表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
WEAK SELF.  作者: 若松だんご
31/40

三十一、かぎろひ立つ(四)

 「お前に、話がある」


 「僕にはないよ。悪いけど、今、酒を呑んで気分が悪いんだ。話ならまた今度にしてくれ」


 馬を降り、手綱を真足に預ける。ただならぬ気配を感じ取ったのか、周囲にいた下人たちもその場を去っていった。


 「お前、蘇我の宴に行ってたのか?」


 「行っちゃ悪いかい? 月見の宴に誘われたんだ。なかなか良い宴だったよ」


 だから悪酔いした。だから放って置いてくれ。

 足早に彼の前から立ち去ろうとする。だが。


 「――待てよっ!!」


 グイッ肩を掴まれ向き直らされる。


 「お前、今がどういう時期かわかってるのか?」


 「わかってるよ。詔発布に向けて忙殺されている。風雅を味わう暇もないぐらいに。ああ、こんな仕事を怠けてみたいなお叱りは川島らしくないぞ? それは高市異母兄上(あにうえ)の役目だろう?」


 「うるさいっ!! そういうんじゃねえよ!!」


 ガシッと両肩を掴まれ、睨みつけられる。


 「お前、このままでいいのか? このまま蘇我と手を組むつもりなのか?」


 ああ、わかっているのか。


 「そのつもりだよ。だって、父上がそれを望んでいらっしゃるから」


 わずかに、肩を掴む手から力が抜ける。


 「川島だって気づいただろう? どうして僕に郎女が近づいても、父上が何もおっしゃられないのか」


 皇后が手を出せないのは、草壁という牽制が入ったから。だが、それをそのまま放置、助長させたのは父だ。


 「僕に子がいないことを心配してくださってるそうだよ。郎女なら子を産める。蘇我の血を引いた子ができる。帝はそれを望んでいらっしゃるんだ」


 どうにかいつもの笑顔を作り出す。


 「――父上がそんな子煩悩、子ども好きだなんて知らなかったよ。ご自身だって、妃嬪にたくさん子を産ませていらっしゃるのに。まだ足りないっておっしゃるんだよ」


 「山辺は、……オレの異母妹(いもうと)はどうするんだよ?」


 「石女(うまずめ)なんだから仕方ないだろう? 郎女との間に子をもうけるよ。そうしたら、帝はお喜びになる」


 言い切ると同時、ヒュッと風を切る音がして、体が後ろにふっ飛ばされた。


 「――痛いな」


 殴られたと気づいたのは、背中を地面にぶつけたからだ。口元を拭い、立ち上がる。


 「っるせえっ!!」


 胸ぐらをつかまれ、睨みつけられる。ギリギリと、奥歯を噛みしめる音が聞こえてきそうだ。


 「オレはなあ!! お前なら、異母妹(いもうと)を幸せにしてくれるって思ってたんだ!! お前なら異母妹(いもうと)を託しても大丈夫だって!! それを、それを……っ!!」


 激情のまま突き飛ばされ、壁に背中をぶつける。


 「帝がそれを望まれているんだ。どけよ、川島。不敬だぞ」


 伸びてきた手を払い除ける。


 「僕は帝の子だ。これ以上は許さない。たとえきみであってもね」


 「帝がなんだっていうんだ!! お前はお前!! オレの妹を泣かせる、ひでえヤツだ!!」


 さっきとは逆の頬を殴られた。口腔に血の味が広がる。被っていたはずの冠は、その勢いでどこかに飛んでいってしまった。


 「さっきから帝、帝って!! それを言うなら、オレは淡海の、先帝の第三皇子だ!! 帝の甥だ!! 文句あっか!!」


 川島が吠える。


 「あんなに惚気けてたのに。山辺を好きだって!! それなのに、こうもアッサリ捨てるのかよ!! そう簡単に帝の命なら誰とでも寝るのかよ!!」


 怒っているのに、泣きそうな川島の目。

 ああ、なんて純粋なんだ。純粋に、妹を案じ、友を叱り飛ばしてくれる。

 そんな目で見るなよ。そんな風に怒ってみせるなよ。

 放っておけよ。

 駒として生きるしかない僕のことなんて放っておいてくれよ。見下げたやつと蔑み、離れていってくれよ。でないと――。


 「……僕は誰とも寝てない。寝ちゃいけないんだ」


 「大津?」


 ズルズルと壁に背を預けたまま座り込む。


 限界だ。

 もう、何もかも。


 「父上の望まれるように子を成したら、草壁との争いが激しくなる。皇后との対立は免れ得ないんだよ」


 「……大津」


 「僕だって山辺と静かに暮らしていたい。山辺を大切に思っているよ。でも、どうしたらいい? 山辺と子を成せば、彼女まで巻き込まれてしまう。政争に巻き込まれ悲しむのは十市異母姉上(あねうえ)だけで充分だ」


