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第10話 はじめまして

 好きな人にたまたま会えるなんて物語の中だけ、そんなことを思っていたけれど。


「ふふ、相馬くんに似てるなあ、って思ってたら本人だった」


 意外と会えるものなのかもしれない、なんてバカみたいなことを思った。


 ふわふわしたたんぽぽの綿毛のように微笑む潮凪さん。見ると、すぐ近くのスーパーのものであろう大きな袋を下げている。買い物帰りだろうか……? 


 おかしいな、確か以前、七瀬に無理矢理連れられて偶然にも知ってしまった彼女の家はまったくの別方向だった。ならば、なんでここに?


 いやな想像がぽわりと浮かぶ。

 まさか。か、かっかか彼氏の家に通い妻的なそういうあのあれあれなやつですか!?


「し、し、潮凪さんはなんでここに?」


 俺はだらだらと冷や汗を垂らしながらも、出来るだけ平静を装って訊ねる。


「ああ、私のいとこ……じゃなかった、友達の家がこのあたりでね? 相馬くんはどうして?」


 どんな言い間違い?

 しかし、友達か。俺はほっと胸を撫で下ろす。まだそのお友達が男という可能性は捨て切れないが、ここで『その友達って男?』とかいう想像し得る中で一番気持ち悪い質問をするわけにはいかない。


「いや、俺ん家すぐそこだからさ」


 あまり人様に自慢できたものではないが、背後のアパートを指し示す。まあ、古いなりにはわりと手入れもされていて一人で住む分には悪くないと思っている。


「え? すぐそこって……もしかして、そこの?」


 潮凪さんは驚いたように俺の後ろを指差す。指し示された先を振り返ると、なんのことはない俺のアパートがあった。


 な……なんだ? もしかしてそこの、ってことは『えっ、こんなところに住んでるの? ぷっ、くすくす』という意味か? いや、あの潮凪さんに限ってそんなはずはない。


「そ、そうそう! 見た目はあれだけど作りは結構しっかりしてて」


 何故かアパートを褒めるというよく分からない返事をしてしまった俺に、潮凪さんはぱああっ、と瞳を輝かせる。


「ほんと? すごい、実は私のいとこもそこに住んでるの!」

「……いとこ?」

「あっ! と、友達……」


 潮凪さんは気まずそうにぽつりと漏らすと。


「内緒って言われてるから……秘密ね?」

「……っ」


 唇の前にひとつ指を立て、悪戯っぽく囁く。

 同時に俺の左の胸のあたりが締め付けられるような感覚に陥る。


 ……これだよこれ、秘密ってのはこうじゃないと。

 弱みを握るだとか、そんなものじゃなくってな。まったく、誰かさんに見せてやりたいぜ。


 しかし、いとこなんて別に隠さなくても良いだろうに。


「大丈夫、誰にも言わないから。てか同じアパートなら、俺もしかして潮凪さんのいと……友達に会ったことあったりして。その友達は男子?」

「ううん。女の子だよ。高校も一緒なの」


 き、聞けた! 今のはかなり自然だったんじゃないか? 我ながらナイスだ。


 しかし女の子か。同じ学校で俺と七瀬以外にここに住んでいる人が居るのは知らなかった。確かに学校までは少し歩くが、近くにスーパーやコンビニ、病院もあるし一人暮らしにはちょうど良いのだろう。


「その子、今年の新入生なんだけど」


 一つ下、てことは七瀬と同級生か。もしかしたらあいつはもう知ってるのかもな。朝学校行くときに七瀬に会ったことないし、実は一緒に登校してたりして。


「背は小さめで、お人形さんみたいでね」


 うむ。潮凪さんのいとこだ。可愛くて当然だろう。


「素直じゃないんだけどそこがまた可愛いの。なんだか妹みたいで」


 嬉しそうに話す潮凪さんを見ると、その子のことを本当に可愛がっていることがよく伝わる。潮凪さん、いい子だなあ……。


「今度見かけたら、俺も挨拶しとこうかな」

「あ。……秘密は守ってよ? 相馬くん」

「分かってるって」


 潮凪さんとの自然な会話。

 ああ、こんな幸せがあって良いのだろうか。


「……そうだ! せっかく同じアパートだし、あの子も知ってる男の人がいたら安心だろうから、良かったら会っていかない? もちろん、相馬くんの迷惑じゃなければ、だけど」


