独りぼっちな最後
待つ、と言うのは私にとっては当たり前の事だった。
そして不毛な事でもあった。
かつての私はファークス家の存続の為に男性として生きる事を強いられ、侯爵家当主として相応しくある為に文武両道を必要とされ必死に頑張り……待っていた。
何時の日か頑張った自分を父が“良くやった”“頑張ったな”と褒めて認めてくれる日が来ると。
そんな日は永遠に来ない事を心のどこかで分かっていながらも、それでも私は待っていたのだ。
待つだけで何も無い不毛の絶望から、あの人が私の心を盗み出してくれたあの日までは。
それから怒涛の如く過ぎて行く日々の中、私が待ちに徹する機会などほとんど無かった。
あらゆる苦難を、死線を共に潜りぬけていつの間にか自分の背中を預けて相手の背中を守る事が当たり前の関係になっていた時には、そんな事を考える暇も無かった。
彼は……ギラルは私の相棒だ。
だからそれだけで、彼が私を盗むと言ってくれただけで私は今待っている事が出来る。
己の体だというのに全く自由が利かない、今となっては膨大な邪気の濃度が増し続けて魂が浸食され、このままでは邪気に喰いつくされてしまうだろうけど……それでも。
そんな邪気に囚われて身動きできない魂のみの私に、暗闇の中からアルテミアの声が聞こえる。
『バカな人です。そうやって待っていた結果、貴女は外道聖騎士と呼ばれるまでに堕ちたというのに……まだ他者を信じると言うのですか?』
「今の私は冒険者にして剣士カチーナ、またの名をワースト・デッドが一人、グールデッド……私が待っているのはこの世の誰よりも信用できる相棒です。私は何も憂いてはいませんよ」
『ふふ……貴女がどれほど彼を信じていようとも、現実は変わりません。あの人が貴女に到達するより前に、邪気は貴女の魂を喰らいつくす事でしょう。どうでしょう……信じていた者に裏切られる気分は? この世のあらゆる者に裏切られて尚共にあり想いを寄せた者に裏切られるというのは?』
それは明らかに私の心を折ろうとする嘲りの言葉……そうやって私の心を揺さぶり優位に立ちたいのだろうが。
その程度でワースト・デッドの絆を揺さぶれると思うとは……笑止な。
「ふ……どうやら分かっていないようですね。千年も時を重ねながら……哀れな」
『…………何がおかしいのですか?』
「結果が伴わなければ裏切りだというのは余りにも短絡的。あの人は既にここに向かって来ているのでしょう? 命を顧みず、私を盗み出す為に……私の為に命を賭けてくれた。その行動を迷わず出来る彼のどこに裏切りがあるのだと? 喩えこのまま私は邪気に喰いつくされようとも、ギラルを信じた事に後悔などありはしません」
『…………』
「まあ間違いなく彼はここまで来ます。私を盗むと口にしたのですから必ずね」
私の言葉に暗闇の中から分かりやすい不快感を示す気配を感じる。
そのアルテミアが感じているであろう不快感に、私は不謹慎、品の無い事ではあるが優越感を感じてしまう。
「羨ましいのですか?」
『……何ですって?』
「私がこのような状況に陥ってなお、安全策に走らずに迷う事無く彼が命を賭けてくれる事が、彼の事を死を賭してでも信じていられる私の事が」
『!? こ、この……ついさっきまで自分ごと私を殺せと泣き叫んでいたというのに……』
私の軽い煽りに否定する事も無いアルテミア。
千年の孤独の果て、全てを失い誰一人として隣にいなかったという事に関してだけは同情を禁じ得ない。
何しろ彼女が言うように、彼女と私の違いなどほんの少しだけ……道を踏み外す前に私は彼に、ギラルに出会えてた。そして彼女は出会えなかった……それだけだ。
でも、だからと言って私は譲る気は無い。
喩え国が滅びようと世界が崩壊しようと、その我儘だけは絶対に貫き通す。
「でも、ダメですよ? あの人の隣はあげません……誰であろうとも」
そう言った瞬間に闇の中の殺気が高まり、私の目の前にアルテミアが姿を現した。
最初の頃に目にした闇の大聖女の悠然とした態度は微塵も無く、ただひたすらに私に対する憎悪だけを顔面に張り付けた姿で。
膨大な邪気の中でこの彼女が本体なのかどうかは分からないが、それでも私に直接手を下そうとしている事だけは分かる。
邪気に囚われ身動き一つ取れない今、私に対抗する術はない。
今までは“私をギラルに殺させる”という前提があったからこそ私も無事だったが……。
『もう良い……もう良いです。どうやらあの人はどうあがいても貴女を自らの手で殺める覚悟は無いようですから。私が直接貴女の魂を刈り取る事に致しましょう』
その様はまるで死神の如く、アルテミアは憎悪と嫉妬に任せて大鎌を振り上げる。
く……間に合わなかったか!?
