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2020 東京オリンピックロードレース

唯が心待ちにしていたその日がやってきた。

7月25日、勝と唯はチケットと引き換えに、最大の勝負所である三国峠手前の一番キツイコース脇を陣取っていた。


ここは日本なのか?

これがオリンピックなのか?

まるで本場ヨーロッパのような雰囲気だ。観客の数も凄い。外国人の姿も沢山あり、観客の手には様々な国旗が握られている。

照り付ける太陽の熱に観客の熱気が加わり、選手達がここにやってくるまでまだ随分と時間があるというのに猛烈な暑さだ。

ただでさえ心拍数が上がりそうな暑さだが、これから選手達がここを通過すると思うとドキドキワクワク感は半端無く、益々観客達の心拍数を上昇させている。


唯達がいる場所は少し日陰になっていたが、体温調節の出来ない唯にとっては厳しい暑さである。勝と唯は氷を沢山持参して自分達の身体を冷やしながら、選手が現れるのを今か今かと待ち続けていた。


先導車が勢いよく通り過ぎた後、更にその興奮が高まる。

先頭集団はどうなっているのか?

史也は残っているのか?

もう1人の日本選手は?


遠くの方に選手の姿が見えてきた。凄い声援が少しずつ上に上ってくる。

「行け〜!」

「ゴーゴー!」

「アレ!アレ!」という声援に混じって

「フミヤ〜!」

「フミヤさ〜ん!」

の声が鳴り響く。


「え?フミヤさん残ってる?」唯がボソッと呟いた。


ここは最もキツイ最後の大きな勝負所だ。こんなにキツイ坂だというのに先頭集団はペースがガンガン上がって一列棒状になり、選手と選手の間隔が開き始めている。

何なんだ?この凄まじい熱量は!


先頭集団は十数名。とてつもない怪物達。研ぎ澄まされた肉体が躍動している。その一人一人の形相を観て観客の胸は熱くなる。

そしてその最後尾に、何とか史也が食らいついていた。

鳥肌がたった。


かつて史也がこんな事を言っていた事がある。

『パッション同士が ぶつかり合う 熱量がすごいエネルギーになるんですよ

自転車レースって

だから走っていて楽しい

自分はそれが魅力だからずっと自転車ロードレースで戦ってきている』と。(注:別府史之選手の言葉)


「スゲー、付いてる!」唯が叫んだ。

「フミヤさん!行ける!もっと行ける!行け!フミヤさん!」


苦しみもがいていた史也が顔を上げた。

史也がかけているサングラス越しに唯と史也の目が合い、史也が一瞬不敵の笑みを浮かべたように唯には見えた。

「行け〜!フミヤさん!」

唯はありったけの声で叫んだ。

史也の力に唯の力が加わった。


史也が唯の目の前を駆け抜けた瞬間、2人の間に熱い風が駆け抜けた。まるでスローモーションのように。

唯の力に史也の力が加わった。

唯の短い髪がふわっとなびいた。唯は目をしぱしぱさせた。


史也は間隔が開き始めた選手を一人一人追い抜いて前に上がっていった。

「スゲー!フミヤさん!」

「行け〜!」

「行け〜!」

唯は史也の姿が見えなくなるまで叫び続けた。

唯が興奮して勝にまくし立てた。

「スゲー!見ました?今の。フミヤさんカッケー!!」


勝は我に返り、唯を見て驚いた。

唯の拳が握られている。

「唯!オイ!唯」

勝が叫んだ。

「見てみろ。お前の手!」

唯も自分の手を見てびっくりした。

「え?」

思わず声が出た。

唯の手は麻痺が残っていてしっかりと握る事も開く事も出来ず、いつも中途半端に曲がっている。それが今、唯の手はしっかりと堅い拳に握られているのだ。

「え?」

我に返った唯の手は少しずつ開いてまた元の中途半端な曲がりに戻った。

「何だったんだ?」

唯は首を傾げた。


勝が言った。

「もう一回握ってみろ!」

唯は力を込めてみた。

さっきのように堅い拳にはならなかったが明らかに以前より力が入る感覚があった。


本気×本気

史也のパッションと唯のパッションの融合が引き起こす化学反応!

翔吾の力もきっと加わっている。

化学では証明出来ないモノを奇跡と呼ぶのであろうか。

でもこれは決して奇跡なんかではなくて、史也と唯が持っている力。

史也と唯が超一流のアスリートたらしめる所以がここにある。


その間、何人もの選手が苦痛に顔を歪めながら2人の前を通り過ぎていた。

2人は現実に戻って選手達に声援を送った。トップが通過してから15分程経過したであろうか。

赤地に白が混ざったのジャパンジャージが目に入ってきた。

もう1人の日本選手が懸命に上ってきた。

「スゲー、残ってる!」

唯がまた叫んだ。

「頑張れ!

フミヤさん先頭集団で前上がっていきましたよ!

行けますよ。もう少しです。

頑張れ!」


「スゲー」

唯の目はキラキラと輝いていた。

彼らが視界から消えると唯が言った。

「勝さん、行きましょう。帰ってすぐ練習しましょう。」


勝は唯がこのレースをまともに見れるはずがないと思っていたが、その心配は杞憂だった。

唯の目が少年のように澄んでいて、「あいつは走れなくてもここに生きているんだ」と強く感じたのだった。


帰り道。

「ちょっと力、入るようになったからもうちょい漕げそうな気がします。アタックパスもいけそうな気がしてきた。早く練習してー。」と唯。

唯はもう自分の今の世界に戻っている。しっかりと前を向いていた。

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