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インカレロードレース

遂にその日がやってきた。

インカレロードレース。

長野県の田舎町に設定された一周10kmのコースを15周する150kmで争われる。

コースは前半が平坦からの小さなアップダウンを繰り返し、後半が平坦からラストの1.5kmがそこそこ勾配がきつい上りが続きゴールとなる。

一番の勝負所はやはりコース最後の1.5kmの上り。そこを15回。選手達はそこで毎周ふるいにかけられ、人数を減らしていくだろう。

強い者しか生き残れないサバイバルレースとなるのは確実だろう。

その上、夏の強い日差しは選手達の消耗を大きくし、水分摂取など上手くやらないと命取りだ。

京東大学チームは事前合宿でここを何周も走り、コースは知り尽くしている。


スタートは9時。

30分前、各大学が大学毎に設営されたテントの中で最後の準備を行っていた。

選手達の足に塗られたスタートオイルの匂いが緊張感を高める。

大学のレースとはいえ、唯は久々のレースにワクワクしていた。一方の勝は全てをここにつぎ込んできた3年間を思い、緊張感を隠せないでいた。

テレビカメラが勝と唯を追いかけていた。

和也が選手達に集合をかけた。

「レースは長いぞ。気負いは消せ。準備は出来ている。大丈夫だ。最後は突き抜けろ!」

「はい!」

皆に一層の気合いが入った。が、ここで拍子抜けするような和也の声。

「やっべ〜!オレの窓開いてた。

テレビに映っちゃったかな?」

一瞬その場がシーンとなった。

唯が続いた。

「ナイスです!ドンマイ和也さん!」

張り詰めていた空気を切り裂き、笑いが起こった。選手達はリラックスして各々スタート地点に向かった。


レースは定刻通りにスタートし、早くも中盤に差し掛かっていた。

唯は飛び出したい気持ちを抑えながら前方でレースを展開し、各チームの有力選手の動きを仲間のアシスト選手と一緒にチェックした。最後の上り区間はまあまあいいペースで先頭を長めに引き、調子の良さそうな選手悪そうな選手を観察しながら走っていた。

レースの半分を終えた所で150名でスタートした集団は早くも20名程に絞られていた。

唯の足は快調に回っていたが、1つ気がかりな事があった。

勝の調子があまり良さそうに見えなかった。


12/15周目の最後の上りでペースが上がり、集団が少しバラけ始めていた。

6番手で上っていた勝が少し中切れを起こし始めている。それに気付いた唯は少し下がってきて勝に声をかけた。

「オレ、勝さんを引きますから絶対に付いてきて下さい。ここ、乗り越えればきっと調子が良くなってくるから絶対諦めないで下さい。」

勝は少し脱水症状になっているようで、汗が引いて鳥肌が立っていた。唯は自分のボトルの水を勝の首筋にかけた。

上りきった所で前を行く4人と少し間隔が開いていたが、唯が引けば次のアップダウンで簡単に追い付けるはず。

頂上で唯はもう一度声を掛けた。

「追いつきますよ。しっかり付いて。飲める所でボトルしっかり飲んで。」

程なく2人は4人に追い付き、6人の先頭集団が形成された。


残り3周を切った。どうやら勝負はこの6人の争いになりそうだ。

その周も勝は最後の坂で少し遅れたが、前の周と同じ様に事なきを得た。

最終周に入る前の坂では勝は少し息を吹き返したようで6人の集団となって最終周に入る鐘の音を聞いた。

6人共かなりいっぱいいっぱいの状態なのか。探り合いという感じではなく誰もがアタックをかけられない状態のようだ。それは唯とて同じであった。顔には出さないようにきていたが、ここまでかなり自分の足を使ってきた事もあり両足共攣りかけていた。


ラスト一周、さあどうする?

メンバーは京東大が唯と勝の2人。一番手強そうなのが下馬評通りのA大の2人。B大は1人だが上れている。C大1人はスプリントになれば侮れないが余力は殆ど残ってない感じだ。

唯は?勝は?


