『予言書』の終焉
後の世で『ザッカールの悪夢』と称される事になる事件はこうして幕を下ろした。
今回の事件で邪気と言う正体不明な未知の脅威が世間に知れ渡る事になり、民衆に一定の恐怖を抱かせる事になったが、その邪気はエレメンタル教会から発生した巨大な光により消失した事を多くの人々が目撃していた事で次第に恐怖心は払拭されて行った。
しかし、やはり精霊神教教会からそのような奇跡が起こったという状況を利用したい精霊神教の上層部は件の光を“精霊神の奇跡”として喧伝したがった。
だが、生憎そのように信者たちに信仰を強要しようとする欲深い上層部の連中はほとんどが王都の危機に我先に自分たちだけは財貨を手に逃げ出していた事で、後からそんな口を利いても“お前はあの時王都にいなかったから実際には見てないじゃん”と鼻で笑われ返って権威を落とす羽目になった。
逆に最後まで民衆を前線で守り戦い続けた大聖女ジャンダルムや光の聖女エリシエルなどの“あの光は精霊と王都に残った全ての人々の想いが力になった”など精霊神と言うよりも皆の力であるというフワッとした物言いが通説となって行く。
民衆もその通説がご都合である事など分かってはいたものの、精霊神教だけの功績にしないようにする大聖女たちの心意気は理解していたのだった。
そして王都から逃げ出した者たちから発言力が失われて行ったのは王侯貴族の連中も同様で、特に王家に限っては民衆の避難を許さず王宮の結界内部に立てこもった事が最悪の裏切りだとなり、その権威は地に落ちた。
ただ王宮に立てこもっていた連中は、安全どころか内部で発生した邪人ヴィクトリアの影響で全て逃げる事も敵わず皆殺しになってしまったので、最早権威が落ちようとどうにもならないのだが……。
事件が収束して王都から脱出していた貴族階級の連中はこぞって王都に戻ると自らの階級を盾に、空白になった王宮内部に漁夫の利と入り込もうと高慢な態度を見せたのだが……要するに王家を守らずに自分たちだけ逃げた忠義無き卑怯者であると、最後まで王都で民衆を守った貴族や王国軍、果ては市民たちすべてに追い返される羽目になった。
自分たちを置いて逃げた貴族と自分たちを家財を投げうち命がけで守ってくれた貴族……民衆がどちらを選ぶかなど答えるまでも無い。
王都に戻れなかった高位貴族たちは、今度は自らの領地に戻って兵力を整え反逆を企てようとする者もいたのだが、領地で長年執政を務めていた親族たちは“王族を見捨てた貴族”を身内と認める事は無く責務を果たさず敵前逃亡した逆賊として捕らえ王都に突き出すか、もしくはそのまま追放し処分する事で貴族家としての体裁を守ったという。
非情であり実に貴族的に狡猾なその判断はむしろ評価を受ける結果となったとか。
そして逆に王都で腐敗貴族たちが軒並みいなくなった事で慢性的な貴族不足、早い話が復興を前に人手不足に陥っていた。
どんなに怠慢で腐りきっていて名ばかりでも行政を動かしていた者たちがいなくなってしまえばあらゆる事が回らない。
そこで無理やりではあるが空いた高位貴族の役職に今回の事件で活躍した貴族たちを急遽当て嵌める事になってしまう。
まず第一に一番肝心な国王なのだが、これに関しては幸か不幸かアンデッドの廃墟となり最後は瓦礫と化した城跡から、相変わらず魂の抜け殻状態だが一応生きてはいる現国王ロドリゲスが救出された事で、現状の王都で最も爵位の高いジントリック大元帥が補佐に付くという建前で国王代理を務める事になった。
そして残念な事に王族に次ぐはずの公爵家の者は、事件当時ほぼ王宮内に避難していたようで全滅……急遽名ばかりとはいえ繰り上げで公爵家として政務を回す必要があり、その数家の中に今回の事件で自ら民衆の前に立ち、魔物たちから身をもって守ったファークス家当主バルロスの名も挙がったのだった。
しかし、『自分には人の上に立つ資格はない。私はあの子の代わりを務めたに過ぎん』と仕事を請け負う事は了承しても地位に関しては頑なに固辞していた。
だがある日の事、私室にいつの間にか届けられた一通の“脅迫状”を目にした彼は観念してその地位に就く事を了承、ファークス公爵となるのだった。
『殴って貰いたいのなら、私たちよりも遥かに人々から不幸を盗み取って見せる事です。
せいぜい貴方なりのやり方で立ち向かって来ると良い。
勝負させていただきますよ…………父上』
妙な事だが精霊神教も王宮も、明らかにそう言う立場を面倒がる連中が務めるしかないという状況に陥ってしまっていた。
そんな色々な変化が起こったザッカール王国であったが、邪気が消え魔物が姿を消した事で避難していた市民たちは徐々に戻り始めて徐々に復興が始まって行く。
邪気に覆われ終わらない夜に包まれた日には失われたかに思われた日常が徐々に戻って行く光景を作り出した功労者の存在を誰もが知る事も無く。
しかしそんな状況で、件の『功労者』にとって途轍もなく恐ろしい計画が動いていた。
冒険者にしてワーストデッド首領の盗賊ギラル、同じく盗賊にして共犯者……そして最愛の“恋人”である剣士カチーナにとって人生で最大のピンチが迫っている事を当人たちが知る事も無く……。
*
暗く何も見えない空間に一つだけ伸びる一本の道……それはカチーナの魂を盗み出した時に似ているものだが、やはりそれとは違う何かであるのは分かる。
同時にここがどこかも理解もする……ここはみんなが言っていた『予言書』の辿る未来の道と決別する為の夢であると。
この道でカチーナは聖騎士カチーナ、『予言書』の自分と出会い、リリーさんは聖魔女エリシエルと出会い、様々な人々が無くなる自分の運命の分岐に携わった人たちに最後の別れを告げる夢。
俺の道には一体だれがいるのか?
