十五、海石榴市(四)
「よう、坊っちゃん。今日も来たのか」
「八尋。その“坊っちゃん”ってのは止めてくれないか。これでも成人した大人だぞ」
「そんなこと言ったって、あっさりスラれるボケッと坊っちゃんだろうが。坊っちゃんの『ボ』はボケッとの『ボ』だ」
「うわ、嫌だな、それ」
久しぶりに会った八尋。そのズケズケとした言い方に、軽く眉をしかめる。
「――ってなんだよ、坊っちゃん。今日は女連れか?」
やるな。
八尋が肘で腹をつついてきた。
「妻だよ。きみの姉さんたちの舞を見に来たんだ」
八尋と視線の合った山辺が頭を下げる。日差しを遮るように頭から被った布。その下には先日贈った赤瑪瑙の簪。
「今日は二人だけなのか? あのゴッツイ間抜けおっさんは?」
間抜けって。真足のことか。
「ああ、彼ならあそこだ。今日は特別だから、離れてもらってる。夫婦のフリしてついてきているよ」
少し離れて雑踏に紛れるようにいる真足。その傍らには山辺の女嬬。二人で仲良く市を見て回ってる。あちらも「夫婦」という設定。
「なあ、あれで夫婦? どっちかというと夫婦っていうより、親子にしか見えねえぞ」
真足は三十代半ば。それに対して女嬬は山辺と同い年ぐらいの十六、七。どちらかというと、真足よりこの八尋に釣り合いそうな歳である。
「ハハッ、そう言ってやるなよ。あっちもあれで必死なんだから。『年若い妻と再婚したばかりの夫』ってことにしてやってくれ」
「うわ。苦しい設定だな」
「でも、そういうのもないわけじゃないだろう?」
父帝と亡母や皇后もたしかそれぐらいの年の差があった。父は再婚ではないが、それぐらいの年の差でも嫁ぐ妻はいるこということだ。
「だが、あのオッサン、こっちばっか見てて、全然初々しくも夫婦らしくもねえぞ」
「まあ、そこは……仕方ない」
真足にとって、警護が何より大事。妻と一緒に店を見るふりなど、出来る余裕がない。先程から、品物を興味深そうに見るふりをする女嬬のとなりで、ソワソワとこちらに首を伸ばしている。
「あれは、後で妻に叱られる夫の典型ですわね。『よそ見ばかりして!! 誰か良い女でも探していらっしゃるの? 憎らしい』って」
口元を隠し、山辺が笑う。
「そうだな。ありゃ後で嫁につねられるな」
八尋も笑う。
「まあ、なんでもいいや。ちょうどこれから姉ちゃんたちの舞が始まっから。見ていってくれよな!!」
じゃあな。
言い残して八尋が去っていく。
「大津さまはあのようなお方とも懇意になさってるのですね」
「ダメかい?」
「いいえ。別け隔てなく接することができて、素敵だと思います」
皮肉でもなんでもない。山辺は素直に称賛してくれた。
「では参りましょうか。わたくし、舞が見とうございます」
「うん。でもその前に――」
被り物を掴んでいた山辺の手をとる。
「はぐれるといけないから。それに、こうしていたほうが初々しい夫婦らしいだろ?」
少なくともあちらの偽物夫婦よりは。
* * * *
ピィ――ッ!!