 潮凪さんは良いこと思いついた! と言わんばかりにぱち、と手を合わせてこちらを見る。そんなふうに言われて断れる男子はうちの高校にはいない。


「あ、ああ。もちろん!」

「ほんと? ありがとう! 最近あの子ね、ここに来る時は怪しい奴が居るから気をつけろってうるさくて、心配してたの」

「俺に出来ることがあれば、なんでもやるよ」


 俺なんかがいても頼りになることなんてないだろうけど、潮凪さんがわずかにでもそう思ってくれているなら泣くほど嬉しい。


 ……なにか、やらなければいけないことを忘れているような気がするけれど、今日はいい日だ。


「じゃあ行こ? あの子、もう家にいるみたいだから」


 俺は潮凪さんと共に、一度は飛び出したアパートへと戻って行く。


「潮凪さんの友達は何階に住んでんの?」

「二階だよ。なんかね、一階は虫が出るから嫌とかで二階にしたみたい」

「え、俺も二階!」

「うそ? すごい偶然だね? ふふ、もしかしてお隣さんだったりして」


 潮凪さんはふわりと笑う。右隣は七瀬だから、あるとしたら左隣だろうか? 確かにどんな人が住んでいるのか見たことがない。


 もう何度登ったか分からない階段を進んでいく。少し緊張するな。潮凪さんのいとこの女の子。彼女と同じように清楚で純粋な、可愛らしい子なのだろうか。


 そうして。

 階段を登りきり、俺が七瀬の部屋を横目に自らの部屋も通り過ぎようとした時。


「あはは、相馬くん、行き過ぎだよっ」


 背後からそんな声が飛ぶ。


 ……えっ?

 思わず振り返る。まさか。行き過ぎのはずがない。

 だってそこには俺と、七瀬の部屋しか……。


 潮凪さんは可笑しそうに首を傾げると、小さくその部屋を指さした。


「ここだよ」


 そうして彼女が指し示したのは。

 まさに先程俺が訪れた、七瀬小春の部屋だった。


「…………え?」


 俺のこめかみを冷たい汗がつたう。

 思わずまばたきをして、目をこする。願うようにして目を開くと、それは当たり前だが変わらず七瀬の部屋だった。


「どうしたの?」

「いや……い、いいところだね」

「?」


 潮凪さんはきょとんとした顔でこちらを見ている。落ち着け。落ち着け。

 いいところだねってなんだよ俺。冷静になれ。落ち着いて考えろ。


 ええと? 七瀬が、潮凪さんのいとこ……?

 てことは。俺と潮凪さんが結婚したら、七瀬は俺のいとこ……?


 動揺した俺がそんなことを考えている間に、潮凪さんは七瀬の家のチャイムを押す。


 この状況を七瀬が見たら何を言うだろうか。きっとあいつはとんでもないことを言って、潮凪さんの俺への評価を落とすのだろう。もう終わりだ。


 い、いや待て! 忘れていたが、俺が先程訪れた時に七瀬は居なかった。つまり彼女がこの部屋から出てくることはない。

 危なかった。もしここに七瀬が居たらどうなっていたことか……。


 そんな俺の希望を打ち砕くように。

 かちゃり、と。

 その扉は開かれた。


「あ。ハルちゃん。ご飯作りにきたよ〜」


 潮凪さんがまるで妹に話しかけるように、優しく扉の向こうへと声をかける。ハルちゃんというのは七瀬のことだろうか。小春でハルちゃん。なるほど。


「……もう。葵ちゃん、私自分でできるって言ってるのに」


 続けて聞こえてきたのは七瀬の声。いつも俺と話す時よりも随分と柔らかく、甘えるような声音だった。


「てか、早く入ってよ。誰かに見られたりつけられたりしてない? 言ったでしょ? 最近変なやつが……」


 七瀬はひょこ、と顔だけ出して辺りの様子を伺う。階段の方を見て、前を見て、そうしてこちらを見た。


「…………」

「…………」


 七瀬と目が合う。何度かまばたきを繰り返したその目が、ゆっくりと、ゆっくりと大きく見開かれる。


「ふふ、ハルちゃん紹介するね? 私の同じクラスの男子で、相馬くん。なんとハルちゃんと同じアパートに住んでるんだよ! しかも二階なんだって! これでもう変な人が来ても安心だね」


 潮凪さんはとても立派な胸を自慢げに張る。

 俺は覚悟を決める。ここで潮凪さんに恥をかかせてしまっては男がすたるというものだ。俺はやれる。やれるんだ!


 俺はこほんと咳払いをしてから、ここ一年で使った記憶のない部分の表情筋まで総動員して爽やかに微笑む。そして、言った。


「はじめまして! 俺、二年の相馬遼太郎って言います。七瀬さん? って言うのかな? なにか困ったことがあったらいつでも」

「――え、きもいです」


 

 





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