2人で泣いた日
日本代表入りした2人は1年後を目指し、更にハードなトレーニングを積んでいった。
代表合宿や遠征、チーム練習以外にもずっと2人でトレーニングを積んできた。
クリスマスイヴの夕方。
いつもの待ち合わせ場所に勝と唯がいた。
唯が言った。
「あ〜。勝さんと2人で過ごすクリスマスイヴなんて最高だな〜。
来年こそは彼女作ってこんなクリスマスイヴを過ごさなくていいようにしたいな〜。」
勝が言った。
「オレで悪かったな。まあ、パラ終わったらお互いエンジョイしようぜ。さあ、今日も頑張ろうな。」
今日のトレーニングはスロープの上り下り。体幹が効かず上肢にも麻痺がある唯にとってはスロープの上りは容易ではない。2人のスピード差は大きいが、2人が競って頑張れるようにハンディを付けて競争する。
唯が2.5往復する所をまさるは5.5往復して先に上りゴールした方が勝ちだ。
2人が同時にスタート。
あっという間に2人の差は広がっていく。それぞれが自分のベストを尽くし、お互いの頑張りに負けられないという熱いモノをお互いに感じながら懸命に車いすを漕ぎ続ける。
2人はすれ違う度に視線を交わし、言葉は発しないが視線でエールを送り合う。
いつもは2人がゴールをすると、勝っただの負けただの、笑いながらクールダウンに向かうのだが、その日は少しいつもと違っていた。
最後の上りでラスト20mを残して唯は勝に追い抜かれた。
いつもなら「くそー、勝さん、待て〜!」とか叫びながら唯は必死にラストスパートをかけていくのに、抜かれて少しした所で漕ぐのを辞めてしまった。
強烈な向い風に感じた。
唯の目から涙が溢れてきて再び漕ぎ出す事が出来なかった。
ゴールした勝がUターンすると、止まっている唯が目に入り、驚いて叫びながら唯に駆け寄った。
「大丈夫か?唯。どうした?」
唯は泣いていた。
「すみません。勝さん。どうもしてないです。気持ちが折れただけです。情けない。」
勝はハッとした。
「一緒に下ろう。下って話そう。」
2人は無言でゆっくりと下った。
下りきった所で先に口を開いたのは勝だった。
「唯。すまない。オレ間違っていたかもしれない。唯の為と思ってやっていた事も、お前を苦しめていたんだと、たった今気付いた。」
勝はインカレの時の最後の坂を思い出していた。
「インカレの最後、唯に抜かれたあの瞬間、オレは電撃が走り全ての力を抜き取られたように感じた。初めて「本物」を見たような衝撃だった。
その「本物」が二流のヤツに何度も何度も抜かれる辛さ、何でもっと感じてやれなかったのかな?
オレが唯を追い詰めてしまっていたんだ。本当にすまない。」
勝の目からも涙が溢れていた。
「違うんです。勝さん、謝らないで下さい。勝さんはちっとも悪くない。これは自分の問題なんです。どうしようもない事だけど聞いてくれますか?」
唯の泣き言なんて聞いた事が無かった勝はちょっとビックリ、ちょっと嬉しかった。
「勿論。何でも話してくれ。オレが解決してやる事は出来ないかもしれないけど、話せば楽になる事もあるはずだからな。」
「オレ、思い切り泣く事が出来た時、スッキリ出来るみたいなんです。以前に一度そんな事があった。だから今日は泣かせて下さい。
自分が負った障害って年月が経てば慣れるものかな?って思ってたけど、慣れるって事は無いですよね。常に不自由は感じてしまう。でも日常生活であればそれは我慢出来るんです。
それがスポーツ、競争となると、動かない事が本当に辛い。それを乗り越える事が出来るかどうか、パラを目指そうかと思った時に一番考えた事だった。でも出来るかどうか解らないけど、オレはやってみる事にしたんです。
そこがまだどうしても乗り越えられないでいるんです。
身体が動かないから、呼吸も上がらないし、身体はキツイけど追い込めないし、汗もかけない。
・・・
ロードレースのあのいっぱいいっぱいの中でのグワ〜っていう感じ。自分の力だけじゃ出せない力を引き出している感じの堪らなさ。飾らない自分自身をさらけ出せる。
そんなロードの時の感覚とどうしても比べてしまう。
出来ない事を求めるんじゃなくて、この競技の自分に出来る事に楽しみを見出していかなきゃと思ってはいるけど、まだ出来ないんです。
・・・
勝さんは必死になって追い込んでスピードを出して車いすを漕ぐ事が出来る。その追い込める感覚、羨ましいです。
勝さんが追い込んで必死になって上っていく隣でオレは追い込みたくても身体が動いてくれない。それが辛くて。
勝さんがオレを誘ってくれて、一緒に頑張ろうって思って、オレは勝さんの頑張りに負けないように頑張ろうって思ってるけど、勝さんの刺激になれないばかりか足手まといになるばかりで申し訳なくて。」
唯の言葉を聞きながら勝は泣いていた。
「唯、何言ってる。お前は充分頑張ってるじゃないか。その動かない身体にムチ打ってどれだけ頑張っているかオレには解っているつもりだ。そんなお前にオレはどれだけ力を貰っていると思ってる?
お前には解らないかもしれないが、あの事故で全てを失ったと思っていたオレをここまで連れてきてくれたのは唯なんだぜ。今もオレが頑張れているのは唯がいるからなんだ。勘違いするな。
唯はアスリートとしてのオーラを今少しずつ取り戻してきているとオレは思う。初めてお前のラグビーの試合を見た時に失われていたオーラを。
・・・
オレらはロードレースを愛していた。いや、オレとお前は比べ物にならないと思うけど。
車いすラグビーにそこまで夢中になれないのはオレだって同じだ。
けど、あの頃の感覚を求めるのは間違いだよな。」
唯の涙も止まらない。
「ありがとうございます。きっとここの壁を越えるのに必要なのは、車いすラグビーを愛する事が出来るかどうか、どれだけ夢中になれるかだと思うんです。無理にそう思う事じゃなくて、心からの気持ち。今の考え方や感じ方じゃなくて、これまで持ってきた価値観とか全て含めて自分の脳を変えていく事が出来たら突き抜けられるような気がします。
以前和也さんが言ってました。
「脳を変革する事が出来れば、もう一つ突き抜ける事が出来る」みたいな事を。
オレはどうせやるならやってみたい。
今日は大泣き出来たから、またきっと次のステージに上がれるような気がします。
勝さん、オレは大丈夫です。明日からまたよろしくお願いします。」
2人は泣きながら笑顔になっていた。
「おー。今日はイヴだから、後で上手いディナーでも食べに行くか?」
勝の提案に唯は賛成した。
「仕方ないな。勝さんに付き合ってあげますよ〜。」
楽しい夜を過ごした次の日からまた2人のトレーニングは始まった。唯の目は本気だった。簡単に動きに変化が現れる物ではないが、その目からはどっしりとした覚悟を感じ取れた。
「なんて切り替えの早いヤツだ」
勝は小さく呟いた。
その日以来、トレーニング中に唯には時々和也の声が聞こえるようになった。
あのインカレ前の最後のトレーニングの時のように。
「走れなくて当然なんだ。走れない事に腹を立てるな。力まずにいこう。」
「あと少しだ。風谷唯が戻ってきたぞー。その顔、その目、あと少しだ。」
・・・




