はじまり その2
《これが、あなた達三十人に起きた出来事です》
誰一人言葉を発する人はいなかった。全員が言葉を失い、青い顔でただ先ほどまで映像があった空間を見つめていた。おそらく、これを見たことで自分の身に何が起きたのかを思い出したのだろう。
……うん、私も大体思い出せてきた。
確かにあの時、あの暴走車のせいでバスは谷底へ落下して、皆死んだのだと思う。
甲高い悲鳴も覚えているし、ミキサーみたいに掻き回される車内で人の体が砕かれる様も見ていた。
だからこそおかしい。
「待ってください! 私の生徒二十八人に運転手さんと私たち教師を含めると全員で三十一人になるはずです! 一体誰がいないのですか!?」
三十という数字を聞いて前田先生がやや焦り気味に尋ねる。
大人三人は把握しやすいが、同じような制服を着た生徒が一人足りないとはなかなか気づきにくく、数字で表されてようやく足りないと気がついたようだ。
《ああそれでしたら、彼がこの事故唯一の生き残りとなります》
女神が杖を振るうと、また別の映像が映し出される。
それはバスから少し離れた雑草畑に血まみれで横たわる一人の少年である。
バス事故より少し時間が経過したようで、どうやら事故の衝撃か何かで出火した
バスに数台の消防車が集まり鎮火作業を、少年の方には数名の救急隊員が向かっているのが見える。
《彼だけは車外へ弾き出されたものの、運よく木々や下の雑草がクッションとなって一命を取り留めたようです。それでも一時は完全に心臓が止まっていたようですが、驚異の生命力と言わざる得ません》
あの幸薄いの生き延びたのか、すっご。
「ちくしょう! あいつだけ助かったのかよ! なんであいつだけ!?」
ドン、と誰かが床を……地面を……ともかく足元にある地面らしき何かを叩いた音がする。
誰だっけあの小悪党的な顔の三下……いまいち印象にないから思い出せない。もう二、三ヶ月は一緒のクラスなのに不思議よね。まあ私は毎回そんな感じだけど。
「ドウドウ周ちゃん、ほら赤い布見て落ち着き」
「俺は牛じゃねえ! ていうかそれだと余計興奮すんだろうが!!」
あ、思い出した。あれだ、漫才コンビだ。
顔が悪い方がツッコミ担当で、今ボケた金髪関西弁の男がボケ担当の柴田。
クラスで中々に悪ぶって入るけど、隣のボケ担当の柴田のせいでいつもツッコミに回らざる得ない苦労人だ。
《理解してもらえたようで何より。これで話が進められます》
三度杖を振るうと、見たことのない地図が浮かび上がる。
それは海に囲まれた大きな島かどこかの大陸なのかもしれない。縮尺対象がないからよくわからないけれど。
《これが私が管理するジエルのメラルド大陸といい、かつては自然あふれる豊かな大地でした》
映像が切り替わる。
輝かしいほどの太陽、豊かな自然、そこにあふれる笑顔の人間や……あれはうさ耳の獣人? 実在したのか、さすが異世界。
他には犬の獣人、猫の獣人、なんか真っ黒い肌エルフっぽい人や……すごいドラゴンみたいな人間もいる。さすがファンタジーなんでもありだわ。
《ですが、突如異界からこの世界を滅ぼさんと刺客が放たれたのです》
映像が切り替わる。
先ほどと同じ場所なのであろうが、そこはもう見る影もないで悲惨な状態あった。
森林は燃え尽き、川は枯れ、街は荒れ果てた瓦礫の山と化している。
それを恐ろしい眼光で見下ろすのは黒い肌に蝙蝠のような翼を持った、そう私たちの世界の悪魔のイメージをそのまま当て嵌めたような恐るべき者どもだった。
それらは天に穿たれた黒い渦より次々と湧き出ているように見える。
《彼らの目的は不明ですが、私の世界に害なす存在には変わりありません。私もこの世界の住人たちも全力でこれに対処してはいるのですが、力及ばず徐々に追い詰められているのです》
再び映像が地図へと戻る。
大陸が映ると上の方から赤い滲みが湧き出し、すぐに大陸の四分の一を塗りつぶしてしまった。
《侵略者が来訪して五年ですでに大陸の北部を失いました。このままでは瞬く間にこの世界は闇に包まれる、そう思われた時でした。一人の英雄が立ち上がったのです。侵略者たちが起こした時空の乱れによってさらに別の世界からこの世界へ呼び寄せられた彼はその類稀なる力を持って奪われた領土の半分を取り戻すことに成功しました。ですが》
ここで、女神の顔が曇る。
少し悩んで、続きを話し始める。
《異なる世界、異なる理、そして偶然与えられた力に体が耐えきれなかったのでしょう。彼は侵略者との最終決戦中に戦死してしまいました。ですが彼は死の間際に侵略者の王というべき存在をこの世界に沸いた他の侵略者ごと封印することに成功しました》
地図が再び変動し、赤い面積が北部の二分の一まで後退し、それを全てを空からオーロラのような輝く何かに包まれている。
《彼の張った結界により、僅かながらも猶予ができました。しかし、侵略者たちの力は絶大でこの世界の住人たちでは対処はできないと言わざる得ません。だからこそ、私は恥ずかしながら他の神を頼ることにしました。この世界と一時的に繋がったことのある世界のとある星、あなたたちの言う地球の神々と交渉し、死した魂を三十人をこちらへ転生させることを許諾していただけました。それがあなたたちなのです》
…………お、おう。
いや、うん。話が長かったから割とこんがらがってはいるけれど、うん。
思いのほか重い話でけっこう引いてる。
え、マジで言ってますこのお方。正気でおっしゃってらっしゃいますこの女神。
だって私たち一般人よ。一般人が三十人集まったところでできるのは組体操がせいぜいよ?
