・第二章:カリア
日が昇り始める少し前、シエルは既に歩みを始めていた。昨夜の襲撃は想定内だったとはいえ、余計な荷物を持ち運ぶ羽目になった上に、ただでさえ移動でかかる時間もそれにより大きく遅れが出てしまった。そのため、少しでも早く動きたいというのが本意であるが、もっともな話日に照らされて明るくなる前に動く方が新たな依頼狩りに遭遇する確率も下がり、そもそも、もう一度依頼狩りと相まみえることは依頼達成の事を考えるとそんな余裕などなかった。
移動中、カリアについてガズラスから受け取った情報資料を見返していたが、その情報によればカリアによって怪我人こそ出てはいるがそれ以上の被害は死人どころか重傷者すら出ておらず依頼未達成者のほとんどは自身の力で帰還しているとのことらしい。不可解な点と思われる内容ではあるが、これをひも解いていくと恐らく“カリア”は殺人に対しての興味はないとみえる。魔力による力量差による驕りや余裕といった所もあるとは思うが殺さないという理由となるには説得力に欠けるところがある。そこから可能性として戦闘自を遊戯の一環として捉えている型と推測した。しかしながら、その推測に違和感を持たせるような行動が一つある。カリアとの対面時に多くの依頼者が国内の状況や自身の依頼情報、更には戦闘の拒否といった話をされたという報告内容が上がっているというのだ。故に昨晩で考察をまとめるが、疑問点を解消できないまま策を練らなければならない不本意な形となってしまい移動距離が長いことが好条件と思えてしまうほどだった。しかし、その猶予がありながらもそこから一週間、シエルからその思考の突っかかりが消えることはなかった。
周囲に建物など一切なく霧が立ち込める渓谷、谷底には川が流れ橋すらかかっていないという人工的なものが一切届くことを放棄したような山の奥。その渓谷内における自然ならではとも言える険しい崖、その中ほどにある小さな洞穴の中に小柄な体に白い髪の少年は出口の一点をひたすらに見つめほとんど動く事なくそこにいた。シエル自身、詳しい居所は把握してはいなかったが、不自然に空けられたその穴に根拠はなく本能的な何かによってそこにいることは疑うことなく感付いていた。そして、これも本能という曖昧な理由を使わざる負えないのだが、シエルは“カリア”に自身が近い位置まで来ていることを悟られていることを知ると同時に、自分に時間的猶予を与えられていることを感じていた。そのためか自身の長時間に及ぶ戦闘準備も、心なしか焦りなどの時間に縛られた負の要因となる感情を抱くことはなく終えることが出来た。準備がすべて終わった後、洞穴に向けて足元に落ちていた手のひらに収まるほどの石を洞穴の中に投げ入れた。
そこから数十秒ほどの短い時間がたった後、洞穴の奥からシエルが黙認できる位置まで“カリア”は姿を出し、恐らく魔法による能力であろう浮遊を駆使して手の届く位置まで来た。
「やあ!僕は“カリア”....ってその様子だと名前ぐらいは知ってるみたいだね。すこしお話したいんだけどいいかな?」
おどけたように語りかけてくる“カリア”に対し、シエルは何も発することなく頷いて答える。
「君が僕の討伐に来たんだろうってことはわかってるよ。みんな腕の立つ者は寄ってたかって僕を狙ってるみたいだからね。でも正直、僕は人を殺めるのは苦手でね。そこで直球に行くけど僕のことを見逃してほしいんだ。」
相変わらずの軽い口調で“カリア”は問いかけてくる。
「何を言われようがその提案は断る。内情は話せないがその目的を外すつもりは全くない。」
「まあみんなそういう感じだからわかってたけどね。他の人には国の状況とか聞いてたけど今はもうそこらへんの情報に興味はなくなっちゃったからね。やるしかないならしょうがないよね。」
その言葉と共に再び宙に浮き、岸と岸のちょうど真ん中辺りに来たと事でカリアが告げる。
「来なよ。」
刹那、シエルから放たれる小瓶。しかしそれは、当たり前のように決められていたはずの放物線という軌道を逸れてカリアへの到達を拒み谷底へと落ち始める。その時、カリアによって軌道を変えられてしまった物を中心に激しい光と爆発が彼を襲い、それはその場周辺の壁を削り渓谷の底に新たな地を生成した。そこまでの威力でありながら傷一つ受けずに何かしらの不安と疑問が混同したような表情をカリアは浮かべていた。
そんなことは気にも留めずに新たに作られた土地の上に降り立つシエル。そしてそれを追いかけるように続いて降り立つカリアであった。
「君ってさ、もしかして。」