 乱れた髪をさらに手でかき乱し、体を丸め、膝に埋めた頭を抱える。


 叔父、大友皇子のもとに嫁がされた異母姉(あね)十市皇女。彼女は父と夫の皇位争いに巻き込まれた。戦の数年後、急死したことになっているが、あれは自害だ。異母姉(あね)は亡くなる直前、「葛野を頼む」と言い残していた。どういう事情で死を選んだのかは知らないけれど、父の駒であったことが理由の一つであったことは間違いない。

 異母姉(あね)は死を選び、亡き夫のもとへと旅立っていった。

 古来より、大君の血筋に連なる者は、時としてその血にとり殺されてしまう。古人大兄皇子、有間皇子、そして大友皇子。それが大君の血筋。それがこの国の主であることの代償。

 遠く漢の国では、初代高祖の子が争い殺された。二代目恵帝とその異母弟劉如意。恵帝は弟を守ろうと務めたが、わずかな隙きを突いて恵帝の母、呂太后によって殺されてしまった。劉如意は、父高祖に特に目をかけられ、期待された子だったという。

 自分がその劉如意と同じ道を辿らないと誰が言える?

 自分はいい。そういう運命のもとに生まれたのだと納得することができる。だけど、彼女は? 彼女と愛し合ったことで生まれる子はどうなる?

 自分が政争に敗れ死ぬことになっても、山辺を巻き込みたくない。でも、山辺に子が生まれていたら、そうしたら彼女は――。


 「僕は、僕は、どう、したら……」


 声にならない。どうしようもない感情に塞がれ押し潰されて、嗚咽が漏れる。

 叔母に死を望まれるほど疎まれ、冷酷な父に駒として扱われ続ける僕はどうしたらいい? どれだけあがいても、もがいても、断ち切れない呪詛のようなこの血をどうしたらいい?


 「教えてくれ……、川島……」


 「馬鹿野郎……っ!!」


 ガッと、覆いかぶさるようにぶつかってきた川島。


 「そういう悩んだ時は、オレたちを頼れよ!! 一人で悩むな!! お前には、オレもいるし、高市殿だっている!! 忍壁だって、泊瀬部だって!! 草壁だってお前のこと心配してる!! 遠く伊勢には大来殿もいる!! 山辺だってだ!! 一人で勝手に思い悩むな!! 勝手に抱え込んで、突っ走るな!!」


 熱く強い抱擁。


 「怖いんだ。怖いんだよ、川島。大友の叔父上みたいになりそうで、怖いんだ……」


 「させねえよ!! オレが、高市殿が、草壁が止めてみせるさ!! オレたちはお前の頼れる兄ちゃんだからな!! お前を大友異母兄上(あにうえ)のような目には遭わせねえ!! 守ってやる!! 勝手に悪い方へと考えるんじゃねえよ!!」


 「川島……」


 顔を上げたけれど、涙でその顔がよく見えない。


 「お前が変に突っ走ったり間違ったことをするなら、全力で止める。ぶん殴ってでもな。その代わり、お前が危険な時には全力で守る。それが兄ってもんだからな」


 「ハハッ、お前、いい兄貴だったんだな」


 グイッとこぼれた涙を拭い取る。


 「ああ、知らなかったのか? オレは、高市殿のような強くて立派な兄ではないけどな。ヘナチョコ兄だが、その分色々話しやすいだろ?」


 「フッ、そのとおりだ。川島は、ヘナチョコだ」


 弱い僕を、弱い僕が苦労して身につけた「皇子」という殻をぶち破るぐらいにヘナチョコだ。


 「言ったな、コノヤロ」


 首を抱えられ、頭をグシャワシャッとかき乱される。


 「お前、これからのこと、ちゃんと山辺と話し合え。大丈夫だ。山辺は、オレの異母妹(いもうと)はお前が思ってる以上に強い女だよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