コース中盤の平坦区間に入る少し前の緩い下り坂。勝が唯を呼び少し後ろに下げて小声で言った。

「唯。オレは頭取れそうにない。

取ってくれ。オレは何としても3位に食い込む。」

そう言って隊列の後ろに付き、その後ろに唯が付いた。

唯はこの後の展開を考えた。

その後少しスピードの出る下りがあり、一列になって右コーナーに入っていった。そこで思いもよらぬアクシデントが起こる。


何て事はない右コーナー。もう既に今日14回もここを通っているというのに、慣れの不注意からか疲労からか、3番手にいた選手が前輪を滑らせてクラッシュ!4番手の選手がそれに乗り上げ宙を舞う。5番手の選手は何とか交わす事が出来たが6番手の選手は行き場が無くなり思い切り進路を変えたがタイヤがグリップを失い前後輪が滑って立て直す事は不可能だった。


6番手の選手。

唯。

スローモーションのように地面を滑っている時間がとても長く感じた。滑りながら唯は祈っていた。

すぐに起き上がって走れる事を。


身体が熱かった。しかし直ぐに起き上がる事が出来た。バイクは?

すぐ近くに倒れたバイクがあった。直ぐに跨り壊れていない事を祈って漕ぎ出そうとしてチェーンが落ちている事に気付く。意外な程冷静だった。バイクから降りて手でチェーンをかけ、後輪を上げて手でペダルを回した。

よし!

唯は走り始めた。ブレーキレバーが曲がっていたが、バイクは普通に走ってくれた。そして頭がクリアーになった。もう展開など考えなくていい。とにかく前の3人に追い付かなければ!

落車によるタイムロスは30秒程に抑えられたか。

「勝さん、待ってて下さい!すぐに追いつきます!」唯は心の中で叫んだ。


前を行く3人は後ろを振り返り、唯1人が起き上がって追走を始めたのを確認した。


ここからは3.5kmの平坦とその後の1.5kmの上りを残すのみ。

先行している3人は、A大1人、B大1人、そして勝だ。

A大B大の2人はこのまま3人で行きたいと思う。唯に追いつかれたら厄介だ。勝は先頭を引かず唯が追い付くのを待ちたい。京東大が2人になれば俄然有利になるはずだ。勝は先頭に出なくて良いから、今はいっぱいいっぱいの状態だがここで少し足を溜める事が出来る。

A大とB大の2人にとって、勝はつきいちでも上りでは遅れるだろうと、それ程警戒する選手ではなかったが、唯は厄介なのだ。2人は高速でローテーションし、唯には追い付かせまいとした。


唯は前方をしっかりと見据えていた。「負けてたまるか。絶対に追い付く」と。

「合宿での和也さんとの最後の練習通りだぜ。今度は絶対に負けない。」と。

しかし、しっかりと見据えた目に信じられない光景が飛び込んできた。


なんと、つきいちでいいはずの勝がローテーションに加わり始めたのだ。それは前に出てスピードを落とすものではなくて、本気の踏みである事は明らかだった。もう体力的には付いているだけでも精一杯なはずなのに。