甲高い笛の音。
続いて太鼓。土笛。今日は龍笛、琴、鐘も混じる。
それに合わせて舞い踊る女性たち。すべて八尋の実姉ではないだろう。だが、同じまつろわぬ民だからか、よく似た印象を持つ者もいた。
踊りだけではない。
楽に合わせて謳われる歌。
浅緑 染めかけたりと 見るまでに 春の柳は もえにけるかも
見渡せば 春日の野辺に 霞立ち 咲きにほへるは 桜花かも
紫は 灰指すものぞ 海石榴市の 八十の衢に 逢へる子や誰れ
海石榴市の 八十の衢に 立ち平し 結びし紐を 解かまく惜しも
あしひきの 山より出つる 月待つと 人には言ひて 妹待つ我を
場所が海石榴市であることも関係しているのか。春を言祝ぐだけでなく、恋人との相聞歌も高らかに謳われていた。
これはさすがに――照れる。
知り合ったばかりの夫婦という体でここに来たせいか、居心地が悪い。山辺の手を掴んだままだったことを思い出して、そっと気づかれないよう離そうとしたら、逆に握り返されてしまった。
「山辺――?」
小声で囁き問いかけると、理解できない笑みが返ってきた。
直後に踊りが終わり、ひときわ大きな歓声が上がる。
「素敵ですわね、大津さま」
軽く上気した山辺の顔。
「大宮で見る舞とは違って、とても趣があって楽しゅうございます」
「そう? それならよかった」
帝の前で披露されるものとは違う。伸びやかで、明るく自由な舞。自分の気に入ったそれを、山辺が称賛してくれた。
大宮のそれを知っている彼女がどう思うか心配だったけど、楽しんでくれたようだ。
それがうれしくて、こちらも微笑み返す。
「よう、姉ちゃん、気に入ってくれたのか?」
「ええとても。美しくて、楽しくて。夢みたいに綺麗で素敵でした」
気安く声をかけてくれたのは八尋。ちゃっかり伸ばされた手のひらに、舞の報酬を載せる。
「じゃあ、姉ちゃんも一緒に踊ってみるか?」
「え?」
「ええっ?」
八尋の提案に二人で驚く。
「別に踊るぐらいいいだろ? 踊りなんで誰にでもできるし」
「いえ、その、そんな、あのっ……!! わたくし、踊りなんてやったことありませんし」
「大丈夫だって。あんだけ食い入るように見てたんなら、どんな踊りか大体わかってんだろ? 一緒に踊る姉ちゃんの真似をすればいいだけだって」
「それは、そうですけど……」
「現に、ほら」
八尋が顎で指し示す。舞台には気を良くした観客が数人上がり込んでいる。この後、一緒に踊るつもりらしい。「な?」と八尋が山辺を押した。
けれど、山辺はまだ迷っていた。
「そうだな。僕もきみが踊っているのを見てみたいかな」
「大津さま……」
少し意地悪心を出して、一緒に押してみる。すると一層山辺が困惑顔になった。
「なんなら、その坊っちゃんも一緒に上がればいい」
「え? 僕も? 僕も踊るの?」
さすがにそこまで目立つことをするのは……。
意表を突いた八尋の提案。
「踊りが嫌なら、笛でも吹きなよ。吹けるだろ? お貴族さまの嗜みってやつで」
それは、まあ吹ける。嗜みというか、音曲に触れることは幼い頃からやっている。
「そうですわね。わたくし、大津さまの笛の音に合わせて舞ってみとうございます」
「え? や、山辺っ!?」
「わたくしだけ踊るのは割に合いませんもの」
グイッと引っ張られた右手。手を繋いでいたことが仇となった。
舞台に上がると、周囲から軽く口笛で囃し立てられる。
仕方がない。
さすがに一緒に舞を舞う訳にはいかないので、そばにいた楽士から笛を借り受ける。龍笛なら得意だ。軽く自分に馴染むように、音を少し出して確認する。
――皇子っ!!
群衆をかき分け近づいてくる、目を真ん丸にして驚く真足を見つけた。並んで立つ妻役の女嬬も舞の準備を始めた山辺の姿に、口をポッカリ開けている。
主の姿に驚きを隠せない。その表情は二人共とても似ていた。
(意外と似たもの夫婦じゃないか。上手く誤魔化せてるぞ、真足)
吹き出しそうになるのをこらえ、笛を口元に近づける。
でないと、こちらもうまく音が出せずに、笑われることになる。