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ロードレース世界選手権

フランスに来てちょうど1年が経った頃、唯の父親から連絡があった。父親の身体に癌がみつかったというのだ。父親は大丈夫だから心配するなと言ったが、そんなのは無理な話だ。

唯は近いうちに一旦帰国すると言ったが父親は許してくれなかった。

「お前がフランスに渡る時に約束した事を忘れたのか?

父ちゃんは大丈夫だ。

目指してきた世界選まであと一年だぞ。

そこでメダルを取って帰ってきてくれ。」


そう言われた唯は、父ちゃんの為にもメダルを取る事を誓った。

あと一年。

唯は一層の気合いを入れて一日一日を過ごしていった。

出来る事は全部やろう、そう決めた唯はどんどんストイックになっていった。自分自身をいじめ抜き、結果ばかりを求めて、焦りや苛立ちも募り、いつの間にか笑う事も忘れてしまっていた。

それと同時に唯の眼光の鋭さは増し、人を寄せ付けない雰囲気を漂わせるようになっていった。


あれから1年が経ち、いよいよフランスでの世界選手権が始まった。

唯はジュニアの日本代表として出場し、上位入賞が期待されていた。

ロードレース観戦が大好きな和也は1ファンとしてそのレースを観に行っていた。


唯にとってはジュニアカテゴリーで走る最後の年。

上りのきつい唯好みのコースでもある。

唯はここに全てを注ぎ混んできた。様々な事を犠牲にして。

ここで手応えを掴めなかったら、選手を終える覚悟で臨んだ。

スタート前、父ちゃんの為にも絶対にメダルを取る事をもう一度誓った。


ジュニアのレースは距離こそ短いものの、コースはエリートと同じ厳しいものだ。

今回は一周14kmのコースをを10周して争われる。日本チームは4名がエントリー。その中で唯の実力は図抜けているので、唯をエースに他の選手はアシストに回りたい所だ。アシストする事自体が難しいが、出来るだけ唯の近くで走り、何かトラブルがあった場合には対処するように、あとは各々が完走を目指して全力を尽くす事。唯は強豪チームの動きを見ながらレースの流れを上手く読んで、少しでも良い順位でゴールするようにというのがチームの指示だ。


唯はこれまでの経験を上手く生かしてレースの流れに乗り、大健闘の走りを見せていた。

最終周に入る時、7名の先頭集団の中に唯が残っていて、メンバーから見てこの7名の中から優勝者が出る事はほぼ確実に思えた。しかし、唯はもういっぱいいっぱいの状態で何とかこの集団に食らいついているだけというのが明らかだった。


そして最終周、勝負がかかってペースが上がった先頭集団から唯一人付いていく事が出来ず、力を使いきった唯は後続の2名に追いつかれた。何とかその2名には食らいついたが3名のゴールスプリントは、足が終わっていてもがく事さえ出来ず、2名から遅れて全体の9位でゴールした。


ゴールした先で唯は壁に持たれかかって座りこんでいた。

怒りと悔し涙と汗とヨダレとが入り混じったその顔は、ズダボロになった野良犬のようだった。

もしも声でも掛けようものなら、思い切り噛み付かれそうで、誰もそばには近寄る事さえ出来なかった。

そんな唯を遠くから見て、感動して泣き笑いしていたのが三村和也だった。

そしてもう一人。明後日のエリートレースに出場する史也がジュニアのゴールを見に来ていた。

ゴール後の唯の姿を見て、昔の自分を見ているような気持ちになった。やっと熱い若者が現れたという嬉しさと同時に、自分も初心に返って熱いレースが出来そうな、唯から何かスイッチを入れられた気持ちになっていた。


全てを出し切った結果の9位。ほぼ単騎で闘い、この9位は充分に称賛されるものであった。

しかし、唯にとっては屈辱だけのゴールであった。

3年間、全てを賭けてやってきた結果がこれ。

自分が得意とする上りでさえ、攻撃する事は出来ない。

平坦は集団に何とかしがみついているのがやっとだ。

父ちゃんに誓ったメダルは取れなかった。

もうこれ以上は出来る事は無いんじゃないか、と。


そのレースの次の日、追い討ちをかけるような悲しい知らせが唯の元に届いた。

それは唯の父親が亡くなったという知らせだった。


父ちゃんにメダルをかけてあげたくて頑張ってきたのに、この世界選を終えたら父ちゃんに会えると思っていたのに、それさえも叶わないものとなってしまった。

父ちゃんが一番苦しい時にそばにいてあげられなかった。

自分の夢を叶える為に、自分は、そして家族は、どれだけの物を犠牲にしてきたのだろう。

そう思うとやるせない気持ちでいっぱいになった。


それとは裏腹に和也は唯の走りに感動でいっぱいになっていた。

2日後に行われるエリートのレースまで観戦する予定にしていたので、唯とも話がしたいと思っていたが、そんな知らせを聞いて話かける事も出来ずに、和也はエリートのレースを見ずに帰国した。

唯も同じ日に別の便で悲しみの帰国をした。


それから一週間程が経ち、ある報道が自転車界を揺るがせる事になった。

唯へのインタビュー記事。

「これで自転車から降りようと思います。自分の夢の為に犠牲にした物が大き過ぎる。世界の中で9位になっても誰の役にも立たない。もっと父親の為にしてあげられる事もあったはず。医者になりたい。医者になれば、多くの人の役に立てる。」


この記事を見て和也は考えた。

「辞める?医者になる?本気なのか?東京オリンピックまであと4年」

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