カリアの発言に聞く耳を一切っていない事を表すように、口を開かなければ目すら合わせようとしないシエル。それに気づいたのかそれ以上の詮索をしようとしないカリア。
言葉のない一瞬の会話を終えたと思えるようなタイミングで不自然に辺りを白い霧のような物が覆い隠し始めた。それが濃くなるまでまるで待つかのように身を動かさない2人。短いようで長い沈黙を破ったのは状況を待っていた2人ではなく、天による一瞬にして最大級の火力を誇る落雷であった。その落雷と合わさるようにして降り始める水、それにより霧は洗い流され見えにくくなっていた景色を明確にする。その景色上において動きをみせなかった2人の片方が揺らぎを見せる。それを待っていたかのように襲い掛かるもう片側の人間。間合いをつめ、懐にしまっていた短刀を抜き出しターゲットの左胸、つまり人間の致死に比較的近い位置に突き立てる。
どう考えても勝敗が決まったと思えるこの状況だ、そのはずだった。距離にして約一寸、小指にも満たないその距離で刃先は止まった。感覚として、何か外的作用によるものというより筋肉による萎縮によって引き起こる硬直に似ていた。
「使えないみたいだね。もしかして、魔零って君のこと?よく話に聞いてたけどほんとに持ってないのにこういう所にでてくるんだね。奢りってやつ?それともうぬぼれてんのかな。」
完全に見限ったような発言と表情を浮かべるカリアに対して、表情にこそでないが現状況から予知にも似た制度で予測し、結果に対しわかりやすいほどの動揺が走る音をシエル自身が実感してしまっていた。
「勝て....ない?」
他の手はあった。というより打ったのはただの初手であって、決め手にはあまりにも程遠いもので策略の完結に至るにはこれからという所であり、一手目が止められる事は本来想定内、この一手で決まることが出来れば儲けものといった度合のはずだった。しかしながら、シエルは気付いた。そう気づいてしまった。自分の組み立てた戦術がカリアに対しては微塵も有利に働くようなシミュレーションができなかった。構築した手の一つ一つがカリアの後手によって全て打ち砕かれた。
「初めて見る攻撃だったけど面白いね。でもそれ以上は何も感じなかったね。多分だけどそれが限界なんだろうけど、どうも少し僕をなめてかかってきたようだね。」
シエルはなめてかかるという心持ではいなかった。だが、自身の考えた戦略に対し、高い勝算があったのは確かであった。故にそれが油断や余裕に似た心境に陥る素材として存在していたことに否定することはできなかった。そしてそれがあったがために現状の理解が追いつかないばかりか、絶望への落差があまりにも大きく顕著に出てしまっていた。
「面白くないから教えてあげるよ。僕の主な能力は“具現化”。物事を想像力の範囲内で大体の事は何でもできるよ。」
シエルにとって聞きたくはなかった内容である。科学的な概念が関与しない発想力においてはどう考えても勝るわけがないことは明確であったためだ。自身が知識を身につければ身につけるほどに出てしまう弊害であり、この世界においては欠点になり得るものであった。経験に基づくものは対応できるのだが“具現化”という言わば反則級にまで上り詰めてしまう能力には確実に科学による対抗はできない事を理解してしまう。
思案をできる限り繰り返すシエルだが、回せば回すほどに失意のどん底へと落ちていく。いっそ殺してくれという考えもよぎるのだが、それすらも叶えてくれるような相手ではない事を把握している事にわけのわからない後悔をするほどに追い詰められ、思考は停止へと向かっていくまで、ものの数秒という間の出来事であった。
「こんな人まで来るようになるなんて相当落ちぶれてるね今の情勢は。もう色んな人を相手にするの疲れちゃったし、次からは生かすことはやめようかな。別に生かす理由もないしね。君は逃がしてあげるからもしよかったらみんなに知らせといてよ。」
追い打ちをかけるように告げられたカリアの台詞によもや何も返答をする気力も尽きた。体の自由が戻り、自身への外傷が全くないことへ相手にさえ該当されていない事を認識する。しかし、何よりも失望したのはその言葉に対し何も拒むことをせずに、来た道を戻り始めた自分に対してだった。今まで策略がずれたことがないことから考えもしなかったが今の一瞬で突き付けられたような気がした。“お前は弱い”と。
「惜しいんだけどね。選択が悪かったよ。」
カリアが発した言葉はシエルに届いたのかはわからないが、その言葉を背中に受けシエルの姿は見えなくなっていった。