しかし振り下ろされた大鎌は私を切り裂く事なく止められた……突然現れた人が大鎌の柄を掴む事で。
それは聖騎士の鎧を赤黒く染め、手入れもしていない錆びだらけの巨大な剣を持った実によく見た事のある顔をしている人物で……彼女の顔を見るなりアルテミアは更に激高する。
『貴女まで、貴女まで私の邪魔建てをするのですか! 聖騎士カチーナ・ファークス!!』
どうやら全ての『予言書』の可能性すら無くなった後でも、まだ彼女の邪気だけは残っていたらしい。
その僅かな邪気すら最早薄れ消えかかっているのだが、彼女は言葉を発する事無く私にチラリと目くばせすると、自身の大剣を天に向かって一閃する。
ここは濃密な邪気の中と考えればそっちが天なのかは判断できないが、彼女の一振りは膨大な邪気の中に一筋の道を作り出し、眩い光と共に最も聞きたかった相棒の声を届けてくれる。
「無事か! カチーナアアアアア!!」
その声を聞いて、私はアルテミアがますます嫉妬する事を分かっていながら、笑顔になるのを止める事が出来なかった。
ほ~ら、やっぱり……間に合った。
*
光の道の先、何もない闇の底がいきなり割れたと思ったら、その割れた先には闇の中で光り輝くカチーナの姿……邪気に囚われて動けないでいるのが見えた。
「無事か! カチーナアアアアア!!」
思わず叫び、裂け目に飛び込んだ時に見えたのは悪鬼の如き表情で大鎌を手にしたアルテミア……さっきイリスと戦っていたハズなのにこっちにも?
いや、ここは濃密な邪気の中なのだから複数いても不思議ではない。
そしてもう一人、最早消えかけているものの俺に向かって笑みを浮かべているのは『予言書』では外道であったハズの聖騎士カチーナ……恐らくだが邪気の残滓である最後の力でここまでの道を切り開いてくれたのだろう。
その瞳は何も口にせずとも悠然と語っている……後は頼むぞ、と。
まかせな! アンタが望んだカチーナは俺が絶対に盗んでやる!!
聖騎士カチーナの姿が消えると同時に光り輝くカチーナの魂の元に到達した俺は、そのまま彼女を捕らえている邪気の鎖を全て断ち切る。
「お待たせしました、我が相棒」
「まったく……私の為に無茶しないで下さいと言いたいところですが、来てくれて嬉しいと思ってしまうのも否めません」
「そっちだって俺が同じ状況なら迷わず同じ事をするだろう? それに盗んだ責任は取れって言ったのはカチーナの方だっただろ?」
「……言っちゃいましたね、無責任にも」
疲れたような表情でそう笑う彼女の姿に、俺はどこかホッとする。
どうやら間に合ったようだと。
しかしさっきから目の前にいるアルテミアの形相は更に憎悪が増して、本格的に鬼と評しても相応しいモノとなっていた。
『ナゼ……ナゼですか時の改編者ギラル!! 何故貴方は私の望みを悉く否定するのですか!? 私の千年の悲願を奪ったというのに、貴方自身は何の代償も無く全てを手に入れようというのですか!? そのような事が許されるとでも!?』
そう叫ぶアルテミアからは憎悪や嫉妬の他に悲哀すらあった。
確かに俺は彼女が千年かけて築いてきた計画を潰し、アルテミアと言う人物に絶望を与えた張本人だろう。
彼女の恨みがどれほど深くても、行いがどれほど間違っていても、その想いは奪った俺が受け止める責任があるといつもなら判断するところだ。
だがまあ正直、以前までならその表情に恐怖し畏怖していただろうし、同情だってした事だろうが、今は何の感慨も湧いてこない。
ハッキリ言って目障りとしか思えなかった。
当たり前だ……どういう理由があろうと、コイツは俺の宝に手を出したんだから。
「知らねぇ~よ、テメエの都合なんか」
『な……に?』
「元より俺は盗賊だ。自分の都合で好き勝手生きているだけの無法者には違いない。そんな自分勝手な俺は自分の気に入った奴には筋を通し、嫌いな奴の理屈などどうでも良い。お前の語る代償だの過去の復讐だの知った事かよ!」
『!?』
「我が名は怪盗ワースト・デッドが首魁、ハーフデッド! 予告通りに俺にとって最も大切な宝を頂いて行く!!」
