ロッククライミングの心得
王都の中央区にある大図書館は基本的に日没の時間帯には閉館する……何回も、何年も通っている俺はその事を良く知っていた。
今行ったところで入館は出来ず窓口で“また明日”と言われるのがオチであると……。
しかし今日に至ってはある種の確信があった。
この時間でも俺が出向けば正面から入館できると……。
そしていつものように窓口に赴くと、いつもならいるはずの不愛想な守衛はおらず……間違いなく俺当てであろうメモ紙がカウンターに置かれていた。
『ようこそ』
その文字を見ただけで、ハッキリ言って帰りたくなってしまう。
というのも俺が大図書館に到着する直前に俺の『気配察知』の索敵範囲、大図書館の敷地内からすべての気配が消えていた事にメモ紙を見た時点で気が付いてしまったから……。
大図書館内部に誰もいないとしか思えないのに、俺の到着を見通して人払いをしメモ紙を置いてある。
当たり前だが“誰かがいなければ”こんな事は出来るはずがない。
「ふ~~……無い気配を探る為に感覚を広くするのは意味がないな」
俺はこの時点で先に危険を察知するための索敵を完全に諦めて広くではなく狭く、浅くではなく深く五感を集中させながら大図書館へと入館する。
いつもはそこそこ人のいる場所のはずなのに、今は誰も見当たらない……無人だと荘厳な雰囲気もあるが、同時に不気味さも増してしまう。
だって、絶対にここには“ナニか”がいるハズだから……。
何度かカチーナさんと模擬戦を繰り返しているのだが、中間距離を含めた戦闘は互角でも完全な近接戦闘になると、俺が彼女に一撃加えた事は一度も無い。
スピードや感知、手先の器用さでは圧倒的に俺の方が勝るはずなのに近距離ではそのことごとくが敗北してしまう。
盗賊が剣士に真正面から戦って勝てないのは分かっているが、スピード面で劣るのが納得できずにいたが……そんな俺にカチーナさんは教えてくれた。
『前線で戦う自分が集中しているのは、まず自分の体を最短最小に動かす事のみ。特に私は常にパワー、速度において後れを取る事が多かったですから』と……。
それは“足を止めて戦う”という事前に危機を察知して距離を取るか逃亡を第一に考える盗賊とは真逆の発想だった。
自身の警戒する範囲を皮一枚ほどに絞り込み、全身をセンサーとして向かってきた攻撃に最小の動きで対処するから早く見える。
……妙なモノで『酒盛り』の頃には剣士と槍使いって近接戦の上級者がいたのだが、あの人たちは元々才能ある感覚派だったみたいで、そういう事を論理だてて教えてくれる事は無かったからな~。
足りない事を知識や鍛錬で埋めて来た俺にはカチーナさんの助言ほど分かりやすい物はなかった。
……ただ、今の俺では皮一枚に集中を絞り込むまでは行かないけど。
「……前線で戦う達人ってのは常にこんな集中が必要なのか? 集中の密度が濃いとここまで神経使うもんなのかよ」
一番大きく聞えるのが自分の心音、空気が肌を撫でる感覚から靴に付いた砂粒が落ちる事までも分かるくらいに密度を濃く集中する。
奇しくも昨夜のカチーナさんとは対照的に、今度は俺が慣れない作業に神経を削られる気分であった。
が……そこまで自分のごく狭い範囲のみに集中した事で、ほんのわずか……ごく一瞬だけ自分の隣の空気が動くのを感じる事が出来た。
……まさか!?
一気に全身から冷や汗が噴き出し、警戒心を露に空気が動いたと感じた方を見ると……既に夕刻を過ぎて薄暗くなった大図書館の本棚に挟まれ、少しだけ驚いたような司書殿と目が合ったのだった。
「おお、素晴らしい。私から声を掛けずとも発見できるとは……是非とも調査兵団に欲しい逸材ですね~」
「生憎と宮仕えに興味はね~っスよ……団長閣下」
「それは残念です。禁書庫の発見は調査兵団の入団試験のようなモノなのですが……」
ようやく発見できたと喜びたいところだが、俺には冷や汗を流しつつ虚勢を張る事しか出来なかった。
ただそっちにいる事に反応出来ただけ……向こうがその気であれば自分の命は無い事に変わりはないのだから。
むしろ片鱗を垣間見た事で、ますますレベルの差を認識してしまう。
「調査兵団に禁書庫は周知の場ではなく発見しろとか……随分ぶっちゃけるっスね」
「そろそろ互いに“本当に”面識を持ちたいとは思ってましたので……そちらはどうですか? 怪盗ハーフデッド殿……」
本当に……か。
どうやら団長殿は俺を面と向かって名を明かすに足る人物であると認識したって事らしいな。
ただその理由が件の入団試験とやらだとするなら少々問題だ。
「団長殿のお眼鏡に適った理由が件の禁書庫だってんなら、発見したのは仲間の一人だし、肝心な入り口を教えてくれたのはどこぞの王子様っスよ? 俺という若造の判別としては不適当じゃ無いっスかね?」
見込み違いじゃ無いのか? そんな感じで言ってみるがホロウ団長は表情を変える事も無く首を左右に振る。
「いえいえその辺はご心配なく……実力云々の問題ではなく私は以前から貴方の事を要注意人物と認識して…………恐怖しておりましたから」
「……は?」
その時俺は本気で何を言われたのか分からなかった。
目の前にいるのに、見えているのに未だに気配一つ掴めない……向こうがその気になっただけで俺程度の実力なら一瞬で死体に出来るだろうこの男が……今何て言った?
