第57話 なんのための一ヶ月②
一ヶ月後に選ばれるのは、私じゃないかも。
そんなことを思いつつ、春と夏の間の夜空に息を吐く。梅雨が明けてしまえば、そこに残るのはきっと純粋な夏だ。
買っておいた二つのサイダーはすっかり汗をかいてしまっていて、ぬるくならないかな、なんて心配していた私に声が掛かる。
見ると、手を挙げた彼女は笑顔でこちらに駆け寄ってきた。白の大きめのTシャツにハーフパンツのラフな格好だ。
……この子に出会ってから色々なことが動き出したような気がして。今回も、元はといえば彼女の言葉から始まったはずなのに。
どうしてか、憎めない。
彼女は、コンビニの明かりにぼんやりと照らされながら。
「――ナナちゃんが私に相談なんて珍しいね」
私に向けて、からかうように微笑んだ。
***
夜の道を、二人で目的地もなく歩く。
座っていると、きっといてもたってもいられなくなりそうだったから。
「……それで、相馬先輩に一ヶ月後に決めてくれって言っちゃったと」
「う、うん」
なぜか気まずそうに頬をかくちーちゃんを見ながら、私は頷く。
ペットボトルの蓋を回すと、ぷしっという炭酸の音と一緒に、甘い香りが夜風に混ざって消えた。
「てことは、今のところ二人は付き合ってないってこと?」
「そ、そうかも。はっきりしないままなのは嫌だし、なんかずるい気がするし」
「……まあ、中途半端な感じは嫌だよね」
「うん」
「それで、ナナちゃんは結局どうしたいの?」
「わ、私は。せんぱいと……」
付き合いたい、のかな。
私は考える。せんぱいのことが、好き。
じゃあ私は具体的にどうしたいのかと言われると、よく分からない。
ただ、誰かに取られてしまうのは嫌だ。
……それがたとえ、誰よりも大切な葵ちゃんだとしても。
「どうしたいというか、ほ、他の人には取られたくないっていうか」
「あー、それは私もわかるよ。渡くんが誰かに取られちゃったら嫌だし」
「だ、だよね!」
やっぱり、そうだよね!
私はサイダーに口をつける。歩きながら飲んだから、しゅわしゅわの炭酸が勢いよく口に広がって咳き込んでしまった。
「……相馬先輩って押しに弱そうだし、一回押し倒したらいいんじゃない?」
ちーちゃんがこちらを覗き込みながらそんなことを言うので、また私はサイダーを吹き出す。……砂浜で、もう押し倒したとは言えない。
「で、でもそれは葵ちゃんも同じだもん。葵ちゃんに強く押されたらせんぱいなんてすぐに……。前にも話したけど、せんぱいは前から葵ちゃんのことが好きで、葵ちゃんもせんぱいのことが好きで。二人は、両思いで……だから」
――ずるくて邪魔なのは、私なんだ。
なんて、どろりとした感情が胸のあたりに湧き上がる。
「な、ナナちゃんってまじでネガティブだよね……」
呆れたようにぼやくちーちゃん。
ああそうですよ、私はネガティブで陰気で可愛げのないつまらない女ですよ、ふん。
なんて自嘲気味に肩を落としていると。
ちーちゃんの両手が私の頬を掴む。……正しくは、片手に持ったサイダーのボトルに挟まれるような形だ。つめたい。
「言ったでしょ、早い者勝ちだって。別にそんなこと引け目に感じる必要ないんだよ。それは潮凪先輩にも、相馬先輩にも失礼だよ」
大きな瞳が私を真っ直ぐに捉える。
目尻の泣きぼくろが夜の闇の中でも映えて、綺麗な顔だな、なんてぼんやり思った。
「それに、一度は相馬先輩はナナちゃんを選んだんだよ? きっと今だって気持ちは変わってないんじゃないかな」
ちーちゃんは優しく笑って私の頬から手を離す。ちゃぽん、とサイダーが月明かりできらきらと揺れた。
「で、でも。葵ちゃんと……き、キス……」
「あ、ああ…………あれね」
あの時のことは思い出すだけでも心臓がどくどく鳴ってきゅう、と苦しくなる。せんぱいは私のことなんて、あの一瞬で忘れてしまったんじゃないかと思ってしまう。
葵ちゃんがあんなに積極的に来るなんて思わなかった。私は葵ちゃんのことを分かっているつもりで、分かっていなかったんだ。
せんぱいへの想いの強さも、なにもかも。
だから、私は葵ちゃんに言った。
このままは嫌だから、一ヶ月後に決着をつけようって。お互い悔いのないように。
例えどちらかが辛い思いをするのだとしても。それがいつの日か振り返った時に、きちんと二人で正々堂々と想いを伝えた結果だと、そう笑顔で言えるように。
「大丈夫だって! ほらっ、相馬先輩からも言われたんでしょ? ナナちゃんのこういう所が好きだ、って! 潮凪先輩に負けない魅力がナナちゃんにはあるんだよ!」
「そ、そうだよね!」
私は大きく頷いて、思い返す。
そうだよ、せんぱいは私のことが好きだって言ってくれた……。
……あ、あれ?