俺はそれだけを言い捨てて光が漏れる裂け目に向かってロケットフックを射出、そのままカチーナの手を取って勢い良く上昇する。
俺の自分勝手な宣言に一時的に茫然としていたアルテミアだったが、そんな俺達を見てハッとなると慌てて追いかけて来た。
やはり鬼の形相を浮かべて……。
『待ちなさあああああああい!! 貴方だけは逃がさない!! 私の望みを全て盗み取った貴方だけは!! ギラルウウウウウウウウウウ!!』
暗闇の中、大鎌を持ち黒装束で飛翔して追いかけて来るその様はまんま死神。
それはロケットフックの上昇スピードよりも明らかに速く、ジリジリと距離を詰められて行く。
しかし追いつかれると思ったその時、アルテミアの体が闇の中で止まった。
彼女の脚や体に無数の人の手が絡みつき、それ以上の追撃が出来ないように、俺達を助けるように現れた邪気の手によって。
『な!? 放しなさい!! 死霊使いたる私に楯突く邪気がまだいるのですか!? 私の支配を受け入れない邪気ならせめて邪魔は…………え!?』
そう忌々しそうに絡みつく邪気を大鎌で斬りつけようとしたアルテミアだったが、自身に絡みついていた邪気の正体にギョッとした。
それは老若男女様々な姿であるが、一つだけ共通しているのはアルテミアと同じように尖った耳をしている連中だったのだから。
『そ……そんな!? 何故貴方たちが……貴方たちまで!?』
“もう、やめてくれ……エルフの名を汚すのは……”
『は!?』
“精霊と共に生き、精霊と共に死ぬのが我らの誇り”
“人に仇成すなら同意、だが精霊に仇成すなら我らの意志に反する”
『何を言うか! その精霊たちこそが我らを裏切ったのだぞ!?』
“精霊は自然の象徴、自然を思い通りに出来ると思うのは傲慢……裏切りと評する事こそがエルフの理に反する”
その邪気たちが自分に歯向かうというのは、あるいはアルテミアにとって妹が自分の事を忘れていた事よりもショックだったのかもしれない。
千年前より妹に封じられていた“千年前の同胞たちの邪気”の本音がそれだというのなら……自分が復讐を決意した原点であるハズの故郷の同胞たち、古代亜人種の邪気さえも自分の行動を否定しているのだから。
『うるさいうるさいうるさい!! では何故今私の邪魔をする!? 彼らとて人間です!! 我ら古代亜人種を滅ぼした憎むべき種族の末裔ですよ!? 何故私でなく彼らの味方をするというのですか!?』
最早本当の意味で孤独になり果てたアルテミアは、その事を認めたくないようで大鎌を滅茶苦茶に振り回して押さえつける邪気を払おうと必死になるが、それでも彼女を押さえつける邪気は無くならない。
“ヤツは邪神降臨を防ぎ精霊の住まう世界を守った。人如きに借りを作るのは古代亜人種のプライドが許さない”
『わ……私は……故郷を滅ぼした……私たちの平穏を壊した力全てに復讐するつもりだったのに………………私は……私は!?』
古代亜人種たちが自分の味方をしないという現実にショックで動けなくなるアルテミアを他所に、俺はカチーナの手を引いてそのまま光の道を引き返す。
途中で邪気を抑えてくれていた人たちは俺たちが駆け抜けると同時に消えて行く。
まるで自分の仕事は終わったと満足するかのように。
邪気は負の感情の発露、マルス君の例を考えれば邪気自身が満足すれば消える、成仏する事が出来るらしいから。
「ありがとうよ、俺なんかの手伝いで満たされてくれて!!」
消える際にみんないい笑顔で、拳を振り上げて、手を振って見送ってくれる。
最後に赤い日記帳を手にした女の子の笑顔を目に焼き付けて、俺は光の道を走り切り邪気で満たされたカチーナの体を脱出する。
そして次の瞬間には、俺は邪気に包まれ立ち尽くすカチーナの肉体の前でエレメンタルブレードを手に立っていた。
戻って来たのだ、カチーナの魂を盗み出して現実の世界に。
「さあタケル! お望みの対価を受け取ってくれ!! お前の言う通り、彼女が無事なら“それ”は俺にとって何の価値もねえ!!」
