・第三章:酒場にて
日が落ち、自然の光を感じることがなくなった酒場の片隅。テーブルに置かれた飲み物には一切手を付けずに頭を抱え続けるシエルがいた。シエルにとって依頼の失敗事態にある程度の慣れはあったりするが、力の差をここまで大きく感じることはなかった。何を考えようにも“完敗”という言葉が思考を邪魔し、どんな手を使おうが失敗に終わるという結論を何者かが押し付けてくる。そんな感覚だった。
「依頼が失敗に終わってそこまで悩むとは、相当な経験をしたようだな。」
そう言いながらビールを片手に持ち同じテーブルの反対の席に腰かけるのはガズラスだった。シエルは顔も上げないで長い間黙りこくっていたが話を続ける。
「どっかのお得意さんがいつまでも悩んでいるから店を臨時休業にしてやったぞ。まあ気分で営業しているから、臨時なのかはわからないがな。それよりもお前が無事に帰ってきたときはびっくりしたぞ無傷で帰ってきた奴なんて数人しかいない依頼だったからな。」
いつもより気さくに話しかけるガズラスだが、そんな気遣いとも受け取れる行動はシエルにとって何一つとして効果はなく、聞こえてすらいないように動くことをしなかった。しばらくそんな時間が続いたが、ガズラスも疲れと諦めから口を閉ざす。しばらく流れた静寂な空間を破ったのは意外にもシエルだった。
「俺は何もできずに負けた。逃げることしか頭に浮かばなかった。俺にとって魔法の有無は戦況に関係ない。そのはずだったのに、数秒で差を見せつけられた。こんなはずじゃなかった。」
途切れ途切れの下手くそな文面ではあるが少しずつ話し出す。今まで対等に渡り合えて来たと思っていた魔力対策を早々に見限り無力という結論を出してしまった事もそうだが、決断から行動に移行するまでの短すぎる時間が物語ってしまう未だに払拭することのできない“死”への恐怖、どれをとっても自身に対する嫌悪感がにじみ出る内容だった。
持ってきたビールを飲みながら聞き流すように静けさを保っていたガズラスだったが、シエルが話すのをやめるとテンプレートのようにガズラスは、
「誰にだって失敗はあるもんなんだから気にすることはないだろう。」
と返す。
その言葉を受けたシエルの内に安堵はなく同情という言葉が生む更なる不快感で吐き気までもがこみ上げてきていた。やめてくれと言おうとした時、ガズラスはそれを遮るように続ける。
「お前にとって、こんな感じの言葉は気に食わんだろうから別のこと言っておいてやる。まず魔力なしの状態で猛者を連続で撃退してきた奴を倒せるわけないだろう。失敗が初めてじゃないのは知っているがその上で自惚れるには早すぎたな。まさか細工は流々とでも思っていたか?そんな莫大なハンデを元々しょってんだから流々なんて状態を完璧に作り出せるわけないだろう。」
説教じみたガズラスの言葉は自分で理解してる分、余計に不快感を広くしていき反論をする気力を削っていく。聞いていくうちに吐き気が増していくが、逃げるという既視感からこの場から離れうとする自分を止める自分が存在して動くことを拒んでくる。子供じみた理由しか思いつくことはないが今の自分への逃げてはいけない理由付けとしては十分だと思えた。
予兆もなく再び始まった静寂がしばらく続く。
「それで、大方の欠陥はすでに洗い出してんだろ。いつまでも後ろばっかみててもしょうがねえぞシエル。」
シエルの気持ちに整理がついたころを見透かしたようにガズラスが背中を押す。そこから更に時間がたちガズラスがあくびをし始めたころシエルの口が再び開く。
「過ぎた事の敗因なんてもので気持ちが後退してる俺の思考に打開策なんてもの見込めるわけもない。現状を受け入れろ。必勝なんて見出すな。弱者の心情はそうじゃない、常に勝機を求め生み出せ。…逃げも一手としろ。」
気を晴らすかのように言葉を羅列するシエルのなかの重荷が消えることはないが、思考を回すためにはそれしか方法は浮かばなかった。立ち直るなんてことそう簡単にできるものではなく時間も労力も必要であることを理解し、それでもやらなければならないことがある。その義務感だけはシエルの思考を止めることを許さなかった。戦略も感情の緩和も自身のなかで急激に膨れ上がる焦りが押しのけ、最善な状態になる前に現状でなすべき事から除外されていく。
「ガズラス、頼みがある。」
整理が全くついていないシエルが絞り出せた言葉がそれだった。
「なんだ。」
内容は、カリアの依頼を今すぐに止めて自分以外の人間が依頼を受注する事を不可能な状態にしてくれというものだった。当然の如く理由を尋ねるガズラスにシエルはカリアが自分の次の受注者から生かすことはないと伝えられたことを語る。驚きを隠すことなくあからさまに動揺を見せるガズラスに
「責任は俺が取る。それが俺の義務だ。」
そう告げたシエルにガズラスはそれ以上の言葉をかけることはなかった。