強姦未遂犯である野盗ギラルなのか、それとも異界の勇者タケルか、はたまた最後の聖女であるイリスなのか?
そう思い先の見えない道を歩んで行くと、その内目の前に一人の女性が現れた。
その女性は黒髪ロングの美少女と言って間違いない風貌なのだが、間違いなく言えるのは俺は彼女に一度も出会った事が無いという事だった。
だがそれでも俺には彼女が誰なのか見当がついた。
「初めまして……なのかな? 邪神サクラさん?」
「いいえ、一方的だけど初めましてでは無いですね。盗賊のギラルさん……一応私は貴方の前に次元の扉を開ける時、一度だけ会ってます」
『予言書』において世界を滅ぼす為に邪神にされてしまった勇者の恋人……この姿こそが邪気も異世界も関係なく人間としてタケルに寄り添っていた本来のサクラなのだ。
しかし邪気も無いはずなのに、笑っているのにどうしても迫力を感じてしまうな。
まあ男取られて世界を滅ぼすまで行った女だものな……只者であるワケない。
「それで? こんな場所に一体何のご用件で?」
「一応、お礼だけでも言っておくべきかと。私の都合で貴方を散々振り回してしまったので、それくらいしないといけないかな~っと」
「礼なんか良いさ。逆にアンタが介入してくれなきゃ、俺はアンタの彼氏にぶった切られて一巻の終わり、最高に格好悪い最期を迎えていたのだから。
「あはは! うんうんタケルは悪人には容赦ないからね~。まあそれでも私って言う“タケルと結ばれない間違った存在”を消してくれた貴方には感謝しなきゃ。ついでにキレた私のせいでこっちの世界が崩壊する未来も無くなったワケだし」
平然とタケルと結ばれない自分は間違った存在、そしてあくまでも世界救済はオマケであると言ってしまう辺りに、この女の本質がるのだろう。
それはある種の狂気とも言えるが、今の俺にはそれほど彼女が異様にも思えない。
「俺もこの前ようやく告白出来たところだからな。幾ら世界の為とか言っても告白成功翌日に異世界召喚なんかされた日には……そりゃキレるのは分かるよ」
「そうでしょ? 小さい頃から好きで好きで仕方ない男の子だけど、そいつが本当に鈍感で何度も何度もアプローチをしてようやく向こうから告白してくれてさ、嬉しいなんて言葉じゃ言い表せない程の幸せを味わい、明日からは彼女として登校しよう、お昼にはお弁当を作ってあげよう、休みの日にはデートに連れて行って貰おうなんて、ウキウキの妄想していたのに……次の日には彼氏は行方不明、ようやく帰って来たと思えば何の脈絡もなく目の前で息絶える何てさ……」
彼女が望んでいたのはそれこそ誰にでもあり得るような平凡な幸せの時間だった。
その平凡な幸せを全く関係の無い世界の全く関係の無い連中の思惑で全てをぶち壊されたのだから……恨みを持たない方がおかしいだろう。
「そいつは本当に、申し訳なかった。この世界の一人として謝罪をさせてくれ……」
俺は自然と彼女に頭を下げていた。
テメエでやれ……神様に託されたと勝手に解釈して自己満足の為に『予言書』の改編に奔走して来た俺としては、邪神になるまでの憎悪を与えたこの世界に生きる一人としてそう言う他無かった。
だけど彼女は恨み言を吐くでもなく苦笑を浮かべる
「良いわよ謝らなくても。特にこの世界において貴方だけは私という存在を唯一無かった事にしてくれた恩人だもの。それに謝罪ならあの娘に何度も何度も貰ったし……言葉だけじゃなく私には絶対に出来ない代償を払ってまでね」
あの娘……それは最後の聖女イリス・クロノスの事で間違いないだろう。
イリスは己の命だけでは無く、死んでも失いたくないハズのタケルを好きだったという事実すらも捧げたのだからな……。
真にタケルを愛しているサクラは、サクラだけはそれがどれだけ辛い事なのか邪神となた身であっても理解できてしまう、それこそ許すしかない謝罪だったのだろう。
そんな事を言いつつ、サクラの体は徐々に消え始める。
本当の本当に、『予言書』の未来に至る可能性がこれで全て終わった証明のように。