恐怖? 誰に? 俺に!?
一瞬聞き間違いか? とも思ったが……。
「調査兵団という王国の情報を司る組織の長が、恐怖の対象に興味を持ち認識したいと思うのは当然の心理でしょう?」
「おかしな事を言うっスね……俺はアンタに会いに来るのに少なからず決死の思いでここに来たんだけど。そんな臆病者に?」
……聞き間違いではなかった。
間違いなくこの人は言った……俺に恐怖を抱いたなどと信じられない事を……。
しかしホロウ団長は淡々と、表情の読めない笑顔のまま話して行く。
「単純に実力者が敵を屠るなどであるなら分かりやすいのですが、貴方はそうではありません。力ない幼少の頃から出来る限りの方法であらゆる人の人生に関わり、そして、結果的には被害を未然に防いだり死に際の者を助けたりしている。ただの英雄気取りという事ならば微笑ましく思うのみでありましたが……」
「…………」
「貴方は結果のみを残し、名声も金銭も求めていない……まるで先に大きな目的があるかのように」
今度こそホロウ団長は一つの微笑も浮かべずに俺を真っすぐに見据えて来た。
その瞳から放たれるのは圧倒的な警戒心……おそらくワザとなのだろうが分かりやすく感情を発露してくれた事でようやく目の前に一人の人間がいる事を認識出来たくらいだ。
「君は何か……調査兵団団長である私も知り得ない何かを知っていて、その知識を元に何かを成そうとしている……。カルロス、いやカチーナ殿とリリー嬢と交流を持ったのもその一環であると考えますが……どうでしょうか?」
調査兵団団長……おそらく俺は自分でも認識していない時からずっと目を付けられていたんだろう。
古くは故郷が野盗共に虐殺され滅びた後からずっと、俺が辿って来た人生の全てを俺以上に調べ上げて知っているんじゃないだろうか?
ただ、それでも俺が記憶している『預言書』の事は知る事が出来ない。
この事に関しては同じく死に損なった仲間たちにしか喋った事が無いからな……。
だからこそ奇妙に見えるだろうな……情報源も無く知らないハズなのに、調査兵団の目からも逃れていた犯罪者を見つけて来るガキの存在が。
「……そこまで警戒して貰えると盗賊冥利に尽きますがね、俺の目的なんか大した事ね~よ? 無様な死に様晒さずに、日々気心の知れた仲間と仕事して報酬で一杯やって……師匠の子供が生まれたらお兄ちゃんって呼んでもらうって小っちゃい野望くらいしかないからな~」
「ほう……それは羨ましいですね。立派な生き様の大きな野望ではありませんか」
俺が嘘ではない“行き付いた先の希望する未来”を言ったつもりだったが、ホロウ団長は大きな野望と言いつつニコリともしない。
「つまり……そのような平凡な日常を望めない厄介事がこれから起こる……という事なのでしょうか? これからこの王国に……」
「…………」
コイツ……『預言書』の事は知らずとも、俺がある程度の未来を予測して行動しているって事に感付いているようでもある。
裏付けるような“ナニか”を知っているって事なんだろうが……。
俺は深~く溜息を吐いて『気配察知』を含めたホロウ団長に対する警戒を解いた。
今この人物にどんな警戒を敷いても無駄……殺される時は殺されるだろう。
崖を登る者にとって10メートル以上から先は落ちたら確実に命を落とす結果は同じ、だから恐怖しても意味がない……神様が“聞きかじりだ”と嘯きながら教えてくれた事でもある。
恐怖心に心を割くくらいなら別の生き残る為の手段に神経を集中するべき……。
そう……ここに至ってこの男に対して恐怖も警戒も意味を成さない……だったら俺は俺でこの状況を利用出来るだけする事だけを考えるべきだ。
どうせ何もしなければ真っ二つで死ぬはずだった人生なんだから……。
「……トネリコ村出身、王都ザッカール冒険者ギルド所属、Dランク盗賊のギラルだ」
存在は知っていたのに互いに顔を見合わせたのはつい最近……自己紹介するのが初めてという事実に今更ながら気が付いた。
「ザッカール王国大図書館司書にして王国軍調査兵団団長ホロウ・ライム・ボロウです。以後お見知りおき下さい……」
ここまでお読みいただき誠にありがとうございます。
お手数をおかけして恐縮ではありますが、少しでも面白いと思って頂けたら感想評価を何卒宜しくお願いいたします。