どうしようもないのでは? 皆が不安になるから言わないけど。
《無論、ただ転生させることはありません。転生する際にあなたたちが侵略者と対等以上に戦えるように加護を与え、転生する肉体も一般兵士よりも頑強なものとなるでしょう》
あ、そうなの? なら安心……なわけないよなあ。
他の人はどうか知らないけど、私に関しては髪の毛ほども役に立たない気がする。
だって人間大事なのは中身だし、外側だけ作っても中身が伴ってないとただのメッキよ。
私? 黙っていればまあまあ美人ねーって言われるくらいには外見はいいよ。メッキだけど。
「もしも、断ったらどうなりますか?」
誰かがそう尋ねる。
《これは既に神々との協議にて決定したことなので、残念ですがあなたたちが断ることはできません。できませんが、記憶を消して新しい生命としてやり直すことは可能です》
どうやら選択肢は転生するしかないようだ。いや、記憶を消すって手もあるといえばあるけれど、これを選ぶくらいなら記憶引継ぎした方が圧倒的に有利である。
まあとどの詰まり、私たちに選択の余地なんてものはなかったのである。
頭痛がする。これは記憶を思い出したからじゃなくて単に頭にできた傷が痛むだけだと思う。
痛む頭を押さえて白い空間に突如現れた魔法陣の上に皆の後に続いてのる。あの後少しばかり考える時間をくれたが、予想通り誰も記憶を消す人などいなかった。
この魔法陣は女神曰く「これは転生の魔法陣でこれに乗って転生することによって肉体や魂を強化したり、加護を与えたりできる」らしい。
ファンタジー感この上ないけど、今から生まれ変わる世界からしてファンタジーなので仕方がない。
《では、これより転生の儀式を始めます》
シャラン、と女神が錫杖を鳴らす。彼女がそれを鳴らすたびに魔法陣は輝き、ついには目も開けていられないほどに強い光を発する。
《このようなことを強制しておいて勝手だと思うでしょうが、どうかあなた方の次の人生に幸あらんことを》
全くだよ。と思ったけど口には出さない。
皆はどうせ死んだ身だし、次の人生なんてチャンスが与えられるかもわからなかったのだから、考え方によってはこちら側にメリットがないわけでもない。
まあ侵略者と戦わなければいけないのは確かに苦だろうけど、人生なんて何かと戦いっぱなしだしそんなもんでしょ。
《では……【転生】》
女神が地面を強く叩くと、魔法陣は甲高い音を上げ次々とこの場にいる者たちの姿を掻き消してゆく。
まるで映画で見た人間が瞬間移動するように、そこにいた人が瞬きの間に消えていく。
一人、また一人と消えて行き、消える度に魔法陣の輝きも弱くなっていく。
そうして全員が転生し終わると、魔法陣の輝きは失われ、下に描かれていた陣すらも消えて無くなる。
こうして異世界へと皆転生したのであった。……私を残して。
「…………?」
《…………はわ?》
訳がわからず首を傾げる私と、呆然とする女神。
《え、えっと……【転生】》
再び錫杖を強く鳴らす。
再び魔法陣が現れ強く照らし出すが、すぐに消えてしまう。見ている私からしても何か効果があったようには思えない。
《は、はわ? なんで? どうして? ちゃんとした魂ならこれで転生できるはずなのに……イレギュラー? 半神? 確かにあの国の住民には神の血が流れていると聞いているけど、それなら他の魂たちが転生できるはずないのだわ。そもそもそういうのは彼方の神々が許可しなかったはずなのに……》
あー、はいはいはいなんとなく理解した。なんか違和感あったけどそういうことなのね。
回想シーン見た時からおかしいと思ってた。なるほどなるほどそういうことなのか。
「もしかして、その魔法陣って死んだ魂しか転生できないの?」
《当然なのだわ。死した魂でないと【転生】の際の強化に耐えられないのだから私……は……》
途中で女神様も気づいたようで驚いた顔でこちらを見つめてくる。
「あはは、実は死んでなかったみたいなんですよね。私」
《は、はわああああああああああああああああああああああ!!?》
その声はとても大きく、ちょっとばかり気絶しそうになったことは秘密である。