『ああ、サンキュー。そして……後は任せろ!!』
そう言って俺の体を動かすのは俺じゃない、異世界の勇者『タケル』の邪気の残滓。
彼はエレメンタルブレードを掲げて吼える。
『さあ! 俺の望郷の願いを全て込めて、全ての力を解放するぞ! 勇者の剣よ!!』
『了解……異界の勇者の要請により、リミッター解除いたします』
ドン……
熱血な勇者と無機質な剣のやり取りの後、掲げられた剣からこれまで見た事の無い膨大な青白い光が天に向かって放たれる。
それは天井を破壊する事は無く物理的な影響は無いだろうが恐らく地上まで、もしかしたら上空高くまでも伸びているんじゃないかと思わせる巨大な光だった。
そんな眩い光が現れた瞬間、慌てた様子のアルテミアが性懲りも無くカチーナの口を勝手に使って声を上げた。
『待って! 待って下さい!! 私はまだ何もしていない! 異界の勇者よ、貴方を召喚してもいないし貴方の女を邪神にしたワケでもない!! 私は貴方の事を何一つ知らないというのに、知らない者の手に掛かって終わるというのですか!?』
お前にはまだ何もしていないのに、お前は私を殺すのか?
アルテミアの言葉にはそんな納得の行かなさが滲み出ていた。
言いたい事は分からなくはない、分からなくはないが……しかしお前が『タケル』にそれを言うのは禁句でしかないんだかな。
案の定、彼は冷たく言い放った。
『俺もそうだったよ』
『……え?』
『俺もサクラも何もしていないのに、何も関係なかったのにこの世界に飛ばされたんだよ。最後の最後まで、面も知らない黒幕の手によってな』
『……え? あ……』
知らない人の思惑により最期を迎える……それは未来の、最早消えた未来の出来事ではあるが結局自分がした事が自分に返って来た事には違いない。
その現実にアルテミアの顔が初めて恐怖と絶望に歪み、カチーナの肉体からブレてアルテミアが泣き叫ぶのが見える。
「いや……いや! 千年の時を経ても私は最後の瞬間まで一人だというのですか!? ギラルさん! カチーナさん! お願いです! せめて、せめて最後は貴方たちに!!」
尚も泣き叫び俺たちに介錯を懇願するアルテミアであったが、俺は最早何も感じる事無かった。
「……言ったハズだな。俺はテメエの望みは何一つ叶えてやらねぇ」
『…………あ』
「せめて自分の手で、自分の体で向かってきたなら戦いは受けただろうさ。介錯を望むなら請け負うつもりもあった。何だかんだ悪しき縁だが付き合いは長かったからな」
俺は最早宿敵でも怨敵でも無くなった、ただそれだけのヤツに冷たい目を向ける。
「だが最後の最後までテメエは最後までテメエでやろうとしなかった。自分の自尊心を満たしたいが為に俺にカチーナを殺させようとしやがった。そんなヤツ……俺は記憶の片隅にも置いておきたくねぇ」
『あ……ああ……ああああああああ!?』
コイツの間違い何て言いだせばキリが無いだろう。
そもそも今回の事件だって妹の邪気を解放しなければ、最後に同胞たちに止められる事も無かっただろうし、直接戦いに来た方が実力自体は未だに上なのだから俺たちは敗北する可能性が高かっただろう。
結局彼女は最初から最後まで間違えていたのだ。
彼女にとっての『神様』はどこにもいなかったのだ。
膨れ上がった膨大な光の刃は地下聖堂には収まらない巨大な塊となり、そのままカチーナの肉体へと振り下ろされる。
その光は彼女の肉体には一切傷を付ける事無く、入り込んだ千年分の邪気だけを押し潰すように消滅させていく。
『ヤダアアアアア!! 一人はヤダアアアアアアアアア!! ギラル!! ギラ……』
そして光の中で声が途切れた瞬間、俺は邪気と共に千年前からいた“何者か”が消え去った事を理解した。
千年前から孤独に生きて孤独に死んだ、哀れなヤツがいたという事実だけを胸に……。
ここまでお読みいただき誠にありがとうございます。
お手数をおかけしますが面白いと思っていただけたら、感想評価何卒宜しくお願い致します。
星、イイねの方も是非!