十四、海石榴市(三)
「まあ、それでこれを?」
「うん。ちょっとおしゃまな氷高には、これが一番いいかなって」
八尋が共に選んでくれたのは、小ぶりの木でできた器。椀や皿、水差しや匙までそろった「飯事道具」。それを卓の上に広げて、叔母である山辺に確認してもらう。
「これなら、氷高も父親と飽きることなく遊べると思ったんだけど」
胡桃の木でできたそれは硬く、ちょっとぐらい乱暴に扱ってもそう簡単には割れたりしないだろう。
雛遊び、それも飯事につき合わされる草壁には申し訳ないが、これなら氷高も喜んでくれる気がする。
「今のはしっかりした作りになってるのですね」
山辺が飯事の器を一つ持つと、上から下からしげしげと眺めた。
「山辺もこういうので遊んだの?」
「そうですね。こういうのを使って、よく母の真似をしておりました」
飯事は真似事。
女性は、そうやって母親がやっていたことを真似て学んでいくのだろう。そうして妻となった時、母親と同じふるまいができるようになる。
さきほど山辺が注いでくれた酒。振る舞い美しく入れてくれたが、これも飯事という修練の結果得たものなのだろう。
「きっと氷高も喜びますわ」
「うん。そうだといいな」
せっかく贈るのだから、喜んでくれたらうれしい。
「でも、これを使っていっぱい遊んだら、今度は早くおじちゃまのお嫁さんになりたいって言い出したりしないかしら? 飯事ではなくって、本物を使いたいって」
「え? それは困ったな。そんなことになったら、氷高を大切に思ってる草壁が泣いてしまう。大事な娘を取られたって恨まれそうだ」
子煩悩な草壁。氷高が嫁に行くようなことになったら、彼の宮は流した涙で溢れてしまうかもしれない。
「わたくしは大歓迎ですけどね。氷高と二人、叔母姪で大切な背の君にお仕えいたしますのに」
クスクスと山辺が笑う。
「いやいや、氷高には申し訳ないけど、僕の妻は山辺、きみだけで充分だよ」
「あら、そうですの?」
「うん。僕には、きみだけでももったいないと思えるけどね」
言いながら、懐からもう一つの買い物を取り出す。
「――それと、これをきみに」
コトリと卓の上に置いたもの。
赤い瑪瑙のついた簪。よく熟れた無花果を思わせる深い赤に、白く淡い波のような文様が浮かび上がる。
「これをわたくしに?」
驚いた顔の山辺。
「うん。似合うって思ったんだけど。――気に入らない?」
素敵な簪だと思ったが、所詮は市で売ってるような代物。皇女である山辺には安すぎる簪かもしれない。瑪瑙だってもっと上等な、深い深い赤の、縞模様なんてない質のいいものが好きだっただろうか。
「そんなことありませんわ!! ただちょっと……。わたくしまでいただけると思っていなかったもので。その……あの、とてもうれしいです」
否定したあと、恥ずかしそうにうつむいてしまった。
本当に、もらえると思ってなかった、予想外の贈り物だったんだろう。
次に、恥ずかしそうに上げた山辺の顔は、真っ赤に染まっていた。
――贈り物をしないと女は拗ねる。
八尋の言葉は誰にでも当てはまるものではなかったらしい。
「じゃあ、せっかくだし。僕がつけてあげるよ」
「え? 大津さまが?」
「うん。これをつけてる山辺が見てみたいんだ」
彼女をこの簪で彩ってみたい。
「では……お願いします」
椅子に腰掛けた山辺がこちらに背を向ける。
耳まで真っ赤になった山辺。普段からあまり装飾を好まない彼女の髪に、自分の贈った簪を挿す。黒く豊かな髪を赤い瑪瑙が彩る。
「――どうかな?」
女性の髪に簪を挿すなんで初めてだから、上手く挿せてるのかどうかわからない。
「似合い……ますか?」
ふり返った山辺が問う。こちらも確認する鏡もないから、戸惑っている。どんなふうに挿されたのか気になるのか、簪に触れようとして伸ばした手をすんでで止める。万が一、触れたことで落ちてきてはたまらないと思ってるのかもしれない。
「うん、よく似合ってる」
鏡の代わりに答えると、面映ゆく山辺が笑顔になった。皇女に市で買い求めた簪など、それも似合うだなんてと叱られるかもしれない。実際、その笑顔に簪がよく似合っていた。
「そうだ、山辺。今度、一緒に市へ行こう」
「市、ですか?」
「うん。その簪を挿したきみと一緒に。そうしたら歌垣の男女みたいに見えないかな?」
「そ、それは……」
妻問いの贈り物をした男と、受け取って髪に挿した乙女。歌垣の後の初々しい恋人同士。
「僕とそういうふうに見られるのはイヤ?」
「いえ、そんなことはありません!!」
即答。その慌てた感じが面白くもあり、うれしくもあり。愛おしくもあり。
普段の、優しい大人しい山辺が崩れた瞬間。とてもかわいい。
「じゃあ、決定。今度、政務を抜け出してくるから。二人で一緒に市へ行こう。もちろん、ちゃんと変装してね」
「変装……」
「皇子と皇女だなんてばれたら大変だからね。せめて下級役人とその妻ぐらいに見えるようにしないと」
里の者に扮するのは、いくらなんでも無理がある。自分たちにできるのは、せいぜい下っ端。出世できるかどうかギリギリで暮らす役人程度だろう。
「では、衣装を用意しておかなくてはいけませんね」
山辺の顔に、恥ずかしさよりも楽しさがましてくる。ちょっとしたいたずらを仕掛け、それに引っかかってくれる相手を待っているときのような、ワクワクしたような期待する気持ちが溢れ出ている。
「楽しみだね」
「はい」
「ああ、でもその時も必ずその簪をつけてきてよ。歌垣の後の恋人って設定なんだから。妻問いの簪、忘れないでよ」
四年前。
命じられるままに結婚したけれど、これぐらいの楽しみは共有してもいいだろう。
あの青空の下、春の風に肩巾を振って舞う女性たち。伸びやかに奏でられていた楽の音。
春の訪れを言祝ぐ世界。
あそこでなら、きっと二人、心の底から楽しめる。