変態
ののは衝動的に新幹線を降りたことを後悔し始めたのは、西明石から神戸・大阪へ向かう新快速に乗った直後のことであった。
ただでさえ、崚馬との一件があった上に、母親と喧嘩するなど、こんなことを起こしては一層父親を怒らせてしまうことは明白であった。
とりあえず、ののは神戸に戻れば、また崚馬と出遭ってしまうかもしれないので、また野花を頼ることにした。
スマートフォンを取り出して、メッセージアプリを起動すると、ののは彼にメッセージを送った。
ーやっぱ神戸に帰っとるんやけど……今日、また野花の家、泊めてくれへん?
するとすぐに野花から返信が来た。
ーええ!?のの、香川に帰るんと違うの?
もうとっくに香川に向かっているものと思っていた野花は当然、驚いてそんな返事をよこした。
彼女が目を丸くしている様子がののの脳裏に思い浮かんだ。
ーお母さんと喧嘩した。あたしが男と遊び歩いているから悪いって言うんや!それに付き添いの男がマジムカつくこと言いよって。そんで怒って新幹線を降りてもうた!
ののは苛立ち紛れに、野花にそうメッセージを送った。
すぐに既読はついたが、それに対する返事はなかなか来なかった。
ーマジムカつくよ!お母さんも、あの男も!話聞いてもらいたい!野花ちゃん、今日バイトいつ終わる?
返事を待たずに、ののは立て続けにそうメッセージを送った。
やはり既読はすぐにつくが、熟考しているのか、長い返事を打っているのか、はたまた何か他のことをしているのか、野花はなかなか返事をよこさない。
ののはそれにも少し苛立ち始めた時だった。
ーののちゃんさー、それはひどくない?せっかく香川からお母さん来てくれたんだよ?慣れない新幹線乗って…お母さんにごめんなさいして、香川に一度帰ったら?
野花がまったく自分の期待していない返事を送ってきた。
ー知らん!もう野花ちゃんには頼らんわ!あー、本当にどいつもこいつもむかつくわー!!
ののはそのメッセージにそう返信しようとしたが、さすがにそれは取り消した。
野花もあてにならない。
そう思って、何も返事をしないでいると、続けて野花からメッセージが届いた。
ーちなみに、今日はバイトは遅番だから夜9時頃までは家に帰られへん。今日は泊められんわ。悪いこと言わんから、香川に帰りやー
野花のつれない返事を一目見るなり、ののはすぐに別のトーク画面を開いた。
今度は京都にいる勇也に対してだった。
ー二日酔いはどう?今日、これから会えへんかな?
そうメッセージを送ると、こちらはなかなか返事が来なかった。
電車が再び神戸市内へ入っていて須磨も長田も越えたあたりで、ようやく勇也から返信が来た。
ーごめん!今日は無理!いま企業の合同説明会やねん。あと、その後、俺の行きたい会社に大学のOBがおるねんけど、その人たちと飲み会や。
(また、飲み会!?)
勇也からのそのメッセージを見て、ののはスマートフォンをポケットに仕舞ってため息をついた。
行きつく場所は、結局自分の家か。
そう思うと、ののは急に悲しくなった。
(結局、独りぼっちなんやろか……)
結局、ののは三ノ宮に舞い戻ってくると、そこで電車を降りて、自分のマンションに向かった。
さすがに崚馬も今日は諦めて、どこかに行ったであろう。
ののは思って、まったく警戒することなく、トボトボと阪急電車に乗り換え、自分のマンションのある最寄り駅で降りた。
ほぼ一日ぶりに自分の家に帰ってきた。
ののは自分の部屋を見上げて、ホッとすると同時に少し複雑な気分になった。
(やっぱり自分の家で寝るのが一番やな……)
もう今日はあとは一日中、寝て居よう…そう思って鍵穴に鍵を差し込んだ時だった。
「あれーののちゃん、香川に帰るんと違ったの?」
いきなり後ろから声をかけられた。
(しまった!)
ののはそう思って、すぐに後ろを振り向いたが、遅かった。
もうそこに立っていた男は案の定、あの崚馬だったのだ!