「それじゃあ怪盗ハーフ・デッドさん、精々勝手に幸せになってね。この次道を踏み外しても貴方の前に神様が現れる事は無いんだから、慎重にね」
「ああ、精々アンタの男に真っ二つにされないように気を付けるさ」
そう言って俺は消えかけのサクラの前を通り過ぎ、振り返る事無く歩みを進める。
見送る事はしない……これで互いの道が交わるのは最後、後はどちらも勝手にするのが礼儀であるとでも言うように。
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「む……」
眩しい……窓から差し込む朝日でまどろみから強制的に引き上げられる。
もう朝らしいな……邪神の夢を見たワリには爽やかな……。
そんな事を思うと、俺は自分がベッドに一人で寝ていたワケでは無い事を思い出す。
「く~、く~……」
何よりも暖かく幸せな気分にさせてくれる布団のように、いつもの凛々しさを潜めた可愛らしい寝顔を浮かべて俺に抱き着いている彼女を、カチーナを見て。
無論互いに所謂生まれたままの姿で…………まあ、そういう事である。
紆余曲折、色々な事がありましたが、私たちは相棒と言う関係から晴れて恋人と呼ばれる関係にジョブチェンジを果たしたワケでして……当然そんな関係になったなら、こういう関係になるのは自然な事なワケで……。
ううむ……俺は一体だれに対して言い訳しているのだろうか? あれから大体一週間は経つというのに未だに何か気恥ずかしい。
何かもう、ファーストキスを奪ってからは怒涛の勢い、色々と歯止めが利かなくなって流れるように突き進んでしまったというか…………いや、やはり言い訳は良くないな。
ハイ……俺自身が全く歯止めが利きませんでした。
だって今までも彼女とは危うい接触が何度かあって結構辛抱溜まらんかったのに!
恋人関係になって同じ屋根の下、同じ部屋にいるんだぞ!?
しかも彼女、元々の家庭環境で愛に飢えていた部分もあってか二人きりになるとメッチャ甘えて来るんだぞ!? それがメッチャ可愛いんだぞ!?
我慢が出来るか!? いや、我慢できたとしたら男じゃねぇ!!
そんなワケであの事件から一週間ばかり……俺はカチーナとの逢瀬に溺れに溺れて最早ドザエモン状態、今も彼女の寝顔を見るだけで蕩けそうになる。
邪気の影響で発生したアンデッドや魔物は人間に代表される生物には反応を示すものの、建物などの物体には興味を示さなかったようで、人間か隠れているとかの理由で破壊行動に移る事はあっても、無人の建物には殆ど興味を示さなかった。
その為に、幸か不幸か俺たちが王都で滞在場所にしている元大聖女が保護した女性たちの隠れ家はほぼ無傷の状態で残っていたから、こうした幸せな朝を味わう事が出来ているのだ。
「ん…………」
いつまでも飽きる事の無いかチーナの寝顔を眺めていると、俺の動きが伝わったのかカチーナの目がゆっくりと開いて行く。
「……お、おはよう」
「……ん……ん? ……あ」
そして自分が俺に抱き着いている事に気が付いたのか、真っ赤になり始める。
それは最近の俺たちのルーティーン……今更恥ずかしがる仲でもない無いし、昨晩も今よりもっと恥ずかしい事をしていた自覚もあるのに、やっぱりな~んか恥ずかしくなってしまうのだ。
「お……おはようございます。ギラル君……」
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当たり前の事だが俺たちの関係性が変わったからと言っても、いきなりやる事が変わるワケでは無い。
働かざる者食うべからず……神様に教わった格言だが正にその通り。
とは言えここ一週間ばかりは王都も復興が主で冒険者稼業よりも復興の手伝いに回る事が多かったのだが、そろそろ状況も安定してきたのか公共設備や商店などのインフラ設備も再開し始め、今日から冒険者スティール・ワーストとして再開しようという事になった。
俺もカチーナもいつもの盗賊スタイルで外に出ると、容赦なく太陽の光が全身を指して来る。
むう、少々夜更かしし過ぎたのだろうか?
