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優しさと強さと脆さと

季節は冬になっていた。外はみぞれ混じりの冷たい雨が降っていた。

今日は土曜日。病院でのリハビリは土日はお休みだ。

勝は外泊届を出していて、今朝早く家族が迎えに来て出ていった。

土日は勝と食堂でだべったり、一緒にリハビリしたりして過ごす事が多かったが、今日は何をして過ごそうかと唯は考えていた。


唯は今リハビリで、自力でベッドから車いす、車いすからベッドに移る練習をしているが、車いすに乗せて貰えば自力で何とか漕げるようになっていた。「一生寝たきり」と言われていたのに、ゆっくりではあるが自分の力で風を切れるようになった事が本当に嬉しかった。


その日の朝も少し病院内を散歩しようと思って看護師さんに頼んで車いすに乗せてもらった。特に買う必要のある物は無かったが、何となく病院の売店に行くと面白そうな本があったので店員に頼んで取って貰った。

レジに向かってお金を払おうとした時、唯は嫌な予感がした。

やっぱり・・・

唯が履いているズボンはびっしょり濡れていた。

唯は慌てて「すみません、あの・・・」と言ったので、その店員さんは気付いて「大丈夫よ。今看護師さん呼んであげるから。」

と言ってナースセンターに連絡を取ってくれた。


迎えに来てくれてた看護師さんは凛だった。

そして何時もの調子で笑って言った。

「あらあら、可愛いらしい事。」


唯は、よりによって迎えに来てくれたのが一番見られてたくないと思っていた凛だった事を呪いながらも、変な気持ちを悟られないように努めて明るく

「デッカい可愛い赤ちゃんでごめんなさい。」と言った。

凛はすぐに唯の足元に毛布を掛けて病室まで車いすを押していった。

唯はムリヤリ笑っていた。ムリヤリにでも笑っていないと、悲しくて悔しくて涙が溢れ出そうだったから。


新しい服に着替えさせて貰って、暫く唯はベッドに寝そべっていた。

「なんかもう疲れちゃったな」と思った。ポジティブシンキングも嫌になってきた。今まで弱音を吐かずに頑張ってきた反動か、一気に気持ちが落ち込んだ。

「今日一日位は思い切り落ち込んでみてもいっかな。勝さんもいないし。」と思っていつもは開けっ放しにしているベッドのカーテンを閉めた。唯は暫く天井を見つめてボーっとしていた。自然に涙が溢れてきた。


見回りに来た凛はカーテンを閉めている唯が心配になって声をかけた。

唯は涙を拭いてムリヤリいつもの口調を作った。

「オレ、落ち込んじゃって。今日一日はトコトン落ち込みたいから、ほっといて貰えると嬉しいです。自殺とか出来ないし大丈夫ですから。」と明るく言った。凛は少し心配になったが唯を信じて「はい、はい。」と言って立ち去っていった。


たまにはこんな日があってもいいのかもしれない。天井を見つめて泣いてる日。誰に気を使う事もなく、誰に見られる事もなく、ボーっとしている。暫くはそんな時間を唯は心地良く感じていた。


暫くして、唯は事故後あえて考えないようにしていた事を少し考えてみた。

「これからオレ、どうするのかな?」と。

過去を振り返っての「たられば話」は昔から嫌いで、そんな話には耳を傾けなかったし自分でもした事が無かった。

でも今日はちょっとそんな事を考えたくなってしまった。


先日、勝の所に陸上関係の人が訪ねてきて東京パラリンピックの話をしているのを少し聞いてしまったからかもしれない。


「東京オリンピック、挑戦してみたかったな。」

唯はオリンピックよりもツール・ド・フランスに憧れていたけれど、昨年東京オリンピックのコースマップを見た時に胸が高鳴ったのを覚えている。富士スピードウェイをゴール地点とする総距離約244km、獲得標高約4,865m!

世界でも類を見ない程の険しい山岳コースだ。しかも東京の夏は暑くて湿度が高いのでそれを苦手とする海外選手は多い。唯の得意な山岳と日本の気候。


もしも、あの時事故に遭わなかったら、自分は挑戦出来ていただろうか?

憧れの史也と一緒に日の丸をつけて山岳コースを疾走している自分の姿を少し想像してみた。


そしてすぐに打ち消した。

「ムダな事」と。


ちょっと現実的なパラリンピックを想像してみた。

先日陸上関係の人が話してたように、勝さんなら車いすマラソンとか狙えるだろうな、と唯も思っていた。

「勝さん、昔陸上やってたし、車いすっていったってあのマシーンは自転車に近いし出せるスピードも自転車に近い。風、気持ちいいだろうな。

オリンピックと同じパラリンピックだぜ。東京だぜ。もしオレが勝さんの立場だったら絶対挑戦したいな。勝さん、やらないのかな?

どうしてだろう。

もしかして、オレに気を使ってるのかな?」と考えた。


「で、オレは?