「な、なんであんた、そないあたしの居場所がわかるの!?」
ののは震える声で、何とかそれだけを言うと、目の前に立っている男を睨みつけた。
「なんでやろね……やっぱり運命かな?」
言いながら崚馬はののに代わって鍵を回して、ドアを開けるとののを中に引きずり込んだ。
「やめっ…やめてぇ!入らないで!警察呼ぶわよ!」
ののは必死に抵抗したが、男の力には敵わず、そのまま玄関の中に引きずり込まれてしまうと、崚馬は鍵を閉めてしまった。
「あーあ……ののちゃん、意外と家汚いなぁ…生活感ありありやけど…」
崚馬に手を掴まれたまま、ののは家の奥に引っ張られた。
彼の言う通り、ののの家は散らかっていた。
玄関先には、彼女が履く靴が何足も転がっており、居間には服や下着が散乱している。
「あは、のののブラジャーがいっぱい干してあるねんな。パンツも」
崚馬は部屋に干しているののの下着類をいやらしい目で見つめながら言った。
ののはまだ自由になっている右手で必死に自分のスマートフォンを探しながら、助けを呼ぶ人を探していた。
「それにしても、のの、どうして急に西明石で新幹線を降りたんかなぁ。新幹線乗ってしもうた時は諦めようと思ってたんやけど、急に西明石で降りてこっち戻ってくるけん。何か家に忘れ物でもしたんかと思って、俺も急いでののの家に向かったら、一人やったから、こらラッキーやで」
「ど、どうしてあたしが西明石で降りたことを知ってるの…!?」
ののは不思議に思った。
自分が西明石で新幹線を降りたことを彼はなぜ知っているのか。
そして、なぜ自分の家に戻ってくることもわかったのか。
そもそも今日、野花と別れてから新神戸駅で出会ったのも、偶然にしては出来過ぎてはいないか。
尾行されていたのであろうか。
しかし、そんな気配はなかったし、さすがに指定席の新幹線まで一緒に乗っているはずはない。
「テレパシーや」
崚馬はそう言ってごまかしたが、ののはその瞬間、ある予感がした。
ののはようやくハンドバッグの中から出したスマートフォンを恐る恐る眺めた。
「あ、あんた、あたしのスマホに何か入れたんと違う……?」
ののは彼のほうを振り返りもせずに、それだけ聞いた。
「さあ…」
崚馬ははぐらかしたが、その答えを聞いただけで、もう十分であった。
(やられた……!)
ののは慌てて自分のスマートフォンのロック画面を解除すると、アプリの一覧を見た。
案の定、見慣れない位置共有アプリが勝手にインストールされていた。
「これやわ!あんた、あたしのスマホに勝手にアプリを入れたんやわ!」
ののはそう言うと、崚馬はのののスマートフォンを持っている手を掴んだ。
「あは…バレちゃった…」
「あんた、何が目的なん!?って言うか、帰ってよ!ここはあたしの家よ!不法侵入よ!」
ののはそう怒鳴ると、崚馬の手を振りほどこうとした。
しかし、力の差は歴然としていて、彼はののの手を放そうとしない。
「まだ帰らへんよ」
そう言って笑ったかと思うと、崚馬はそのままののの身体を壁に押し付けて口付けてきた。
「いや…!いやや!…やめて!」
ののは抵抗したが、やはり男の力には敵わず、そのまま口付けられてしまう。
しばらくそうされていると、だんだん力が抜けてきて、崚馬を押し返すことができなくなってきた。
(どないしよう……こんなところであたし……)
「のの…好きや…俺、お前のことがどうしても好きやねん」
ののがそんなことを考えていると、ようやく唇を離したかと思うと、今度はそんなことを言い出した。
「い……嫌や!あたしはあんたなんか大嫌いよ…!やめて…!帰ってよ!……ねぇ、もう帰って!」
ののは涙声でそう言うと、必死に彼の身体を押し返したが、すぐにまた壁に押し付けられてしまう。
「帰って欲しい?」
崚馬はそう言うと、再び口付けてきた。ののは唇を塞がれたまま、何度も頷いた。
「ののが一つだけ俺の言うことを聞いてくれたら、帰ってやるで」
「な、なにを……」
ののは必死だった。どんなことを要求されるかわからないが、一応、相手の要求を聞いておかなければならない。
「あれや」
言うと崚馬はのののハンドバッグを指さした。
「プール帰りやろ?入ってるんやろ?あの青い…」
崚馬が言いかけると、ののはすぐに彼から逃れようとした。
彼の要求はすぐにわかった。昨日、プールで自分が泳いでいた時着ていた青い競泳水着。
それを自分に着てほしいと言っているのだ。
「い、嫌や!変態!誰が着るもんか!」
ののは必死で逃れようとした。しかし、彼はそれを許さない。すぐに彼女の身体を壁に押さえつけると、そのまま再び口付けてきた。
舌を絡められながら愛撫されると、もうどうすることもできなかった。
(どうしよう……あたしこのまま犯されちゃう……?助けて……勇也……!)
心の中で京都の彼氏にそう叫んだが、彼が自分より就職を狙っている会社の人たちとの飲み会を優先するような男であることを思い出すと、結局、彼も当てにならないことを悟った。
「き、着たら帰ってくれるんか…?着るだけでいいんか…?」
ののは唇を離した彼に、息も絶え絶えになりながら聞いた。
「着るだけやないで……俺のこと喜ばせてくれなあかんで」
そう言うと彼は床に落ちていたのののハンドバッグを漁ると、中に入っていたビニール製のプールバックの中から青い競泳水着を取り出し、そのままののに投げつけた。
「それじゃ、約束が違う!一つだけ言うたやん!」
「そんなんゆうても、俺はどうしてもののがこれ着てるところ見たいねん。大丈夫やって……俺が着させてやるわ」
そう言って彼はののに近づくと、白いブラウスのボタンに手をかけた。
「やめっ……やめてぇ!嫌やぁっ!わかった!わかったから!着るから!でも、お願い!約束して!着るだけよ!着るだけやで!他に指一本でも触れたら、マジで警察に通報するで!」
ののは必死でそう叫んだ。
彼はニヤリと笑って何も言わずにののを見つめた。
ののは渡された青い競泳水着を抱きしめながら、ただただ震えていることしかできなかった。