「あの人は。

本気で3位を勝ち取ろうとしている。本気で世界を見たいと思っている。」


事実、勝は3人での逃げ切りにかけた。自分がここで貯めても、唯が追いついてくれば、唯の優勝はあり得ても、自分が4位になってしまう事はほぼ確実だとしか思えなかった。


本気の勝の姿を見て、唯は「くっそー!」と叫んだ。ジュニア世界選手権での敗北以来、どうしても入りきらなかったスイッチが完全にONとなった。

3対1。

残りは4km。前との差は30秒。


その時突然、木々の枝が大きくしなる位の風が吹き抜けた。それまでは木々の葉を少しだけ揺るがす程の静かな風しか吹いていなかったというのに。

沿道で観ていた子供の帽子が飛ばされ、その子が「あっ!」と声を出した。


唯は無心で前を追ったが平坦区間を終えて30秒の差を縮める事は出来なかった。そして最後の1.5kmの上りに突入した。

唯は前だけを見続けた。

唯の身体が躍動した。

まるで翼が生えたようにグイグイと加速していく。


残り500mで勝に並んだかと思うと並ぶ間も無く、勝の姿はまるで目に入っていないかのように抜き去っていった。

勝は雷に打たれたような電撃に襲われた。初めて「本物」を見た衝撃というものだろうか。勝は身体から全ての力が抜きとられたような気がした。


唯は加速し続けた。

一瞬、そこだけに風が巻き起こったように感じた。

唯が感じただけでなく、見ていた人達皆んなが感じた。

唯を押してくれる風。追い風。

そしてゴール寸前で前の2人を抜き去り、トップでゴールラインを越え、両手を天に突き上げた。

周りはもの凄い歓声だった。

唯はギアを落としてゆっくりとペダルを回しながら前進した。


「わー!」っという歓声がだんだん「うぉーん」としたものになっていき、次第に遠のいていく感じと共に視界が白くなってぼやけてきた。

「しっかりしろ!オレ!」と唯は自分の意識を繋ぎとめようとしたが、誰かの腕に抱えられたような気がして、安心したのかその人の腕の中で崩れ落ちてしまった。


勝は魂が抜けたようにヨロヨロと4番目にゴールを切った。そのままテントの方に進んでいくと、意識を失っている唯が救護室に運ばれていくのが目に入った。破けたジャージと負った傷がとても痛々しかった。

それを見た勝は寒気に襲われ、震えながら何もする事が出来ず、そのままテントに向かった。

消耗しきっていた勝はテントに倒れるように横になり、仲間から水をかけて貰ったり飲み物を飲ませて貰ったりして、少しずつ回復していった。

遠い世界から戻ってきた感覚と共に、唯の事がとても心配になってきた。


一方、救護室に運ばれた唯はベッドの上に寝かされていた。その横で和也が付き添っていて、涙を流しながら唯の顔を覗き込んでいた。

唯は数分も経たないうちに目を覚まし、和也と目が合ってビクッとした。

「す、すみません。オレ、大丈夫です。」

唯が急に目を覚ましたので和也もビクッとした。

「す、すごかったぞ。唯。お前、何てすごい奴なんだ。」

和也は泣き笑いしながら、唯のオデコをポンポンと叩いた。

唯は笑いながら

「いって!ありがとうございます。和也さん。オレ達やりました!オレ、突き抜けました!」

そう言って、起き上がろうとして唯は顔をしかめた。

「いって!あー、久々に派手にやっちゃったな。」

破けたジャージと右半身に負った傷を見ながら唯が言った。


救護のお姉さんが気付いて「大丈夫ですか〜?」と近寄ってきた。

「少し休んで落ち着いたら傷口を洗わなきゃね。」と言われ、唯は「もう大丈夫です。」と言って立ち上がった。

これだけ傷を負いながらも、唯は普通に歩いて水場に向かった。

和也がイスを持って後ろから付いていった。


ばい菌が入らないように傷口は綺麗に洗わなくてはならないが、それは恐ろしい痛みを伴う。

和也は唯がまた気を失うんじゃないかと思って、唯をイスに座らせて抑えつけた。

「和也さん、大丈夫ですよ。」と言いながら唯は流れる水道水に自分の腕や足の傷口を思い切り突っ込み、自分の手で洗い始めた。

その痛さに顔は歪んでいたが、唯は全く声を上げなかった。小刻みに震えている唯の身体を支えながら、和也の目からはまた涙が溢れていた。

「何て我慢強い奴なんだ」と心の中で呟いた。

洗浄が終わり、応急処置をしてもらって、唯はチーム員が持ってきてくれた大学のTシャツとジャージに着替え始めた。


そこにヨロヨロと歩いて勝がやってきた。恐る恐る救護室を覗いた勝は唖然とした。さっきまでとはまるで別人のように、何事も無かったようにケロッとした顔でジャージを着替えている唯の姿がそこにあった。


勝の姿を見つけた唯が声をかけた。「あ、勝さん。」

勝はそばに行って深々と頭を下げた。

「申し訳ない。」

次に言おうとした言葉を唯が遮った。

「申し訳なくなんかないっすよ。

ナイスアシスト、ありがとうございました。あれだけの力しか無いのに、本場を走りたいと本気になれるなんて凄いです。」

一番痛い所を突かれ、コレは最大級の皮肉だと感じた勝は色々なものが込み上げてきて、思わず拳を突き上げた。


それを遮る手があった。

和也の手だった。

「こいつは皮肉で礼を言うようなヤツじゃない。その言い方に問題はあるかもしれないが、今の言葉は唯の本心なんじゃないかな。」

そう言って和也は勝の手を下ろした。

そして何時もの口調に戻ってこう言った。

「この後、表彰式が行われる会場に向かわなきゃいけないんだけど、2人はオレの車で連れていくから一緒に来てくれ〜。」と。

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