


 ギクリ。

 一瞬動きが止まる。


 「あ、図星か」


 「いや、まあ昔のことだよ。今は違う」


 「あ、昔だから今は大丈夫って思うなよ? 女はな、事あるごとに『あの時のアナタはとってもひどいことをなさったのよ。わたくし、忘れておりませんわよ』って蒸し返してくるからな。ネチネチネチネチ、こっちがどんだけ謝っても忘れてなんかくれないからな?」


 「彼女は大丈夫だよ」


 「いんや。俺にはわかるね。今にネチネチネチって言われることになるんだよ」


 そんな。

 ずいっと身を乗り出してきた八尋に、一歩引き下がる。


 「ってことで、今日は坊っちゃん、嫁さんのご機嫌取りにイイモン買って帰ってやれよ!!」


 バシバシっと勢いよく背中を叩かれ、ゴホゴホむせかえる。


 「なんだ、ただの押し売りか」


 土産にかこつけて、自分も奢ってもらうつもりなのか。


 「いいじゃん。最高の一品を選んでやるからよ!!」


 ニシシと笑う八尋。

 まったく。

 僕が皇子、山辺が皇女だとわかっても、八尋の態度は変わらない。


 「ところで、きみの姉さんたちは? 今日は舞をやってないのかい?」


 相変わらず市は騒がしいが、あの笛の音も歌も聞こえてこない。


 「今回は俺が一足先に市に来てるんだ。姉ちゃんたちが来るのはもう少し後になる」


 それは舞台を設けたりする準備があるからなのか? 舞が見れないのは少々寂しい。


 「いやさ、ほんとは坊っちゃんに会いに来たんだよ。あれからずっとアンタに会えなかったからさ」


 ボリボリと後頭部を掻く八尋。


 「ああ、仕事が忙しかったから。悪かったね」


 「いんやいいんだけどよ……。なんか、その……」


 八尋が言いよどむ。


 「あー、もう!! こんな往来では言いにくい!! こっち来い、こっち!!」


 引きずられるように連れてこられたのは、まだ芽吹いたばかりの菫が点在する河原だった。


 「あのな。俺は最後に会った時のアンタが気になってたんだよ」


 「……ごめん、僕にそういう趣味はないよ」


 「だーっ!! そういうんじゃねえよ!! 茶化すな!!」


 「すまない」


 「アンタがさ、蛤の話をしただろ? あん時のことが気にかかってたんだよ」


 「蛤?」


 そう言えば、市で蛤を山辺と八尋、三人で食べたことがあった。


 「あん時の坊っちゃん、伊勢をすごく懐かしそうにしてた。懐かしそう? 違うな、切ない? 辛い? 悲しい? あー、もう、上手い言葉が出てこねえ!!」


 八尋が髪をグシャグシャッと掻き乱す。おかげで、彼の整ってない髪がさらに複雑に乱れた。


 「とにかく!! とにかくだ!! アンタのことが放っておけなかったんだよ!! もう一度会わなきゃいけねえって思って、それであの笛を託したんだ」


 「ああ、これか」


 八尋から託された笛を懐から取り出す。山辺を通じて渡された笛は、今でもずっと持ち歩いている。


 「その笛を渡しておけば、また吹いてほしいって願っておけば、会える気がしてたからな。なんとなくだけど」


 「じゃあ、今ここで吹こうか? 今日会えた祝いに」


 「いや、止めておく。今度にする」


 そうしたら、また会うことができるから。


 「今日会いたかったのはさ、アンタを(なばり)に来ないかって誘うためだったんだ」


 「(なばり)に?」


 「なあ、坊っちゃん。アンタ、ほんとはここにいたくないんじゃないのか? 逃げ出したいって思ってないか?」


 「八尋……」


 「スメラミコトの一族なんていう、飢えることも凍えるような寒さも知らねえ、とんでもなく身分あるやつが何から逃げるんだよって思うんだけど、それでも気になって仕方ねえんだよ」


 グイッと八尋が身を乗り出す。


 「一人で逃げられねえってのなら、俺たちが手を貸す。あの嫁さんだって一緒に逃してやる。伊勢でもどこでも好きなところに行って、好きなだけ蛤を食え!!」


 「いや、僕はそこまで蛤好きなわけじゃあ……」


 「だから茶化すな!!」


 はい。


 「とにかく!! とにかくだ。俺はアンタに何かしてやりたいんだよ。逃げたいのならどこまでだって逃してやる。助けてほしければ何だって助けてやる。それが俺たち(なばり)の民だからな。奢ってもらった分の礼をする。借りは必ず返す」


 「えらく壮大な返しだな」


 軽く笑って目を閉じる。

 もし、このまま八尋の手を取ったらどうだろう。

 この大和を離れ、山辺とともに旅をする。子が生まれたら三人で。

 幼い頃、戦をする父を待つ間に見た景色。

 滔々と流れる幾筋もの川。葦の生い茂る広大な湿原。行き交う船。

 日差しに煌めく浩々たる海。その先に広がる無辺の大綿津見(おおわだつみ)

 かの地で見た漁夫の家族。船を降りた漁夫に駆け寄る子どもたち。その母親。幼子を軽く持ち上げ、肩に載せて歩くよく日に焼けた父親。魚の入った籠をよたつきながら運ぶ子。その傍らで笑い、子のふらつく足元を案じる母親。金色の入り日に照らされた幸せな家族。

 自分と山辺、そして子ども。

 逃げたその先で、自分たちもあの家族のように笑うことができるだろうか。貧しくても幸せに――。


 (いや……)


 「僕は行かないよ。行けないんだ」


 静かに目を開け八尋に告げる。


 「僕は行かない。逃げちゃいけないんだ」


 あの頃は、ずっと逃げ出したいと思っていた。けれど、今は違う。

 

 「ここには、彼女だけじゃない。兄弟姉妹だっている。友もいる。皇子としてやるべきこともある。それらを捨てて逃げてはいけないんだ」


 逃げたところで、追捕の命がくだされるだけ。父が治めるこの国で逃れる場所などどこにもない。逃げたところで僕も山辺も漁夫とその妻にはなれない。

 僕はここで、山辺とともに皇子として生きていく。ここで幸せな家族を築く。たとえそれがどれほど困難なことであっても、助けてくれる、守ってくれる兄弟がいる。間違った時には殴ってでも止めてくれる友がいる。


 「僕は、ここで生きる。ここで幸せになる道を探すよ」


 「坊っちゃん……、アンタ、強いな」


 「そうかい? 自分ではかなり弱いほうだと思ってるけど。弱虫小虫、逃げる勇気も度胸もない、ヘタレ腑抜けの意気地なしだよ」


 「いや、強えよ。逃げない強さを持ってる」


 「そうかな。じゃあ、強くて弱いんだよ、きっと」


 「なんだそりゃ。謎かけか?」


 「そうだね、謎かけだ」


 強くて弱い。相反する二つ。でもそれが人ってものじゃないかなって思う。

 踏みとどまる勇気をみせる強さもあれば、迷い間違い、大切な人を傷つける弱さもある。

 どちらの僕も同じ僕。


 「まあ、そんな僕だからさ、どうしても逃げたくなった時、助けてほしい時はよろしく頼むよ」


 任せておけ。

 八尋が胸を叩いて請け負った。 

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