トロフィー
今年ようやく十五歳になった僕は、母親から小言を言われ続けていた。
「あんたは今年受験だっていうのに…勉強の一つぐらいしてほしいものだわ」
僕は何千聞いたかわからないその小言に軽く返事をしてさっさと自分の部屋に引き上げた。
時代遅れの平屋建て、それが僕の家であった。
僕が生まれる前に死んだばあちゃんの忘れ形見らしい。
僕は忘れ形見の意味はよく分からない。
でも、そのことに対して聞くと”本を読みなさい”とか”辞書で調べなさい”とか言われることが分かりきっているから、なにがなんでも聞きたくはなかった。
読みかけの漫画、ぐちゃぐちゃのベッド、脱いだままの制服、年頃の少年にはよくある部屋だと思っているが今の心情の僕にはそれすらも社会からの疎外感を助長する存在になっていた。
誕生日に父からもらったものは参考書。
だがそれが日の目を見ることは無いだろうと思う。
その日は寝た。
何にも考えたくなかったから。
早く寝すぎて起きたのは深夜の三時だった。
でも僕は深夜の空気が好きだったからあんまり問題ではなかった。
平屋建ての家は静まり返っていた。
当然といえば当然なのだが、僕はこの家に生まれた時から住んでいる。
それでも知らないことはある。
普段父が一切入れさせてくれない部屋があるのだ。
僕がそれを初めて言われたのは五つの時だった。
しかし、そんなこと言われて守るほど子供の好奇心を侮ってはいけない。
僕は入った。
その時の光景は、当時から十年以上たった今でも鮮明に思い出せるほど衝撃であった。
部屋の中で一番目を引いた金ぴかのトロフィー。
それを見た時僕は、ホコリ被ったその部屋で唯一きれいに磨かれていたそのトロフィーが異様に思えてならなかった。
天真爛漫だった当時の僕にはそれの価値がまったくとしてわからなく、むしろ僕はそれに恐れをなしてさっさとその部屋の障子を閉めてしまった。
だからこそ、今の僕にはそのトロフィーの価値が分かる気がした。
それがこの家で唯一僕のことを肯定してくれるような気がした。
静かに移動し、あの部屋の障子を開けた。
月明かりを静かに反射したそれは、高貴なそれでいてどこか物悲しそうな光を発し、その威力に僕はしばらくの間、立ち尽くしていた。
静寂が僕を急かしているかのように聞こえたその時、
僕ははっとして静かに縁側に座った。
僕は何をするでもなく、そのトロフィーをただ眺めていた。
そこに何もないことはとうの昔に知っていたが、今はそれだけしか手段がなかった。
何もせず、何も感じず、何をするような気力もわいてこない。
つくづく、自分はダメな人間なのだと思い虚空を見つめた。
刹那に光ったその光は、狙ったかのように僕の目を射抜いた。
驚いた僕は瞬間的に小さな声を上げた。
それは、いつの間にか上ってきた朝日に照らされた例のものであった。
今の今まで気づかなかった。
スマホを見ると、もう五時になろうとしていた。
僕は、最近時間の感覚が長いと思うようになっていた。
だからこそこの時間感覚になったのはなぜだろうと思った
そんなにこの”なんでもない時間”が愛おしかったのだろうか。
その靄に近い感覚は、自分の中に眠っていた何かを少しずつ呼び覚ましていった。
それに気づかされた僕は、そのトロフィーに誓って言った。
「わかった。それが言いたかったんだな。」
そう言って、照り返してきた反射光に別れを告げて、僕は笑顔で部屋に向かった。
多分、あれに会うことはもうないと思う。
本棚にしまい込んだスケッチブックを引っ張り出すことを決意した。
僕の後ろには、もう、なにも、ない。