十八、大君は 神にしませば(一)
――父上が新しい詔を発布なされる。大津、お前もその詔の草案をまとめることに力を貸せ。
市から帰ってくるなり呼び出された、異母兄高市の宮。少々の酒と肴を前に命じられた。
父上が、詔を発布し、先の戦の論功行賞を行うという。戦から十一年。ようやく、ついにというか、未だに着手してなかったのかというのか。
一番手っ取り早い恩賞は、封戸の加増、衣や糸、絹を与えるなどの行為だけど、父の考えはそれだけに収まらないらしい。
――封戸だけでなく。新しい身分制度を創り、位を与える。
旧来の制度ではない。新たな法を定め、新たな位階を授ける。
かつて、この飛鳥にも淡海にも法はあった。だが、それを刷新する、一から作り直し、新たに授与するということは、父が真にこの国を治る人物になったということ。権力を掌握してなければ、創ったところで誰も従わない。与えるということは、従えると同義。従っているから、与えられたものに感謝し平伏する。またかつての法を捨て去ることで、自分がかつての政権とは違う、新しい権力者であることを世に知らしめることができる。この国で、父に歯向かう者は誰一人いない。天下が父のものになったという証。
だが、「創る、与える」と簡単に言うが、行うには膨大な作業が必要となる。
誰にどれだけ何を与えるか。
与えるものは何か。
それは、どのような制度に基づいて与えられるのか。
これまでの立場、身分もある。
それは、何もない更地に建てる宮ではない。かつて建っていた宮を打ち壊し、礎石だけ残した上に建てる宮のようなもの。
与えたほう、頂戴したほう。ともに納得のいくものを作り上げねば意味がない。でなければ、この国という「宮」は内側から壊れてしまう。
(とんでもないことになった)
封戸を与えるだけでも大変だというのに、そこに新たな身分とは。封戸は布や金とは違う。税を収める民の戸を与えるということ。布のように新たに作り出すことは不可能だから、今あるもののなかで、誰のどこを削り、誰にどこを与えるか考えなくてはならない。手っ取り早いのは、かつての戦で大敗した淡海側のものを与え直すことだが、それも、誰にどれだけ渡すかで、頭を悩ませることになる。
たくさん与えれば増長し、つけあがるかもしれない。少なければ不満を感じ、新たな火種となりかねない。
「父上がお前に“始聴朝政”を命じられたのは、お前のその能力を買ってのことだ。お前は漢国、韓国の史書にも造詣が深いと聞いている。その力を持って、新しい詔発布に寄与せよとの仰せだ」
卓をはさみ、向かい合うように座った高市が言った。
「そんな、僕の持つ力だなんて、たいしたことないですよ」
かつて、草壁に言ったことと同じことを述べ、嫌そうに顔をしかめる。
「父上のお考えは素晴らしく立派ですが、それをお支えするのは異母兄上と草壁で充分でしょう。それに皇后さまもいらっしゃる。僕なんて、知ってるだけの頭でっかちで、何のお役にも立てませんよ」
二人とあの皇后がいれば、万事治まる。
自分は数にいれないでくれ。
「何を言うか。お前の能力を一番評価されているのは父上だ。父上自ら、お前の参与を望んでおられるのだ。異議は許されない」
ああ、そうなのか。
新しい詔を発布するのは、父の権威を見せつけるため。
そして、詔に自分を関わらせるのは、草壁を推す皇后を牽制するため。
ズンッと重い何かが胸の奥に詰まる。
それをなんとか飲み下したくて、目の前の酒を手に取る。
“始聴朝政”を命じられて以来、なるべく役に立たぬように目立たぬように、遊ぶことに力を入れていたのだけど。父はこうして自分を使うことを考え、“始聴朝政”を許したのだろうか。
「お前も、いつまでもフラフラと海石榴市で遊んでいるわけにはゆかぬぞ」
ブフッ。
口つけた酒を噴き出しかける。
「え? いや、あ、異母兄上、なぜ市のことを?」
真足が教えたのだろうか?
いや違う。あれの主は別の者。異母兄ではない。あれが姿を消し、報告に向かったのは別の者。
「俺も海石榴市にいたのだ。驚いたぞ。お前が舞台で笛を吹いて、山辺が舞っているのだからな」
「えーっと、それは……」
まさか見られていたとは。
真足や山辺の女嬬に見られていたことは知っていたが、途中から、笛を吹くのが楽しくて、山辺の舞いを見るのがうれしくて、つい警戒を怠っていた。
「夫婦で遊び戯れるのもよいが、あまり羽目を外しすぎるな」
「……はい」
「それとあまり下々の者と関わりを持つな。川島以上に情けない皇子、常識外れの皇子と世間に謗られるぞ」
「……はい」
違う。
「常識はずれ」ではない。「下々の者と関わることで良からぬことを考えている」と思われることをこの異母兄は危惧しているのだ。
下々の者を使って、地方の豪族と結びつく。力を手に入れて、帝に楯突くつもりなのではないか。いや、そうに違いない。そうに決まってる。
自分のことを駒だとする父が、そう思うことはない。だけど、周囲も同じではない。それを理由に持ち出し、讒言し、自分を謀反人に仕立て上げることだって出来る。自分の政治への参与を喜ばないのは、なにも皇后だけではない。もっと周囲を警戒し、自重しろ。
異母兄はそれを警告していくれている。長く父の片腕として政務に参加している者の言葉。無下には出来ない。
「まあ、あれを遊び納めとし、これからは政に精を出せ。川島ともども、たっぷりこき使ってやる」
「うわあ、嫌だなあ、お手柔らかに頼みますよ、異母兄上」
心底嫌そうに困った顔をしてみせると、高市が豪快に笑い飛ばした。
「安心しろ。お前も川島も、余計な事考えられぬようになるまで使ってやる」