パラか〜。確かにオレ位の障害がある選手も、もっと障害が重い選手も色んな競技で活躍してるよな。オレにも出来る競技ありそうだけどな。

でも、こんだけしか動けないのに楽しいのかな?充実感あるのかな?勝さん位動けたら、それは楽しいだろうし充実感あるだろうけど。

それに、競技中に今日みたく漏らしちゃってそれがテレビに映っちゃったりしたらたまらない。」

とまたさっきの事を思い出して涙が出た。

いっぱい泣いて、今度は落ち込む事に疲れてきた。


「パラ以前の問題だ。現実に戻ろう。オレはまず、今やるべき事をやらなきゃ。最低限の事は自分で出来るようになりたい。いくら頑張っても出来ない事は仕方ないけど、まだ出来るようになる事は色々あるはずだ。」


消灯時間が過ぎて暫くした頃、ようやくそんな結論に辿り着いて、唯は眠る事が出来た。


次の日、朝食を終えた頃、勝がもう戻ってきた。

「あ、早いですね。勝さん、お帰りなさい。」

と唯が声をかけた。


「ただいま〜」と言って唯の顔を見た勝は慌てた。

「どうした唯。その顔。」

唯の目は真っ赤になって腫れ上がっていた。

「え?何か付いてますか?

ん?目?腫れてます?」


頷きながら勝がいった。

「泣いた?」

唯が笑いながら言った。

「勝さんが恋しくなっちゃって」

勝が笑いながら言った。

「こいつ。

ほら、お土産!」

と唯の好きなブラックサンダーチョコを胸元に投げた。


一方、昨日からの一連の様子を見届けた凛は当直を終えて家に帰った。

ロードレースがシーズンオフのこの時期、少しの間史也は日本に滞在し、今は凛の家で過ごしている。

凛が玄関のドアを開けると、トレーニングに行く準備をしていた史也が奥から「お帰り〜。お疲れ様!」と声を掛けた。

いつもなら「ただいま〜、あー疲れた。」とか元気な返事が返ってくるのに、この日は返事が返ってこなかった。

史也は心配になって、作業の手を止めて凛のそばに行った。

凛がうつむきながら上着を脱いでハンガーに掛けようとしていたので、史也はおどけて下から顔を覗き込んでやった。

凛の目から涙が流れていたので史也の顔は真剣になって「どうした?」と凛の両肩に自分の両手を置いた。


すると、凛は史也の身体に手を回し顔を史也の胸に付けて泣いた。

史也はギュッと凛を抱きしめてあげた。

凛は唯の昨日からの一連の出来事を話した。

「私、漏らしちゃった唯が懸命に笑顔を作ってる姿見て、ギュッと抱きしめてあげたかった。史也が私にしてくれてるみたいに。唯には抱きしめてあげる人もいないんだよ。

私は抱きしめたくても看護師だから、そんな事許されない。私、看護師なんかじゃなければよかったのに。」

史也は凛の身体に回した手をまた凛の両肩におき、真剣な顔で話始めた。

「なー、凛。あいつは大丈夫だ。

泣いて強くなるやつだ。

凛は看護師として、近くでちゃんと唯を見守ってあげればいい。オレは遠くから唯を見守っている。

会いに行こうかと思ったけど、今はその時じゃないと思っている。

あいつは今必死に戦って、もっと強くなろうと思っているはずだ。

俺も凛もあいつに負けてられないぞ。唯と一緒に強くなるぞ。」

凛は顔をあげて史也の目を見た。

レー中に見せるような強い目だった。

「ありがとう。私、頑張る。」

と凛は言った。

「よし、今からちょっと乗ってくるから、凛はシャワー浴びて休め。寝床作ってあるから。」と史也。

「ありがとう。気を付けてね。」と凛は史也を送り出し、シャワーを浴びて布団に入った。


史也はなんであんなに優しくて強いんだろうと思った。

唯の事をあんなに思っているのに、何で声もかけずに遠くから見守っている事が出来るんだろう。

私は史也より、ずっと唯の近くにいられるのに我慢出来ないよ。

考えてみれば、あの日から私の頭の中は唯の事でいっぱいになっていた。

史也の気持ちなんて考えた事あったかな?史也がフランスで戦っている時に出したLINEや電話で話した事、日本に返ってきてからもも私が口にするのは唯の事ばかりだった。

そんな私なのに、史也は愚痴一つ言わず、ずっと私を見守ってくれている。励ましてくれている。自分の事をしっかりやっている。

優しくて強い。

史也も色んなものと必死に戦っているはずなのに。

唯と史也はどこか似ている。

唯と同じように、史也の優しさと強さは、脆さと表裏一体であるようにも思えた。

私ももっと優しく強くならなきゃ。唯の為にも、史也の為にも、そして自分自身の為にも。


唯の事を思う事で、以前より星の事をずっと好きになったのと同じように、唯の事を思う事で、以前より史也の事をずっと好きになった。

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