カチーナも似たようなモノなのか、眠そうに目頭をこすっている。
理由については何も言うまい……ちょっと盛り上がり過ぎたとしか……。
「リリーさんとはギルドで待ち合わせですよね? ギルドも本日から本格的に再開との事ですから混み合いそうではありますが」
「とは言えリリーさん、次回の昇格試験の為に実績を積んどかないといけないって言ってたからいつまでも活動しないワケにも行かないしな」
ちなみに同パーティーメンバーであるリリーさんは現在大聖女の管轄にして本人の古巣でもある孤児院に間借りしているのだ。
何の事は無い彼女なりに俺たちに気を使った結果で、彼女曰く『少しはカップル同士でバカになれ!』との事だった。
元聖職者が何て事を言うのかとも思ったのだが、しっかりと彼女の助言通りにバカになってしまっていた今となっては何も言えん。
こういう場合なら真っ先に親友のシエルさんの家が浮かぶのだが、リリーさんは『そっちはそっちで別種類のバカがいるからな~』と遠い目をしていたのだった。
あの事件以降色々な事があったのは確かだが、とにかくギルドでは俺とカチーナの交際スタートの方が大騒ぎになっていた気がする。
リリーさんやシエルさんが盛り上がるのは当然として、一番強烈に興奮して祝福してくれたのは俺にとって母親代わりにもあったミリアさん。
何故か俺がギルドに顔を出した途端に詰め寄り『結婚式はいつ!?』なんてテンション高めに気が早すぎる事を口走っていたので面食らってしまったものだ。
まだ付き合い始めたばかりであるから急ぐつもりはないと言ったのに、オカンは『何を呑気な事を!!』と益々興奮していたな……一体何をあんなに慌てているのやら。
それからも知り合いに会う度に追求、揶揄い、祝福の流れを繰り返す事になったのだが同期の新米リーダーにして新米パパには『これでお前もこっち側だな!』と肩を叩かれた。
だから、まだ早いっての……。
そんな感じで今日はまずギルドに顔を出して適当な依頼でも……と思っていると、目の前に見知った顔の女性が大事そうに腕に赤ん坊を抱えて立っていた。
「お~お二人さん、おはよう」
「あ、おはようございます。スレイヤさん」
「お~師匠、パメラちゃんもう外出ても良いのか?」
「あんまり長い時間じゃなきゃな。少しは外の空気も吸わせてやらないとな」
俺の師匠にして今や一時の母となったスレイヤ師匠は俺の言葉に苦笑を浮かべた。
赤子はパメラと名付けられた女の子、後で知った事だったが、どうもこの子は避難生活の間に生まれたらしい。
あの非常事態においても出産に耐えるのだから、母は強しと言うところなのだろうか。
師匠の顔には冒険者時代の盗賊としてのモノとは違う力強さを感じる。
「ふわ……」
そして腕の中のパメラちゃんは小さな欠伸をすると再びスヤスヤと寝息を立て始める。
その愛らしい様に俺もカチーナも自然と笑顔になってしまう。
「寝る子は育つとは言うけど、師匠の子だと思うと相当なお転婆になりそうな……」
「いずれはこのスレイヤさんから受け継いだ盗賊装束をこの子に受け継ぐ事になるのかもしれませんね」
「おいおい、今から冒険者稼業になるみたいに言わないでくれないか? お互い経験者だから分かるだろうが、あんまり我が子に進めたい職では無いからな」
それは確かに言えている。
冒険者なんて稼業はどうしても戦闘が付いて来る危険な仕事だからな……生産職でもない限りどうしたって危険が伴う。
とは言え未だに子供たちの憧れにもなる職である事は否めない。
「言いたい事は分かるけど、この娘は盗賊スレイヤの娘なんだから何時かは親の英雄譚を耳にするんじゃね? 母ちゃんのカッコいい話を聞いたら私も! って事になりそうな」
「その辺はアタシって言うよりもアンタが方々で“スレイヤの弟子”って喧伝しているのが原因な気もするけどね。そのせいで最近チラホラと弟子志願のガキ共が来て困ってるんだけど?」
「それは……まあ有名税って事で……」
「はあ……ったく、このままじゃその内ギルドに講師として呼ばれる事になるんじゃないかと恐恐としているよ。そん時はアンタにも付き合って貰うから……ってこら! 逃げるな!!」
段々と面倒な話に移行して行くスレイヤ師匠の言葉の途中で、俺はカチーナの手を引いて走り出した。
『予言書』っていう最大の面倒事をかたずけ終わった今、しばらくは更なる面倒事は勘弁していただきたい。
ここまでお読みいただき誠にありがとうございます。
お手数をおかけしますが面白いと思っていただけたら、感想評価何卒宜しくお願い致します。
星、イイねの方も是非!