「………………ち、ちょっと待って?」
私は頭を抱えて立ち止まる。
せんぱいはたしか、私が晩ごはんを食べているところが好きって言ってくれた。あと、私の目と、笑顔と、あと素直じゃないところも好きだって。嬉しい。嬉しいけど。
……私って、せんぱいに好きになってもらえるようなこと、何か出来ていたのだろうか。
せんぱいの作る晩ごはんを食べて、色々からかって、後は基本的に素直じゃない可愛げのないただの後輩だ。
私は私の、やりたいことをやっていただけ。
改めて考える。
……私は、せんぱいに好きになってもらえるような努力を、何かしただろうか。私自身を、見た目だけじゃなく内面も含めて好きになってもらえるようなことが、出来ていただろうか。
葵ちゃんはどう見ても私より可愛い。
胸も大きいしスタイルだっていい。愛嬌もある。人懐っこくて私みたいに口も悪くないし性格も良い。
そんな凄い人に、私は勝たなくちゃいけないのに……。
「な、ナナちゃん? どうしたの?」
考え込む私の方をちーちゃんは恐る恐るといった様子で覗き込む。
「ち、ちーちゃん」
「な、なに?」
「……せんぱいがさ、葵ちゃんじゃなくて私を選ぶ理由があるとしたら、なんだと思う?」
「え? そ、それはほら。顔がタイプだったとか」
「そ、そういうのじゃなくて! なんかこう、私の内面的なというか、努力の結果というか」
「う、ううーん。なんだろうね……。ツンデレなところとかかな……」
気づかないうちに呼吸の感覚が短くなっていた。私は自らに落ち着けと言い聞かせるように深呼吸をする。
やばい。やばい。
私は勝手に勘違いしていた。私がせんぱいを好きで、せんぱいもそう思ってくれているのだと勝手に期待していた。
でも私は、自分のことばっかりで。
――私はせんぱいに好きになってもらえるだけのことを、何ひとつしていなかったんだ。
「……ちーちゃん。気づかせてくれてありがとう」
めらめらと湧き上がる感情。
気づかないうちに手に力がこもる。
「な、ナナちゃん? 気づいたって、一体なにに?」
「私、ちゃんとせんぱいに好きになってもらえる努力、全然出来てなかったみたい」
「…………どこかで聞いたなあ、それ」
「え? なに?」
ちーちゃんがなにやらぽしょりと呟いたような気がして、私は首を傾げる。
「いいいや! なんでもないよ!」
「そ、そう? ……うん。だから私ね、この一ヶ月でせんぱいに葵ちゃんより好きになってもらえるだけのことをやった、って自信を持って言えるように頑張るよ」
後ろから吹くぬるい風が、私の背中を押してくれるかのように通り過ぎていく。
「――私の方がずっと魅力的だって、せんぱいに教えてあげる一ヶ月にするから」
ちーちゃんはまた、呆れたように笑う。
「どこかで聞いた気がするけど、私は応援するよ。……あとね、ナナちゃん」
そして彼女は一呼吸置いてから。
「わたし、そのナナちゃんのちょっと小悪魔っぽい笑顔、すごく好きだよ」
そんなことを、当たり前のように言った。